パテック・フィリップ
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パテック・フィリップ(Patek Philippe )とは、有名な高級時計メーカーである。
ヴァシュロン・コンスタンタン、オーデマ・ピゲと共に世界三大高級時計メーカーの一つとして数えられている[1]。その中でもパテック・フィリップは頭一つ抜け出た存在として扱われているという主張もある[2]。
現在すべての製品がジュネーヴシールの認証を受けており、ジュネーヴシールの認証を受けた製品のうち95%以上が同社の製品である[3]。
世界一高価な腕時計を販売するマニュファクチュールとしても知られている。
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[編集] 著名なユーザー
今上天皇、昭和天皇、大正天皇、徳川昭武、ヴィクトリア女王、ヴィルヘルム1世、ヨシフ・スターリン、フランツ・リスト、アルベルト・アインシュタイン、リヒャルト・ワーグナー、ピョートル・チャイコフスキー、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、シャーロット・ブロンテ、レフ・トルストイ、マリ・キュリー、アレクサンドル・プーシキン、ウォルト・ディズニー、エラ・フィッツジェラルドらも顧客であるとされる。
[編集] 歴史
- 1811年4月4日 - 創業者フランティシェック・チャペック(František Čapek )がボヘミアのセロミツェ(Semonice)村(現在はヤロミェジJaroměřの一部)に生まれる。後に時計職人としてポーランドのワルシャワに移住しフランチシェック・チャペック(Franciszek Czapek )とポーランド風に名乗る。
- 1812年7月12日 - 創業者アントーニ・パテック(Antoni Patek )が「プラヴジツ(Prawdzic)紋章」を持つポーランド貴族(シュラフタ)としてポーランド、ルブリン市近郊のピャスキ・ルテルスキェ(Piaski Luterskie)に産まれる。
- 1815年 - ジャン・アドリアン・フィリップ(Jean Adrien Philippe )が時計師の息子としてフランスのLa Bazoche-Gouetに産まれる。
- 1821年ごろ - アントーニ・パテック、10歳のとき両親と共にワルシャワへ移る。
- 1828年 - アントーニ・パテック、16歳でポーランド陸軍に入隊、「第1騎馬ライフル連隊」に配属され訓練を受ける。
- 1830-31年 - アントーニ・パテックとフランチシェック・チャペック、ポーランド人による対ロシア帝国十一月蜂起に参加する。アントーニ・パテックはロシア軍を相手の戦闘における英雄的活躍により少尉に昇進、「8月1日旅団」の副官にまで昇格する。1831年の10月にはその功績が認められポーランド軍最高の栄誉である「ヴィルトゥーティ・ミリターリ勲章(Virtuti Militari)」を授与される。同時期、フランチシェック・チャペックはポーランド人の民兵組織である「ポーランド国民衛兵」の兵卒としてワルシャワでロシア軍を相手に戦う。
- 1832年 - アントーニ・パテック、ロシア軍が制圧したポーランドから亡命。このときポーランド軍のユーゼフ・ベム(Józef Bem)将軍直々に実力を認められ、ポーランド軍がその脱出ルート上に設置した5箇所のポーランド軍部隊終結地点のうちの1つ、ミュンヘン近郊のバンベルクにあったポーランド軍陣地の司令官に任命される。フランスへ到着後しばらくはポーランド軍亡命将校としてフランス側につき各地を転戦し、その後軍を離れてアミアンに定住し植字工となる。このころより自らをアントワーヌ・ノルベール・ド・パテック(Antoine Norbert de Patek )とフランス風に名乗るようになる。同時期に同様に亡命生活を送っていたフランチシェック・チャペックもスイスのジュネーヴに定住をはじめると自らをフランス語風にフランソワ・チャペック(Francois Czapek )と名乗るようになる。
- 1835年頃 - アントワーヌ・ノルベール・パテックとフランソワ・チャペックがロシア帝国のフランスに対する政治的圧力によりスイスのジュネーブに移住させられる。その後パリへ旅に出て得た経験から高級懐中時計の販売を始める。
- 1839年5月1日 - アントワーヌ・ノルベール・パテックとフランソワ・チャペックが共同で事業を開始することで同意し、同郷であるポーランド人時計製造業者のヴァヴジニェツ・ゴストコフスキ、ヴィンセンティ・ゴストコフスキ、ヴワディワフ・バンドゥルスキの財政援助を得て「Patek, Czapek & Cie」を創業する。これより1850年ごろまでポーランドの歴史と文化に関連したデザインの時計をオーダーメイドのみで製造。
- 1842年 - ジャン・アドリアン・フィリップが現在非常に一般的である「リューズによる巻き上げ、時刻合わせ」の機構を発明。
- 1843年5月29日 - アントワーヌ・ノルベール・ド・パテックがジュネーブ市民となる。
- 1844年 - アントワーヌ・ノルベール・ド・パテックは自社製品をパリの博覧会に出品するためパリに赴き、ジャン・アドリアン・フィリップと出会う。「リューズ巻き上げ、時刻合わせ」の機構に感銘を受け、意気投合する。
- 1845年5月1日 - ジャン・アドリアン・フィリップが入社、社名を「Patek & Cie」に変更。パテック・フィリップ初のミニッツリピーターを製作。フランツ・リスト、シャーロット・ブロンテ、レフ・トルストイがポケットウォッチを購入。
- 1845年5月17日 - フランソワ・チャペックが退社。
- 1849年 - アメリカのティファニーに時計供給を始める。
- 1851年1月11日 - 社名を「Patek & Cie」から「Patek & Philippe Cie」に変更。
- 1851年 - クリスタルパレスで開催された最初のロンドン万国博覧会に出品、8月18日ヴィクトリア女王がリューズ巻上げ・時刻合わせ式の18金ペンダントウォッチを購入。
- 1854年 - 本社が現在地Quai General Guisanに移る。
- 1867年6月26日 - ピウス9世が18金ケースクォーターリピーターのポケットウォッチを購入。裏蓋には教皇の紋章と両側に月桂樹が七宝で描かれている。
- 1877年5月1日 - アントワーヌ・ノルベール・ド・パテック死去。
- 1877年 - ピョートル・チャイコフスキーがルイ15世スタイルのクォーターリピーターポケットウォッチを購入。
- 1891年1月 - ジャン・アドリアン・フィリップが経営を息子のジョセフ・エミール・フィリップに譲って退社。
- 1894年1月5日 - ジャン・アドリアン・フィリップ死去。
- 1895年頃 - マリ・キュリーがジュネーブ芸術協会からペンダントウォッチを授与される。
- 1907年 - ジョセフ・エミール・フィリップ死去、その息子アドリアン・フィリップが会社の経営を引き継ぐ。
- 1908年 - 現在の本社ビルが完成。
- 1915年 - アルベルト・アインシュタインがポケットウォッチを購入。
- 1927年4月6日 - パッカードの創業者の一人ジェームズ・ウォード・パッカード(James Ward Packard )に「パッカードウォッチ」を12,815スイスフランで売却。
- 1929年 - 世界大恐慌の影響で経営が悪化し文字盤製造業者のジャン・スターン(Jean Stern )とシャルル・スターン(Charles Stern )兄弟が資本参加する。
- 1932年6月14日 - スターン兄弟に買収され、アドリアン・フィリップが経営から退く。ジャン・フィスター(Jean Pfister )が社長に就任。ドレスウォッチの傑作Ref96を発売。
- 1933年1月19日 - ヘンリー・グレーブス・ジュニア(Henry Graves Jr. )からティファニーを通じて「史上一番複雑な時計」を受注し24機能の複雑時計「グレーブス・ウォッチ」を製作、60,000スイスフランで売却した。
- 1948年 - エレクトロニクス部門設立。
- 1949年5月15日 - ジャイロマックス・テンプの特許取得。スイス特許番号261431。
- 1951年12月31日 - ジャイロマックス・テンプの特許取得。スイス特許番号280067。
- 1956年 - 全電気式クォーツ時計を製作。
- 1958年 - ジャン・フィスターが定年退職、シャルル・スターンの息子で1936年以来ニューヨーク支店長だったアンリ・スターンが社長に就任。
- 1966年8月6日 - 現在の社名である「Patek Philippe S.A.」に改名(スターン兄弟に買収された1932年説もある)。
- 1968年 - 「エリプス」シリーズ発売。最初のモデルはRef.3548。
- 1976年 - ジェラルド・ジェンタデザインによる「ノーチラス」シリーズ発売。最初のモデルはRef.3700/1。
- 1978年 - アンリ・スターンの息子フィリップ・スターンが社長就任。
- 1988年 - 「パッカード・ウォッチ」を買い戻す。
- 1989年 - 「キャリバー89」を発表。
- 1993年 - 「ゴンドーロ」シリーズ発売。最初のモデルはRef.4824。
- 1999年12月 - サザビーズ・オークションにて「グレーブス・ウォッチ」が1個の時計としては史上最高値の11,002,500ドルで落札された。
- 2000年10月5日 - 西暦2000年を記念し21機能、パーツ数1118個の複雑時計「スターキャリバー2000」が発表された。ハーフハンター・ケース、ダブル・フェイス・ポケットウォッチ。ケース素材違いの4個が1セットで価格は7,500,000ドル。毎年1セットずつ5セットが製造された。
- 2002年4月 - アンティコルム・オークションにてルイ・コティエ(Louis Cottier )が考案した方式の1949年製ワールドタイムが腕時計としては史上最高値、当時の日本円で約4億8000万円で落札された。
[編集] キャリバー89
創業150周年を記念して製作された33機能の複雑時計。基本計算、基本設計は1980年に開始され、作動する試作品は1988年7月、製品は1989年4月に完成した。直径88.2mm、ガラスを除いた厚み36.55mm、ガラスを含んだ厚み44.07mm、ケースのみの重量500g、総重量1,100g。1278個のパーツが洋銀製プレート3枚に4層になって組まれている。126石。ガラス、ディスクはサファイア・クリスタル製。文字盤は14金に銀蒸着が施してある。
18金イエローゴールドケースに収められた試作品の他18金イエローゴールド、18金ローズゴールド、18金ホワイトゴールド、プラチナのケース素材違いで4個が製作され、1989年4月9日のアンティコルム・オークションにイエローゴールドモデルが出品されて4,500,000スイスフランで落札された。2004年4月のアンティコルム・オークションにも出品され、6,600,000スイスフランで落札されている。試作品はパテックフィリップミュージアムにある。
[編集] 脚注
^ 並木浩一『腕時計一生もの』光文社新書刊、210項

