PFC CSKAモスクワ
| PFC CSKAモスクワ | ||||
|---|---|---|---|---|
| 原語表記 | Профессиональный футбольный клуб ЦСКА Москва |
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| 愛称 | ツェーエスカー、Koni | |||
| クラブカラー | 青と黄 | |||
| 創設年 | 1911年 | |||
| 所属リーグ | ロシア・プレミアリーグ | |||
| 所属ディビジョン | 1部 | |||
| ホームタウン | モスクワ | |||
| ホームスタジアム | ルジニキ・スタジアム アレナ・ヒムキ |
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| 収容人数 | 84,745 18,000 |
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| 代表者 | ||||
| 監督 | ||||
| 公式サイト | 公式サイト | |||
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| ■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ | ||||
PFC CSKAモスクワ (露: Профессиональный футбольный клуб ЦСКА Москва, 英: Professional Football Club Central Sports Club of Army Moscow) は、ロシア・モスクワを本拠地とするサッカークラブチーム。
クラブ名の CSKA はツェーエスカーと読み、地上軍(陸軍)中央スポーツクラブ (露: Центральный спортивный клуб армии) の頭文字をとったもの。ロシア国内有数の実績を残す強豪クラブである。CSKAモスクワはサッカー以外にもアイスホッケー、バスケットボール部門が世界的に有名である。
目次 |
[編集] 歴史
1911年に創立されたスキースポーツ愛好者協会 (OLLS) がクラブの前身。サッカー部門も同年に作られた[1]。1923年に赤軍のスポーツクラブとして改組され[2]、数度の名称変更を経て1960年に現在のCSKAの名に落ち着いた。
最初の黄金期は1940年代後半から1950年代初頭に訪れた。クラブはこの時期にリーグに5回、カップに4回優勝した。ソ連の国際スポーツへの復帰となった1952年のヘルシンキオリンピックでも代表チームの殆どはCDSAの選手により構成された。だがソ連は1回戦のユーゴスラビア戦で再試合の末に敗れた。当時すでにソ連と険悪な関係にあったユーゴに敗北した事実は政府上層部の不興を買い、CDSAは解散の憂き目にあった[3]。クラブが復活したのは1954年。以後はタイトルに縁遠いクラブとなったが、ソ連最後のシーズンとなった1991年にはリーグとカップのダブルを達成している。
1967年には、来日したCSKAモスクワと日本代表が初めて試合をした。その結果、1試合目は2-2の引き分け、2試合目は0-2で日本代表が完敗した。
クラブは2000年代に入ってから再度の黄金期を迎えている。2003年からはシブネフチ、2006年からはそれに代わりVTB(ロシア対外貿易銀行)と巨額のスポンサー契約を結んだ[4]。潤沢な資金をバックに積極的な選手補強を行っている。2004年にはUEFAカップに優勝して、ロシアのクラブとして初の欧州タイトルを獲得した。2009-2010シーズンのUEFAチャンピオンズリーグではセビージャFCを撃破し、クラブ史上初のベスト8進出を果たした。
モスクワのサッカークラブでは珍しく、FCスパルタク・モスクワの本拠地ルジニキ・スタジアム、FCディナモ・モスクワの本拠地ディナモ・スタジアム、現在はモスクワ近郊のアレナ・ヒムキとスタジアムを転々としているが、2013年から新スタジアム(CSKAモスクワ・スタジアム)でプレーすることが予定されている。
[編集] クラブ名の遍歴
- 1911 - 1923 OLLS (ОЛЛС)
- 1923 - 1928 OPPV (ОППВ)
- 1928 - 1951 CDKA (ЦДКА)
- 1951 - 1957 CDSA (ЦДСА)
- 1957 - 1960 CSK MO (ЦСК МО)
- 1960 - 現 在 CSKA (ЦСКА)
[編集] タイトル
[編集] 国内タイトル
- ロシア・プレミアリーグ: 3回
- 2003, 2005, 2006
- ロシア・カップ: 6回
- 2002, 2005, 2006, 2008, 2009, 2011
- ロシア・スーパーカップ: 4回
- 2004, 2006, 2007, 2009
- 旧ソ連リーグ: 7回
- 1946, 1947, 1948, 1950, 1951, 1970, 1991
- 旧ソ連カップ: 5回
- 1948, 1948, 1951, 1555, 1991
[編集] 国際タイトル
- UEFAカップ: 1回
- 2004-2005
- チャンネル・ワン・カップ: 1回
- 2007
- コパ・デル・ソル: 1回
- 2010
[編集] 過去の成績
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シーズン ディヴィジョン 順位 試合 勝 分 敗 得点 失点 勝点 国内カップ 欧州カップ戦 備考 1992 プレミア 5 26 13 7 6 46 29 33 準優勝 ECL グループリーグ 1993 プレミア 9 34 12 6 16 43 45 42 準優勝 1994 プレミア 10 30 8 10 12 30 32 26 ベスト16 CWC ベスト8 1995 プレミア 6 30 16 5 9 56 34 53 ベスト8 1996 プレミア 5 34 20 6 8 58 35 66 ベスト16 UC ベスト64 1997 プレミア 12 34 11 9 14 31 42 42 ベスト8 1998 プレミア 2 30 17 5 8 50 22 56 ベスト4 1999 プレミア 3 30 15 10 5 56 29 55 準優勝 ECL 予備予選2回戦 2000 プレミア 8 30 12 5 13 45 39 41 ベスト16 UC 1回戦 2001 プレミア 7 30 12 11 7 39 30 47 優勝 2002 プレミア 2 30 21 3 6 60 27 66 ベスト32 UC 2回戦 2003 プレミア 1 30 17 8 5 56 32 59 ベスト8 ECL 予備予選2回戦 2004 プレミア 2 30 17 9 4 53 22 60 優勝 UC 優勝 ECL - グループリーグ 2005 プレミア 1 30 18 8 4 48 20 62 優勝 UC グループリーグ 2006 プレミア 1 30 17 7 6 47 28 58 ベスト16 UC ベスト32 ECL - グループリーグ 2007 プレミア 3 30 14 11 5 43 24 53 優勝 ECL グループリーグ 2008 プレミア 2 30 16 8 6 53 24 56 優勝 UC ベスト16 2009 プレミア 5 30 16 4 10 48 30 52 ベスト32 ECL ベスト8 2010 プレミア 2 30 18 8 4 51 22 62 ベスト16 EL ベスト16
[編集] 現所属メンバー
フォーメーション
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[編集] ローン移籍選手
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[編集] 永久欠番
- 16
セルゲイ・ペルフン
- 2001年8月19日、FCアンジ・マハチカラ戦で相手FWと激しく頭をぶつけ合い、昏睡状態に陥り、脳内出血のため、23歳の若さで亡くなった。彼の功績を称えて16番を永久欠番に指定した。
[編集] 歴代監督
パヴェル・サディリン 1992、1997-1998、2000-2001
ゲンナディ・コスティレフ 1992-1993
ボリス・コペイキン 1993-1994
アレクサンデル・タルハノフ 1994-1996
オレグ・ドルマトフ 1998-2000
アレクサンデル・クズネツォフ 2001
ヴァレリー・ガザエフ 2001-2003、2004-2008
アルトゥール・ジョルジェ 2004
ジーコ 2009
ファンデ・ラモス 2009.9-2009.10
レオニード・スルツキー 2009.10-
[編集] 歴代所属選手
詳細は「:Category:CSKAモスクワの選手」を参照
[編集] GK
ヴェニアミン・マンドリキン 2002-
ルスラン・ニグマトゥーリン 2002
イゴール・アキンフェエフ 2003-
ウラジーミル・ガブロフ 2004-2006、2011
ソスラン・ジャナエフ 2005-2006
エフゲニー・ポマザン 2007-
セルゲイ・チェプチュゴフ 2010-
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シン・ウィソン 1981-1982
セルゲイ・ペルフン 2001
[編集] DF
アリベルト・シェステルニョフ 1959-1972
ドミートリー・センニコフ 1998
デニス・エフシコフ 1999-2003
アレクセイ・ベレズツキー 2001-
アンドレイ・ソロマティン 2001-2003
ヴァシリ・ベレズツキー 2002-
ヴャチェスラフ・ダイェフ 2002
イヴァン・タラノフ 2003-2008
セルゲイ・イグナシェヴィッチ 2004-
アントン・グリゴリエフ 2004-2010
ゲオルギ・シュチェンニコフ 2008-
キリル・ナバブキン 2010-
ヴィクトル・ヴァシン 2011-
デイヴィダス・シェンベラス 2002-
シディ・オディア 2004-2012
[編集] MF
ヴァレリー・カルピン 1986-1989
ウラディスラフ・ラディモフ 1992-1996
ドミトリー・ホフロフ 1993-1996
セルゲイ・セマク 1994-2004
イゴール・セムショフ 1996-1997
ロラン・グセフ 2002-2008
エフゲニ・アルドニン 2004-
ユーリ・ジルコフ 2004-2009
レナト・ヤンバエフ 2004
パヴェル・ママエフ 2007-
アラン・ジャゴエフ 2007-
オスマール・フェレイラ 2004-2006
エルヴィル・ラヒミッチ 2001-
ダニエウ・カルヴァーリョ 2004-2009
ドゥドゥ 2005-2008
マルク・ゴンサレス 2009-
イジー・ヤロシーク 2003-2005
ルボシュ・カロウダ 2008-
本田圭佑 2010-
ミロシュ・クラシッチ 2004-2010
ゾラン・トシッチ 2010-
ポントゥス・ヴェアンブローム 2012-
カネル・エルキン 2007-2010
[編集] FW
グリゴリー・フェドートフ 1938-1949
フセヴォロド・ボブロフ 1945-1949
ウラジーミル・フェドートフ 1960-1975
ゲオルギー・ヤルツェフ 1970
デニス・ポポフ 2001-2004
ドミートリー・キリチェンコ 2002-2004
ヴァギフ・ジャヴァドフ 2006-2007
ヴァグネル・ラヴ 2004-2011
ジョー 2005-2008
リカルド・ジェスス 2008-
ギリェルメ 2009-2010
ドゥンビア・セイドゥ 2010-
イヴィツァ・オリッチ 2003-2007
トマーシュ・ネツィド 2009-
エドガラス・ヤンカウスカス 1996
ウウォ・ムサ・マーズ 2009-
ピーター・オデムウィンギー 1998-1999
アーメド・ムサ 2012-
ダヴィド・ヤンチク 2007-
アレクサンドル・ゲインリフ 2003-2004
[編集] 関連項目
[編集] 脚注
- ^ “FOOTBALL PLAYERS (1911-1917)”. PFC CSKAモスクワ公式サイト. 2007年5月28日閲覧。
- ^ “UNDER THE FLAG OF VSEVOBUCH (UNIVERSAL MILITARY TRAINING) (1923-1927)”. PFC CSKAモスクワ公式サイト. 2007年5月28日閲覧。
- ^ “Devastation”. PFC CSKAモスクワ公式サイト. 2007年5月28日閲覧。
- ^ “VTB to Sign $20M Sponsor Deal With CSKA”. The Moscow Times. 2007年5月28日閲覧。
[編集] 外部リンク
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1 チェプチュゴフ | 2 シェンベラス | 3 ヴェアンブローム | 4 イグナシェヴィッチ | 5 ヴァシン | 6 A・ベレズツキー | 7 本田 | 8 ドゥンビア | 10 ジャゴエフ | 11 M・ゴンサレス | 14 ナバブキン | 17 ママエフ | 18 ムサ | 19 カウナ | 21 トシッチ | 22 アルドニン | 24 V・べレズツキー | 25 ラヒミッチ | 26 オリセー | 29 キム・インスン | 35 アキンフェエフ | 42 シュチェンニコフ | 89 ネツィド | 95 レヴヤキン 監督: スルツキー |
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