ドゥンビア・セイドゥ(Doumbia Seydou、1987年12月31日 - )は、コートジボワール・ヤムスクロ出身のサッカー選手。PFC CSKAモスクワ所属。スピード・ジャンプ力などの高い身体能力をもつフォワード[3]。
なお、コートジボワールは姓名の表記順が日本などと同じく姓・名の順であるため、「ドゥンビア」が姓で「セイドゥ」が名である。欧州移籍後は、欧米の表記順に従って名・姓の順に「セイドゥ・ドゥンビア(Seydou Doumbia)」と表記されることもある。
[編集] 経歴
[編集] 初期の経歴
コロ・トゥーレ、ディディエ・ゾコラ、サロモン・カルーなどを輩出したジャン=マルク・ギユーのアカデミー出身。10代前半から国内リーグでプレーし、2005年には18歳でコートジボワールリーグ得点王に輝く。その実績を買われて日本に呼ばれ、当初ヴィッセル神戸の練習に参加したが[4]、このときは家庭の事情により契約に至らず帰国。その後、2006年途中に柏レイソルに入団した。2008年は徳島ヴォルティスにレンタル移籍。徳島では16試合に出場し7得点を挙げエースとして活躍した。
2008年6月18日、スイス・スーパーリーグのBSCヤングボーイズへ移籍が決定。6月21日に行われたベガルタ仙台戦の前にサイン会を開いた。
[編集] BSCヤングボーイズ
2008年8月24日、7節のFCアーラウ戦で初得点すると、その後は連携が深まるにつれて得点を量産。2009年2月から3月にかけて5試合連続得点するなど、終盤戦までに20得点を挙げて得点王となった。なお、32試合出場のうち先発出場は8試合のみであり、後半15~25分前後に途中出場することが多かった。したがってシーズン出場時間はわずか1370分のみであり、1得点あたりの出場時間は69分であった。
[編集] PFC CSKAモスクワ
2010年1月4日、同年夏にロシアの強豪PFC CSKAモスクワに5年契約で移籍する事が発表された[5]。移籍金はgoal.comで1500万ユーロ、transfermarktで1000万ユーロと表記されている[6][7]。2010年8月1日、ロシア・プレミアリーグ第15節のFCスパルタク・モスクワ戦でロシアリーグデビューをした。試合は2-1でCSKAモスクワが勝利をしドゥンビアは得点を挙げることは無かったもののフル出場をした。2010年8月19日、UEFAヨーロッパリーグ 2010-11のプレーオフラウンドのアノルトシス・ファマグスタ戦でCSKAの選手として初の得点を挙げた。グループステージで同組となったセリエA所属のUSチッタ・ディ・パレルモ相手にはアウェーで2得点を挙げるなどして活躍。ロシア・カップ2010-2011の決勝ではアラニア・ウラジカフカス相手に2得点を挙げクラブの6度目のカップ戦優勝(最多)に貢献をした。
[編集] 代表
2008年5月、キリンカップで来日したコートジボワールのA代表に初選出[8]。これは来日後にコートジボワール人選手がJリーグにいることを知った監督が急遽招集したものであり、無名の新人にもかかわらず背番号10が与えられるなど多分に日本へのファンサービスに近い選出だったが、デビュー戦となった対日本戦では、ポスト直撃のシュートを放つなど活躍を見せた[9]。 スイスリーグでの活躍から代表にも選出されるようになり、2009年11月18日の親善試合・ドイツ戦では代表初ゴールも挙げた。 2010年5月11日、ワールドカップ南アフリカ大会代表候補30名に選出され、2010年6月1日12時(コートジボワール時間)、ワールドカップ本戦メンバーに選出された。
[編集] エピソード
- ニックネームは「バネ」。これは日本語のばねに由来する物では無く、本人曰く物心が付いた頃からそう呼ばれており、由来も聞いた事が無い。
- 柏レイソルにおける応援コールの元ネタは、志村けんの「東村山音頭」(1丁目)である。試合後のマイクパフォーマンスで自ら「ドゥンビア、ドゥンビア・・・ワーオ」と叫んでいた。
- 視力は5.0。
- スイス移籍後に別件で来日した際に2009年6月3日の日立柏サッカー場で行われたナビスコカップ、柏レイソル対ヴィッセル神戸戦を観戦している[10]。
- 柏レイソル在籍時にチームメイトと日焼けサロンに行き、帰ってきたとき「焼けた焼けた」と喜んでいた。
[編集] 所属クラブ
セントル・フォルマシオン・ディンテルFC 2000-2002
ASアスレティック・ダジャメ 2003-2006
- →
ASECミモザ・ジャン=マルク・ギユー・アカデミー 2004 (loan)
- →
ASデンゲレ・スポルト・ドディエンネ 2005 (loan)
- →
徳島ヴォルティス 2008.1-2008.6 (loan)
[編集] 個人成績
| 国内大会個人成績 |
| 年度 |
クラブ |
背番号 |
リーグ |
リーグ戦 |
リーグ杯 |
オープン杯 |
期間通算 |
| 出場 |
得点 |
出場 |
得点 |
出場 |
得点 |
出場 |
得点 |
| コートジボワール |
リーグ戦 |
リーグ杯 |
オープン杯 |
期間通算 |
| 2000 |
ディンテル |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
| 2001 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
| 2002 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
| 2003 |
アジャメ |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
| 2004 |
ASECミモザ |
|
|
14 |
11 |
|
|
|
|
|
|
| 2005 |
オディエンネ |
|
|
20 |
15 |
|
|
|
|
|
|
| 日本 |
リーグ戦 |
ナビスコ杯 |
天皇杯 |
期間通算 |
| 2006 |
柏 |
35 |
J2 |
6 |
0 |
- |
2 |
2 |
8 |
2 |
| 2007 |
J1 |
18 |
3 |
5 |
1 |
0 |
0 |
23 |
4 |
| 2008 |
徳島 |
10 |
J2 |
16 |
7 |
- |
- |
16 |
7 |
| スイス |
リーグ戦 |
リーグ杯 |
オープン杯 |
期間通算 |
| 2008-09 |
ヤングボーイズ |
7 |
スーパーリーグ |
32 |
20 |
5 |
4 |
- |
37 |
24 |
| 2009-10 |
32 |
30 |
4 |
1 |
- |
36 |
31 |
| ロシア |
リーグ戦 |
ロシア杯 |
オープン杯 |
期間通算 |
| 2010 |
CSKAモスクワ |
8 |
プレミアリーグ |
11 |
5 |
0 |
0 |
- |
11 |
5 |
| 2011-12 |
30 |
24 |
6 |
4 |
- |
36 |
28 |
| 通算 |
コートジボワール |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
| 日本 |
J1 |
18 |
3 |
5 |
1 |
0 |
0 |
23 |
4 |
| 日本 |
J2 |
22 |
7 |
- |
2 |
2 |
24 |
9 |
| スイス |
スーパーリーグ |
64 |
50 |
9 |
5 |
- |
73 |
55 |
| ロシア |
プレミアリーグ |
41 |
29 |
6 |
4 |
- |
47 |
33 |
| 総通算 |
|
|
|
|
|
|
|
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[編集] タイトル
[編集] クラブ
PFC CSKAモスクワ
[編集] 個人
- 2005年 コートジボワールリーグ得点王
- 2009年 スイスリーグ得点王,Player Of The Year
- 2010年 スイスリーグ得点王
- 2011年 ロシア年間最優秀サッカー選手賞
[編集] 代表歴
- U-19コートジボワール代表(2004年 - 2005年)
- コートジボワール代表(2008年 - )
[編集] 脚注