フアン・カルロス・バレロン

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フアン・カルロス・バレロン Football pictogram.svg
Juan Carlos Valerón.jpg
名前
本名 フアン・カルロス・バレロン・サンターナ
愛称 El flaco(エル・フラコ、やせっぽち)
ラテン文字 Juan Carlos VALERÓN Santana
基本情報
国籍 スペインの旗 スペイン
生年月日 1975年6月17日(39歳)
出身地 ラス・パルマス・デ・グラン・カナリア
身長 184cm
体重 71kg
選手情報
在籍チーム スペインの旗 ラス・パルマス
ポジション MF
背番号 21
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1994-1995
1995-1997
1997-1998
1998-2000
2000-2013
2013-
スペインの旗 ラス・パルマスB
スペインの旗 ラス・パルマス
スペインの旗 マジョルカ
スペインの旗 A・マドリード
スペインの旗 デポルティーボ
スペインの旗 ラス・パルマス
25 (7)
54 (2)
36 (3)
65 (7)
255 (18)
代表歴
1997-1998
1998
1998–2005
U-20スペイン
U-23スペイン
スペインの旗 スペイン
4 (0)
4 (0)
46 (5)
1. 国内リーグ戦に限る。2011年5月21日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

フアン・カルロス・バレロン・サンターナJuan Carlos Valeron Santana, 1975年6月17日 - )は、スペインカナリア諸島ラス・パルマス・デ・グラン・カナリア出身のサッカー選手セグンダ・ディビシオンラス・パルマス所属。スペイン代表であった。ポジションはMF

経歴[編集]

クラブ[編集]

初期の経歴[編集]

1995年、セグンダ・ディビシオンB(3部)に所属していたUDラス・パルマスからデビューし、1995-96シーズンはデビューシーズンながら27試合に出場した。セグンダ・ディビシオン(2部)に昇格した1996-97シーズンも27試合に出場し、2得点を記録した。1997年夏にはプリメーラ・ディビシオン(1部)のRCDマジョルカに移籍し、8月31日のバレンシアCF戦(2-1)で10分間出場してプリメーラ・ディビシオンデビューした。最上位リーグ初挑戦ながらチームの主軸となり、1997-98シーズンは36試合に出場した。

アトレティコ・マドリード[編集]

1998年夏、アトレティコ・マドリードに移籍した。1998-99シーズンにはリーグ戦で5位となってUEFAカップ出場権を獲得し、コパ・デル・レイでは決勝でFCバルセロナに敗れたが準優勝を果たした。1999-2000シーズンも絶対的なレギュラーとしてプレーしたが、シーズン終了後にセグンダ・ディビシオン降格が決定した。

デポルティーボ・ラ・コルーニャ[編集]

2000年夏、デポルティーボ・ラ・コルーニャに移籍した。はじめはジャウミーニャとポジションを分け合ったが、次第にレギュラーに定着し、2004年2月に契約延長した[1]。2003-04シーズンはリーグ戦3位・UEFAチャンピオンズリーグでベスト4という好成績を残した。

2006年1月、RCDマジョルカ戦の試合終了2分前に左膝の前十字靭帯を断裂する怪我を負った[2][3]。2006年夏に練習を再開したものの、プレシーズンマッチのSLベンフィカ戦で左膝の半月板を負傷し、さらに完治したはずの靭帯を再び痛めた[4][5][6]。2007年3月、レアル・マドリード戦で復帰するが、左膝は完治しておらず、2度目の手術に踏み切った[4]。長期間にわたりリハビリの日々を経て、2008年1月27日、レアル・バリャドリード戦(3-1)で133日ぶりに招集され、アンドレス・グアルダードとの交代で15分間出場した。2009年1月のレアル・マドリード戦では1098日ぶりにリーグ戦で先発出場した[5]。2008-09シーズンは再びチームの中で重要な役割を担い[7]、国内リーグでも欧州カップでも活躍した[8]

2013年6月、デポルティーボ退団を発表。

ラス・パルマス[編集]

2013年7月14日、古巣のUDラス・パルマスに復帰決定。契約は1年間。

代表[編集]

1998年11月18日、イタリア戦(2-2)でスペイン代表デビューした。2000年にはUEFA欧州選手権2000に出場し、2002年に日本と韓国で共催された2002 FIFAワールドカップではスロベニア戦(3-1)で得点している。2004年にはUEFA欧州選手権2004に出場し、ロシア戦(1-0)では途中出場してすぐに得点したが、グループリーグ敗退に終わった[9]

人物[編集]

その卓越したテクニックからジネディーヌ・ジダンと比較されることがある[10]。人格者として知られ、地元のカナリア諸島やアフリカのガーナのサッカースクールに多額の寄付をしている。スペイン代表ではラウル・ゴンサレスとポジションを争ったが、「僕は控えでもかまわない。僕のせいで人を悪く言ったりしないで欲しい」と公言し、闘争心に欠けるという批判を受けることもあった。ハビエル・イルレタ監督には「もう少しだけ試合に情熱を注げば世界最高の選手になれる」と評された。

ダビド・シルバと同郷である。ふたりは人口7000人ほどのアルギネギンという村の出身で、シルバがプロデビューする前からの知り合いである[4]

兄のミゲル・アンヘル・バレロン( Miguel Ángel Valerón)もミッドフィールダーとしてプレーした元サッカー選手である[11]。彼はUDラス・パルマスRCDマジョルカBなどでプレーしたが、怪我により早期の現役引退を余儀なくされた。

所属クラブ[編集]

タイトル[編集]

クラブ[編集]

代表[編集]

個人成績[編集]

クラブ[編集]

2011年8月1日時点
クラブ成績 リーグ カップ 国際大会 通算
シーズン クラブ リーグ 出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
スペイン リーグ 国王杯 ヨーロッパ 通算
1994-95 UDラス・パルマスB テルセーラ 25 7 - - - - 25 7
1995-96 UDラス・パルマス セグンダB 27 0 2 1 - - 29 1
1996-97 セグンダ 27 2 1 0 - - 28 2
1997-98 RCDマジョルカ プリメーラ 36 3 11 1 - - 47 4
1998-99 アトレティコ・マドリード プリメーラ 30 3 5 0 5 0 40 3
1999-00 35 4 6 0 6 0 47 4
2000-01 デポルティーボ プリメーラ 31 4 2 0 8 0 41 4
2001-02 36 3 4 0 13 3 53 6
2002-03 23 2 1 0 5 0 29 2
2003-04 34 3 1 0 14 3 49 6
2004-05 38 1 1 0 8 0 47 1
2005-06 20 4 3 1 - - 23 5
2006-07 2 0 1 0 - - 3 0
2007-08 5 0 0 0 - - 5 0
2008-09 22 0 2 0 8 0 32 0
2009-10 24 1 3 0 - - 27 1
2010-11 21 0 5 0 - - 26 0
通算 スペイン 442 37 42 3 67 6 551 46
総通算 442 37 42 3 67 6 551 46

代表[編集]


スペイン代表 国際Aマッチ
出場 得点
1998 1 0
1999 6 0
2000 7 0
2001 4 0
2002 9 2
2003 10 1
2004 8 2
2005 1 0
通算 46 5

脚注[編集]

  1. ^ Valerón shows devotion to Depor UEFA.com、2004年2月10日
  2. ^ Valerón suffers injury blow UEFA.com、2006年1月23日
  3. ^ バレロン離脱、デポル大打撃”. UEFA.com (2006年1月23日). 2009年7月11日閲覧。
  4. ^ a b c 「地獄からの生還」、ワールドサッカーダイジェスト、日本スポーツ企画出版社、2008年5月1日号、114-116頁
  5. ^ a b 復帰の喜びをかみしめるバレロン”. UEFA.com (2009年1月28日). 2009年7月11日閲覧。
  6. ^ Critical surgery nears for Valerón UEFA.com[リンク切れ]
  7. ^ Valerón thankful for new lease of life UEFA.com、2009年1月28日
  8. ^ Valerón fires Depor through UEFA.com[リンク切れ]
  9. ^ Spain 1-0 RussiaBBC Sport、2004年6月12日
  10. ^ バレロン「3部練習だけじゃ少なすぎる」”. livedoorスポーツ (2006年7月20日). 2009年7月11日閲覧。
  11. ^ Miguél Ángel Valerón BDFutbol

外部リンク[編集]