USトリエスティーナ

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USトリエスティーナ
原語表記 Unione Sportiva Triestina Calcio S.p.a.
愛称 Alabardati, Greghi, Muli
クラブカラー 赤と白
創設年 1918年
所属リーグ エッチェッレンツァ/フリウリ・ベネツィア・ジュリア
ホームタウン トリエステ
ホームスタジアム Nereo Rocco
収容人数 32,500
代表者 イタリアの旗ステファノ・ファンティネル
監督 イタリアの旗ロランド・マラン
公式サイト 公式サイト
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

USトリエスティーナ・カルチョUnione Sportiva Triestina Calcio/US Triestina)は、イタリアトリエステを本拠地とするサッカークラブ。

1918年、Circolo Sportivo PonzianaとFoot-Ball Club Triesteの2チームが合わさり創設された。

1929年のイタリアプロリーグ発足後しばらくはセリエAに所属するが、1950年代後半に入りチーム力が減退、最終的にはセリエCが主戦場となってしまう。その後しばらくチームの低迷期が続くが、1980年代に入りやや盛り返し、セリエBで数シーズンを過ごす。しかしこの時期、賭博問題が発生しトリエスティーナは勝ち点の減点処分を受けることになってしまう。1985-86シーズンは-1、1986-87シーズンは-4、1987-88シーズンは-5の処分であった。この-5はさすがに重く、1988年にチームは再びC1に降格してしまうことになる。

2シーズン後、セリエBに昇格したが、1989-90シーズンの1シーズンであえなく降格。その後1993-94シーズンにセリエCのコッパ・イタリアを獲得するものの、チームは破産、セリエDから再出発を余儀なくされる。

セリエDからの昇格は1シーズンで実現するも、しばらくはC2の所属が続いた。この低迷期も2000年頃から上昇の気配に変わり、2000-01シーズンにC1昇格、2001-02シーズンにはB昇格を決め、続く2002-03シーズンにはA昇格まであと一歩というセリエB、5位という成績を残した。2004-05シーズンにはセリエC1降格の危機もあったがプレイアウトを勝ち抜け、その後はセリエBでの戦いが続いていた。

2009-10シーズン、セリエBで18位となり、同19位のパドヴァとプレイアウトを行うことになった。初戦、パドヴァのホームでの対戦は0-0の引き分けだったが、第二戦をホームでの対戦でありながら0-3で落とし、プレイアウト敗退、LP1への降格が決まってしまう。しかし、同シーズンを17位で終え、セリエB残留を決めていたアンコーナが財政難のためセリエDへの降格が決まったことを受け、入れ替わりでかろうじてセリエBへの残留が決まった。

トリエステ出身の元イタリア代表監督、チェーザレ・マルディーニが選手としてデビュー(1952年)したチームでもある。

タイトル[編集]

国内タイトル[編集]

  • コッパ・イタリア(セリエC)1回
    • 1993-94

国際タイトル[編集]

過去の成績[編集]

  • 1995-96 セリエD 2位 (連盟判断でC2昇格)
  • 1995-96 セリエC2B 5位
  • 1996-97 セリエC2B 11位
  • 1997-98 セリエC2A 4位
  • 1998-99 セリエC2B 2位
  • 1999-2000 セリエC2B 3位
  • 2000-01 セリエC2A 5位 (プレイオフ勝利でC1昇格)
  • 2001-02 セリエC1A 5位 (プレイオフ勝利でB昇格)
  • 2002-03 セリエB 5位
  • 2003-04 セリエB 10位
  • 2004-05 セリエB 19位 (プレイアウト勝利でB残留)
  • 2005-06 セリエB 13位
  • 2006-07 セリエB 17位
  • 2007-08 セリエB 12位
  • 2008-09 セリエB 8位
  • 2009-10 セリエB 19位 (プレイアウト敗退でLP1降格、その後アンコーナの降格により、セリエB残留が決定)
  • 2010-11 セリエB 20位 降格
  • 2011-12 レガ・プロ・プリマ・ディヴィジオーネ/B 15位 破産のためエッチェッレンツァに降格
  • 2012-13 エッチェッレンツァ・フリウリ・ベネツィア・ジュリア 2位 昇格
  • 2013-14 セリエD・ジローネC

歴代所属選手[編集]

GK[編集]

DF[編集]

MF[編集]

FW[編集]

外部リンク[編集]