UDラス・パルマス(Unión Deportiva Las Palmas) は、スペイン・カナリア諸島のラス・パルマス・デ・グラン・カナリアに本拠地を置くサッカークラブである。2012-13シーズンはセグンダ・ディビシオン(2部)に在籍している。31,250人収容のエスタディオ・グラン・カナリアをホームスタジアムとしている。同じくカナリア諸島に本拠地を置くCDテネリフェとの対戦はカナリア諸島ダービーとして知られる。
[編集] 歴史
スペインサッカー連盟に登録されたのは1949年6月6日であるが、公式に設立されたのは8月22日である。カナリア諸島にあるCDグラン・カナリア(Club Deportivo Gran Canaria)、アトレティコCF(Atlético Club de Fútbol)、レアル・クルブ・ビクトリア(Real Club Victoria)、アレナス・クルブ(Arenas Club)、マリーノFC(Marino Fútbol Club)が合併して新クラブが誕生。クラブ名称を決めるための会合が開かれ、どの前身クラブの名称も含まないことで合意した。デポルティーボ・カナリアス(Deportivo Canarias)という案もあったが、グラン・カナリア島単独よりもカナリア諸島全体に言及しているとして廃棄された。5クラブの合併による繋がりを表し、ラス・パルマスを本拠地とすることから、最終的にUDラス・パルマス(Unión Deportiva Las Palmas)が選ばれた。この連合クラブは、カナリア諸島の優秀な選手を諸島に引き留め、本土でクラブを探さなくてもよいように設立された。最初の練習は1949年9月16日に行われた[1]。1949-50シーズンにテルセーラ・ディビシオン(当時3部相当)に初参戦し、2位となってセグンダ・ディビシオン(2部)昇格。1950-51シーズンはセグンダで3位となり、プリメーラ・ディビシオン(1部)昇格を決めた。今日まで、リーガ・エスパニョーラ初参戦から2シーズン連続で昇格してプリメーラ昇格を決めたのはラス・パルマスだけである。トップリーグ初挑戦の1951-52シーズン終了後にセグンダ降格となったが、1953-54シーズン終了後に再びプリメーラ昇格を果たし、今度はプリメーラに6シーズン在籍した。
1963-64シーズンにはセグンダで優勝してプリメーラに昇格し、1960年代後半から1970年代後半にかけてはクラブ史上最も成功を収めた期間となった。ビセンテ・ダウデル監督が率いた1967-68シーズンにはレアル・マドリードとFCバルセロナに次ぐ3位となり、母国開催となったUEFA欧州選手権1968にはラス・パルマスから4人の選手が出場して優勝を経験。1968-69シーズンにはレアル・マドリードに次ぐ2位となってさらなる躍進を遂げ、リーグ戦ではレアル・マドリード以外には敗れなかった。1969-70シーズンにはインターシティーズ・フェアーズカップに出場したが、1回戦でヘルタ・ベルリン(ドイツ)に2試合合計0-1で敗れた。1971年3月9日には、ラス・パルマスの現役選手であった28歳のフアン・グエデスが突然死去した。1971-72シーズンには、フランス人のピエール・シニバルディ監督がクラブをリーグ戦5位に導き、翌シーズンのUEFAカップ出場権を獲得。1972-73シーズンのUEFAカップではトリノFC(イタリア)とŠKスロヴァン・ブラチスラヴァ(チェコスロバキア)を下し、FCトゥウェンテ(オランダ)に敗れた。1974-75シーズン末には、グエデスとともにプレーしたディフェンダーのトノーノが肝臓の伝染病で死去した。1977-78シーズンはクラブ史に残るシーズンとなった。ミゲル・ムニョス監督が采配を振るい、アルゼンチン人のミゲル・アンヘル・ブリンディーシ、ダニエル・カルネバーリ、カルロス・モレーテ、キケ・ウォルフなどが在籍したチームは、欧州カップ戦(UEFAカップ)に3度目の出場を果たし、1回戦でFKスロボダ・トゥズラ(ユーゴスラビア)を倒したが、結果的に優勝するイプスウィッチ・タウンFC(イングランド)に2回戦で敗れた[2]。同シーズンのコパ・デル・レイではクラブ史上初めて決勝に進出したが、エスタディオ・サンティアゴ・ベルナベウで行われた決勝ではFCバルセロナに1-3で敗れた[3]。
1990年代から2000年代にかけてはセグンダ・ディビシオン(2部)とセグンダ・ディビシオンB(現3部相当、1977年創設)が主戦場となった。2000年にプリメーラに昇格し、2シーズンの間トップリーグに在籍した。2001年10月3日にホームで行われたレアル・マドリード戦では、下部組織出身のルベン・カストロの2得点などで強豪相手に4-2で勝利。しかし、2001-02シーズン終了後にセグンダ降格となった[4]。
[編集] 下位クラブと他競技
1954年からファームチームを所有しており、1976年には正式なBチームとしてUDラス・パルマス・アトレティコが発足した[5]。2006年にはCチームが設立され、カナリア諸島地域リーグの最上位ディビジョン(プレフェレンテ=ラス・パルマス)に到達した。2010年に活動停止したが、翌シーズンには再び活動を再開した[6]。
またラス・パルマスは女子サッカーチームを所有しており、2009年から2011年にはプリメーラ・ディビシオン・フェメニーナ(女子1部)に在籍した。2010年にはインドアサッカーチームを設立し、セントロ・インスラール・デ・デポルテスをホームコートとしてリーガ・デ・フトゥボル・インドア(1部)に在籍している[7]。
[編集] エンブレム
ラス・パルマスのエンブレムは上部にクラブ名入りの巻物を配した青色の盾である。盾の下部には小さな5つの盾が描かれている。これは1949年に合併して消滅したレアル・クルブ・ビクトリア(一番左)、アレナス・クルブ、CDグラン・カナリア、マリーノFC、アトレティコCF(一番右)の盾である。それらは巻物を囲むように配置されており、巻物にはラス・パルマス市のスローガンである「Segura tiene la palma」という文字が刻まれている。
スペインの多くのサッカークラブが国王の庇護下にあり、クラブ名称に「レアル」(Real、国王の)という接頭語を用いることを許され、それぞれのクラブはエンブレムなどに王冠を採用している。ラス・パルマスは国王の庇護のもとになく、エンブレム最上部の王冠は前身クラブのひとつであるビクトリアのものである。エンブレムはクラブ旗の中央に鎮座し、上部は黄色、下部は青色の2色が均等に塗られている。ラス・パルマス市の旗にはこれらの色が斜めに使用される[8]。
[編集] タイトル
[編集] 国内タイトル
- 1953-1954, 1963-1964, 1984-1985, 1999-2000
- 1992–93, 1995–96
- 1977-78
[編集] 成績
[編集] 近年の成績
-
| シーズン |
ディビジョン |
順位 |
試合数 |
勝 |
分 |
敗 |
得点 |
失点 |
勝ち点 |
コパ・デル・レイ |
備考 |
| 1998–99 |
セグンダ |
6 |
42 |
17 |
17 |
8 |
57 |
38 |
68 |
|
|
| 1999–00 |
セグンダ |
1 |
42 |
20 |
12 |
10 |
60 |
41 |
72 |
|
昇格 |
| 2000–01 |
プリメーラ |
11 |
38 |
13 |
7 |
18 |
42 |
62 |
46 |
|
|
| 2001–02 |
プリメーラ |
18 |
38 |
9 |
13 |
16 |
40 |
50 |
40 |
|
降格 |
| 2002–03 |
セグンダ |
5 |
42 |
16 |
16 |
10 |
53 |
43 |
64 |
|
|
| 2003–04 |
セグンダ |
20 |
42 |
10 |
14 |
18 |
46 |
68 |
44 |
|
降格 |
| 2004–05 |
セグンダB |
7 |
38 |
17 |
9 |
12 |
50 |
33 |
60 |
|
|
| 2005–06 |
セグンダB |
3 |
38 |
18 |
13 |
7 |
45 |
24 |
67 |
|
昇格 |
| 2006–07 |
セグンダ |
18 |
42 |
13 |
12 |
17 |
51 |
59 |
51 |
|
|
| 2007–08 |
セグンダ |
8 |
42 |
15 |
12 |
15 |
51 |
55 |
57 |
|
|
| 2008–09 |
セグンダ |
18 |
42 |
10 |
17 |
15 |
46 |
51 |
47 |
|
|
| 2009–10 |
セグンダ |
17 |
42 |
12 |
15 |
15 |
49 |
49 |
51 |
|
|
| 2010–11 |
セグンダ |
15 |
42 |
13 |
15 |
14 |
56 |
71 |
54 |
|
|
[編集] 過去の成績
[編集] 歴代監督
[編集] 歴代所属選手
詳細は「:Category:ラス・パルマスの選手」を参照
[編集] 脚注
[編集] 外部リンク