マッシモ・オッド
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| 名前 | ||||||
| ラテン文字 | Massimo ODDO | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 国籍 | ||||||
| 生年月日 | 1976年6月14日(36歳) | |||||
| 出身地 | チッタ・サンタンジェロ | |||||
| 身長 | 182cm | |||||
| 体重 | 76kg | |||||
| 選手情報 | ||||||
| ポジション | DF(右SB) | |||||
| 利き足 | 右足 | |||||
| 代表歴2 | ||||||
| 2002-2008 | 34 (1) | |||||
| 2. 2008.8.25現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
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マッシモ・オッド(Massimo Oddo, 1976年6月14日 - )はイタリア、アブルッツォ州チッタ・サンタンジェロ出身の元サッカー選手。ポジションはディフェンダー。
目次 |
概要 [編集]
セリエA屈指のスピードを武器とした元イタリア代表右サイドバック。いわゆる遅咲きの部類に入る選手で、イタリア代表に至っては2003年以降に定着した。イタリア屈指のリゴリスタ(PK職人)でもある。父親のフランチェスコ・オッドは元サッカー指導者。
来歴 [編集]
初期の経歴 [編集]
ACミランの育成組織出身。トップチーム昇格後も2シーズンをベンチ要因として過ごし、出場機会を求めてレンタル移籍の形でセリエBやセリエCのチームを転々とする。
2000年にエラス・ヴェローナFCに完全移籍し、セリエAデビューを果たす。ここでの活躍が目に留まり、2002年にラツィオへの移籍が決まる。
ラツィオ [編集]
4シーズン半を過ごしたラツィオではUEFAチャンピオンズリーグやUEFAカップでヨーロッパの舞台でプレーする機会を得た。ラツィオでの3年目にあたる2003–04シーズンにはコッパ・イタリアを獲得し、自身初のタイトルを経験した。
2006–2007シーズンにはファビオ・リヴェラーニの後任としてキャプテンに任命された。2007年1月、移籍金750万ユーロ(約11億6千万円)とパスクアーレ・フォッジャとの交換で、実に12年ぶりに古巣ACミランへの復帰が決まった。
ミラン [編集]
移籍から数カ月後のチャンピオンズ・リーグ決勝では右サイドバックとして先発フル出場し、チームの優勝に貢献。しかし、翌シーズンは好不調の波が激しく、クロスの精度を欠くこともあり、チームも低迷する。2008年夏にはイタリア代表で同じポジションのジャンルカ・ザンブロッタがチームに加入し、控えにまわることが噂されたが、入れ替わる形でバイエルン・ミュンヘンへレンタル移籍した(故障離脱中のウィリー・サニョルの代役)。
翌2009-10シーズンにミラン復帰後は、左サイドにポジションを移したザンブロッタに代わり、若手のイグナツィオ・アバテと右サイドバックのポジションを争うことになった。2010年10月21日には残りの契約を1年間延長し、2012年6月30日までミランでプレーすることになった[1]。なお、同時期にザンブロッタも契約を延長している。
しかし、2010-11シーズンのリーグ戦出場はわずか7試合とチームの構想外となり、2011年夏にはUSレッチェへレンタル移籍。2011-12シーズン終了後に現役引退を発表した [2]。
代表歴 [編集]
2002年にデビューを飾り、EURO2004予選では7試合に出場した。2006年ドイツW杯では、ザンブロッタの控えとして優勝メンバーの一員となった。
所属クラブ [編集]
ACミラン 1993-1995
U.S. フィオレンツォーラ 1922 1995-1996
モンツァ 1996
プラート 1997
レッチェ 1997-1998
モンツァ 1998-1999
ナポリ 1999-2000
エラス・ヴェローナ 2000-2002
ラツィオ 2002-2007.1
ACミラン 2007.1-2012
- →
バイエルン・ミュンヘン 2008-2009 (loan) - →
レッチェ 2011-2012 (loan)
脚注 [編集]
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