アントニオ・ベナリーヴォ

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アントニオ・ベナリーヴォ
名前
愛称 Thumbnail[1]
ラテン文字 Antonio BENARRIVO
基本情報
国籍 イタリアの旗 イタリア
生年月日 (1968-08-21) 1968年8月21日(55歳)
出身地 ブリンディジ
身長 170cm
体重 68kg
選手情報
ポジション DF
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1986-1989 イタリアの旗 ブリンディジ 76 (2)
1989-1991 イタリアの旗 パドヴァ 69 (7)
1991-2004 イタリアの旗 パルマ 258 (5)
代表歴
1993-1997 イタリアの旗 イタリア 23 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

アントニオ・ベナリーヴォ(Antonio BENARRIVO、1968年8月21日 - )は、イタリア出身の元同国代表の元サッカー選手。選手時代のポジションはディフェンダー[2]。スピードがあり、サイドバックとして、攻守にサイドの上下運動を繰り返し、疲れ知らないかの様な運動量でチームに貢献した[1]

クラブ経歴[編集]

幼少の頃は、バスケットボールをしていて、プレーメーカーを務めていたが、バスケットボールを続けるには、身長が低かったことから、サッカーをすることとなった[1]。1986-87シーズン、当時セリエCのブリンディジでプロデビューを果たした[1]

1989年から2シーズンプレーした、パドヴァどのプレーで、1991-92シーズン、パルマに移籍したが、パルマの同じポジションには、全盛期のアルベルト・ディ・キアーラが居たことから、当初はディ・キアーラの控え選手の扱いであった[1]。何とか試合に出場するために、ネヴィオ・スカラ監督に「パドバでは右サイドバックで起用されていた。」と嘘をついたことから、右サイドバックとして起用されるようになった[1]。1991年9月15日のSSCナポリ戦でセリエAの舞台にデビューした[1]

1994-95シーズン、1998-99シーズンと二度のUEFAカップ優勝やUEFAカップウィナーズカップなど、全ての試合の決勝でプレーし、8つのタイトルの優勝に貢献するなど、パルマファンに最も愛された選手の一人であった[1]。1994年の夏、ユヴェントスが獲得に動き、ユヴェントスのGMであった、モッジとも面会したが、この時、何故か移籍する気が起きず、残留を選んだ[1]

代表経歴[編集]

イタリア代表としては1993年9月22日に行われたの1994 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選エストニア戦でデビュー[1][3]1994 FIFAワールドカップ初戦のアイルランド戦では、右サイドバックにマウロ・タソッティが起用されたが、第2戦のノルウェー戦から先発起用され[1]、合計6試合に出場した[3]。決勝トーナメント1回戦のナイジェリア戦ではPKを獲得し、そのPKをR・バッジオが決めてイタリアはベスト8に進んだ[1][4]。決勝のブラジル戦では、左サイドバックで起用された[1]

その後、1997年10月29日に行われた1998 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選プレーオフのロシア戦を最後に代表から退くまで国際Aマッチ23試合に出場した[1][3]

個人成績[編集]

代表での成績[編集]

出典[3]


イタリア代表国際Aマッチ
出場得点
1993 3 0
1994 11 0
1995 6 0
1996 0 0
1997 3 0
通算 23 0

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n Antonio Benarrivo, il 'Pollicino' di Brindisi: dalla finale di USA '94 a impresario edile”. GOAL (2021年8月21日). 2023年8月10日閲覧。
  2. ^ Antonio Benarrivo”. 2015年1月26日閲覧。
  3. ^ a b c d Antonio Benarrivo - International Appearances”. rsssf.com. 2018年12月14日閲覧。
  4. ^ アントニオ・ベナリーヴォFIFA主催大会成績

外部リンク[編集]