リヴァプールFC
| リヴァプールFC | ||||
|---|---|---|---|---|
| 原語表記 | Liverpool Football Club | |||
| 愛称 | The Reds | |||
| クラブカラー | 赤 | |||
| 創設年 | 1892年 | |||
| 所属リーグ | プレミアリーグ | |||
| 所属ディビジョン | Premier League, 6th | |||
| ホームタウン | リヴァプール | |||
| ホームスタジアム | アンフィールド | |||
| 収容人数 | 45,000 | |||
| 代表者 | ||||
| 監督 | ||||
| 公式サイト | 公式サイト | |||
|
|
||||
| ■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ | ||||
リヴァプールFC (Liverpool Football Club) は、イングランド・リヴァプールに本拠を置くサッカークラブチーム。愛称はレッズ(Reds)。
目次 |
[編集] 歴史
[編集] 創立期
1891年、アンフィールドのオーナーであったジョン・ホールディングは、当時アンフィールドを本拠地として使用していたエヴァートンに対して使用料の値上げを要求したが、これを拒否したエヴァートンは現在のグディソン・パークへと移転した[1]。ホールディングはアンフィールドに新たなサッカークラブを設立することを決め[2]、1892年3月15日にリヴァプールFCが創立された。そして1892年9月1日に行われたロザラム・タウンFCとの親善試合が初めての試合となった[3]。
1936年6月には、ジョージ・ケイが前任者ジョージ・パターソンに代わり、監督に就任した。サウサンプトンからの就任であった。就任後の12試合では3勝4分という成績であった。そして最初の1936-37シーズンは18位で終えた。次シーズン開幕戦の相手本拠スタンフォード・ブリッジでのチェルシー戦では1-6で敗れた。そして1937-38シーズンは11位で終えた。
1938-39シーズン前に、ケイはボブ・ペイズリーをBishop Auckland F.C.から移籍金をかけずに獲得。また、ビリー・リッデルも獲得する。しかし、第二次世界大戦へと突入し、活動を停止せざるを得なくなる。
[編集] 第二次世界大戦後
第二次世界大戦後、アメリカ合衆国とカナダへの遠征を計画する。この計画はケイの、気候などが全く異なる北米でプレーすることは選手に有益であるという考えに沿ったものである。そして、1946-47シーズンに10試合の北米遠征が行われた。
1949-50シーズンにはFAカップで決勝に進出したが、アーセナルに破れ[4]、初のFAカップ制覇を逃した。また1951年にはジョージ・ケイが引退し、ドン・ウェルシュに引き継がれた。
[編集] 黄金期と2つの悲劇
クラブが大きな変革の時を迎えたのは1950年代に入ってからになる。フィル・テイラーに率いられ、1959年には下部ディビジョンに低迷していたが、ビル・シャンクリーが監督として就任する[5]。シャンクリーが基盤を作り、シャンクリーの右腕ボブ・ペイズリーへと受け継がれたクラブは1970年代から1980年代にかけて黄金期を迎え、ヨーロッパサッカー界を席捲する。この二人が監督を務めた間に国内タイトル、国際タイトル合わせて19個のタイトルを獲得した。
しかし80年代には2つの悲劇に見舞われている。1985年にはチャンピオンズカップの決勝ユヴェントス戦で『ヘイゼルの悲劇』[6](1985年) が起きる。『ヒルズボロの悲劇』[7] (1989年) もリヴァプールの試合中に起きた。特に前者の影響は深刻で、イングランドのクラブは国際試合から無期限に締め出され(後にリヴァプールは7年、他クラブは5年となる)、リーグの力の相対的な地盤沈下をもたらした。
90年代に入るとやや低迷した。処分が解けた後も国際タイトルには手が届かず、リーグでは依然として上位の常連であり続けたが、優勝から遠ざかった。現在に至るまで1989-90シーズンの1stディヴィジョン制覇が最後のリーグ制覇であり、プレミアリーグ移行後は優勝経験がない。
[編集] 21世紀〜国際舞台での復活と遠いリーグ優勝
新世紀以降は、国際試合での活躍が目立ち、「ヘイゼルの悲劇」の後遺症は完全に過去のものとなった。しかし依然としてプレミアリーグでの優勝には手が届いていない。
2000-01シーズンにはFAカップ、リーグカップ、UEFAカップを制して3冠を達成した[8]。なお、1983-84シーズンにもリーグ、リーグカップ、UEFAチャンピオンズカップの組み合わせで3冠を達成している。
2004-05シーズンはシーズン開幕前にラファエル・ベニテスが監督に就任すると、ルイス・ガルシア、シャビ・アロンソなどリーガ・エスパニョーラの選手を獲得し、積極的に登用し始める。一方、エースのマイケル・オーウェンをレアル・マドリードへ放出した[9]。チャンピオンズリーグではユヴェントス、チェルシーらの強豪を破り決勝進出を果たす。決勝のACミラン戦において、前半終了時0-3のビハインドから、後半の6分間にジェラード、スミチェル、アロンソが立て続けに得点し、同点に持ち込んだ。そして、PK戦でACミランを下し、21年ぶりの欧州一の称号を手にした[10][注 1]。この試合はイスタンブールの奇跡と呼ばれるようになる。また、UEFAチャンピオンズカップとUEFAチャンピオンズリーグの合計優勝回数が5回となり、5チーム目となる優勝カップの永久保持が認められたクラブとなった。
2005-06シーズンの夏、前シーズンがプレミアリーグ5位であったため[注 2]、チャンピオンズリーグの出場権は逃していたが、タイトル防衛の機会が与えられるべきという意見から特例で予備予選1回戦からの出場が認められた[注 3]。そして、2006-07シーズン以降は、前大会優勝チームはグループリーグにシード出場できるというルールが設けられた。
2005年12月、新生したFIFAクラブ世界選手権2005出場のため来日。12月15日に行われた準決勝で北中米・カリブ海王者デポルティーボ・サプリサに3-0で勝利し決勝戦進出。12月18日の決勝戦では、南米王者サンパウロFCと戦い、接戦の末0-1で敗れ準優勝[11]。
2006年のFAカップ決勝戦では、ウェストハムと対戦。三度先攻を許すも、後半終了間際のジェラードのミドルシュートが決まるなど、三度追いついた。その後の延長戦でも決着がつかず、PK戦の末、同大会で5年ぶりの優勝を決めた[12]。
2006-07シーズンはチャンピオンズリーグで決勝進出を果たした。対戦相手は2004-05シーズンと同じACミランであったが、試合では1-2で敗れ、ACミランに2年前の雪辱を許す形になった[13]。
2007-08シーズンは夏期移籍期間にフェルナンド・トーレスを獲得[14]。シーズン開幕前には懐疑的な意見も聞かれたが、ルート・ファン・ニステルローイが保持していたプレミアリーグ初年度の得点記録を塗り替えた。チャンピオンズリーグはここ数シーズンと同様に、準決勝まで進出した。準決勝でチェルシーに2戦合計3-4で敗れ、敗退した[15]。
2008-09シーズンの夏期移籍期間にはトッテナムから2030万ポンド (約41億円) でロビー・キーンを獲得[16]。また、在籍年数の長かったヨン・アルネ・リーセやスティーヴ・フィナン、ピーター・クラウチ、ハリー・キューウェルなどを放出し[17][18][19][20]、チームの顔ぶれを刷新した。
2008-09年シーズンは夏の移籍市場でチームを改革したのが功を奏したのか、マンチェスター・ユナイテッドと熾烈な優勝争いを演じた。
2009年夏の市場では、中心選手であったシャビ・アロンソ、アルベロアを放出した。 今まで、中盤で攻撃を組み立てていたシャビ・アロンソを放出したため、中盤の展開力不足、ジェラード、フェルナンド・トーレスへの依存度が更に高まり、攻撃が成り立たず、また攻撃が成り立たないことから守備も不安定となり、2009-10年シーズンは開幕から不振にあえぎ、最終的に7位で終了し、辛うじてEL出場権を獲得することができたが、この結果BIG4時代が終焉した。 2009-10シーズン終了後、成績不振を理由に双方の合意の元、ベニテス監督との契約を解除した。後任は前年フラムをUEFAヨーロッパリーグ準優勝に導いたロイ・ホジソンとなった。イングランド人監督が就任したことやプレミアリーグの規定変更などもあり、チームはイングランド化が進んだ。
[編集] ジョン・ヘンリーによる新時代の幕開け
2010年4月16日(現地日時)、共にアメリカ人で共同オーナーを務めるジョージ・ジレットとトム・ヒックスは、新会長の就任発表と同時に、クラブを売りに出したことを発表した。ジレットとヒックスは2007年にクラブを買収したが、経営に失敗し資金繰りが悪化、英メディアによれば負債は売却発表時点で2億3700ポンド(発表時点で約335億円)に上る。これまでも中東の富豪との売却交渉などが報じられていたが、売却に向けての初めての正式発表となった。発表によれば、新会長マーティン・ブロートン(ブリティッシュ・エアウェイズ会長)がバークレイズ・キャピタルの支援を受け、売却交渉を主導する。[21] なかなか売却交渉に進展がなかったが、10月15日の負債返済期限を前にして、10月初旬から売却交渉は動きだし、ヒックス、ジレットの両人による反発に遭い裁判にもつれながらも、NESV(ニューイングランド・スポーツ・ベンチャーズ)によって約3億£で買収された。 11月にはフロント改革の一環として、トッテナム元SDのダミアン・コモリをFD(フットボールディレクター)として招聘した。
ヘンリーがオーナーに就任した2010-11シーズンは、資金不足により開幕前の移籍市場において満足な補強ができず、ロイ・ホジソンの下、チームは不振にあえぎ、一時は降格圏にまで転落し、あらゆるクラブワースト記録を更新するシーズンを過ごしていた。当初、ヘンリーは就任と同時にホジソンを解任するとみられていたが、ホジソンを擁護し、ホジソンの続投を発表した。 ヘンリーによる買収により、買収問題に揺れていたクラブに前向きな雰囲気が漂い始め、チームは徐々に調子を取り戻し、降格圏から脱出したものの、その後もボトムハーフ付近を行き来し、サポーターは不満を抱えていた。そして、年末に格下、ウォルバーハンプトンにホームで敗れ、更に年始にブラックバーンに敗れ、サポーターの怒りは頂点に達し、ヘンリーもついにホジソン解任に踏み切った。 後任には暫定監督として、クラブのレジェンド、ダルグリッシュが就任し、クラブ全体が一丸となりまとまり始め、落ち着きを取り戻しかけた矢先、チームの絶対的エースであったフェルナンド・トーレスが移籍志願書を提出し、チェルシーに英国史上最高額、推定5000万£で移籍してしまった。しかし、チームは絶対的エースの後釜として、アンディ・キャロルをトーレスの移籍金に次ぐ高額、3500万£で獲得し、更に、ルイス・スアレスを獲得、2010-11シーズンは最終的に6位で終えた。
2011年夏の移籍市場では、オーナー、ジョン・ヘンリーの方針により、積極的な投資が行われ、ジョーダン・ヘンダーソン、チャーリー・アダム、スチュワート・ダウニング、ドニ、ホセ・エンリケ、セバスティアン・コアテスを獲得し、総額5500万£を投じたといわれている。
[編集] ダービーマッチ
同じリヴァプールに本拠を置くエヴァートンFCとはライバル関係にある。両クラブの試合は『マージーサイド・ダービー』と呼ばれ、マンチェスター・ダービー、ノース・ロンドン・ダービー、タイン・ウェア・ダービーなどと並びイングランドでも最も盛り上がるダービーマッチの一つである。
また、マンチェスター・ユナイテッドFCとは昔からライバル関係にあり、ノースウェスト・ダービーやイングランド・ダービーと呼ばれる「伝統の一戦」として毎回白熱した試合を繰り広げる。 イングランドサッカーを引っ張るチーム同士の対戦なので、サポーターは試合前から相手チームを罵る歌を歌い、士気を高めている。 選手同士もこの試合に関してはとても熱く、過去にはリオ・ファーディナンドとピーター・クラウチの乱闘寸前劇や、ガリー・ネヴィルのリヴァプールファンへの挑発などが見られた。また、リヴァプール出身でライバルのエヴァートンからマンチェスター・ユナイテッドへ移籍したウェイン・ルーニーへのブーイングなども見られ、毎回好ゲームが多い。
2004年にラファエル・ベニテスが監督に就任してのち、リーグ戦でマンチェスター・ユナイテッドに勝利を挙げたことが無かったが[22]、2008-2009シーズン第4節ではホームで逆転勝利を挙げ[23]アウェイでも快勝した。
[編集] エンブレム
リヴァプールFCのエンブレム[24]には、アンフィールドのシャンクリー・ゲートの門飾りや、サポーターのアンセムともなっている"You'll never walk alone"の文字、リヴァプール市の象徴ともなっている鳥「ライヴァー・バード」(Liver Bird)などが用いられている。
ライヴァー・バードの左右にある炎は、サッカー史に残る惨事と言われる[25]『ヘイゼルの悲劇』と『ヒルズボロの悲劇』への追悼の意を表している。また、ライヴァー・バードはリヴァプール市内のピア・ヘッドに位置するロイヤル・リヴァー・ビルディングの二つの時計台上部にある鳥をモチーフにしている。このライヴァー・バードはリヴァプールの船乗り達の守り神である。
[編集] スタジアム
詳細は「アンフィールド」を参照
新スタジアムについての詳細はスタンリー・パーク・スタジアムを参照
リヴァプールFCはアンフィールドというホームスタジアムを持つ。前述の通り、元々はエヴァートンFCのホームスタジアムであった。
アンフィールドは、アーチボルド・リーチ(Archibald Leitch)という建築技師によって設計された[26]。
リヴァプールのウエスト・ダービーと呼ばれる地区に建つメルウッドは、リヴァプールFCのトレーニンググラウンドである[27]。同じリヴァプールのカービーに建つリヴァプールFCアカデミーとは異なる。メルウッドは1950年代からウエスト・ダービーに建つ。
[編集] サポーター
詳細は「ユール・ネヴァー・ウォーク・アローン」を参照
リヴァプールFCは多くのサポーターを持つ。サポーターはアンフィールドの"Kop"と呼ばれるスタンドで応援し、自身をKopitesと呼ぶ。
サポーターは、試合開始前や試合終了直前にYou'll Never Walk Aloneという曲を歌う。この曲はもともとリチャード・ロジャースとオスカー・ハマースタインがミュージカル「回転木馬」の為に書いた曲であるが、1960年代初頭に「マージービート」と呼ばれた一連のポップ音楽の系譜に連なるバンド「ジェリー&ザ・ペースメーカーズ」が録音し、ヒットチャートの1位を獲得することになった。その直後からこの曲はリヴァプールFCのサポーターの愛唱曲となり、現在に至っている。その後この曲はセルティック、アイルランド代表、イプスウィッチ・タウン、ラピド・ウィーン、フェイエノールト、アヤックス、ベンフィカ、FC東京などのサポーターにも歌われるようになった。
著名人のサポーターには、ダニエル・クレイグ(映画俳優、6代目ジェームス・ボンド役など)がいる。
[編集] スポンサー
- メインスポンサー
| 企業名 | 本社所在地 | 使用開始シーズン | 使用終了シーズン |
|---|---|---|---|
| 日立 | 1972-1973 | 1981-1982 | |
| Crown Paints | 1982-1983 | 1987-1988 | |
| Candy | 1988-1989 | 1991-1992 | |
| Carlsberg | 1992-1993 | 2009-2010 | |
| Standard Chartered Bank | 2010-2011 |
[編集] タイトル
[編集] 国内タイトル
- リーグ : 18回
- 1900-1901、1905-1906、1921-1922、1922-1923、1946-1947、1963-1964、1965-1966、1972-1973、1975-1976、1976-1977、1978-1979、1979-1980、1981-1982、1982-1983、1983-1984、1985-1986、1987-1988、1989-1990
- FAカップ : 7回
- 1964-1965、1973-1974、1985-1986、1988-1989、1991-1992、2000-2001、2005-2006
- リーグカップ : 8回
- 1980-1981、1981-1982、1982-1983、1983-1984、1994-1995、2000-2001、2002-2003、2011-2012
- コミュニティーシールド : 15回
- 1964年*、1965年*、1966年、1974年、1976年、1977年*、1979年、1980年、1982年、1986年*、1988年、1989年、1990年*、2001年、2006年 (*印はタイトル共有)
- スーパーカップ : 1回
- 1986
[編集] 国際タイトル
2008年10月5日現在[28]
UEFAチャンピオンズリーグ[注 4] : 5回
- 1976-1977、1977-1978、1980-1981、1983-1984、2004-2005
- UEFAカップ : 3回
- 1972-1973、1975-1976、2000-2001
- UEFAスーパーカップ : 3回
- 1977年、2001年、2005年
[編集] 過去の成績
| シーズン | カテゴリ | 順位 | 試 | 勝点 | 勝 | 分 | 敗 | 得点 | 失点 | FAカップ | リーグカップ | UEFAチャンピオンズリーグ | UEFAカップ |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1992-1993 | FAプレミアリーグ | 6位 | 42 | 59 | 16 | 11 | 15 | 62 | 55 | ||||
| 1993-1994 | FAプレミアリーグ | 8位 | 42 | 60 | 17 | 9 | 16 | 59 | 55 | ||||
| 1994-1995 | FAプレミアリーグ | 4位 | 42 | 74 | 21 | 11 | 10 | 65 | 37 | 優勝 | |||
| 1995-1996 | FAプレミアリーグ | 3位 | 38 | 71 | 20 | 11 | 7 | 70 | 34 | 準優勝 | |||
| 1996-1997 | FAプレミアリーグ | 4位 | 38 | 68 | 19 | 11 | 8 | 62 | 37 | ||||
| 1997-1998 | FAプレミアリーグ | 3位 | 38 | 65 | 18 | 11 | 9 | 68 | 42 | ||||
| 1998-1999 | FAプレミアリーグ | 7位 | 38 | 54 | 15 | 9 | 14 | 68 | 49 | ||||
| 1999-2000 | FAプレミアリーグ | 4位 | 38 | 67 | 19 | 10 | 9 | 51 | 30 | ||||
| 2000-2001 | FAプレミアリーグ | 3位 | 38 | 69 | 20 | 9 | 9 | 71 | 39 | 優勝 | 優勝 | 優勝 | |
| 2001-2002 | FAプレミアリーグ | 2位 | 38 | 80 | 24 | 8 | 6 | 67 | 30 | ベスト8 | |||
| 2002-2003 | FAプレミアリーグ | 5位 | 38 | 64 | 18 | 10 | 10 | 61 | 41 | 優勝 | グループリーグ | ||
| 2003-2004 | FAプレミアリーグ | 4位 | 38 | 60 | 16 | 12 | 10 | 55 | 37 | ||||
| 2004-2005 | FAプレミアリーグ | 5位 | 38 | 58 | 17 | 7 | 14 | 52 | 41 | 準優勝 | 優勝 | ||
| 2005-2006 | FAプレミアリーグ | 3位 | 38 | 82 | 25 | 7 | 6 | 57 | 25 | 優勝 | ベスト16 | ||
| 2006-2007 | FAプレミアリーグ | 3位 | 38 | 68 | 20 | 8 | 10 | 57 | 27 | 準優勝 | |||
| 2007-2008 | プレミアリーグ | 4位 | 38 | 76 | 21 | 13 | 4 | 67 | 28 | ベスト4 | |||
| 2008-2009 | プレミアリーグ | 2位 | 38 | 86 | 25 | 11 | 2 | 77 | 27 | ベスト8 | |||
| 2009-2010 | プレミアリーグ | 7位 | 38 | 63 | 18 | 9 | 11 | 61 | 35 | グループリーグ敗退 | ベスト4 | ||
| 2010-2011 | プレミアリーグ | 6位 | 38 | 58 | 17 | 7 | 14 | 59 | 45 |
[編集] 現所属選手
| 2012年2月27日リーグカップ決勝時のフォーメーション |
- 2011年8月28日現在[29]
|
|
[編集] 11/12移籍
詳細は「:en:List of English football transfers summer 2011」を参照
[編集] リザーブ & アカデミー
|
|
[編集] 歴代監督
2010年7月1日 現在[30]
| 氏名 | 国籍 | 在任期間 |
|---|---|---|
| ケニー・ダルグリッシュ | 2011.01.09- | |
| ロイ・ホジソン | 2010.07.01 - 2011.01.07 | |
| ラファエル・ベニテス | 2004.05.24 - 2010.06.03 | |
| ジェラール・ウリエ | 2002.03.17 - 2004.05.24 | |
| フィル・トンプソン | 2001.10.14 - 2002.03.16 | |
| ジェラール・ウリエ | 1998.11.12 - 2001.10.14 | |
| ロイ・エヴァンス & ジェラール・ウリエ | 1998.07.01 - 1998.11.12 | |
| ロイ・エヴァンス | 1994.01.28 - 1998.11.12 | |
| グレアム・スーネス | 1991.04.16 - 1994.01.28 | |
| ロニー・モラン | 1991.02.22 - 1991.04.16 | |
| ケニー・ダルグリッシュ | 1985.05.30 - 1991.02.22 | |
| ジョー・フェイガン | 1983.05.23 - 1985.05.30 | |
| ボブ・ペイズリー | 1974.07.26 - 1983.05.23 | |
| ビル・シャンクリー | 1959.12.01 - 1974.07.12 | |
| フィル・テイラー | 1956.05.01 - 1959.11.30 | |
| ドン・ウェルシュ | 1951.03.01 - 1956.05.01 | |
| ジョージ・ケイ | 1936.05.01 - 1951.02.28 | |
| ジョージ・パターソン | 1928.02.01 - 1936.05.01 | |
| マット・マックイーン | 1923.02.01 - 1928.02.01 | |
| デビッド・アシュワース | 1920.12.01 - 1922.02.01 | |
| (在任コーチ無し) | 1915.05.31 - 1920.12.01 | |
| トム・ワトソン | 1896.08.01 - 1915.05.31 | |
| ジョン・マッケンナ & ウィリアム・バークレー | 1892.08.01 - 1896.08.01 |
[編集] 歴代記録
[編集] 出場試合数
公式戦に限る[31]
| # | 名前 | 期間 | リーグ[注 5] | FAカップ | リーグカップ | その他[注 6] | 合計 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 1960–1978 | 640 (4) | 79 (2) | 42 (7) | 96 (1) | 857 (7) | |
| 2= | 1967–1981 | 470 (0) | 54 (0) | 55 (0) | 86 (0) | 665 (0) | |
| 2= | 1967–1979 | 474 (0) | 62 (0) | 46 (0) | 83 (0) | 665 (0) | |
| 4 | 1980–1987 1988–1996 |
469 (22) | 61 (5) | 78 (0) | 45 (3) | 660 (30) | |
| 5 | 1974–1985 | 455 (2) | 45 (0) | 66 (0) | 81 (0) | 650 (2) | |
| 6 | 1962–1978 | 467 (0) | 52 (0) | 30 (0) | 89 (1) | 638 (1) | |
| 7 | 1980–1994 | 440 (0) | 62 (0) | 70 (0) | 46 (0) | 628 (0) | |
| 8 | 1977–1991 | 434 (0) | 58 (1) | 68 (0) | 53 (1) | 620 (2) | |
| 9 | 1960–1975 | 406 (0) | 47 (0) | 27 (0) | 69 (0) | 549 (0) | |
| 10 | 1938–1961 | 492 (0) | 42 (0) | 0 (0) | 0 (0) | 534 (0) |
[編集] 得点
| # | 名前 | 期間 | リーグ[注 5] | FAカップ | リーグカップ | その他[注 6] | 合計 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 1980–1987 1988–1996 |
229 (469) | 39 (61) | 48 (78) | 23 (45) | 346 (660) | |
| 2 | 1958–1969 | 245 (404) | 18 (44) | 05 (10) | 18 (34) | 286 (492) | |
| 3 | 1925–1936 | 233 (358) | 08 (19) | 0 (0) | 0 (0) | 241 (377) | |
| 4 | 1938–1961 | 215 (492) | 13 (42) | 0 (0) | 0 (0) | 228 (534) | |
| 5 | 1993–2001 2006–2007 |
128 (266) | 12 (24) | 29 (35) | 14 (44) | 183 (369) | |
| 6 | 1977–1990 | 118 (355) | 13 (37) | 27 (59) | 12 (58) | 172 (515) | |
| 7 | 1996–2004 | 118 (216) | 08 (15) | 09 (14) | 23 (52) | 158 (297) | |
| 8 | 1915–1928 | 135 (315) | 16 (28) | 0 (0) | 0 (1) | 151 (339) | |
| 9 | 1903–1914 | 125 (200) | 05 (19) | 0 (0) | 0 (1) | 130 (220) | |
| 10 | 1900–1907 | 119 (211) | 09 (14) | 0 (0) | 0 (1) | 128 (226) |
[編集] 歴代所属選手
詳細は「:Category:リヴァプールFCの選手」を参照
[編集] GK
トミー・ローレンス 1958-1971
レイ・クレメンス 1967-1981
ブルース・グロベラー 1980-1993
ディビッド・ジェームス 1992-1999
ブラッド・フリーデル 1997-2000
サンデル・ヴェステルフェルト 1999-2001
クリス・カークランド 2001-2006
イェルジ・デュデク 2001-2007
スコット・カーソン 2005-2008
シャルル・イタンジュ 2007-2010
ジエゴ・カバリエリ 2008-2010
[編集] DF
ゲリー・バーン 1955-1969
クリス・ロウラー 1960-1975
ロン・イェイツ 1961-1971
トミー・スミス 1962-1978
エムリン・ヒューズ 1967-1979
フィル・ニール 1975-1985
ジョーイ・ジョーンズ 1975-1978
アラン・ハンセン 1977-1991
アラン・ケネディ 1978-1985
マーク・ローレンソン 1981-1988
ジェイソン・マカティア 1995-1999
スティーブ・ニコル 1981-1995
ガリー・アブレット 1983-1992
ドミニク・マッテオ 1992-2000
ステファヌ・アンショズ 1999-2005
ジミ・トラオレ 1999-2006
サミ・ヒーピア 1999-2009
マルクス・バッベル 2000-2004
クリスティアン・ツィーゲ 2001
ヨン・アルネ・リーセ 2001-2008
スティーヴン・ウォーノック 2002-2007.1
スティーヴ・フィナン 2003-2008
マウリシオ・ペジェグリーノ 2004-2005
ホセ・ミゲル・ゴンサレス・レイ 2004-2006
アルバロ・アルベロア 2007.1-2009
アンドレア・ドッセーナ 2008-2010
ポール・コンチェスキー 2010-2011.1
[編集] MF
マット・バスビー 1936-1939
ボブ・ペイズリー 1939-1954
ゴードン・ミルン 1960-1967
イアン・キャラハン 1960-1978
ピーター・トンプソン 1963-1974
ジェフ・ストロング 1964-1970
ジミー・ケース 1973-1981
テリー・マクダーモット 1973-1982
サミー・リー 1976-1986
グレアム・スーネス 1978-1984
ロニー・ウィーラン 1979-1994
クレイグ・ジョンストン 1981-1988
スティーヴ・マクマオン 1985-1991
レイ・ホウトン 1987-1992
ジョン・バーンズ 1987-1997
スティーブ・マクマナマン 1990-1999
ジェイミー・レドナップ 1991-2002
パトリック・ベルガー 1996-2003
ポール・インス 1997-1999
ダニー・マーフィー 1997-2004
ディートマー・ハマン 1999-2006
ヴラディミール・シュミツェル 1999-2005
イゴール・ビスチャン 2000-2005
ハリー・キューウェル 2003-2008
アントニオ・ヌネス 2004-2005
ルイス・ガルシア 2004-2007
シャビ・アロンソ 2004-2009
ボウデヴィン・ゼンデン 2005-2007
モハメド・シッソコ 2005-2008.1
マルク・ゴンサレス 2006-2007
ジャーメイン・ペナント 2006-2009
ハビエル・マスチェラーノ 2007.1-2010
ヨッシ・ベナユン 2007-2010
アルベルト・リエラ 2008-2010
クリスティアン・ポウルセン 2010-2011
ラウル・メイレレス 2010-2011
[編集] FW
ゴードン・ホジソン 1925-1936
ビリー・リッデル 1939-1961
ロジャー・ハント 1958-1969
イアン・セント・ジョン 1961-1971
ジョン・トシャック 1970-1978
ケビン・キーガン 1971-1977
ケニー・ダルグリッシュ 1977-1990
イアン・ラッシュ 1980-1987, 1988-1996
ロビー・ファウラー 1993-2001, 2006.1-2007
マイケル・オーウェン 1995-2004
エミール・ヘスキー 2000-2004
ニコラ・アネルカ 2001-2002
ミラン・バロシュ 2001-2005
ニール・メラー 2002-2006
エル・ハッジ・ディウフ 2002-2004
アンソニー・ル・タレク 2003-2008
ジブリル・シセ 2004-2006
ピーター・クラウチ 2005-2008
フェルナンド・モリエンテス 2005.1-2006
アンドレイ・ヴォロニン 2007-2010.1
ライアン・バベル 2007-2011.1
フェルナンド・トーレス 2007-2011.1
ロビー・キーン 2008-2009.1
ダビド・ヌゴグ 2008-2011
[編集] 脚注
[編集] 注釈
- ^ UEFAチャンピオンズリーグ 2004-05 決勝も参照
- ^ プレミアリーグの場合、前シーズンの最終成績が4位以上のクラブにUEFAチャンピオンズリーグの出場権が与えられる。5位のクラブにはUEFAヨーロッパリーグの出場権が与えられる。
- ^ その後の大会の詳細についてはUEFAチャンピオンズリーグ 2005-06を参照
- ^ 前身のUEFAチャンピオンズカップも含む
- ^ a b Football Alliance、フットボールリーグ、プレミアリーグを含む
- ^ a b UEFAチャンピオンズリーグ、UEFAカップ、UEFAカップウィナーズカップ、UEFAスーパーカップ、コミュニティーシールド、インターコンチネンタルカップを含む
[編集] 出典
- ^ The Everton Story 1878-1930 Evertonfc.com,2008年8月26日閲覧
- ^ 1892 – Liverpool Football Club formed
Liverpoolfc.tv - LFC Story,2008年9月17日閲覧 - ^ リヴァプールFC - ロザラム・タウンFC 7:1
http://www.lfchistory.net/stats_articles_view.asp?article_Id=47 LFChistory.net,2008年9月13日閲覧 - ^ http://www.fa-cupfinals.co.uk/1950.htm 2008年10月5日閲覧
- ^ 1959 - Shankly appointed manager
Liverpoolfc.tv - LFC Story,2008年9月17日閲覧 - ^ 1985 - Heysel Disaster Liverpoolfc.tv - LFC Story,2008年8月26日閲覧
- ^ 1989 – Hillsborough Liverpoolfc.tv - LFC Story,2008年8月26日閲覧
- ^ 2001 - Clinching the cup treble
Liverpoolfc.tv - LFC Story,2008年9月18日閲覧 - ^ Owen unveiled by Real BBCスポーツ(2004年8月14日 12:08 GMT)
2008年9月18日閲覧 - ^ AC Milan 3-3 Liverpool (aet) BBCスポーツ(2005年5月25日),2008年9月18日閲覧
- ^ FIFAクラブワールドチャンピオンシップ トヨタカップジャパン2005
日テレ,2008年9月30日閲覧 - ^ 2006 - FA CUP WINNERS 2006
Liverpoolfc.tv - LFC Story,2008年8月26日閲覧 - ^ AC Milan 2-1 Liverpool BBCスポーツ(2007年5月23日),2008年9月18日閲覧
- ^ Liverpool complete Torres signing
BBCスポーツ(2007年7月4日),2008年9月18日閲覧 - ^ チェルシーが激戦を制し、初の決勝進出 uefa.com(トレバー・ヘイレット,2008年4月30日),2008年9月29日閲覧
- ^ Liverpool complete Keane transfer
BBCスポーツ(2007年7月28日),2008年9月18日閲覧 - ^ Reds pay tribute to exiting Riise BBCスポーツ(2008年6月19日),2008年9月18日閲覧
- ^ Liverpool sell Finnan to Espanyol
BBCスポーツ(2008年9月1日),2008年9月18日閲覧 - ^ Crouch seals £11m Portsmouth move
BBCスポーツ(2008年7月11日),2008年9月18日閲覧 - ^ Kewell completes Galatasaray move
BBCスポーツ(2008年7月5日 11:21 GMT),2008年9月21日閲覧 - ^ 日本経済新聞 2010年4月17日 夕刊
- ^ Goal.com - イングランド - キャラガー:「ただの勝ち点3じゃない」 (2008年9月14日),2009年2月1日閲覧
- ^ Goal.com - イングランド - ベニテス監督:「後半は最高のチームだった」 (2008年9月14日),2008年9月15日閲覧
- ^ http://upload.wikimedia.org/wikipedia/en/b/b2/Liverpool_FC_logo.png
リヴァプールFCのエンブレム,2008年8月26日閲覧 - ^ 【豊福 晋の欧州蹴球日記】ヘイゼルの悲劇と20年後の対戦
(2005年3月22日),2008年9月9日閲覧 - ^ Inglis (2005)
- ^ http://www.liverweb.org.uk/melwood.htm Liverweb,2008年10月7日閲覧
- ^ http://jp.uefa.com/footballeurope/club=7889/domestic.html uefa.com,2008年9月30日閲覧
- ^ Liverpoolfc.tv: First Team Players And Staff Proxy-Connection: keep-alive Cache-Control: max-age=0 oxy-Connection: keep-alive Cache-Control: max-age=0 verpoolfc.tv,2011年2月11日閲覧
- ^ http://www.lfchistory.net/managers.asp LFChistory.net 2008年9月18日閲覧
- ^ a b LFC Records Liverpoolfc.tv,2008年9月13日閲覧
http://www.lfchistory.net/stats.asp LFChistory.net,2008年9月13日閲覧 - ^ http://www.lfchistory.net/stats_goalscorers.asp
LFChistory.net,2008年9月12日閲覧
[編集] 参考文献
- Simon Inglis著 「Engineering Archie」 English Heritage、2005年3月21日発行、ISBN 978-1-85074-918-9
[編集] 外部リンク
- 公式
- Liverpoolfc.tv: Official Web Site (英語)
- Premier League.com - Liverpool (英語)
- uefa.com - Liverpool (日本語)
- ニュース
- その他
- Historical Football Kit - Liverpool - 各時代のユニフォーム(英語)
- The Liverpool Shirts Museum - 1968年から2012年のユニフォーム(英語)
- The Liverpool Shirts Museum Facebook Fanpage - FACEBOOKの1968年から2012年のユニフォーム(英語)
- LFChistory.net - リヴァプールFCの歴史(英語)
|
|
|---|
|
1 ジョーンズ | 2 ジョンソン | 3 J・エンリケ | 5 アッゲル | 6 F・アウレリオ | 7 スアレス | 8 ジェラード | 9 キャロル | 11 マキシ | 14 ヘンダーソン | 16 コアテス | 18 カイト | 19 ダウニング | 20 スピーリング | 21 ルーカス | 22 ウィルソン | 23 キャラガー | 25 レイナ | 26 アダム | 30 スソ | 31 スターリング | 32 ドニ | 34 ケリー | 35 コーディ | 37 シュクルテル | 38 フラナガン | 39 ベラミー | 47 ウィズドム | 49 ロビンソン 監督: ダルグリッシュ |
|
|||||
|
|||||
|
|||||