エマニュエル・アデバヨール

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
エマニュエル・アデバヨール Football pictogram.svg
Adebayor.jpg
名前
本名 シェイ・エマニュエル・アデバヨール
Sheyi Emmanuel Adebayor
愛称 ニュー・カヌ、アデバ、マヌ
ラテン文字 Emmanuel ADEBAYOR
基本情報
国籍 トーゴの旗 トーゴ
生年月日 1984年2月26日(29歳)
出身地 ロメ
身長 195cm
体重 83kg
選手情報
在籍チーム イングランドの旗 トッテナム
ポジション FW
背番号 10
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2001-2003
2003-2006.1
2006.1-2009
2009-2012
2011
2011-2012
2012-
Bianco e Granata.svg メス
600px Crown on red and white.png モナコ
Arsenal アーセナル
Man City マンC
600px Bianco viola reale.png Rマドリード(loan)
Tottenham (Spurs) トッテナム(loan)
Tottenham (Spurs) トッテナム
44 (15)
78 (18)
104 (46)
34 (15)
14 (5)
33 (17)
代表歴2
2000- トーゴの旗 トーゴ 49 (20)
1. 国内リーグ戦に限る。2011/12シーズン終了時点現在。
2. 2013年2月3日現在。
テンプレート(ノート 解説)サッカー選手pj

シェイ・エマニュエル・アデバヨールSheyi Emmanuel Adebayor, 1984年2月26日 - )は、トーゴロメ出身のトーゴ代表サッカー選手プレミアリーグトッテナム・ホットスパーに所属。ポジションはフォワード

目次

経歴 [編集]

FCメス [編集]

トーゴでプロサッカー選手を志し、U-15レベルでの国際大会を経験すると、多くのアフリカ系サッカー選手の所属するフランスリーグ・アンへの挑戦を決意し、1999年FCメスに入団。その後2年間ユースチームで練習を積み、2000年7月8日には2002 FIFAワールドカップ予選の対ザンビア代表戦で、16歳にしてトーゴ代表デビューを果たしている。

リーグアンのデビューを果たしたのは2001-02シーズン。このシーズンは9試合に出場し2ゴールを記録したがチームは2部への降格が決定。2部でのプレーとなった2002-03シーズンはチームのエースストライカーとして35試合の出場で17得点を記録し、チームの1部昇格の原動力となった。この活躍が幾つかのクラブの目を引きイングランド・プレミアリーグのクラブからオファーも受けたが、ディディエ・デシャン監督からの強い要望を受けて2003年8月1日にリーグ・アンの強豪ASモナコに移籍した。

ASモナコ [編集]

2003-04シーズン、チームはスペイン代表フェルナンド・モリエンテスクロアチア代表ダド・プルショコンゴ代表シャバニ・ノンダ等代表クラスのフォワードを揃えていた。この年のモナコはチャンピオンズリーグで決勝まで進出する快進撃を見せたためローテーションを採用しており、特にモリエンテス(同シーズンチャンピオンズリーグ得点王)やプルショがチャンピオンズリーグに重きを置かれ起用されたため、リーグ戦31試合出場で8ゴールを記録している。チャンピオンズリーグではFCポルトに敗れはしたもののチームは準優勝という歴史的な偉業を成し遂げている。同大会では9試合に出場、0ゴールだった。

2004-05シーズン、モリエンテスがレアル・マドリード、プルショがグラスゴー・レンジャーズFCにそれぞれレンタル復帰・移籍しエースストライカーとしての期待が寄せられた。時には練習に参加しなかったりと「悪童」と言われる問題児ぶりを見せるものの、良き理解者であったデシャンの存在もありリーグでは35試合に出場し9ゴールを挙げチームの第3位でのフィニッシュに貢献した。

2005-06シーズン、引き続きチームのエースストライカーとしてプレーを続けたが、シーズン途中でフロントとの関係が悪化していたデシャンが監督を辞任。敬愛する監督の理不尽な辞任に納得できなかった自身は、公然とフロントの批判を繰り返し移籍の希望を公言。以前よりその才能に注目していたアーセナルアーセン・ベンゲル監督がこの発言を聞いてオファーを出し、2006年1月13日に両チーム間で移籍が合意に至った。移籍金は700万ポンド。このシーズン、モナコでは13試合に出場し1ゴールだった。

アーセナル [編集]

アーセナル時代のアデバヨール

かねてより憧れの選手であったヌワンコ・カヌ(元ナイジェリア代表FW)が在籍したチームへの移籍が実現し、背番号はカヌが着けていた25を迷わず選択。プレミアデビューとなった2月4日の対バーミンガム・シティFC戦で早速得点を記録するという順調なスタートを切り、シーズン途中でコンビネーション面で不安を除かせる場面もあったが、ファーストトップとしてもセカンドトップとしてもプレーできる柔軟性を発揮。モナコ1年目と同様チャンピオンズリーグで決勝進出したチームの(自身はこのシーズンモナコでUEFAのカップ戦に出場していた為出場資格がなかった)、特にエースであるティエリ・アンリの負担を時にはパートナーとして、時には代役として軽減させ、12試合に出場し4ゴール4アシストを記録。このシーズンもチャンピオンズリーグでチームは優勝を果たせず準優勝に終った。

2006年は、トーゴ代表として2つの国際大会、アフリカネイションズカップ20062006 FIFAワールドカップに臨んだ年でもあった。ワールドカップの予選ではチームのエースストライカーとして12試合に出場し11ゴールを上げ、同国のワールドカップ初出場に大きく貢献したが、アフリカネイションズカップでは代表監督のスティーヴン・ケシ監督と激しく対立し1ゴールも上げられないままグループリーグで敗退。新監督にオットー・フィスターを迎えて臨んだワールドカップでもチームはグループGを突破できず、自身もノーゴールのまま大会を去っている。

2006-07シーズンは長くチームを牽引してきたデニス・ベルカンプが引退、ホセ・アントニオ・レジェスがレアル・マドリードに移籍し、アンリのパートナーの筆頭に上げられ躍進が期待されたが、当のアンリが度重なる故障で欠場が多く、ワントップやロビン・ファン・ペルシとのツートップでの出場が主で、自身も精彩を欠いた。司令塔であるセスク・ファブレガスが成長を遂げポゼッションサッカーを機能させるチームにあってFW最多の29試合に出場しながら8ゴールに終わり、二年連続リーグ4位に終ったチームで存在感を示したとは言いがたいシーズンとなった。

不動のエースだったアンリがFCバルセロナに移籍した2007-08シーズン、9月22日に対ダービー・カウンティ戦でアーセナルでの初ハットトリックを決める順調な滑り出しだったが、その後の9月27日ウェストハム・ユナイテッド戦からはカップ戦を含めて8試合ノーゴールと伸び悩んだ。しかし11月12日レディングFC戦で得点して以降はコンスタントにゴールを重ね、クリスティアーノ・ロナウドマンチェスター・ユナイテッド)やフェルナンド・トーレス(リヴァプール)と得点王を争い、最終的にプレミア2位タイの24ゴールを記録した。

2008-09シーズンは負傷もありプレミアリーグでは27試合の出場、前年の半分以下の10ゴールに終わったが、チャンピオンズリーグでは準々決勝のビジャレアルCF戦でバイシクルシュートを決めるなど5位タイの5ゴールを挙げ、アーセナルのベスト4入りに貢献した。これらの活躍により、トーゴの選手として初めてアフリカ年間最優秀選手に選出された。2007-08シーズンの活躍後からACミランなどのビッグクラブからオファーを受けていたが、2009年7月19日マンチェスター・シティへ移籍金2500万ポンドの5年契約で移籍した。

マンチェスター・シティ [編集]

シティでのアデバヨール

シティでのデビュー戦となったブラックバーン・ローヴァーズFC戦で移籍後初得点を記録。9月12日の古巣アーセナル戦では決勝点を挙げたものの、元同僚のロビン・ファン・ペルシの頭部を踏みつけ、得点後には反対のゴール裏のアーセナルサポーターの前まで走って行き挑発的な態度を取ったことから非難された。アデバヨールはこれを受け3試合の出場停止を課された。

2010年4月12日、後述するアフリカネイションズカップ2010におけるトーゴ代表襲撃事件の経験から、トーゴ代表引退を表明した[1]

2010-11シーズンはカルロス・テベスマリオ・バロテッリに次ぐFWの3番手となり、出場機会が減少。前半戦は8試合の出場と1得点に留まった。さらに冬の移籍市場でVfLヴォルフスブルクからエディン・ジェコを獲得。そのためアデバヨールは2011年1月25日に出場機会を求め、ゴンサロ・イグアインの負傷によりFWを探していたレアル・マドリードへ買取りオプション付きでレンタル移籍した。

レアル・マドリード [編集]

1月30日CAオサスナ戦に途中出場しレアル・マドリードでのデビューを果たすと、2月3日セビージャFCとのコパ・デル・レイ準決勝2ndレグで移籍後初得点を記録。その週末のソシエダ戦ではスペインでの初得点を挙げた。

3月23日にはアフリカネイションズカップ予選のマラウイ戦(3月26日)に向けてトーゴ代表に招集された[2]が、その後代表復帰を否定した[3]

しかしカリム・ベンゼマが好調であったためコンスタントな出番は得られず、最終節のUDアルメリア(この時最下位ですでに降格が決まっていた)戦でハットトリックを決めたものの14試合で5得点と物足りない成績に終わった。また、FCバルセロナとのエル・クラシコでのラフプレーが各方面からの非難を集め結局完全移籍には至らずシーズン終了後にシティに復帰した。

トッテナム [編集]

シティ復帰後もセルヒオ・アグエロの加入もあって控えFWという立場に変わりはなく、夏の北米ツアーにも帯同できなかった。出場機会を求めて2011年8月25日トッテナム・ホットスパーFCへレンタル移籍。33試合で17得点の活躍を見せ、2012年8月21日に完全移籍が決まった。

11月10日、1年7ヶ月ぶりにトーゴ代表に復帰することが発表された[4][5]

特徴 [編集]

  • ナイジェリア代表FWのヌワンコ・カヌを尊敬する選手として挙げている。そのため背番号も彼がつけていたものを好んでつける(代表では彼が好んでつけていた4番、マンチェスター・シティでは彼がアーセナル在籍時につけていた25番)。190cmを超える長身に細身の体、足元の柔らかさと共通点も多い。そのためメディアでは、「ヌワンコ・カヌの再来」と騒がれている。

人物・エピソード [編集]

  • マンチェスター・シティ時代のチームメイトで、同じくアーセナルにも共に在籍した経験があるパトリック・ヴィエラを「兄弟のようで、父親のようでもある」と尊敬している[6]
  • モデルのようなスマートな体系と端正なルックスの持ち主であり、女性に人気がある。
  • 中田浩二がリーグ・アン在籍中に、「これは止められないなと思った選手」について聞かれた際に「アデバヨール」と答えている。
  • アーセナルからマンチェスター・シティに移籍して初めてのアーセナル戦で、古巣での仲間であったロビン・ファン・ペルシの頭部(目から数センチの位置)をスパイクで踏みつけた事、更には自らが得点を決めた際にわざわざゴールとは逆方向のアーセナルサポーターの正面まで全力でピッチを走って戻った上で、手を大きく広げ得点した喜びを表すという、挑発的な行為で物議を醸した。イングランドに限らず古巣を相手にゴールを決めた場合は、ゴール後のパフォーマンスは自重するのが暗黙の了解と言う事もあり、以降アデバヨールは多くのグーナーから嫌悪される選手となってしまった。アデバヨールは「試合前のウォーミングアップで家族を侮辱する言葉をアーセナルサポーターから受けた。更に試合前にアーセナルの一部選手が挨拶を拒否した事によって反射的に起こしてしまった行動だった」と語っている。この件に関してFAはファン・ペルシへの暴力行為に対して3試合出場停止、相手サポーターへの挑発行為に対して執行猶予付き出場停止2試合(2010年12月までに同様の行為を起こした場合施行)と2万5000ポンドの罰金という重い処分を下した。なおこの挑発行為によりスタンドの一部が激発し、数名の警備員が負傷した。
  • 2010年4月24日エミレーツスタジアムで行われたリーグ戦で、こちらもかつてアーセナルに在籍していたパトリック・ヴィエラと入れ替わりで出場し、ボールを触る度に大ブーイングを浴びている(一方ビエラは交代する際、アーセナルサイドからも大きな拍手で讃えられていた)。
  • アフリカネイションズカップ2010にトーゴ代表の主将として参加予定だったが、1月8日にチームのバスが開催地のアンゴラカビンダで反政府ゲリラ組織(FLEC)にマシンガンで銃撃され、同チームのコーチと広報担当の2名が死亡、選手2名を含む数名が負傷した。同乗していたアデバヨールは無傷であったが、バスが止められ30分間銃撃されたこと、自分達が必死で座席の下に隠れたこと、仲間の1人が泣き叫び死んでいったこと、できたのは神に「助けて下さい」と祈ることだけだったことなどを、証言している[7]。 トーゴ代表はトーゴ政府の指示により1月10日に帰国。トーゴのスポーツ大臣は3日間喪に服してから大会へ参加できるように要請し、選手の中には試合日程の変更を希望する者もいたが、アフリカサッカー連盟(CAF)は1月11日のガーナ戦に現れなかったトーゴ代表について失格処分を発表した。この処分について、アデバヨール本人は怒りのコメントを発している。[8]

所属クラブ [編集]

スペインの旗 レアル・マドリード (loan) 2011
イングランドの旗 トッテナム・ホットスパーFC (loan) 2011-2012
  • イングランドの旗 トッテナム・ホットスパーFC 2012-

タイトル [編集]

クラブ [編集]

個人 [編集]

脚注 [編集]

外部リンク [編集]



この項目は、ウィキプロジェクト サッカー選手の「テンプレート」を使用しています。