フレデリック・カヌーテ

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フレデリック・カヌーテ Football pictogram.svg
Frederic Kanoute 2008.jpg
名前
本名 フレデリック・ウマル・カヌーテ
Frédéric Oumar Kanouté
愛称 フレディ
ラテン文字 Frédéric Kanouté
基本情報
国籍 マリ共和国の旗 マリ
フランスの旗 フランス
生年月日 1977年9月2日(36歳)
出身地 フランスの旗 ローヌ県サント=フォワ=レ=リヨン
身長 192cm
体重 82kg
選手情報
ポジション FW
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1997-2000
2000-2003
2003-2005
2005-2012
2012-2013
フランスの旗 リヨン
イングランドの旗 ウェストハム
イングランドの旗 トッテナム
スペインの旗 セビージャ
中華人民共和国の旗 北京国安
58 0(9)
84 (29)
60 (14)
209 (88)
10 0(1)
代表歴
1998-2001
2004-2010
フランスの旗 フランス U-21
マリ共和国の旗 マリ
16 (11)
39 (23)
1. 国内リーグ戦に限る。2013年3月6日現在。
テンプレート(ノート 解説)サッカー選手pj

フレデリック・ウマル・カヌーテFrédéric Oumar Kanouté, 1977年9月2日 - )は、フランスローヌ県サント=フォワ=レ=リヨン出身の元サッカー選手マリ代表であった。現役時代のポジションFW。2007年にアフリカ以外で生まれた選手で初めてアフリカ年間最優秀選手賞を受賞した。

カヌーテはオリンピック・リヨンでキャリアを始め、2000年にウェストハム・ユナイテッドFCへ移り、同じロンドンを拠点とするライバルのトッテナム・ホットスパーに在籍した。その後、スペインに渡りセビージャFCに加入すると2006年, 2007年のUEFAカップを始め欧州と国内の舞台で幾つものタイトルを獲得し、さらにクラブの外国人最多得点記録を更新した。

代表では、U-21フランス代表に出場していたにもかかわらず、その後マリ代表として2004年、2006年、2010年のアフリカネイションズカップに参加した。

経歴[編集]

クラブ[編集]

オリンピック・リヨン

フランス人の母とマリ人の父の下でローヌ県サント=フォワ=レ=リヨンに生まれたカヌーテは、地元のオリンピック・リヨンの下部組織で育ち、1997年にインタートトカップポーランドオドラ・ウォジスワフ英語版戦でトップチームデビューし、同年8月2日のFCメス戦でリーグデビュー、RCストラスブール戦で初得点を挙げたが、同リーグで3度得点王のタイトルを獲得したFWソニー・アンデルソンや経験豊かなFWアラン・カヴェリア英語版などが在籍していたため出場機会は少なかった。

ウェストハム・ユナイテッドFC

2000年3月にイングランド・プレミアリーグウェストハム・ユナイテッドFCにレンタル移籍し、デビュー戦では決勝点を決めた。その活躍がハリー・レドナップ監督に認められ同年夏に完全移籍すると、イタリア人FWパオロ・ディ・カーニオとコンビを組み、2000-01シーズン2001-02シーズンは連続して11得点を挙げるなど、3シーズンでリーグ戦84試合に出場して29得点を挙げた。クラブは2002-03シーズンの不振により2部に降格したが、その活躍からアストン・ヴィラFCなどが獲得に関心を示した。

トッテナム・ホットスパーFC

カヌーテのスピードと得点感覚がトッテナム・ホットスパーFCグレン・ホドル監督の関心を引き、2003年夏に移籍金350万ポンドで移籍した。デビュー戦のエヴァートンFC戦ではアクロバティックなボレーシュートを決めるなど才能を見せるも、コンビを組むロビー・キーンジャーメイン・デフォーなどの存在からチームトップの得点を挙げることは出来ずにいたが、2004-05シーズンにはUEFAカップ出場権を獲得した。2005年1月にミド、夏にディミタール・ベルバトフが加入したために居場所がなくなり、移籍を決意した。

セビージャFC
セビージャでプレーするカヌーテ

2005年8月17日レアル・マドリードへ去ったジュリオ・バチスタの後釜として移籍金650万ユーロ(約440万ポンド、約9億円)でリーガ・エスパニョーラセビージャFCに移籍した[1]。8月28日のラシン・サンタンデール戦でデビューし、2005-06シーズンはリーグ戦でフォワード陣最多の32試合に出場した。同シーズンのUEFAカップ2005-06英語版ではチーム最多の6得点と素晴らしい活躍を見せ、決勝のミドルスブラFC戦では足の負傷からベンチスタートだったが[2]89分に駄目押しとなる4点目を決めて優勝に貢献した[3]

2006年夏のスーペルコパ・デ・エスパーニャではFCバルセロナ相手に得点を奪って3-0でのタイトル獲得に貢献した。2006-07シーズンは持病の恥骨炎に苦しめられたが、リーグ戦では得点王争いに参加し、最終的には21得点を挙げてチームの3位躍進に貢献した。コパ・デル・レイでは決勝でヘタフェCFと対戦したが、自身の得点により1-0で勝利して優勝を決め[4]UEFAカップ2006-07英語版では準々決勝の古巣トッテナム戦でホームのサンチェス・ピスフアン、アウェーのホワイト・ハート・レーンと1得点ずつ挙げ2試合合計4-3で準決勝進出に貢献[5]。決勝戦では前年度同様に得点を挙げて2連覇に貢献[6]。また、この2連覇はレアル・マドリード以来の快挙だった[7]。クラブや代表での活躍が認められ、チェルシーFCのFWディディエ・ドログバなどを抑えて2007年のアフリカ年間最優秀選手に選出された。ヨーロッパ生まれの選手が同賞を受賞するのは初めてである。

2008-09シーズンは中盤戦以降に爆発し、2009年2月から4月にかけて8試合で11得点を決めるとともに、レアル・バリャドリード戦ではハットトリックを達成した。このシーズンにはFWダヴォール・シュケルが保持していたクラブの外国人最多得点記録(90点)を更新した。2009年4月2日、クラブとの契約を2年間延長した[8]2010-11シーズンは怪我に悩まされ、チーム事情によりボランチとしてプレーしたこともあり26試合で僅か4得点2アシストに終わった。

北京国安

2012年6月29日中国スーパーリーグ北京国安足球倶楽部に1年半の契約で移籍した[9]。同年7月18日にFAカップ青島中能足球倶楽部戦で移籍後初得点を含む2得点を挙げた。

代表[編集]

オリンピック・リヨン在籍時にU-21フランス代表に選ばれた[10]。2004年にFIFAは代表に関する規則を改正し、両親が生まれた国でも出場できるようになったため、父親の母国であるマリ代表に招集され、同年1月15日のアルジェリアとの親善試合でデビューした。その後すぐに開幕したアフリカネイションズカップ2004に出場し、グループリーグのケニア戦とブルキナファソ戦、準々決勝のギニア戦で計4得点を挙げて得点王になり、準決勝でモロッコに敗れたがベスト4に躍進した。2007年、アフリカネイションズカップ2008トーゴに勝利した後、チームメイトのFWママディ・シディベ英語版とともに逆恨みしたトーゴファンに襲撃される事件があった[11]アフリカネイションズカップ2010敗退後に代表引退を表明した[12]

人物[編集]

妻との間に3人の子どもがいる。

20歳頃からイスラム教を信仰しており、セビージャFCがユニフォームの胸スポンサーとしてネットカジノサイトである888.comと契約した際には、クルアーンの教えに反するとしてスポンサー名が入ったユニフォームの着用を拒否し、ひとりだけスポンサー名なしのユニフォーム[13]を着用して試合に臨んだ。その後、自分が設立した慈善団体にスポンサー料の一部を寄付させることを条件に、ロゴが隠されていないユニフォームを着用するようになった。2007年には70万ドル以上の費用を出してセビージャ市内のモスクを買い取った[14]

2009年1月7日コパ・デル・レイデポルティーボ・ラ・コルーニャ戦で得点後にユニフォームをめくり、多数の言語で「パレスチナ」と書かれた黒色のTシャツを観衆に見せ、イスラエルガザ侵攻への抗議の意を示した[15]スペインサッカー連盟は試合中のいかなる政治的活動も認めていないため、カヌーテは3000ユーロ(約4,000ドル)の罰金を命じられた[16][15]

所属クラブ[編集]

イングランドの旗 ウェストハム・ユナイテッドFC (loan) 2000.3-2000.5

個人成績[編集]

2013年8月11日時点
クラブ成績 リーグ カップ リーグ杯 国際大会 通算
シーズン クラブ リーグ 出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
フランス リーグ フランス杯 リーグ杯 ヨーロッパ 通算
1997–98 リヨン リーグ・アン 18 6 1 0 0 0 11 2 30 8
1998–99 9 2 0 0 0 0 2 1 11 3
1999–00 13 1 0 0 2 0 2 0 17 1
イングランド リーグ FAカップ FLカップ ヨーロッパ 通算
1999–00 ウェストハム プレミアリーグ 8 2 0 0 0 0 0 0 8 2
2000–01 32 11 4 3 3 0 0 0 39 14
2001–02 27 11 1 1 0 0 0 0 28 12
2002–03 17 5 0 0 0 0 0 0 17 5
2003–04 トッテナム 27 7 1 3 3 2 0 0 31 12
2004–05 32 7 5 0 4 2 0 0 41 9
2005–06 1 0 0 0 0 0 0 0 1 0
スペイン リーグ 国王杯 リーグ杯 ヨーロッパ 通算
2005–06 セビージャ リーガ・エスパニョーラ 32 6 2 2 - 12 7 46 15
2006–07 32 21 5 4 - 11 5 48 30
2007–08 30 16 2 4 - 10 6 42 25
2008–09 34 18 6 2 - 2 2 42 23
2009–10 27 12 4 1 - 7 2 38 15
2010–11 28 12 4 3 - 7 5 28 16
2011–12 26 4 0 0 - 0 0 26 4
中国 リーグ FA杯 リーグ杯 アジア 通算
2012 北京国安 中国スーパーリーグ 10 1 2 2 - 0 0 12 3
2013 17 9 0 0 - 8 1 25 10
通算 フランス 40 9 1 0 2 0 15 3 58 12
イングランド 144 43 11 7 10 4 0 0 165 54
スペイン 209 89 23 16 - 49 27 281 132
中国 10 1 2 2 - 0 0 13 3
総通算 403 142 37 25 12 4 64 30 517 201

タイトル[編集]

クラブ
スペインの旗 セビージャFC
個人

脚注[編集]

  1. ^ セビージャ、カヌーテを獲得”. UEFA.com (2007年8月17日). 2007年10月27日閲覧。
  2. ^ "セビージャ移籍が報われたカヌーテ"
  3. ^ "セビージャが歓喜の初優勝"
  4. ^ カヌーテの1点でセビージャが3冠”. UEFA.com (2007年6月23日). 2011年1月27日閲覧。
  5. ^ "セビージャの攻撃を自賛するカヌーテ"
  6. ^ "セビージャ、PK戦を制して連覇"
  7. ^ "セビージャ、UEFAカップ連覇の鍵は冷静さ"
  8. ^ カヌーテがセビージャとの契約を2年延長”. UEFA.com (2009年4月2日). 2011年1月27日閲覧。
  9. ^ "Kanoute leaves Sevilla for Beijing Guoan"
  10. ^ Rob Hughes (2004年1月14日). “The call of Africa causes loud debate”. International Herald Tribune. 2006年5月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2006年7月23日閲覧。
  11. ^ "Caf to discuss Togo attacks"BBC Sport、2007年10月15日
  12. ^ "Kanoute retires after Mali exit"BBC Sport、2010年1月21日
  13. ^ スポンサーロゴを覆い隠している
  14. ^ Devout worshipper”. BBC (2007年12月12日). 2007年12月12日閲覧。
  15. ^ a b Kanoute faces T-shirt fine”. BBC (2011年1月25日). 2009年5月8日閲覧。
  16. ^ セビージャのカヌーテ、シャツにパレスチナ支援メッセージで罰金”. スポーツナビ (2009年1月10日). 2009年1月10日閲覧。

外部リンク[編集]