錦織圭
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錦織圭 |
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|---|---|---|
| 基本情報 | ||
| ラテン文字名 | Kei Nishikori | |
| 国籍 | ||
| 出身地 | 同・島根県松江市 | |
| 居住地 | アメリカ・フロリダ州 | |
| 生年月日 | 1989年12月29日(19歳) | |
| 身長 | 178cm | |
| 体重 | 70kg | |
| 利き手 | 右 | |
| バックハンド | 両手打ち | |
| ツアー経歴 | ||
| デビュー年 | 2007年 | |
| ツアー通算 | 1勝 | |
| シングルス | 1勝 | |
| ダブルス | 0勝 | |
| 4大大会最高成績・シングルス | ||
| 全英 | 1回戦(2008) | |
| 全米 | 4回戦(2008) | |
| 4大大会最高成績・ダブルス | ||
| キャリア自己最高ランキング | ||
| シングルス | 56位 | |
| ダブルス | 551位 | |
錦織 圭(にしこり けい, 1989年12月29日 - )は、島根県松江市出身の男子プロテニス選手。IMGニック・ボロテリー・テニスアカデミー所属。開星中学校 → 青森山田高校通信制課程東京校2年生に在籍している。身長178cm、体重70kg。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。これまでにATPツアーでシングルス1勝を挙げている。また、遠縁ではあるが母方筋の親戚に俳優の渡哲也・渡瀬恒彦兄弟がいる[1]。
目次 |
[編集] 選手経歴
[編集] 2006年まで
5歳からテニスを始め、2001年に「全国小学生テニス選手権」で優勝。2003年に渡米し、IMGニック・ボロテリー・テニスアカデミーに日本テニス協会会長・盛田正明が運営する「盛田正明テニス・ファンド」の奨学金で留学する。以降アメリカ合衆国フロリダを活動拠点としている。2003年の「オレンジボウル選手権」(世界ジュニアサーキットグループA公認大会)14歳以下の部で準優勝。2006年全仏オープン男子ジュニアダブルス部門で、錦織はエミリアノ・マサ(アルゼンチン)とペアを組み、日本男子史上初の4大大会ジュニアダブルス優勝の快挙を果たした。なおこの大会では男子ジュニアシングルスでも8強に入っている。また、男子シングルス決勝に進んだラファエル・ナダル(スペイン)の決勝前日の練習相手に仮想ロジャー・フェデラー(スイス)として指名され話題を呼んだ。
[編集] 2007年
3月にマイアミで行われたマイアミ・マスターズのダブルスに、主催者推薦で元シングルス世界ランク1位のグスタボ・クエルテン(ブラジル)と組んでツアー初出場。また、同大会のジュニア部門として開催されているルキシロンカップに第4シードで出場し、決勝でマイケル・マクルーン(Michael McClune)を6-7(2-7)、6-4、6-1で破り優勝、またこのマイアミの直前と期間中の約1週間、ロジャー・フェデラーの練習相手を務めた。7月にインディアナポリスで行われた「RCA選手権」で、日本人男子最年少のATPツアー8強に入り、世界ランキング27位のドミトリー・ツルスノフ(ロシア)と対戦した。全米オープンは予選2回戦で敗退。10月、AIGジャパン・オープンでプロデビューを果たすが、この大会はシングルス1回戦で敗退した。
[編集] 2008年
2月17日、錦織はアメリカ・フロリダ州デルレイビーチでの「デルレイビーチ国際選手権」で予選から勝ち上がると、初進出の決勝で当時世界ランキング12位、第1シードのジェームズ・ブレーク(アメリカ)を 3-6, 6-1, 6-4 で破り、ツアー初優勝を達成した。日本人男子選手のATPツアー制覇は、1992年4月に「韓国オープン」を制覇した松岡修造以来16年ぶり2人目の快挙となった。
4月に男子国別対抗戦デビスカップ「アジア・オセアニアゾーン」の「グループ1」2回戦で、日本はインドと対戦し、日本男子のトップに立った錦織が初めて日本代表に選出された。4月28日、錦織は世界ランキングで99位に浮上し、日本男子としては1996年8月まで2けた順位だった松岡修造以来の世界ランキング100位以内に入った。
全仏オープンでは予選2回戦で敗退するが、ウィンブルドン前哨戦のアルトワ選手権では3回戦まで進出し、当時世界ランク2位のラファエル・ナダル(スペイン)と対戦、4-6, 6-3, 3-6と負けはしたものの、ナダル相手に1セットを奪う健闘を見せる(試合後、ナダルは「彼は数年後には世界ランク10位、いや5位に食い込んでくるだろう」とコメントしている)。ウィンブルドンで初のグランドスラム本戦ストレートイン(直接出場)を果たす。マルク・ジケル(フランス)との1回戦では、1セット・オールから腹筋の痛みを訴え、途中棄権による敗退となった。[2]
6月末には、かねてから日本テニス協会が申請していた北京オリンピック推薦枠での出場が認められ、オリンピック初出場を決めた。男子シングルスの日本人出場は、アトランタオリンピックの松岡修造以来12年振りとなる。[3]オリンピックでは、1回戦でライナー・シュットラー(ドイツ)に、4-6, 7-6, 3-6 で敗退した。しかしこのとき、第2セットを一時0-5とされながらもセットを取る、という驚異の粘りを見せた。
全米オープンでは世界ランク32位、第29シードのフアン・モナコ(アルゼンチン)を途中インジャリータイムをとりながらも6-2, 6-2, 5-7, 6-2で破り、2005年の鈴木貴男以来の日本人4大タイトル一回戦突破となった。続く2回戦はロコ・カラヌシッチ(クロアチア)を相手に2セット先取の後に相手選手棄権で突破、日本人では神和住純以来の男子シングルスでの3回戦進出となった。3回戦では当時世界ランク4位のダビド・フェレール(スペイン)を相手に6-4, 6-4で2セット先取、その後4-6, 2-6と2セットを挽回されるが、第5セットを7-5で奪い、勝利を挙げた(錦織は、試合後に「自分の体力を考慮し第4セットは捨てた」と語っている)。日本人では1937年の山岸二郎・中野文照以来(当時は全米プロとアマチュア用の全米オープンで分かれていたので完全にオープン化してからは日本人初)の男子シングルスでの4回戦進出となった[4]。しかしベスト8をかけて戦った4回戦では、アルゼンチンの新鋭、19歳のフアン・マルティン・デル・ポトロに3-6, 4-6, 3-6とストレートで敗北し、95年の松岡修造以来となるグランドスラムベスト8入りを逃した。
その後、日本に凱旋帰国した錦織は、AIGオープンに出場、1回戦でランキング102位のロバート・ケンドリック(アメリカ)を7-6(3), 6(5)-7, 6-2のフルセットで、2回戦でランキング60位のギレルモ・ガルシア=ロペス(スペイン)を6-4, 6-4のストレートで破り、今大会2回目の出場にして初めて3回戦に進出。3回戦ではフランスの世界ランク13位リシャール・ガスケと対戦。試合後のインタビューで「(相手を)尊敬し過ぎていた」と語るほど[5]終始相手に圧倒される展開となり、1-6, 2-6と大敗を喫した。翌週に出場したストックホルム・オープンでは棄権を考えたほどの連戦の疲労から1~2回戦共に不安定な試合運びを余儀なくされたものの、3回戦では対戦相手のマリオ・アンチッチ(クロアチア)が試合前に棄権する幸運にも助けられベスト4に進出。
[編集] 2009年
全豪オープンは一回戦で第31シードユルゲン・メルツァーに敗退(5-7, 2-6, 1-6)したが、大会後に発表された2月2日付のランキングでは自己最高となる56位を記録した。 2008年度のATPワールドツアー最優秀新人賞(Newcomer of the Year)を受賞。なおこの賞はATPツアーに参加している全選手の投票による。 5月、右ひじの疲労骨折が判明し、6月開幕のウィンブルドン選手権を欠場。8月開幕の全米オープンでの復帰を目指している。
[編集] プレースタイル
威力としなやかさを兼ね備えたストローク、俊敏なフットワークを持つグラウンドストローカー。フォアハンド・ストロークの高い完成度はロジャー・フェデラーと比較されることもあり、コンパクトなテイクバックから強烈なハードヒット,鋭いライジングの切り返し、ドロップショットやスライスなどの繊細なタッチショットを精密なコントロールで打ち分けるため決定力が高い。バックハンド・ストロークも強打・ライジング共に安定していて強力なジャック・ナイフを繰り出す事もある。フットワークが優れているため守備範囲も広く、ネットに迫る相手に対して華麗なパッシングショットをしばしば決める。 ダビド・フェレールに勝つなどしばしば大物食いが話題になるが、その反面、集中力を切らしたようにミスを連発する場面も度々見られる。メンタル面の強化を通した、精神的安定が今後の鍵となる。 サービスはコントロール重視で、ツアーで戦っていくには威力不足気味だったが、最近は速度・回転量ともに徐々に改善されてきており、トッププロがしのぎを削るツアーでも通用するものへと次第に変化してきている。ただし、依然としてトッププロ相手の試合では頻繁にサービスブレイクされるシーンが目立つため、さらに上位を狙っていくためにはサービスゲームでの安定感を高めることが求められている。このところ一番の課題は体力で、腹筋や肘を故障し大会を棄権することが多い。そのため、全力を出し切れない状況を強いられることもあり、大会での成績はあまり安定していない。 2008年の全米オープンで活躍したのをきっかけとしてマスコミの注目度が高まり、国内のテニスファンからの過剰な期待を背負わされているのが現状である。キャリア初期の彼にとって、この注目度の高まりとどう付き合っていくかも大きな課題となっている。
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ウェア・シューズ(アディバリケード 5 AC )はアディダス、ラケットはウイルソン([K] TOUR 95)、ストリングスはハイブリッド張りで、メインにルキシロン・アルパワーフローロ、クロスにウィルソン・ナチュラルを55lbs前後で張っている。ウェアはソニーと日清食品がロゴスポンサーを務めている。
[編集] その他・エピソード
- 好きな有名人は、くりぃむしちゅー。
- テニス以外でやっていたスポーツはサッカーで小学校の1年生から6年生までは本格的にやっていた。
- 今でもサッカーが好きでテニスボールでリフティングをするのが得意である。
- 尊敬する人物としてロジャー・フェデラーを挙げている。
[編集] 脚注
- ^ 日刊スポーツ (2008年8月10日). "渡哲也と錦織圭は親せきだった". 2008年10月4日 閲覧。
- ^ AFPBB News (2008年6月24日). "錦織 四大大会デビューは途中棄権". 2008年10月4日 閲覧。
- ^ ロイター (2008年6月29日). "五輪=男子テニスの錦織が北京切符を獲得、国際テニス連盟推薦枠で". 2008年10月4日 閲覧。
- ^ 日経ネット (2008年8月30日). "錦織、71年ぶり4回戦進出 全米テニス". 2008年10月4日 閲覧。
- ^ AIGオープンニュース (2008年10月2日). "男子シングルス3回戦 リシャール・ガスケ(フランス) vs 錦織 圭(ソニー)". 2008年12月11日 閲覧。
[編集] 外部リンク
- 錦織 圭 公式サイト
- 錦織圭 - ATPツアーのプロフィール(英語)
- デビスカップ成績表

