錦織圭

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錦織圭
Kei Nishikori.jpg
錦織圭
基本情報
ラテン文字名 Kei Nishikori
国籍 日本の旗 日本
出身地 島根県松江市
居住地 アメリカ・フロリダ州
生年月日 1989年12月29日(22歳)
身長 178cm
体重 70kg
利き手
バックハンド 両手打ち
ツアー経歴
デビュー年 2007年
ツアー通算 1勝
シングルス 1勝
ダブルス 0勝
4大大会最高成績・シングルス
全豪 ベスト8(2012)
全仏 2回戦(2010・11)
全英 1回戦(2008・10・11)
全米 4回戦(2008)
4大大会最高成績・ダブルス
全仏 2回戦(2011)
全英 2回戦(2011)
キャリア自己最高ランキング
シングルス 17位(2012年2月20日)
ダブルス 181位(2011年11月7日)
2012年1月30日現在

錦織 圭(にしこり けい、1989年12月29日 - )は、島根県松江市出身の男子プロテニス選手。IMGニック・ボロテリー・テニスアカデミー所属。開星中学校青森山田高等学校を卒業している。身長178cm、体重70kg。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。

ATPランキング自己最高位はシングルス17位、ダブルス181位。これまでにATPツアーでシングルス1勝を挙げている。

目次

[編集] 選手経歴

[編集] ジュニア時代

5歳からテニスを始め、2001年全国小学生テニス選手権大会で優勝。2003年IMGニック・ボロテリー・テニスアカデミー日本テニス協会会長・盛田正明が運営する「盛田正明テニス・ファンド」対象選手となり留学するため渡米。以降アメリカ合衆国フロリダを活動拠点としている。

2003年は「オレンジボウル選手権」14歳以下の部で準優勝。2004年には男子ジュニア国別対抗戦のジュニア・デビス・カップ三橋淳喜多文明と共に日本代表として出場。前年大会では11位だった日本を過去最高の5位入賞に押し上げた。2005年には10月の世界スーパージュニアテニス選手権大会ジェレミー・シャーディとの準決勝まで進出。この大会では三橋淳と組んで出場したダブルスでも準決勝まで進出し単複ベスト4の成績を収めた。

2006年ピーター・ポランスキー(カナダ)と組んで出場した1月の全豪オープン男子ジュニアダブルスでベスト4進出の好成績を収めるとエミリアノ・マサ(アルゼンチン)と組んで出場した6月の全仏オープン男子ジュニアダブルス部門で、日本男子史上初の4大大会ジュニアダブルス優勝の快挙を果たした。なおこの大会では男子ジュニアシングルスでも8強に入っている。また、この大会の男子シングルス決勝に進んだラファエル・ナダルスペイン)が、決勝前日の練習相手に仮想ロジャー・フェデラースイス)として錦織を指名し話題を呼んだ[1]。またこの年からジュニアサーキットと並行して本格的にシニア大会にも出場するようになり、この年はフューチャーズ大会で1優勝、2ベスト4の成績を収め、シングルス年度末ランキングを603位で終了。この時点で日本人選手10位につけており、既に日本トップ選手の一人となっていた。

[編集] 2007年

3月のマイアミ・マスターズのダブルスに、主催者推薦で元シングルス世界ランク1位のグスタボ・クエルテンブラジル)と組んでツアー初出場。また、同大会のジュニア部門として開催されているルキシロンカップに第4シードで出場し、決勝でマイケル・マクルーンを6-7(2), 6-4, 6-1で破り優勝、またこのマイアミの直前と期間中の約1週間、ロジャー・フェデラーの練習相手を務めた。4月にはアメリカヒューストン大会シングルス予選でツアーシングルス予選初出場。ここでは予選1回戦でトラビス・パロットに3-6, 5-7のストレートで敗れた。5月にはノーシードで出場したLAテニス・オープン・USTA男子チャレンジャーシングルスで自身初のチャレンジャー大会決勝進出を果たし準優勝。予選から出場した7月第2週のLAテニス・オープンシングルスでは見事予選を勝ち上がり自身初のツアーシングルス本選出場。ここでは1回戦でウェスリー・ムーディ(南アフリカ)と対戦し、3-6, 2-6のストレートで敗れた。更に翌週インディアナポリスで行われた「RCA選手権」シングルスでも予選勝ち上がりで本戦出場を果たし、1回戦でアレハンドロ・ファジャ(コロンビア)を6-4, 6-3で、2回戦でミヒャエル・ベラーを6-3, 3-6, 6-1のフルセットで下し、日本人男子史上最年少のATPツアーシングルスベスト8を決める。続く準々決勝では当時世界ランキング27位、大会第3シードののドミトリー・トゥルスノフロシア)と対戦し、1-6, 4-6のストレートで敗れた。この活躍により翌7月第4週のレッグ・メーソン・テニス・クラシックではシングルス本戦SEを与えられ本戦出場。2回戦のジュリアン・ベネトー戦まで進出した。8月には全米オープンでグランドスラム予選に初挑戦。ここでは予選2回戦でビョルン・ハウに2-6, 4-6のストレートで敗退。9月のチャイナ・オープンシングルスでも予選を勝ち上がり本戦出場。1回戦で当時世界ランク12位、大会第4シードのイワン・リュビチッチ(クロアチア)に3-6, 4-6のストレートで敗れた。同月29日に日本に帰国し記者会見を行い、翌10月1日付でのプロ転向を発表し、17歳9ヶ月でプロ転向[2]。翌10月のジャパン・オープンでプロデビューを果たすが、この大会はシングルス、添田豪と組んだダブルス共に1回戦で敗退した。

[編集] 2008年

2008年全米オープンにて

2月17日、錦織はアメリカ・フロリダ州デルレイビーチでの「デルレイビーチ国際テニス選手権」で予選から勝ち上がると、初進出の決勝で当時世界ランキング12位、第1シードのジェームズ・ブレークアメリカ)を 3-6, 6-1, 6-4 で破り、ツアー初優勝を達成した。日本人男子選手のATPツアー制覇は、1992年4月に「韓国オープン」を制覇した松岡修造以来16年ぶり2人目の快挙となった。

4月に男子国別対抗戦デビスカップ「アジア・オセアニアゾーン」の「グループ1」2回戦で、日本はインドと対戦し、日本男子のトップに立った錦織が初めて日本代表に選出された。4月28日、錦織は世界ランキングで99位に浮上し、日本男子としては1996年8月まで2けた順位だった松岡以来の世界ランキング100位以内に入った。

全仏オープンでは予選2回戦で敗退するが、ウィンブルドン前哨戦のアルトワ選手権では3回戦まで進出し、当時世界ランク2位のラファエル・ナダルスペイン)と対戦、4-6, 6-3, 3-6と負けはしたものの、ナダル相手に1セットを奪う健闘を見せる(試合後、ナダルは「彼は数年後には世界ランク10位、いや5位に食い込んでくるだろう。100%間違いない」とコメントしている[3])。ウィンブルドンで初のグランドスラム本戦ストレートイン(直接出場)を果たす。マルク・ジケルフランス)との1回戦では、1セット・オールから腹筋の痛みを訴え、途中棄権による敗退となった[4]

6月末には、かねてから日本テニス協会が申請していた北京オリンピック推薦枠での出場が認められ、オリンピック初出場を決めた。男子シングルスの日本人出場は、アトランタオリンピックの松岡以来12年振りとなる[5]。 オリンピックでは、1回戦でライナー・シュットラードイツ)に、4-6, 7-6, 3-6 で敗退した。しかしこのとき、第2セットを一時0-5とされながらもセットを取る、という驚異の粘りを見せた。

全米オープンでは世界ランク32位、第29シードのフアン・モナコアルゼンチン)を途中インジャリータイムをとりながらも6-2, 6-2, 5-7, 6-2で破り、2005年鈴木貴男以来の日本人4大タイトル一回戦突破となった。続く2回戦はロコ・カラヌシッチクロアチア)を相手に2セット先取の後に相手選手棄権で突破、日本人では神和住純以来の男子シングルスでの3回戦進出となった。3回戦では当時世界ランク4位のダビド・フェレールスペイン)を相手に6-4, 6-4で2セット先取、その後4-6, 2-6と2セットを挽回されるが、第5セットを7-5で奪い、勝利を挙げた(錦織は、試合後に「自分の体力を考慮し第4セットは捨てた」と語っている)。日本人では1937年山岸二郎中野文照以来(当時は全米プロとアマチュア用の全米オープンで分かれていたので完全にオープン化してからは日本人初)の男子シングルスでの4回戦進出となった[6]。しかしベスト8をかけて戦った4回戦では、アルゼンチンの新鋭、19歳のフアン・マルティン・デル・ポトロに3-6, 4-6, 3-6とストレートで敗北し、95年の松岡以来となるグランドスラムベスト8入りを逃した。

その後、日本に凱旋した錦織は、AIGオープンに出場、1回戦でランキング102位のロバート・ケンドリックアメリカ)を7-6(3), 6(5)-7, 6-2のフルセットで、2回戦でランキング60位のギリェルモ・ガルシア=ロペススペイン)を6-4, 6-4のストレートで破り、今大会2回目の出場にして初めて3回戦に進出。3回戦ではフランスの世界ランク13位リシャール・ガスケと対戦。試合後のインタビューで「(相手を)尊敬し過ぎていた」と語るほど[7] 終始相手に圧倒される展開となり、1-6, 2-6と大敗を喫した。翌週に出場したストックホルム・オープンでは棄権を考えたほどの連戦の疲労から1~2回戦共に不安定な試合運びを余儀なくされたものの、3回戦では対戦相手のマリオ・アンチッチクロアチア)が試合前に棄権する幸運にも助けられベスト4に進出。

[編集] 2009年

全豪オープンは一回戦で第31シードユルゲン・メルツァーに敗退(5-7, 2-6, 1-6)したが、大会後に発表された2月2日付のランキングでは自己最高となる56位を記録した。 2008年度のATPワールドツアー最優秀新人賞(Newcomer of the Year)を受賞。なおこの賞はATPツアーに参加している全選手の投票による。 5月、右ひじの疲労骨折が判明し、6月開幕のウィンブルドン選手権、8月開幕の全米オープンと連続して欠場した。また同8月には右肘の内視鏡手術を受け、残りのツアーを欠場。

[編集] 2010年

前年の怪我が長引き年初を棒に振り一時はランキングを失ったが、復帰後は下部大会で好成績を収め順調にランキングを回復。 4大大会では、プロテクトランキングを使用して全仏オープンに繰り上げでストレートインを果たし初出場。初戦でサンティアゴ・ヒラルドを2セットダウンからの逆転で下したあと、2回戦でノバク・ジョコビッチにストレートで敗れた。 全仏後はクイーンズの大会に出場したが、初戦でリシャール・ガスケに敗れた。 ウィンブルドンには主催者推薦で出場。優勝したナダルに初戦でストレート負けした。 その後全米オープンに予選から出場、見事に突破し2年ぶりの出場を果たし、2回戦で第11シードのマリン・チリッチを5-7, 7-6, 3-6, 7-6, 6-1で4時間59分の激闘の末破った。 東京で行われた楽天オープンでは初戦でビクトル・トロイツキに敗北した。

[編集] 2011年

2011年全豪オープンにて

ブラッド・ギルバートをトラベリング・コーチに迎え、15トーナメントに帯同する。1月3日にユニクロと契約。エアセル・チェンナイ・オープンから使用。1月17日から全豪オープンに出場。初戦で世界ランク58位のファビオ・フォニーニ(イタリア)を6-1, 6-4, 6-7(4), 6-4で下し、同大会初勝利をあげた。続く2回戦で世界ランク36位フロリアン・マイヤー(ドイツ)を6-4, 6-3, 0-6, 6-3で破り、日本男子では46年ぶりの3回戦進出を果たしたが、3回戦で第9シードのフェルナンド・ベルダスコ(スペイン)に2-6, 4-6, 3-6のストレートで破れた。2月に行われたSAPオープンでは第8シードで出場し、1回戦でヤン・ハジェク(チェコ)をストレートで下した。2月14日付の世界ランキングが発表され68位に浮上。デルレイビーチ国際テニス選手権にも出場し、2回戦で2008年決勝の相手であるジェームズ・ブレークと対戦し 6-3, 6-4 のストレートで下した。準々決勝でライアン・スウィーティング(米国)に 6-7, 6-2, 6-4で勝ち、2008年以来の準決勝進出をしたがヤンコ・ティプサレビッチ(セルビア)に 4-6, 4-6 で敗れ、決勝進出は逃した。

3月のソニー・エリクソン・オープンでは1回戦でジェレミー・シャーディ(フランス)に 7-6(5), 6-2 で勝利し、ATPワールドツアー・マスターズ1000大会の初勝利を挙げた。2回戦では3度目の対戦となったラファエル・ナダルに 4-6, 4-6 で敗れた。4月の全米男子クレーコート選手権では世界ランク11位のマーディ・フィッシュ(米国)を6-3, 6-2のストレートで、準決勝では第7シードのパブロ・クエバス(ウルグアイ)を6-3, 7-5のストレートで下し決勝進出したが、ライアン・スウィーティング(米国)に4-6, 6-7(3)で惜敗し、準優勝。ATPツアー2勝目は逃したが、自己最高ランクの48位に浮上した。バルセロナオープンでは3回戦でフェリシアノ・ロペスに敗れたが世界ランキングを自己最高の47位に浮上し、松岡修造が持つ日本人最高ランクの更新まで2と迫った。

全仏オープンでは1回戦で世界ランク56位の盧彦勲を6-1, 6-3, 6-4のストレートで勝利し、2年連続で2回戦へ駒を進めた。2回戦で第31シードのセルジー・スタホフスキー(ウクライナ)に1-6, 6-3, 3-6, 6-7(3)で敗れた。グランドスラムでは初出場のダブルスではマクシモ・ゴンサレスと組んだ1回戦は勝利したが、二回戦で第3シードのロハン・ボパンナ(インド)、アイサム・クレシ(パキスタン)組に7-6, 3-6, 4-6で敗れた。

デビス杯のウズベキスタン戦に2年ぶり出場。初日のシングルスは格下相手に1セットを落とすが勝利。2日目のダブルスは添田豪と組み、イストミン、イノヤトフ組を7-5, 7-6, 7-5で勝利。そして3日目のシングルスもエースのイノヤトフに6-7, 7-5, 6-4, 6-3で勝利し、入れ替え戦進出に大きく貢献した。入れ替え戦のインド戦でも招集され、シングルスの2試合に出場してともに勝ち日本のワールドグループ昇格に大きく貢献した。

10月に行われた上海オープンでは2回戦で世界ランク8位のジョー=ウィルフリード・ツォンガと対戦し2‐1で勝利。3回戦では同48位サンチアゴ・ヒラルドと対戦。接戦の末勝利し、松岡修造の持つ日本人最高ランクである46位を超えることが確実となると、10月17日に発表された世界ランキングでは30位にランクアップ、日本人男子選手最高を更新した[8]

11月にスイス・バーゼルで行われたスイス・インドアでは、1回戦で世界ランク7位のトマーシュ・ベルディハを、3-6, 6-3, 6-2の逆転で下し、先の上海オープンに続き世界トップ10選手に再び勝利。さらに準決勝では同1位のノバク・ジョコビッチを2-6, 7-6(4), 6-0で破る大金星を挙げ、ATPツアー3度目となる決勝進出。日本の男子選手がシングルスで世界ランキング1位の選手に勝利したのは史上初である[9]。決勝では地元スイスの英雄にして、兼ねてより熱望していたロジャー・フェデラーとの対戦が実現するも、1-6, 3-6で敗れ、準優勝となる。11月に2008年4月から所属契約を結んでいたソニーとの契約が終了した。

[編集] 2012年

今年度最初のブリスベン国際では2回戦で敗れたが、全豪オープンでは現行ランキング制度導入の1973年以降の四大大会で、日本人男子シングル選手として初めて上位32名に与えられるシード権を得て、第24シードとして大会に挑むこととなった[10]。前哨戦では世界ランク6位のジョー=ウィルフリード・ツォンガと同16位のアンディ・ロディックといった強豪相手に勝利。本大会では3回戦で同39位のジュリアン・ベネトー(30=フランス)に4-6, 7-6, 7-6, 6-3で勝利、続く4回戦でジョー=ウィルフリード・ツォンガを2-6, 6-2, 6-1, 3-6, 6-3のフルセットで破り、ベスト8に進出した。全豪で日本男子がベスト8入りしたのは、佐藤次郎布井良助以来80年ぶり、4大大会での日本男子のベスト8入りは、1995年のウィンブルドン選手権の松岡修造のベスト8以来17年ぶりである[11]。このベスト8入りはオーストラリアの地元紙のトップで報じられた[12]。準々決勝では世界ランク4位のアンディ・マレーに、3-6, 3-6, 1-6のストレートで敗れ、ベスト4入りは逃した。

混合ダブルスではクルム伊達公子とペアを組み、1回戦で昨年の全米オープンで準優勝したエドゥアルド・シュワンク、ヒセラ・ドゥルコ組を破ったが[13]、2回戦で敗退。

[編集] ATPツアー決勝進出結果

[編集] シングルス: 3回 (1勝2敗)

大会グレード
グランドスラム (0-0)
ATPワールドツアー・ファイナル (0-0)
ATPワールドツアー・マスターズ1000 (0-0)
ATPワールドツアー・500シリーズ (0-1)
ATPワールドツアー・250シリーズ (1-1)
サーフェス別タイトル
ハード (1-1)
クレー (0-1)
芝 (0-0)
カーペット (0-0)
結果 No. 決勝日 大会 サーフェス 対戦相手 スコア
優勝 1. 2008年2月17日 アメリカ合衆国の旗 デルレイビーチ ハード アメリカ合衆国の旗 ジェームズ・ブレーク 3–6, 6–1, 6–4
準優勝 1. 2011年4月10日 アメリカ合衆国の旗 ヒューストン クレー アメリカ合衆国の旗 ライアン・スウィーティング 4–6, 6–7(3)
準優勝 2. 2011年11月6日 スイスの旗 バーゼル ハード (室内) スイスの旗 ロジャー・フェデラー 1–6, 3–6

[編集] 4大大会シングルス成績

略語の説明
NH 開催なし A 欠場 LQ 予選敗退 #R #回戦敗退 QF ベスト8 SF ベスト4 F 準優勝 W 優勝
大会 2007 2008 2009 2010 2011 2012 通算成績
全豪オープン A A 1R A 3R QF 6–3
全仏オープン A LQ A 2R 2R 2–2
ウィンブルドン A 1R A 1R 1R 0–3
全米オープン LQ 4R A 3R 1R 5–3

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[編集] その他・エピソード

  • 錦織の姓の読みは全国的には「にしきおり」が多いが、島根県では「にしこおり」またはそれを略した「にしこり」が多い。
  • 遠縁ではあるが母方筋の親戚に俳優渡哲也渡瀬恒彦兄弟がいる[14]
  • テニス以外でやっていたスポーツはサッカーで小学校の1年生から6年生までは本格的にやっていた。今でもサッカーが好きでテニスボールリフティングをするのが得意であるという。
  • 好きな女性のタイプはタレントで言うと夏帆[15]

[編集] 脚注

  1. ^ テニスジャパン (2006年6月11日). “五輪=ナダル、決勝前の練習相手に錦織圭を!!錦織圭フレンチ・オプーンJR優勝。”. 2010年5月11日閲覧。
  2. ^ 日本テニス協会 (2007年9月29日). “錦織圭、プロ転向を宣言!”. 2010年5月11日閲覧。
  3. ^ Reuters (2008年6月12日). “Nadal tips Nishikori for world's top 10”. 2009年8月4日閲覧。
  4. ^ AFPBB News (2008年6月24日). “錦織 四大大会デビューは途中棄権”. 2008年10月4日閲覧。
  5. ^ ロイター (2008年6月29日). “五輪=男子テニスの錦織が北京切符を獲得、国際テニス連盟推薦枠で”. 2008年10月4日閲覧。
  6. ^ 日経ネット (2008年8月30日). “錦織、71年ぶり4回戦進出 全米テニス”. 2008年10月4日閲覧。
  7. ^ AIGオープンニュース (2008年10月2日). “男子シングルス3回戦 リシャール・ガスケ(フランス) vs 錦織 圭(ソニー)”. 2008年12月11日閲覧。
  8. ^ 錦織、日本男子史上最高30位「大きな一歩踏み出せた」 スポーツニッポン 2011年10月18日閲覧
  9. ^ 日本男子史上初!錦織、世界1位破り決勝へ…スイス室内 スポーツ報知 2011年11月7日閲覧
  10. ^ 錦織、全豪テニス第24シード/73年以降、日本男子初
  11. ^ 錦織が全豪テニス8強…四大大会で松岡修造以来 読売新聞 2012年1月23日閲覧
  12. ^ 「旭日の勢い」錦織をトップ報道/全豪テニスで地元紙
  13. ^ 錦織・クルム伊達組2回戦へ/全豪テニス第7日
  14. ^ 日刊スポーツ (2008年8月10日). “渡哲也驚いた錦織圭と親戚だった”. 2010年9月7日閲覧。
  15. ^ 『錦織圭 15‐0(フィフティーン・ラブ)』より

[編集] 外部リンク

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