三宅恵介

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三宅恵介
生誕 1949年2月5日(63歳)
東京都
国籍 日本の旗 日本
別名 三宅デタガリ恵介
民族 日本人
職業 フジテレビジョン役員待遇ゼネラルディレクター
テレビ番組 オレたちひょうきん族
森田一義アワー 笑っていいとも!
ライオンのごきげんよう」他
配偶者 あり
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三宅 恵介(みやけ けいすけ、1949年2月5日 - )は、株式会社フジテレビジョン役員待遇エグゼクティブディレクター。バラエティ番組のプログラムディレクター(チーフディレクター)、プロデューサーを務める。

実家は日本舞踊花柳流の舞踊家の家系で、父はテレビ草創期から歌謡番組の振り付けで活躍した花柳啓之(花柳糸之社中・花柳糸之の師)。実子は舞踊家の花柳輔蔵。兄は邦楽鳴物演奏家の西川啓光。姪(西川の実娘)は舞踊家の岩井梅我。

目次

[編集] 略歴

慶應義塾大学経済学部卒業。幼稚舎から慶應義塾で過ごす。

1971年に当時のフジポニー(フジテレビ制作子会社)に入社し、フジテレビに転籍。1975年より、萩本欽一総合司会のバラエティ番組「欽ちゃんのドンとやってみよう!」のスタッフとして本格的にバラエティ番組の製作に参加。この番組の中で、萩本からバラエティ製作・演出手法について様々な進言を受け、以後、三宅は萩本を「バラエティにおける師匠」として崇拝している。

「欽ドン!」以降、現在に至るまで、30年以上に渡りバラエティ番組制作一筋。明石家さんまの出演するほぼすべての番組に関与するほか、さんま主演のコメディードラマ「心はロンリー気持ちは「…」」シリーズの演出、近年では「ほぼ日刊イトイ新聞」の「おもしろ魂。」で糸井重里と対談をした縁がきっかけで「ほぼ日」が主催するイベントの演出も手掛けている。

人気バラエティ番組「オレたちひょうきん族」では、他のディレクターたちと共に「ひょうきんディレクターズ」と称して番組に出演。レコードまで発売した。ひょうきんディレクターズの中では唯一今も現場に立つ制作者である。

ひょうきんディレクターズ時代のクレジットは「三宅デタガリ恵介」。「デタガリ」の由来は、自分の手掛けている番組に出たがりだから。

1987年横澤彪プロデューサーの後を継いで「オレたちひょうきん族」のプロデューサーを担当することとなるが、「ひょうきん族」の終了後三宅は再びディレクター業務に専念することとなる。番組プロデュースは直属の後輩である加茂裕治が担当することが多かったが、「はやく起きた朝は…」など、三宅がプロデューサーを務める番組も存在した。ただし定年を迎え役員待遇となって以降はディレクターを担当することが少なくなり、再びプロデューサー・チーフプロデューサーを中心に担当している。

2008年12月20日には、日本テレビ「さんま&SMAP!美女と野獣のクリスマススペシャル」にフジテレビディレクターとしてVTR出演した。

[編集] 定年をめぐるエピソード

2009年2月に定年を迎えるということで、最後の大舞台として2008年度の『FNS27時間テレビ!! みんな笑顔のひょうきん夢列島!!』(7月26日・27日放送)の総合演出を務めた。

同番組の総合司会をさんまが19年ぶりに受けたのは、三宅の花道を飾るためという理由があったが、2008年7月1日にCSチャンネル(フジテレビ721・739・CSHD)で生放送された特番『フジテレビ721開局10周年大謝恩会』の中で、役員待遇ゼネラルディレクターに昇進したことが判明した。読売新聞のインタビュー記事[1]でも、このことについて言及されている。

役員待遇になると定年が2年延長されるため、さんまは同番組にてフジテレビ専務取締役(放送当時)太田英昭に「三宅をやめさせてくれ」と嘆願したが、太田は「今年度の人事がすでに決まっているため、来年に」とかわした。

この事は『27時間テレビ』本番当日27日のエンディングでビートたけしらに暴露され、憤慨したさんまは三宅を「ひょうきん懺悔室」送りにし、水を被った。

その際「2年後もまたお願いします」とオファーを出している。ただし、2年後に当たる2010年は『クイズ!ヘキサゴンII』をベースとした島田紳助司会の『超笑顔パレード 絆 爆笑!お台場合宿!!』が放送され、三宅は関わることができなかった。

ちなみに番組内では、以前横澤が務めており、「ひょうきん族」のプロデューサー昇格後に三宅自身も務めていた「懺悔室」の牧師役として出演した。

「来年(2009年)で定年退職」という話は、2008年4月に東京と大阪で行われた、明石家さんまプロデュースというさんま主催の舞台でも観客に伝えられている(おそらくこれが、三宅が定年退職を公開した初めての場)。舞台のコントが全て終了した直後のエンディングにて、松尾伴内内山信二そして、山田花子が舞台に登場し、「三宅さんが来年で定年退職する」と観客に伝えた。そして、舞台中央にあるスクリーンに三宅の略歴と製作に関わった作品を紹介した後、本人が登場して紹介した瞬間、さんま・ラサール石井村上ショージが「明石家マンション物語」のキャラクターである「ダメダメボーイズ」の格好で登場し、三宅に駄目出しする場面があった。その後、観客・出演者から拍手があり、舞台は幕を閉じた。

2011年2月に役員待遇としても任期満了を迎えたが、石田弘のように嘱託でフジテレビに残留しているものと思われる。同年の『FNS27時間テレビ めちゃ²デジッてるッ! 笑顔になれなきゃテレビじゃないじゃ〜ん!!』では、ビートたけしに対し「さんま・中居の今夜も眠れない」の中で行われる矢部浩之のマラソン中継に出演するようさんまとともにオファーをかけたことが明かされている。

[編集] タレントとの深い関係

明石家さんまとの付き合いは公私共に深く、さんまは三宅の親族による舞踊活動のため、ビルを所有して貸している。

ビートたけしやさんまといった刺激の強いタレントの番組を担当する一方で、萩本欽一関根勤小堺一機ら、どぎつさのない欽ちゃんファミリーとも強いパイプを持つ。

村上ショージがハワイで結婚式を挙げた時、仲人の明石家さんま・大竹しのぶ夫妻(当時)とともに参加し、花嫁の父親役を務める。

一方で、「オレたちひょうきん族」のDVD化の際、その第1弾である「1981~1982 VSブラックデビル」にて、出演者の1人だった村上ショージ(この時はピン芸人)の名前をジャケットクレジットに入れなかったミスを犯す。これを受けて、DVD第5弾の「1985~1989 FINAL VSパーデンネン」の際は、難民(何人)トリオとして出演していた(コーナーも存在していた)ため、クレジットに入る事になった(ただし、メンバーであるはずの前田政二だけはクレジットされていなかった。前田はこの時既に芸人を廃業し、放送作家になっていた)。村上ショージの件については、フジテレビ警察でネタにされ、「隠蔽罪」の嫌疑が掛けられた。

[編集] 担当番組

[編集] 手掛けた番組

[編集] 脚注

  1. ^ -初心に戻り 全部お笑い- フジ系『27時間テレビ』総合演出 三宅恵介2008年7月14日・読売新聞朝刊)より。

[編集] 関連項目

定年後もフジテレビに所属している番組制作者

[編集] 外部リンク


先代:
-
ライオンのごきげんようプロデューサー
三宅恵介
次代:
山縣慎司
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