J・D・サリンジャー
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| J・D・サリンジャー J. D. Salinger |
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|---|---|
| 誕生 | ジェローム・デイヴィッド・サリンジャー Jerome David Salinger 1919年1月1日(90歳) |
| 職業 | 小説家 |
| 国籍 | |
| 活動期間 | 1940年 - 1965年 |
| 代表作 | 『ライ麦畑でつかまえて』(1951年) |
| 文学 |
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ジェローム・デイヴィッド・サリンジャー(Jerome David Salinger、1919年1月1日 - )はアメリカの小説家。ニューヨーク市マンハッタン生まれ。代表作『ライ麦畑でつかまえて』は現在でも新たな読者を獲得しつづけている。父はポーランド系ユダヤ人、母はスコットランド=アイルランド系だがユダヤ教に改宗した。
サリンジャーは、シーモア、ゾーイー他、7人兄弟と両親からなるグラース家にまつわる物語の連作を書き続けると言っていたが、1965年に『ハプワース16、1924年』を発表して以降完全に沈黙し、現在はアメリカ東部の田舎に隠遁して40年以上作品発表がない。これまで発表してきた作品の多くもグラース家やホールデン・コールフィールドにまつわるものが多い。
自らの原作(『コネティカットのひょこひょこおじさん』)に基づくハリウッド映画『愚かなり我が心』(1949年)の出来映えに失望した事から映画嫌いになった。そのため『ライ麦畑でつかまえて』の映像化を許していない。村上春樹が『キャッチャー・イン・ザ・ライ』の訳者解説を付けることも許可しなかったなど、さまざまな謎・伝説に包まれた人物である。
『フラニーとゾーイー』頃から作品の中には東洋思想、禅の影響が色濃く、また、サリンジャー自身もホメオパシーに傾倒するなど、全体的に神秘主義的傾向が強まった。そのため、後期の作品では読者層が絞られていく一方、おりしもベトナム戦争などの時局も相俟って、ヒッピーなどカウンターカルチャー寄りの人々の支持も少なからず集めるに至った。
長男のマット・サリンジャーは俳優となった。
目次 |
[編集] 評価
サリンジャーは無垢なもの(イノセンス)に対する憧れが強い人であると言われる。サリンジャーの主人公達の多くは10代後半から20代の微妙な世代であり、例えば代表作『ライ麦畑でつかまえて』の主人公ホールデンは、大人社会に適応しようとする反面、子供時代にはなかった「インチキ」や「エゴ」に戸惑い、うまく自己を確立することができない。サリンジャーはその戸惑いを巧みに描くことのできる作家であると評価されている。 また、『フラニーとゾーイ』では、妹フラニーの宗教(イエスなど)に対する曖昧な解釈から、神経衰弱に陥ってしまう。 また、世の中の偽りにも見える慈善や慈愛、人の見栄に対する嫌悪に陥るが、それを否定することもエゴなのだということを兄ゾーイによって悟される。 人間は『曖昧な解釈』によって『本質』を見失い、それによって偏った知識で言わば『頭でっかち』になりやすい。 そんな誰しもが持っている偏見やこうであって欲しいという願望を崩されたとき、人間は嫌悪感を覚え、自らの扉を閉ざす。 そんな人間の弱さや繊細さを描いた作品である。
[編集] 生涯
[編集] 幼少期から作家になるまで
1919年1月1日サリンジャーはニューヨークで生まれる。父はポーランド系ユダヤ人の実業家ソロモン、母はスコットランド=アイルランド系のカトリック教徒の娘マリー(彼女は結婚後夫と同じユダヤ教に改宗、名もユダヤ風にミリアムと改めている)。また8歳上の姉ドリスがいる。父は食肉やチーズを販売する貿易会社の経営をしており一家は裕福だったといわれる。
1932年にマークバーニ校(ボーディングスクール)に入学。この頃は演劇に関心を持っており、入学面接では「(興味があるのは)演劇と熱帯魚」と答えている。しかし学業不振を理由に1年で退学処分となってしまう。その後ペンシルベニア州のミリタリースクールヴァリー・フォージに入学し卒業まで過ごす。(この学校は『ろくでもない子供をたたき直す』という厳しい教育方針だった。また田舎の保守的な学校でありユダヤ人に対する差別意識があったようだが卒業まで無事過ごす)卒業後、家業を継ぐため親戚のいるヨーロッパに渡る。帰国後は様々な大学を転々とするが1939年にコロンビア大学の聴講生となりホイット・バーネット(トルーマン・カポーティやジョゼフ・ヘラー、ノーマン・メイラーなど数々の新人作家の作品を自らが創刊した文芸誌『ストーリー』で最初に掲載し世に紹介したことで知られる)の創作講座に参加する。バーネットの授業に参加したことはサリンジャーに大きな影響を与えたようであり、サリンジャーの処女作『若者たち』(The Young Folks)が初めて掲載された雑誌は『ストーリー』(1940年3,4月号)である。後日サリンジャーは、わずか25ドルではあったが生まれて初めての原稿料を受け取った。また、これがきっかけでサリンジャーの小説は他の文芸紙にも掲載されるようになる。
1941年に『マディソン街のはずれの小さな反抗』(Slight Rebelion off Madison が『ザ・ニューヨーカー』に掲載が決まる。12月中に掲載される予定となったが太平洋戦争の開戦による影響で作品の掲載は無期延期となってしまう(結局5年後の1946年に掲載される)。ちなみにこの短編は、サリンジャーの分身とでもいうべきホールデン・コールフィールドが初めて登場した作品である。
[編集] 軍歴
1942年、サリンジャーは太平洋戦争の勃発を機に自ら志願してアメリカ軍に入隊する。2年間の駐屯地での訓練を経て1944年3月にイギリスに派遣され6月にノルマンディー上陸作戦に一兵士として参加し激戦地の一つユタ・ビーチに上陸する。フランスではサリンジャーは情報部隊に所属する。8月、パリの解放後新聞特派員としてパリを訪れたヘミングウェイを訪問する。『最後の休暇の最後の日』(The Last Day of the Furlough)を読んだヘミングウェイはサリンジャーの才能を認めて賞賛したという。しかしサリンジャーはヘミングウェイのタフな精神とは相容れなかったようだ(『ライ麦畑でつかまえて』のホールデンの台詞を参照)。しかしドイツとの激しい戦闘によってサリンジャーも精神的に追い込まれていき、ドイツ降伏後は神経衰弱と診断されニュルンベルクの陸軍総合病院に入院する。入院中にフランス人女性医師シルヴィアと知り合い結婚する。結婚後の1945年11月に軍を除隊になる。
[編集] 『ライ麦畑でつかまえて』
12月に『ライ麦畑でつかまえて』の原型となる作品『僕は狂ってる』(I'm Crazy)が雑誌『コリアーズ』に掲載される。1946年シルヴィアとの結婚生活は終わりを迎え、サリンジャーの生活も大きく変化した。ヤッピーのような生活を送り、またニューヨークのボヘミアンとも多く交流を持つようになる。
1949年頃コネチカット州ウェストポートに家を借りサリンジャーは執筆生活に専念するようになる。この頃から『ライ麦畑でつかまえて』の執筆を開始した。1950年の1月『コネチカットのひょこひょこおじさん』(Uncle Wiggily in Conecticut ナイン・ストーリーズ収録作品)を元に作られた映画愚かなり我が心 (My Foolish Heart)をハリウッドのサミュエル・ゴールドウィンが全米公開するが映画の評判は芳しくなく、サリンジャーもこの映画を見て激怒する(それ以来サリンジャーは現在まで自分の作品を映画化することを許可していない)。1950年秋、遂に『ライ麦畑でつかまえて』が完成する。当初ハーコードプレス社から作品は出版される予定だったが「狂人を主人公にした作品は出版しない」と出版を拒否。結局作品はリトル・ブラウン社から出版されることに決まる。『ライ麦畑でつかまえて』は大きな反響(詳しくはライ麦畑でつかまえてを参照)を呼んだ。文壇からは賛否両論があり、また保守層やピューリタン的な道徳的思想を持った人からは激しいバッシングを受けた。しかしホールデンと同世代の若者からは圧倒的な人気を誇り、2007年現在まで全世界で6000万部以上の売り上げを記録。現在でも毎年50万部が売れているという。
しかし『ライ麦畑でつかまえて』の成功でサリンジャーのニューヨークで静かな生活を送ることは次第に難しくなっていった。結果サリンジャーは、ニューハンプシャー州はコネチカット河のほとり、コーニッシュの土地を購入する。イノセンスに憧れを抱くようになったサリンジャーはそこで原始的な生活を送り(家にはライフラインがなかったらしい)、地元の高校生達と親しくなり交流を深めることになる。しかしその関係も長くは続かず、サリンジャーと親しくしていた少女の一人が高校生向け記事を書くことを条件にしたインタビューの内容をスクープとして地元の新聞に載せてしまう。このことに激怒したサリンジャーは、社会から孤立した生活を送るようになり高校生達との縁を切ってしまう。
[編集] 現在まで
1955年にラドクリフ大学に在学中のクレア・ダグラスと結婚。一男一女を授かるも1967年に離婚する。孤立した生活を送るようになったサリンジャーは次第に発表する作品数を減らしていく。1953年に短編集『ナイン・ストーリーズ』を、1961年には『フラニーとゾーイー』を、1965年に『大工よ、屋根の梁を高く上げよ』を発表するが、1965年に『ハプワース16、1924年』を発表したのを最後に、現在まで一冊の新刊も発表していない。
現在サリンジャーは滅多に人前に出ることもなく、2メートルの塀で屋敷の回りを囲ませその中で生活をしている。サリンジャーは一度小説を書き始めると何時間も仕事に没頭し続けており何冊もの作品を書き上げている、など様々な噂がなされている。
沈黙を守り続けていたサリンジャーであったが、『ライ麦畑でつかまえて』の続編であるという『60 Years Later: Coming Through the Rye』がスウェーデンの出版社であるNicotextから出版されると知り、その著者であるJ・D・カリフォルニアなる人物とNicotextとを相手取り、2009年6月1日、著作権侵害であると提訴した。サリンジャーは訴状において「続編はパロディではないし、原作に論評を加えたり、批評したりするものでもない。ただ不当な作品にすぎない」として、出版の差し止めを求めている[1]。
- ^ 『サリンジャー氏、「ライ麦畑でつかまえて」続編をめぐり提訴』 ロイター、2009年6月1日。
[編集] 主な作品
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- 『ライ麦畑でつかまえて』 (野崎孝訳 白水社 初版1979年ほか)
- 『キャッチャー・イン・ザ・ライ』 (村上春樹訳 白水社 2003年)
- Nine Stories, 1953、(文庫版の原書が、講談社インターナショナル)
- 『ナイン・ストーリーズ』(野崎孝訳 新潮文庫、「九つの物語」中川敏訳、集英社文庫ほか)
- 『フラニーとゾーイー』(Franny and Zooey, 1961 野崎孝訳、新潮文庫ほか) [2]
- 『大工よ、屋根の梁を高く上げよ シーモア-序章-』(Raise High the Roof Beam, Carpenters, and Seymour: An Introduction Stories , 1963 野崎孝/井上謙治訳、 新潮文庫ほか) [2]
- 『ハプワース16、一九二四』Hapworth 16, 1924(1965)
- 現在までに公表されている最後の作品で、ニューヨーカー誌に掲載された中編小説。
- アメリカでは今日まで単行本化されていない。数年前、単行本化が実現しかかったが、事前に書評家 ミチコ・カクタニによる酷評が雑誌に掲載され('From Salinger, A New Dash Of Mystery,' The New York Times, February 20, 1997)、これにショックを受けたサリンジャー自らが企画を取り下げたと言われている。
- 同書の日本語訳は入手可能 (『 ハプワース16、一九二四』 サリンジャー選集別巻 1荒地出版社、1978年、原田敬一訳)。また『サリンジャー作品集』第6巻 (東京白川書院全6巻、1981年)もある。
[編集] ナイン・ストーリーズ以外の短編群
全部で30編あった短編集から著者が9編だけ選んだ短編集がナイン・ストーリーズであり、以下はそれ以外の短編のリストである。以前アメリカの学生が無断で以下の短編集を発行したために、著者が抗議をしたこともあった。しかし、現在日本でも一部入手することは可能となっている。
- "The Young Folks"(1940)
- "Go See Eddie"(1940)
- "The Hang of It"(1941)
- "The Heart of a Broken Story"(1941)
- "The Long Debt of Lais Taggett"(1942)
- "Personal Notes on an Infantryman"(1942)
- "The Varioni Brotlers"(1943)
- "Both Parties Concerned"(1944)
- "Soft Boiled Segment"(1944)
- "Last Day of the Last Furlough"(1944)
- "Once a Week Won't Kill You"(1944)[1]
- "A Boy in France"(1945)
- "Elaine"(1945)
- "This Sandwich Has No Mayonnaise"(1945) [1]
- "The Stranger"(1945)
- "I'm Cragy"(1945) [1]
- "Slight Rebellion Off Madison"(1946) [1],[2]
- "A Young Girl in 1941 with No Wait at All"(1947)
- "The Inverted Forest"(1947)
- "A Girl I knew"(1948)
- "Blue Memory"(1948)
- [1]はホールデン・コールフィールド、[2]はグラース家にまつわるストーリー
【邦訳】
- 選集(1)は『フラニーとズーイー』(原田敬一訳、解説井上謙治)
- 選集(4)は『九つの物語、大工たちよ屋根の梁を高く上げよ』
- 『サリンジャー作品集』(1.2)(鈴木武樹完訳、武田勝彦解説 東京白川書院)
[編集] 未出版の短編
- "The Ocean Full of Bowling Balls"
- "The Last and Best of the Peter Pans"
- "The Magic Foxhole"(1945)
- "Two Lonely Men"(1944)
- "The Children's Echelon(1944)
- "Paula"(1942)
- "Birthday Boy"(1947)
[編集] 参考文献
- J・D・サリンジャー 『ライ麦畑でつかまえて』(野崎孝訳 白水社Uブックス)
- J・D・サリンジャー 『キャッチャー・イン・ザ・ライ』(村上春樹訳 白水社 新書版も)
- ジョイス・メイナード 『ライ麦畑の迷路を抜けて』(創元社)、ISBN 4488013945 研究書ではなく、53歳のサリンジャーと同棲していたことのある女性作家の半生記。
- マーガレット・A・サリンジャー 『我が父サリンジャー』(亀井よし子訳 新潮社 2003年)
- 村上春樹 柴田元幸 『翻訳夜話2 サリンジャー戦記』文春新書
- イアン・ハミルトン 『サリンジャーをつかまえて』(海保真夫訳、文藝春秋、1992年 文春文庫、1998年)
- 森川展男『サリンジャー 伝説の半生、謎の隠遁生活』(中公新書 1998年)
- ポール・アレクサンダー『サリンジャーを追いかけて』(田中啓史訳 DHC 2003年)
- 田中啓史 『ライ麦畑でつかまえて』ミネルヴァ書房、2006年
- 田中啓史 『「ライ麦畑のキャッチャー」の世界』 開文社、1994年
- 田中啓史編著 『イエローページ サリンジャー作品別(1940~1965)』荒地出版社、2000年
- ウォーレン・フレンチ 『サリンジャー研究』(田中啓史訳、荒地出版社)
- 渥美昭夫、井上謙治 『サリンジャーの世界』荒地出版社、1969年
- 竹内康浩 『サリンジャー解体新書「ライ麦畑でつかまえて」についてもう何も言いたくない』荒地出版社、1998年


