セイコーエプソン

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セイコーエプソン株式会社
Seiko Epson Corporation
Epson logo.svg
種類 株式会社
市場情報
東証1部 6724 2003年6月上場
略称 エプソン
本社所在地 日本の旗 日本
392-8502
長野県諏訪市大和三丁目3番5号
本店所在地 163-0811
東京都新宿区西新宿二丁目4番1号 新宿NSビル
設立 1942年昭和17年)5月18日
業種 電気機器
事業内容 情報関連機器精密機器電子部品
代表者 代表取締役社長:碓井稔
資本金 532億400万円
(2014年3月31日現在)
発行済株式総数 1億9981万7389株
売上高 連結1兆36億600万円
(2014年3月期)
営業利益 連結849億6800万円
(2014年3月期)
純利益 連結836億9800万円
(2014年3月期)
純資産 連結3517億3000万円
(2014年3月31日現在)
総資産 連結8658億7200万円
(2014年3月31日現在)
従業員数 連結7万3171名
(2014年3月31日現在)
決算期 3月31日
主要株主 三光起業株式会社 7.15%
日本マスタートラスト信託銀行株式会社(信託口) 6.77%
日本トラスティ・サービス信託銀行株式会社(信託口) 4.66%
セイコーホールディングス株式会社 3.97%
セイコーエプソン従業員持株会 3.49%
服部靖夫 2.98%
服部歊 2.80%(3字めの漢字は扁が「高」、旁が「欠」)
第一生命保険株式会社 2.18%
株式会社みずほコーポレート銀行 2.14%
みずほ信託銀行株式会社 退職給付信託 みずほ銀行口 2.04%
(2013年3月31日現在)
主要子会社 エプソン販売 100%
東北エプソン 100%
宮崎エプソン 100%
外部リンク http://www.epson.jp/ (日本語)
特記事項:大株主の三光起業は、服部家(服部金太郎の子孫一族)の資産管理会社である(同家の資産管理会社である青山企業は10%強を保有していたが、2011年11月17日に保有株の大部分を売却している)。服部家は、セイコーホールディングス株式会社の大株主でもある。服部歊(はっとり のぼる)の「のぼる」の漢字は、扁が「高」、旁が「欠」。
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セイコーエプソン株式会社Seiko Epson Corporation)は、長野県諏訪市に本社を置く情報関連機器精密機器のメーカーである(登記簿上の本店は新宿区にある)。略称・ブランドは「エプソンEPSON)」。

インクジェットプリンターを始めとするプリンターや、プロジェクタパソコンといった情報関連機器、水晶振動子(クォーツ)、半導体などの電子デバイス部品の製造を行っている。また子会社ではないものの、セイコーホールディングス株式会社、セイコーインスツル株式会社とともに「セイコーグループ中核3社」の1つとされ、SEIKOブランドの腕時計の開発・生産も行っている。

株式2003年(平成15年)6月東京証券取引所市場第一部への上場した。証券コード6724。

概要[編集]

服部時計店(現在のセイコーホールディングス)の元従業員で諏訪市で時計の小売・修理業を営んでいた山崎久夫により有限会社大和工業(だいわこうぎょう)として創業。服部家・第二精工舎からの出資を受け、第二精工舎(現在のセイコーインスツル)の協力会社として腕時計の部品製造や組み立てを行っていた。当初から服部家との資本関係はあったが、服部時計店の子会社ではなかった。1943年に第二精工舎が工場を諏訪市に疎開、諏訪工場を開設する。終戦後も第二精工舎の疎開工場は諏訪の地にとどまり、大和工業との協力関係を強めていった。1959年に大和工業が第二精工舎の諏訪工場を営業譲受し株式会社諏訪精工舎となった。諏訪精工舎は、諏訪市とその周辺地域で腕時計の一貫生産体制を確立する。諏訪精工舎を含め、戦中・戦後に諏訪圏(岡谷市、諏訪市、茅野市、下諏訪町、富士見町、原村)・塩尻市・松本市・伊那市には精密機器製造業(時計、カメラなどの部品製造・組立)が集積、同地域は「東洋のスイス」と称されるまでになる。1961年に子会社として信州精器株式会社(後のエプソン株式会社)を設立。1985年に諏訪精工舎と子会社のエプソン株式会社が合併して、現在のセイコーエプソン株式会社に社名を変更した。

セイコーグループ各社との協業により、独自設計の機械式腕時計(マーベル)・自動巻き機械式腕時計、卓上小型水晶時計、世界初のクォーツ腕時計(アストロン)、自動巻き発電クォーツ腕時計(オートクオーツ)、スプリングドライブなどを開発、時計の高精度化・低価格化を進めた。時計の製造・開発から派生する形でプリンターや水晶振動子(クォーツ)、半導体、MEMSデバイス、液晶ディスプレイなどの開発を行い、それらが現在の当社の主要事業に結実・発展している。現在の主力事業・主力製品はインクジェットプリンターや液晶プロジェクターなどの情報関連機器である。創業事業である時計事業もセイコーブランド向けの製品の開発・生産を続けている。

会社の名称からセイコーホールディングスの子会社(あるいは時計のセイコーとアメリカのエプソンという会社の合弁)と誤解されることが多いが、セイコーインスツルがセイコーホールディングスの完全子会社となっているのに対し、セイコーエプソンはセイコーホールディングスとの直接の資本関係は薄く、独立した経営を行っている。現在もセイコーの創業家である服部家(服部金太郎の次男・正次の家系の個人および一族の資産管理会社)が大株主であり、時計の開発・製造での関連が深いため、セイコーホールディングス株式会社(旧服部時計店)を中心とするセイコーグループのひとつとして見なされており、セイコーインスツル株式会社も併せて「セイコーグループ中核3社」を形成している[1]。ただし、時計関連の売上げがセイコーエプソン全体の売上げに占める割合は数%程度である。

国内拠点の多くが長野県内に点在し、その他に山形県酒田市、北海道千歳市にも製造拠点がある。

子会社にエプソン販売(国内市場向けエプソンブランド商品販売全般)、宮崎エプソン(水晶デバイス事業)、東北エプソン(半導体、プリンター部品の製造)、オリエント時計(主にオリエントブランドの腕時計を中心に製造、セイコーブランド向けは本社塩尻事業所の管轄)や孫子会社エプソンダイレクトPC周辺機器のユーザ、法人向け直販)などがある。

沿革[編集]

  • 1942年(昭和17年)5月 - 諏訪市の時計商・山崎久夫により有限会社大和工業(だいわこうぎょう)として設立[2][3]。株式会社第二精工舎(現在のセイコーインスツル株式会社)の出資(資本金3万円)により、同社の関連会社・工場として操業開始[4]。セイコー腕時計の部品製造、組み立て工場としての出発。
  • 1943年(昭和18年) - 戦時中の工場疎開により第二精工舎が諏訪市に工場を開設する。
  • 1954年(昭和19年)- 東京が1964年オリンピック開催地に決定。セイコーグループは公式 計時の担当と、それに向けた新しい計時装置の開発の準備に着手。諏訪精工舎はクリスタルクロノメーターの開発を担当する。
  • 1959年(昭和34年)5月 - 第二精工舎・諏訪工場が第二精工舎より独立。大和工業を母体として合体し、社名を有限会社諏訪精工舎に改める。
  • 1959年(昭和34年)9月 - 株式会社諏訪精工舎に組織変更。
  • 1959年(昭和34年) - 「59Aプロジェクト」を発足させ、次世代の高精度電池式腕時計の開発をスタート。テンプ式、音叉式、水晶式といった電池式腕時計の構造を研究し、後の水晶時計の開発に繋がる。
  • 1961年(昭和36年)12月 - 子会社として信州精器株式会社を設立する。
  • 1964年(昭和39年)- 東京オリンピックの公式時計をセイコーグループの一社として担当。このとき、腕時計のメカニズムに関する技術を応用して、子会社の信州精器にて精工舎とともにプリンティングタイマーを開発する。
  • 1964年(昭和39年)- スポーツ競技計時用の卓上小型水晶時計「セイコー クリスタルクロノメーター QC-951」を発表。単一乾電池2本で1年間作動する、かつてない低消費電力を実現したこの水晶時計は、東京オリンピックをはじめ、世界各地の競技大会の公式計時装置で使用され、続く同シリーズ商品も競技用標準時計、交通機関の標準時計・タイマーとして活躍した。
  • 1968年(昭和43年)9月 - 世界初の電子機器用の小型電子プリンター「EP-101」を発表。その後、累計141万台の販売を記録する大ヒットとなる。
  • 1969年(昭和44年)に世界初のクォーツ腕時計(アストロン35SQ[5])を開発。その後の腕時計の高精度化、低価格化をすすめる契機になった。
  • 1971年(昭和46年)4月 - 相補型金属酸化膜半導体(Complementary Metal-Oxide Semiconductor)集積回路、略して「CMOS IC」の自社開発に成功。
  • 1973年(昭和48年)- CMOS ICの量産工場を完成。半導体回路の開発・量産体制を構築し、セイコーグループへウオッチ用ICを供給を開始する。
  • 1973年(昭和48年)10月 - 時刻表示に世界初の6桁液晶ディスプレイを採用した全電子ウオッチ「セイコークオーツLC V.F.A.06LC」を発売。クオーツウオッチのために独自に開発された「FE(電界効果型)シングルクリスタル液晶」を使用し、時・分・秒を常時表示できる画期的なデジタルウオッチとして、広く内外から注目を集める。
  • 1975年(昭和50年)4月 - 初の海外販売拠点Epson America, Inc.設立。(コンピュータ及び周辺機器、各種電子デバイスの販売、サービスを行う)。
  • 1975年(昭和50年)6月 - 「EPSON」のブランドを制定。先に大ヒットした電子プリンター(Electronic Printer) (EP-101)から発展した製品群、即ち子供(son)達が成長するようにとの願いを込めた名称であった[6]
  • 1982年(昭和57年)- ポータブルタイプのコンピューターHC-20を発表。HC-20のヒットにより、その後HC-40HC-88などの後継機種も発売された(海外ではHXのシリーズ名)。
  • 1982年(昭和57年) - 信州精器株式会社がエプソン株式会社と改称する。
  • 1983年(昭和58年)5月 - 国内の販売会社としてエプソン販売(株)設立。
  • 1983年(昭和58年)- デスクトップタイプのコンピューターとしてCP/Mを利用できるQC-10が発売される。その後8088を搭載して16ビットに強化されMS-DOSが動作するQC-11が発売された(海外ではHXシリーズ)。 HC-88およびQC-10は、日本語入力の方法として豊橋技術科学大学で開発されたTUT-Code方式をタッチ16という名前で採用していた。
  • 1984年(昭和59年)- ピエゾ素子を用いてインクを押し出す(マイクロピエゾ方式[7]のインクジェットプリンター「IP-130K」を発売。しかし、当時はインクジェットプリンターは高価でかつ大型であったため、熱転写カラーやドットインパクト方式のプリンターが主役であった。
  • 1985年(昭和60年)米国にてIBM PC互換機Equityシリーズを発売。このEquityシリーズの成功で製造技術、および互換機路線の営業戦略に自信を深め、PC-9800シリーズ互換機の開発に繋がる。
  • 1985年(昭和60年)
    • 1月 - 庄内電子工業株式会社(現 東北エプソン株式会社)設立。 
    • 11月 - 株式会社諏訪精工舎がエプソン株式会社と合併し、社名をセイコーエプソン株式会社に改める。
  • 1986年(昭和61年) - 関連会社のサンリツ工業株式会社を営業譲渡により吸収。
  • 1987年(昭和62年)日本電気 (NEC) PC-9800互換のパーソナルコンピュータEPSON PCシリーズの発売を開始。
  • 1989年(平成元年)4月 - 学校法人エスイー学園エプソン情報科学専門学校を開学。
  • 1990年(平成2年)9月 - 関連会社の塩尻工業株式会社(腕時計製造)、島内精器株式会社(腕時計製造)、松島工業株式会社(水晶デバイス製造)を吸収合併する。
  • 1990年(平成2年)1月 - オランダ、アムステルダムにEpson Europe B.V. 設立。(ヨーロッパ地域本社)
  • 1992年 10月 - 国内全事業所および関連会社の生産工程においてフロン全廃を達成。米国環境保護庁より「1992年成層圏オゾン層保護賞(企業賞)」を受賞。
  • 1994年 4月 - 国内全事業所においてISO9000シリーズ規格認証取得を完了。
  • 1993年(平成5年) - 子会社のエプソンダイレクトを設立し、PCの直販事業を開始する。その後、購入者が注文時に仕様を選択できるBTO (Build-To-Order) による生産体制を確立した。
  • 1993年(平成5年) - カラーインクジェットプリンター、「マッハジェット(MJ)」シリーズの発売を開始。
  • 1994年(平成6年)6月 - カラー印刷画質を飛躍的に向上させた「MJ-700V2C」を発売。30万台以上を出荷するベストセラー機となり、当時、国内のインクジェットプリンター市場でトップ・シェアを持っていたキヤノンの製品(「バブルジェット(BJ)シリーズ」)に追随し始める。
  • 1995年(平成7年) - PC-9800シリーズの市場縮小により、PC-9800シリーズ互換コンピュータの生産から撤退。しかし、PC/AT互換機の供給は継続した。
  • 1996年(平成8年)- 写真画質を前面に押し出した「フォト・マッハジェット(PM)」シリーズ「PM-700C」を発売[8][9]。国内インクジェットプリンター・トップシェアの座を得る。以後、「写真画質=エプソン」の地位を確立する。
  • 1998年(平成10年) - 岡谷プレシジョン株式会社を吸収合併。
  • 1998年 2月 - 長野オリンピックでセイコーグループが公式計時を担当。
  • 1998年 4月 - 中国の統括会社Epson (China) Co., Ltd.を北京に設立。
  • 2000年(平成12年)7月 - 日本TIの鳩ヶ谷工場を買収し、液晶ドライバICの製造会社エプソン鳩ヶ谷を設立する。
  • 2001年(平成13年) - オリエント時計株式会社を子会社化する。
  • 2001年(平成13年)5月 - 全世界の主要68拠点で環境管理システムの国際規格ISO14001の認証取得完了。
  • 2002年(平成14年)6月 - 米国電気電子技術者協会(IEEE)より電子産業の発展に寄与した企業へ贈られる革新企業賞を受賞。
  • 2003年(平成15年)6月 - 株式を東京証券取引所第一部に上場する。
  • 2004年(平成16年)10月 - 三洋電機株式会社と液晶ディスプレイ事業を統合し、三洋エプソンイメージングデバイス株式会社を設立。株式の55%を保有し、連結子会社とする。
  • 2005年(平成17年)10月 - 水晶デバイス事業を会社分割して、東洋通信機株式会社と統合。東洋通信機株式会社がエプソントヨコム株式会社と商号変更し、セイコーエプソンが株式の68.25%を保有する特定子会社となる。
  • 2006年(平成18年)
    • 6月 - ロジック半導体製造の野洲セミコンダクター株式会社(IBMとの合弁)のIBM持分を取得して完全子会社化する。
    • 11月 - ソフトウェア開発会社のエー・アイ・ソフト株式会社をエプソン販売株式会社に合併吸収。
    • 12月 - 三洋エプソンイメージングデバイス株式会社の三洋電機持分を取得して完全子会社化し、エプソンイメージングデバイス株式会社と改称する。
  • 2007年(平成19年)3月 - 野洲セミコンダクターの半導体事業用資産をオムロン株式会社に売却し、同社を解散する。
  • 2009年(平成21年)
    • 3月 - オリエント時計株式会社を完全子会社化。秋田オリエント精密株式会社を直接子会社とし、秋田エプソン株式会社と改称する。
    • 6月 - エプソントヨコム株式会社を完全子会社化。
  • 2010年(平成22年)
    • 4月 - 中小型液晶ディスプレイ事業(高温ポリシリコンを除く)の終結に向け、エプソンイメージングデバイス株式会社の資産の一部をソニー株式会社およびソニーモバイルディスプレイ株式会社(2012年にジャパンディスプレイに統合)に譲渡(営業については事前に譲渡)。
  • 2011年(平成23年)
    • 4月 - 中小型液晶ディスプレイ事業(高温ポリシリコンを除く)から撤退。
  • 2012年(平成24年)
    • 4月 - エプソントヨコム(現・宮崎エプソン)の水晶デバイス事業(宮崎事業所を除く)を当社本体に移管。
  • 2013年 (平成25年) - 光学事業をHOYAに譲渡。

主要製品[編集]

プリンター[編集]

  • ホーム向けインクジェットプリンター -日本国内では カラリオシリーズ で製品を展開。
  • ビジネスインクジェットプリンター
  • レーザープリンター(ページプリンター)- かつてはエスパーシリーズ 、Interシリーズで展開されていた。現在は一部機種でOffirioブランドのロゴが残っているものの、最近はOffirioロゴを付けていない機種が出ている。 レーザープリンターは富士ゼロックスなどからのOEM
  • 大判プリンター - かつてはMAXARTシリーズで展開されていたが、現在はSureColorブランドに変わった。
  • インパクトプリンター
  • レシートプリンター - サーマル方式の小型プリンターTMシリーズを展開。
  • ラベルプリンター
  • プロフェッショナルフォトプリンティングシステム - CRYSTARIOシリーズ やSureLabシリーズなど写真店向けの製品。
  • プリンター消耗品 - インクカートリッジ、トナーカートリッジ、インクジェットプリンター用紙(写真用紙、光沢紙、マット紙など)、リボンカートリッジなどのOAサプライ

スキャナー[編集]

  • フラットベッドスキャナー
  • シートフィードスキャナー

液晶プロジェクター[編集]

時計が主要な事業であった頃から液晶デバイスの開発を行っていたが、プロジェクターの研究・開発はポケットTV用に開発したポリシリコンTFT液晶パネルの応用から始まった。1989年に世界初の液晶プロジェクター「VPJ-700」を発表。1994年、PCを利用したプレゼンテーション用途に着目したデータプロジェクター「ELP-3000」を発売し、大きな評価を得た。[10]以降、液晶パネルを使用した3LCD方式のプロジェクターを製品展開している。

  • ホーム向けプロジェクター - dreamio ブランドで製品展開。
  • ビジネス向けプロジェクター - かつてはOffirioブランドで製品を展開していた。
  • HMD - シースルーモバイルビューアー MOVERIOを発表。

デジタルカメラおよび関連機器[編集]

  • テジタルカメラ - 世界初レンジファインダー式デジタルカメラのR-D1 を発表。現在は後継機種のR-D1xGが販売されているものの、在庫限りとなっている。
  • フォトビューワー - かつてProselectionで製品展開していたが、現在は製造していない。

パーソナルコンピューター[編集]

電子デバイス[編集]

  • 半導体、水晶振動子、液晶パネル、マイクロデバイスなど

ウオッチ[編集]

  • 腕時計・腕時計部品
    • 塩尻事業所(ウオッチ事業部)では、セイコーホールディングス株式会社(旧服部時計店)の事業子会社であるセイコーウオッチ株式会社とセイコーネクステージ株式会社向けに、腕時計の開発・設計・製造を行っている。製造は塩尻事業所に加えて深圳香港シンガポールの子会社でも行なっている。
    • 完全子会社化したオリエント時計では、オリエントブランドの機械式腕時計の製造も行っている。
    • 自社ブランドでもWristableGPS(GPS搭載のスポーツ用ウォッチ)、SmartCanvas(電子ペーパーを用いた腕時計)を発売している。

産業用製品[編集]

  • 水平・垂直多関節型ロボット、精密組立ロボットなど産業用ロボット
  • ICテストハンドラ
  • デジタルラベル印刷機 - SurePress
  • 捺染プリンター - インクジェット方式のデジタル捺染印刷機を開発し、京都にデジタル捺染センターを構えている。

音楽CD[編集]

  • エプソンクラシックCD

広報・宣伝活動[編集]

CM・広告[編集]

家庭向けのインクジェットプリンターのカラリオシリーズの普及期に、人気タレントCMに使って大胆に宣伝を行い、製品のヒットやブランドの認知に一役を買っていた。1997年頃迄はライバルのキヤノンのBJシリーズにはペンギンなど色彩鮮やかな動物や鳥類・風景の写真が主に使われていたのに対して、対照的な広告であった。

現在もホーム向け、ビジネス向けのプリンターにタレントを起用して、CM・広告を展開している。

歴代イメージタレント[編集]

スポンサーシップ[編集]

自社のブランドを広く認知させるため、各種イベントアスリート等へのスポンサードを行っている。

中嶋悟[編集]

レーシングドライバー中嶋悟は、長年のパートナーとして広く認識されている。

1983年(昭和58年)から全日本F2に参戦したハラダレーシングのスポンサーとなり、モータースポーツへ初参戦を果たした。この時、同チームのドライバーとなったのが中嶋だった。速くてマシンを壊さないドライビングスタイルの中嶋が商品とオーバーラップさせられる選手であるとして、翌年より中嶋(及び中嶋企画)への支援が開始された(ハラダレーシングはこのシーズンで撤退)。

1984年(昭和59年)には、ネスカフェゴールドブレンドのTVCMでキャラクターに起用されたレーシングカーデザイナーの由良拓也と中嶋が共演。全国放映されたCM中で由良がデザインする中嶋のマシンが"EPSON"のロゴと共に何度も大写しされたことにより、自社が全く関与しない形でTV中継を含むレース観戦者以外の一般視聴者にも広くその会社名を知られるきっかけとなった。当時の広報担当者は、この思いもよらない宣伝効果が知名度と業績の劇的な向上につながったとして、「今のわが社があるのは中嶋さんのおかげ。今後も会社を上げて全力でサポートしていく」と語っている。 

1987年には中嶋のF1参戦に伴いパーソナルスポンサーとしてF1に参入。1988年(昭和63年)から1991年(平成3年)まで中嶋の所属チーム(ロータスティレル)のスポンサーとしての活動も展開。この時期には中嶋を起用したテレビCM(ノートパソコンやCI広告)も制作され、当時のF1ブームも重なり企業イメージと知名度が飛躍的に上がり、就職希望者が大幅に増加するといった現象もみられた。また1991年(平成3年)にはノートパソコン「NOTE&BOOK」のテレビCMに、中嶋が歌う『悲しき水中翼船』がCMソングとして使用(CMにも出演)され、CDが発売された時には現役F1ドライバーが歌手デビューしたとして大きな話題となった。

中嶋の現役引退後も中嶋企画への支援は継続され、2000年(平成12年)より子会社のエプソン販売がスポンサー活動を引き継いでいる。


主な関連企業[編集]

提供番組[編集]

現在[編集]

2014年7月時点

上記以外ではスポットCMが中心である。

過去[編集]

工科短期大学校[編集]

より高度かつ広範囲な専門知識を有する技術技能者を育成するため、セイコーエプソン工科短期大学校を開設している。認定職業訓練による職業訓練施設高度職業訓練専門課程を実施する。

施設はセイコーエプソン本社構内にある。1969年(昭和44年)、 社内に技能研修所が組織化され、1971年(昭和46年)に技能研修生らが機械整備科,時計組立科2ヵ年の訓練を開始した。1987年(昭和62年)に セイコーエプソン高等職業訓練校が長野県知事より認可され開校。1988年(昭和63年)から セイコーエプソン工科短期大学校として認可され開校した。課程は現在 機械システム系精密電子機械科に、定員20名で開校。対象者は高等学校卒業以上で、原則2年以上の職場経験者を事業部・各社の推薦をうけた者で、期間・訓練時間は2ヵ年(3,600時間)に渡る。カリキュラムには座学のほか、自主製作活動、FA総合課題実習、選択専門実習(機械・FA系コース、電子・ソフト系コース、真空・フォトリソコース)実践実習、海外研修、となっている。

平均年収推移[編集]

有価証券報告書によれば、平均年収は以下のように推移している。

年度 従業員数[人] 平均年齢[歳] 平均勤続年数[年] 平均年収[万円]
2003 12839 39.8 16.8 666.2
2004 11811 40.6 17.4 701.8
2005 12414 41.1 17.8 716.1
2006 13039 41.4 18.0 663.7
2007 13000 41.7 18.3 707.9
2008 13139 41.9 18.6 710.7
2009 13502 41.9 18.5 615.6
2010 13311 42.5 19.1 685.7
2011 13045 42.8 19.4 659.7
2012 11902 42.5 18.6 611.9
2013 11680 42.9 19.1 704.0

関連項目[編集]

注記・参考資料[編集]

  1. ^ セイコーホールディングスとその事業子会社・関係会社で構成される企業グループは「セイコーホールディングスグループ」「セイコーHDグループ」と呼ばれており、セイコーエプソンとその子会社は含まれない。
  2. ^ ヤマザキの歴史 ~山崎家 諏訪の起業家一族~
  3. ^ NHK「プロジェクトX」制作班『プロジェクトX 挑戦者たち (11) 新たなる伝説、世界へ』 NHK出版、2002年3月30日、ISBN 978-4-14-080679-1
  4. ^ エプソンの歴史(PDF,291KB) アニュアルレポート2004
  5. ^ マイルストンプロダクツ セイコー クオーツアストロン 35SQ
  6. ^ マイルストンプロダクツ 小型軽量デジタルプリンタ「EP-101」
  7. ^ エプソンのコア技術 マイクロピエゾテクノロジー
  8. ^ 1996年11月、カラーインクジェットプリンタ「PM-700C」 マイルストンプロダクツ”. セイコーエプソン. 2009年9月26日閲覧。
  9. ^ PM-700C --- “写真印刷”を初めて標榜”. 日経BP. 2009年9月26日閲覧。
  10. ^ 1994年12月、高性能マルチメディア液晶プロジェクター「ELP-3000」 マイルストンプロダクツ”. セイコーエプソン. 2014年5月17日閲覧。
  11. ^ ニュース|松本山雅FC - 2014シーズン ユニフォームスポンサー追加のお知らせ

外部リンク[編集]