デーブ・スペクター

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デーブ・スペクターDavid Mark Spector1954年5月5日 - )は、日本を拠点に活動する米国人テレビプロデューサー放送作家著作家コメンテータータレントである。株式会社スペクター・コミュニケーションズ代表取締役。アメリカ合衆国イリノイ州シカゴ出身。

妻はエッセイストコラムニストの京子・スペクター。

目次

[編集] 経歴

1954年にシカゴにて、ロシアから移住してきたアシュケナジムユダヤ系)の家庭に生まれた[1]

幼い頃は名子役として米国でコマーシャル(有名なのがケロッグ社コーンフレークのCM)などに出演、人気を得ていた。

小学5年生の頃、日本から転校してきた日本人のワタル君(現在シカゴ在住の菅野渡氏)と親しくなり、彼を驚かせようと「郵便局どこですか?」という日本語を覚え披露したところ、ワタル君は大変に感激し、「日本語(の発音)が上手だ」だと褒めてくれた。それをきっかけに日本に対し強い興味を持つようになり、毎日10個の日本語単語を覚えるようになる。

デーブはワタル君が持っていた週刊少年サンデー週刊少年マガジンなどの少年漫画に興味を持ちはじめ、漫画を読みたいという気持ちから、学校の授業が終わった後、週1回、1時間の日本語授業を地元の日本人学校で受け、日本人学生が誰一人卒業できない中、デーブひとりだけが卒業できた。それもアメリカ人として卒業生総代まで務めた。この事は今でもその学校の伝説として残っている。なお、ワタル君とは現在に至るまで親交が続いている。

日本の漫画をよく読んでいたことについては、おそ松くんに出てくるチビ太がいつも手にしているおでんを見て、それが食べ物であると知るまで「何らかの武器であるに違いない」と信じ込んでいた、と語っていることからも窺える。

また、まだテレビの録画技術も発展していない当時、アメリカ在住の日本人駐在員や日系アメリカ人に見せるために全米巡回で観賞会が開かれていた紅白歌合戦の放映会がシカゴに回って来た際には一緒に観賞していたという。印象に残った曲である「君といつまでも」(加山雄三)、「花と蝶」(森進一)に至っては歌詞を覚えて物真似までしていた[2]

シカゴ日系人会主催の日本語弁論大会で2年連続優勝を果たした経験も持つ。この弁論大会は日本人学生を対象にしたもので、そもそも当時の状況からしてアメリカ人の子供が日本語弁論大会に優勝すること自体が快挙だった。又その時の論文の題は“三島由紀夫の生涯と自殺”であった。この論文を子供時代に発表した事で、いかにデーブが日本語に熱心だったか当時の関係者は皆、絶賛した。1970年に初来日し日本万国博覧会(大阪万博)を見学している。

現在でも日本語の単語を1日に3 - 5つ覚えることを日課とし欠かしたことがない。それはどんな場面においてもコメンテーターとして専門用語を理解し使いこなすためでもある。また、アメリカの最新芸能情報を収集するため、スペクターコミュニケーションズのロサンゼルス事務所より芸能誌を空輸させている。

2001年9月には横綱曙の断髪式で曙の髷に鋏を入れた。

彼の金髪はトレードマークにもなっているが、実は常に染めている。日本でタレント活動スタート時より、外国人タレントとしてのイメージを強調するため、髪は金髪に染めており、目にはブルーコンタクトレンズを入れ、これは今にいたるまで続いている。

[編集] 日本留学

1972年上智大学に留学し、1975年シカゴ放送学校を卒業。シカゴのコメディ劇団セカンド・シティに所属したり、ギャク・ライターとして活躍した後、ABCテレビの番組プロデューサー及び番組内における日本特派員として再来日する。 日本留学時代は学業の合間を縫って、天地真理などのアイドルの追っかけに熱中していた。

[編集] 結婚

1976年、副業で日本人の旅行案内員をしているときに、後に結婚する京子とロサンゼルスのホテルニューオータニロサンゼルス(現在はニューオータニグループより離脱)で出会う。京子はホテルでコンシエルジュとして働いていた。その時デーブは憧れていた加山雄三から取ったユウゾウと名乗っていた。1981年結婚し、1983年に活動拠点を東京に移す。京子との間に子はいない。姉が1人いる。

長く妻と共にヒルトン東京に長期滞在し、ホテル生活は十数年に及んだ。現在は自ら社長を務めるスペクター・コミュニケーションズ(紀尾井町)が入居するビル最上階の自宅兼仕事場に住んでいる。

[編集] 放送作家活動

フジテレビ系『笑っていいとも!』で「デーブ・雄三・スペクター」名でデビュー。(ただし、日本のテレビへの初出演は、テレビ東京系列の『おもしろプレヌーン』である。)巧みな話術に注目が集まり、徐々にテレビパーソナリティとしての活動に軸足を置くようになり、ドラマやCMなどにも活動の場を広げる。

現在は「ダジャレを発するアメリカ人」として、バラエティで重用される一方、「ABCプロデューサー」「エンターテイメントのスペシャリスト」として各種情報番組のコメンテーターとしても活躍し、常に好コメンテーターとして名を連ね、オリコン2009年「好きなコメンテーター」1位を獲得。 彼の代名詞とも言えるアメリカン・ジョークと、そこに潜ませた“的確さ”“知識の豊富さ”が支持され、唯一、全世代にわたりTOP3入りを果たした。

なお、来日して初めて言ったダジャレは、「住めば都はるみ」である。たまたまテレビに都はるみがでていたからである。その他に、「案ずるより横山やすし」などがある。

1985年5月13日 - 9月23日まで、フジテレビ系列で、月曜夜9時から放送されていたバラエティ番組『夜はタマたマ男だけ!!』や、1973年より長期に渡って放送された『ひらけ!ポンキッキ』の構成も行った。

[編集] コメンテーターとして

1990年代以降のタレント活動はワイドショーのコメンテーターとしての出演が多い。どのニュースにもコメントを行うが、アメリカなど海外の芸能ニュースを得意とし、フジテレビ系とくダネ!』やテレビ朝日ワイド!スクランブル』では海外芸能ニュースを担当。肩書きは「テレビプロデューサー」としている。コメンテーター以外の仕事としてはWOWOWでは『デーブ&麻里の海外ドラマNAVI』で毎週土曜日、レギュラー司会を務めている。さらに2010年春からは『J-MELO』(NHKワールドTV)にスペシャル・コメンテーターとして定期的に出演している。

テレビプロデューサーとしては、『愛する二人別れる二人』(フジテレビ系)に対し、「本物はもっと凄い」と元ネタになった番組『ジェリー・スプリンガー・ショー(The Jerry Springer Show)』の放映権を直接買いに行ったという。

アメリカABCテレビ番組プロデューサーとしての実績が功を評し、海外番組の買い付けを行っている。マイケル・ジャクソンが亡くなった時は、いち早く各局に映像を提供し、現地報道陣より先に最新情報を手に入れていたとして、どこの番組がデーブを確保できるのか、しのぎを削りあっていた。 各局の中にはデーブのアイデアと情報を求めて昼夜問わず連絡を入れるメディア人間が数多く、一日の睡眠時間が3~4時間は定説。

タレントを発掘する能力にも長けており、当時関西のテレビ番組に出演していた橋下徹に目をつけ、プロフィールを作って東京の各テレビ局を訪ね、デーブ自ら売り込みをして回り、東京進出に一役買った。

また、独自で探してきた日本の優れた人や物を米国の番組で数多く紹介してきている。今ハリウッドセレブの間で流行っている温水洗浄便座をいち早く米国のメディアで紹介したり、日本の番組を紹介し、それを見たテレビ局が米版の番組を作るきっかけを作った。「風雲たけし城」や「料理の鉄人」等はデーブが最初にアメリカに紹介した。

東日本大震災では「日本で暮らすアメリカ人」としてアメリカのケーブルニュースMSNBC[3]やFOXニュース[4]にコメンテーターデビュー。故郷シカゴの放送局にも出演した[5]

[編集] 出自・職業についての諸説

テレビプロデューサーの肩書きだが、CIAスパイ説や、埼玉県出身説などの俗説がある。CIAスパイ説については、フジテレビ系『笑っていいとも!』に出演していた頃、当時のいいとも青年隊だった久保田篤が、デーブの暮らすホテルに遊びに行ったところ、ホテルの部屋にテレビ用機材が多数設置されているのを発見し、「デーブはCIAのスパイなの?」と尋ねた。それを本人がギャグにしてしまった、との話がある。埼玉出身説は高田文夫がネタで言ったのを『東京スポーツ』が1面の大見出し(1992年7月9日付)で扱ったことから広まったもので[6]、講演会等で紙面をパネル化したものを披露するなどデーブ自身の持ちネタにもなっている[7]

アカデミー賞の選考資格を持つ「映画芸術科学アカデミー(AMPAS)の会員」は和訳の間違えで選考資格ではなく、投票する資格をもっていた。

テレビ番組の企画で、ある大学の英語の入試問題を解いたことがある。このときにデーブが語った「(英語の問題文の)その表現は100年前の英語だよ」というコメントを参考に、その大学では入試問題の検討をしている。

2010年3月24日放送のシルシルミシル(テレビ朝日)にて、視聴者から「デーブ・スペクターは何をプロデュースしたのか」という題目が出たため本人にインタビューした。その際に自分の仕事について「スペクター・コミュニケーションズ(海外の映像作品などを仲介する仕事)がいちばん遣り甲斐のある仕事」と答えている[8]

[編集] 都市伝説

本人のジョーク好きの性格も相まって、デーブには大変多くの都市伝説が存在する。上記の埼玉県出身説については、昔より「埼玉県浦和市(現:さいたま市浦和区)出身」や「埼玉県所沢市出身」などという、具体的な県内の地名を含んだ形で幾つかの説が流れていた。また、趣味がダジャレ集めという点も、彼により日本人らしさを感じる要素があるといえる。

ジョークで僕は英検3級だと言っているが、勿論英検3級は最初から受けていない(あまりにも彼にとって簡単だからの理由)。ただ以前テレビ番組で英検1級を受けたが、正式な受験ではなく、あくまでもテレビ用だった為に後日、正式に英検1級を受けている。なお、最近ミヤネ屋に出演した際には、英検1級を取得したことを示唆していた。現在彼のTwitpicで英検1級の合格証明書の画像を見ることが出来る[1]

ちなみにTwitterのプロフィールは「自称外人。埼玉県上尾市生まれ説があるが本当はシカゴ出身である。芸能界のウィキリークスとも言われてる」と上記の都市伝説を意識したジョークを含ませたものになっている。

[編集] エピソード

  • 千の風になって』を日本に紹介したのはデーブ・スペクターである。坂本九の葬儀を知ったデーブが、葬儀委員長を務めていた永六輔に、良い詩があるからと『Do not stand at my grave and weep』を翻訳して送り、朗読してほしいと頼んだ。永はその詩を葬式で朗読した。
  • ライブドア元社長の堀江貴文に対しては、一貫して反・堀江を貫いた。
  • 東京での移動は、かつては地下鉄を利用することが多かった。理由として、タクシーと違い安価で時間に正確であることのほか、治安が良いこと、そして、吊革広告は、日本的な広告であり、現在の流行を雑誌を読むより早く掴み易いからということである(彼の得意なことでもある人間観察も含まれている)。目撃例も多く、テレビでコメディアンなどが「テレビ局以外であった有名外国人」などのネタにすることもしばしばであり、特に関西でやしきたかじんの番組出演時には、そのことでいじられるのが定番のネタであった。
  • 民主党のキャッチフレーズとして2009年新語・流行語大賞を受賞した「政権交代」を民主党のフレーズに掲げたほうが良いと鳩山由紀夫に提言、鳩山は後に妻の京子スペクターと会った時に「デーブさんのおっしゃってくださった“政権交代”を使わせて頂いています」と礼を述べたと言う。
  • テレビの番組内で、高岡開町400周年事業の記念切手やトランプでの『立山連峰』を『立山連』と誤植が相次いだことに関して、デーブ・スペクターが「彼らは独立する気なのでしょうか」と述べたことがきっかけで、利長くんを初代大統領とする『立山連邦王国』が誕生した。後日、デーブには連邦議会から「建国の父」の称号と記念品が贈呈された。
  • コンバット!』の初期8エピソードに出ていたブラドック一等兵役のシェッキー・グリーンは伯父だとWOWOW番組「海外ドラマ60年」内で語った。
  • 2009年3月、バラク・オバマ政権発足に伴いアメリカにいる従兄弟のジョン・レイボビッツが連邦取引委員会(日本の公正取引委員会にあたる)の委員長に任命された。
  • オリコン発表の2009年度好きなコメンテーターランキングで第1位を獲得した。2008年度は総合2位(20代社会人及び30代では1位)、2007年度も総合2位(10代支持は1位)であった。
  • デーブ・スペクターへのインタビューとしては森達也著『放送禁止歌』(光文社・知恵の森文庫)の第3章(放送禁止歌 日本VSアメリカ「デーブ・スペクターとの対話」)がある。ここでのデーブは権力、あるいはマイノリティーに対するスタンス、想いを率直に吐露している。デーブ・スペクターの素顔が垣間見られる数少ない貴重な資料である。
  • ミヤネ屋の企画で「エクスペンダブルス」のシルベスター・スタローンに直接インタビューを試みた際、続編を作る際に出演してくれそうな役者の名前として、デーブがアーノルド・シュワルツェネガー・カリフォルニア州知事の名前を挙げ、その理由として「もうすぐ無職(任期終了)になるからね」と英語でジョークを飛ばしていた。
  • 2006年9月10日13時ごろ、東京の千代田区のビル駐車場で愛車シボレー・コルベット(1981年式)のエンジンを掛けようとしたところ、突然エンジン部分から出火。消防車が30台も出動する騒ぎになる。

[編集] 出演

[編集] テレビドラマ

[編集] 映画

[編集] トーク・バラエティ番組

[編集] 現在

[編集] 過去・不定期出演

その他、多数

[編集] CM

[編集] 著書

  • デーブ・スペクターの東京裁判(文藝春秋
  • 文明退化の音がする(新潮社
  • 英語で外人を笑わせる法(新潮社)
  • これはジョークのご本です(集英社
  • 可愛い類人猿(ワニブックス
  • 日本人は英語が得意(ゴマブックス
  • 全米スナック芸大会(ゴマ書房)
  • 英語はナガシマ流でいけ(ゴマ書房)
  • アメリカ大ギモン(平凡社
  • ガンピズム(ソニーマガジン
  • 政治的に正しいおとぎ話(訳)(DHC
  • 政治的にもっと正しいおとぎ話(訳)(DHC)
  • 政治的に正しいクリスマス物語(訳)(DHC)
  • パン屋のヤコブ(訳)(DHC)
  • 住めば都はるみ(コラム連載)(宝島
  • 僕はこうして日本語を覚えた(同文書院
  • ディルバートの法則(解説)(アスキー
  • デーブ・スペクターのイノシシに抱かれたい(自筆コラム連載)(日刊スポーツ
  • デーブ・スペクターの電波障害手帳(自筆コラム連載)(東京スポーツ新聞
  • 放送禁止歌(監修)(解放出版社

[編集] 脚注

  1. ^ 『Dictionary of American Family Names』(Patrick Hanks, Oxford Univ Pr, 2003)、および彼の姓である「スペクター」はロシア語инспектор (英語では"inspector"、日本語で「監察官」の意)に由来している(スペクターも参照)。
  2. ^ 「わたし&紅白歌合戦」出演時本人談
  3. ^ 'Hardball with Chris Matthews' for Friday, March 11th, 2011 msnbc.com
  4. ^ What's Happening on the Ground in Japan? FoxNews.com
  5. ^ Former Chicagoan Dave Spector Talks About His Experience in Japan's Quake myFoxChicago.com (WFLD)
  6. ^ デーブ・スペクターの〝人生〟を変えた東スポ1面”. 東京スポーツ (2010年11月21日). 2011年4月22日閲覧。
  7. ^ 高田文夫のラジオビバリー昼ズ』2011年4月21日オープニングトークより。
  8. ^ マイケル・ジャクソンが死去した際に、最初に日本のテレビ局へ現地の映像を提供したのはスペクター・コミュニケーションズであった。


  • 米国ABC放送番組プロデューサーとして来日。
  • 全米放送連盟(NAB)所属。
  • 国際映画・テレビ監督労働組合(DGA)所属。
  • 米国テレビ・ラジオ出演労働組合(AFTRA)所属。
  • ラジオ・テレビジョンニュースディレクターズ・アソシエーション(RTNDA)所属。
  • 全米講演者協会(NSA)所属。
  • 日本外国特派員協会所属。
  • 在日米国商工会議所所属。
  • 特定非営利活動法人 日本ガーディアン・エンジェルス顧問。
  • ATP(社)全日本テレビ番組制作者連盟 所属。
  • 日本脚本家連盟 所属。
  • 日本放送作家協会 日本初外国人放送作家。
  • 大正大学非常勤講師 1997年度。
  • アナハイム大学 人文学名誉博士号。
  • 国際電気自動車シンポジューム受賞。
  • 文部省認定実用英語技能検定1級。
  • 上級救命技能習得。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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