うめぼしのうた

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うめぼしのうたは、明治時代から大正時代にかけて、尋常小学校国語教科書に掲載されていたである。

この詩に曲をつけた歌曲が複数存在する。#歌曲を参照。

目次

[編集] 来歴

この詩の初出は、1910年(明治43年)発行の『尋常小学読本 巻五』[1]

作者は、芳賀矢一であるらしい。芳賀の弟子である井上赳の『国定教科書編集二十五年』(1984年、武蔵野書院)には、「かいぎゃく自在な『梅干』の歌などは、(芳賀)先生の面目躍如たるもので」とある。

[編集] 歌曲

ひらけ!ポンキッキ』で、関田昇介がこの詩を一部変更したものに曲をつけ、鈴木玲子の歌唱で放送された。1983年児島由美の「ほえろ!マンモスくん」とのカップリングでシングルレコードとして発売された。

2000年宮川博之がこの詩に新たに曲を付け、2001年には宮川の歌唱でCD化された。ビデオ(VHS・DVD)も製作されている。この曲には鈴木マリ子により振付「元気体操」も製作された。また「うめぼしのうた」の主人公として、梅干の男の子のキャラクター「うめサブロー」が設定されている。

2003年には紀州梅干PR推進委員会(現:紀州梅の会・梅干し部会)により詩を一部変更し、増南正の作曲、柳森万里の歌唱で「梅ぼしのうた 紀州ばーじょん」が製作された。

2011年12月- NHKみんなのうた で、大島亜佐子 が翻案・補作詞、櫻井映子作曲、ビューティフルハミングバードNHK東京児童合唱団の歌唱で放送された。タイトルは「ウメボシジンセイ」

[編集] 全文

二月三月花ざかり、うぐひす鳴いた春の日のたのしい時もゆめのうち。
五月六月実がなれば、枝からふるひおとされて、きんじょの町へ持出され、何升何合はかり売。
もとよりすっぱいこのからだ、しほにつかってからくなり、しそにそまって赤くなり、
七月八月あついころ、三日三ばんの土用ぼし、思へばつらいことばかり、それもよのため、人のため。
しわはよってもわかい気で、小さい君らのなかま入、うんどう会にもついて行く。
ましていくさのその時は、なくてはならぬこのわたし。

[編集] 脚注

  1. ^ 懐歌詞(なつかし)のうめぼし朝日新聞社、2002年12月16日。(同日付夕刊掲載)

[編集] 外部リンク

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