アメリカ横断ウルトラクイズの各大会の詳細

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本記事では、日本テレビで放送された『アメリカ横断ウルトラクイズ』の各大会の詳細について記述する。

  • この項目で述べる地名およびクイズ名称の表記は、番組内での表記に従うものとする。「CP」は「チェックポイント」の略記。
  • 実際の大会では実施されたが放映されなかったクイズ(どろんこクイズの勝者決定戦など)や、席順決めのためのクイズ、3位決定戦、勝敗に無関係なクイズ(敗者予想クイズなど)は割愛する。また、各クイズの参加・通過人数は放送上でのものであり、実際とは異なる場合がある。
  • 「決勝戦の結果」は放送上のポイントであり、実際と異なる場合がある。また、名前の順はテレビの画面通り。
  • 決勝戦進出者・機内1位の氏名、年齢、職業は特記がない限り開催当時のものであり、現在のものではない。
  • 各挑戦者にある番号は参加したときのネームプレートに書かれた番号を指す。

目次

[編集] 第1回(1977年)

日本テレビ開局25年記念番組として初開催。単発番組として扱われたため、「第1回」という表記はなく、番組タイトルも「史上最大! アメリカ横断ウルトラクイズ」だった。2週連続で放送されたが、当初は1週のみの放送予定であったが放送時間が不足したために2週連続に拡大された。スタジオでは観客に対して賞金付きクイズ王予想が行われた。

シンプルな大会であり、各チェックポイントで行われたクイズは大半が早押しクイズであった。当時は成田空港(新東京国際空港、現・成田国際空港)が未開港であったため、第二次予選は羽田空港(東京国際空港)で行われた。

チェックポイント 地名 クイズ 人数
第一次予選 後楽園球場 ○×札上げクイズ 404→80
第二次予選 羽田空港 ジャンケン 80→40
第1CP 東京→グァム 機内800問ペーパークイズ 40→30
第2CP グァム ○×札上げクイズ 30→17
敗者復活戦 ○×札上げクイズ 7→3
第3CP ハワイ 1対1早押しクイズ 20→10
第4CP サンディエゴ インスピレーションクイズ 10→6
第5CP フェニックス 灼熱の早押しクイズ 6→5
第6CP ダラス 早押しクイズ 5→4
第7CP ニューオルリンズ 早押しクイズ 4→3
第8CP アトランタ インスピレーションクイズ+早押しクイズ 3→2
決勝ポイント ニューヨーク 早押しクイズ 2→1
  • ※:直前の○×クイズの最終問題での失格者のみ参加。

決勝戦進出者

  • クイズ王 : 松尾清三(京都府出身、No.15、38歳、機内1位
    立命館大学OB、材木店経営。当時は関西地区を中心にクイズ番組に参加、優勝歴も豊富。クイズ開始前に歌いだす、口笛を吹くといったマイペースぶりを見せていた。第11回準決勝では、彼との勝負に勝てば決勝進出というクイズ形式がとられた。
  • 準優勝 : 藤原滋子(愛知県出身、No.74、27歳、機内8位(女性2位))
    当時既に数多くのクイズ番組で優勝を果たしており、当時の日本のクイズ界では松尾以上の全国区の抜群の知名度を誇っていた。グァムで敗者復活。ウルトラクイズでは初めての敗者復活者の一人。本土上陸後は、フェニックス以外は決勝進出まで全てトップ通過。福留からつけられたニックネームは駿足のエマニエル
  • 決勝戦の結果: (松尾)+10 VS +3(藤原)

優勝賞品

[編集] 第2回(1978年)

単発番組だった第1回が予想を上回る好評を得たことにより、年1回のレギュラー化が決まった。

この回より、第一次予選が後楽園球場のグラウンドで行われるようになった。成田空港の開港により、第二次予選会場は羽田から成田へと移された。本土上陸後のルートは、前大会がアメリカ合衆国南部を経由するルートであったのに対し、この回ではアメリカ北部を経由するルートとなった。

クイズにバリエーションを出し始めるものの、その後の本番組の原型になるようなものはまだそれほどなかった。この回で「機内クイズ」の判定機、通称「ブーブーゲート」が初登場している。決勝戦では、日本にいる挑戦者の親族(成田のジャンケンの会場で待機)と国際電話を用いた音声のみの衛星中継を行った。

チェックポイント 地名 クイズ 人数
第一次予選 後楽園球場 ○×クイズ 700→100
第二次予選 成田空港 ジャンケン 100→50
第1CP サイパンへ 機内500問ペーパークイズ 50→40
第2CP サイパン ○×札上げクイズ 40→7
敗者復活戦 カルタクイズ 25→13 ※1
第3CP ハワイ 記憶力クイズ 20→10
第4CP サンフランシスコ インスピレーションクイズ 10→9
第5CP レイクタホ リレークイズ 9→8
第6CP リノ 一発逆転 ギャンブルクイズ 8→6
敗者決定戦 ルーレット 2→1
第7CP デンバー ※2 酸素欠乏・耐寒クイズ 7→6
第8CP シカゴ 国際電話連想クイズ 6→5
第9CP ナイアガラ 早押しクイズ 5→4
第10CP ボストン 熱気球ダウンアップクイズ 4→2
決勝ポイント ニューヨーク 早押しクイズ 2→1
  • ※1:○×クイズの最終問題での失格者のみ参加。
  • ※2:郊外の山地パイクスピークでクイズ決行。

決勝戦進出者

  • クイズ王 : 北川宣浩(東京都出身、No.69、24歳、機内1位
    東京都立大学(現・首都大学東京)卒。それまで勤めていた建築会社を辞めての初参加。本番組出場以前から妹と共にクイズ番組の優勝経験が豊富で、広くその名を知られていた。サイパンで敗者復活を果たし、ハワイ以降はリノ(2位通過)と準決勝を除いてトップ通過の連続であり、歴代クイズ王の中でも実力はトップクラス。ともに第一次予選を通過した妹は成田で敗退。本人は第4回でも第一次予選を突破し、再び機内1位を獲得するが、グァムのどろんこクイズの敗者第1号となった。
  • 準優勝 : 間下友美子(東京都出身、No.42、27歳)
    クイズ番組ファンという一家の末っ子で、ともに第一次予選を通過した兄が成田・姉がサイパンで敗れるが、本人はクイズ番組初挑戦ながら決勝まで勝ち残った。サイパンで敗者復活。
  • 決勝戦の結果 : (間下)0 VS +10(北川)

優勝賞品

[編集] 第3回(1979年)

番組テーマ曲がこの回から「スタートレックのテーマ」となり、番組内で使われる他の楽曲の多くもこの回から使用された。早押しテーブルなどの機材もこの回のものが基本になっているものが多い。

体力系のクイズが行われ始め、バラマキクイズやダイビングクイズ(ドボンクイズ)など、その後の番組の代名詞になるようなクイズが初登場し、クイズ形式の基礎が確立された。ルートは第1回よりもさらに南側のコースとなり、フロリダ半島に初上陸した。

この回から本土上陸者中の女性の割合が男性に比べて低くなり、女性挑戦者が番組のマスコット、アイドル化した。挑戦者間の連帯感を強く打ち出した回だった。

チェックポイント 地名 クイズ 人数
第一次予選 後楽園球場 ○×クイズ 1362→100
第二次予選 成田空港 ジャンケン 100→50
第1CP 東京→サイパン 機内400問ペーパークイズ 50→40
第2CP サイパン お泊まりクイズ 40→20
第3CP ハワイ ダイビングクイズ 20→10
第4CP ロスアンゼルス ※1 ゲストインスピレーションクイズ 10→8
第5CP グランドキャニオン 早押しクイズ 8→7
第6CP ツーソン バラマキクイズ 7→6
第7CP サンアントニオ ※2 早押しクイズ 6→5
第8CP ヒューストン ゲストインスピレーションクイズ+早押しクイズ 5→4
第9CP マイアミ リ・タイヤクイズ 4→3
第10CP ワシントン ※3 早押し封鎖クイズ 3→2
決勝ポイント ニューヨーク 早押しクイズ 2→1

決勝戦進出者

  • クイズ王 : 宗田利八郎(福島県出身、No.17、29歳、機内5位)
    早稲田大学OBで、造り酒屋の若旦那。大学時代は落語研究会に所属していた。愛称は、アブドーラ・ザ・ブッチャーに似ていると言われたことから「ブッチャー」と呼ばれた。複数のクイズ番組での優勝経験があるが、準々決勝までトップ通過ゼロ。第5回でも国内予選を突破するがハワイではクイズ前日にディスコで豪遊したのが崇り他の豪遊仲間共々敗退した。またこの回では、第一次予選終了後、同じく第一次予選を突破した女性の中に婚約者がいると発表したが、この女性は成田で敗退した。
  • 準優勝 : 田上 滋(京都府出身、No.69、18歳、機内5位(宗田と同点))
    当時は浪人生。宗田とは逆に、本番組がクイズ番組初挑戦であった。体力系に強く、バラマキクイズとリ・タイヤクイズでトップ通過している。10代での決勝進出を果たしたのは後にも先にも田上一人だけ。
  • 決勝戦の結果 : (宗田)+10 VS +7(田上)
  • 機内1位 : 岩崎悠一(サイパンにて敗退)

優勝賞品

  • 競走馬一頭(ダラスにて贈呈。数え年で8歳、人間でいうと45歳程度の老馬だった。ヒューストンまで進出した女性挑戦者の名前「千春」から「サウザンド・プランタン」(「千の春」という意味。「プランタン」はフランス語)と命名)

[編集] 第4回(1980年)

成田での敗者復活戦がこの回から始まり、ジャンケンに負けた人にも国外脱出のチャンスが与えられるようになった。また、どろんこクイズが初登場、更に通せんぼクイズの前身・通過クイズが登場し、各クイズ形式にも一ひねりを入れ始めた。準決勝では全大会で唯一、プエルトリコに上陸した。

歴代で唯一、女性がクイズ王となった大会であり(他のレギュラー大会ではすべて男性が優勝)、本土上陸した女性4人が準決勝まで1人も脱落しなかった。決勝戦は初めてクイズ番組未経験者同士の対決となった(第4回のほかは第7回と第14回のみ)。

チェックポイント 地名 クイズ 人数
第一次予選 後楽園球場 ○×クイズ 2707→100
第二次予選 成田空港 ジャンケン 100→50
敗者復活戦 ビンゴマシーン 50→1
第1CP 東京→グァム 機内400問ペーパークイズ 51→40
第2CP グァム ○×どろんこクイズ 40→20
第3CP ハワイ 新ダイビングクイズ 20→10
第4CP サンフランシスコ ゲストインスピレーションクイズ 10→9
第5CP ソルトレイクシティ 新バラマキクイズ 9→8
第6CP イエローストーン 輝け! 熱湯早押しクイズ 8→7
第7CP コロラドスプリングス 裸足のかけ氷クイズ 7→6
第8CP アルバカーキ インディアン早駆けクイズ 6→5
第9CP ニューオリンズ ※1 水風船タッチダウンクイズ 5→4
第10CP プエルトリコ※2 早押し通過クイズ 4→2
決勝ポイント ニューヨーク 早押しクイズ 2→1

決勝戦進出者・機内1位

  • クイズ王 : 上田由美(千葉県出身、No.24、21歳→22歳、機内成績非公表)
    高校時代にフェンシングインターハイ優勝の経歴を持つ。本番組唯一の女性優勝者で、本番組以外のクイズ番組出場経験はない。成田のジャンケンで対戦相手からもらったハチマキを締めて以降のクイズに臨んだことから「ハチマキ娘」と呼ばれる。本土上陸のイエローストーン以降すべてトップ通過で、他の挑戦者を圧倒していた。1986年に結婚して苗字が「山口」になる。後に国際便フライトアテンダントになり、その職業柄日本にいないことが多く、優勝以降は本番組への参加ができない時期があったが(「史上最大の敗者復活戦」では、クイズ王連合軍の一人として参加した)、第14回から再び参加するようになった。
  • 準優勝 : 松澤典子(東京都出身、No.51、20歳)
    クイズ番組初挑戦で、母親と一緒に参加。母親は機内ペーパークイズで脱落。
  • 決勝戦の結果 : (上田)+10 VS +4(松澤)
  • 機内1位 : 北川宣浩(東京都出身、26歳、グァムにて敗退)
    第2回に続いて、2度目の機内1位を獲得。

優勝賞品

[編集] 第5回(1981年)

第1問が球場前で発表されるようになった。また、初めてアメリカ合衆国以外の国(メキシコ)にチェックポイントを置いた。これ以降アメリカ以外の国にも行くことが定着。前期ウルトラクイズの中では最もチェックポイントの多い大会となった。空席待ちクイズ、奇襲クイズ、通せんぼクイズが初登場。一方、罰ゲームはますます厳しくなり、「敗者の事前の同意なく72歳の老女と強制的に結婚」(ラスベガス)、「闘牛」(メキシコシティ)、「イグアナのフルコース料理を食べる」(テオティワカン)、「スカイダイビング」(フェニックス)などが登場、その厳しさに批判的な意見が新聞(読売新聞など)の投書欄に出るようになった。

準決勝地ノックスビルは前期ウルトラクイズでは最も激しい戦いが繰り広げられ、第13回・準決勝の激戦が行われるまでは「史上最大の名勝負」と言われていた。

チェックポイント 地名 クイズ 人数
第一次予選 後楽園球場 ○×クイズ 6473→100
第二次予選 成田空港 ジャンケン 100→50
敗者復活戦 ○×クイズ 50→5
第1CP 東京→サイパン 機内400問ペーパークイズ 55→45
第2CP サイパン 早起き空席待ちクイズ 45→20
敗者復活戦 ○×どろんこクイズ 25→10
第3CP ハワイ クレーン宙づりドボンクイズ 30→14
第4CP ホノルル空港 ※1 眠気ざましの奇襲クイズ 14→13
第5CP ラスベガス ゲストインスピレーションクイズ 13→12
第6CP アカプルコ ドラフトクイズ 12→11
第7CP メキシコシティ メキシコの子供たち95人に聞きますクイズ 11→10
第8CP テオティワカン 早押し 急がば祈れクイズ 10→9
第9CP フェニックス 落下傘バラマキクイズ 9→8
第10CP エルパソ 早押しクイズ ※2 8→6
敗者復活戦 先に眠った方の勝ち 2→1
第11CP ヒューストン ※3 早押しクイズ 7→6
第12CP メンフィス ダウンタウンツアークイズ 6→4
第13CP ノックスビル ※4 通せんぼクイズ 4→2
決勝ポイント ニューヨーク 早押しクイズ 2→1

決勝戦進出者・機内1位

  • クイズ王 : 真木法男(茨城県出身、No.6、24歳、機内成績非公表)
    中央大学の学生。愛称は「メガネカマキリ」(細身の身体と色つきのメガネから)。番組初の現役大学生クイズ王。クイズ番組優勝経験が複数回ある実力者だったが、サイパンでの敗者復活を皮切りにテオティワカンとフェニックスで苦戦、腹痛にも悩まされた挙句トップ通過はゼロ。福留から三枚目っぷりを弄られた。
  • 準優勝 : 杉山 眞(東京都出身、No.73、32歳)
    電気会社勤務。クイズの実績も既に十分に持っていた。実力派が多かった当大会にあって常時3番手から4番手で抜けており、安定感では真木を上回っていた。義兄弟で予選を通過し(杉山は義弟)、義兄はハワイまで進出した(義兄は後に第13回ではウルトラクイズへの参加全13回皆勤ということで第一次予選で敗者復活し、オーストラリアまで進出している)。真木とは『クイズグランプリ』の優勝商品でヨーロッパ旅行を共にした間柄。
  • 決勝戦の結果 : (真木)+10 VS +2(杉山)
  • 機内1位 : 道蔦岳史(神奈川県出身、No.69、19歳、メンフィスにて敗退)
    当時「学生クイズ王」として名を馳せており優勝候補と呼ばれていたが、準々決勝のエルヴィス・プレスリーに関する問題を多く集めた三択クイズでライバル(機内2位の大学生)共々敗退した。

優勝賞品

[編集] 第6回(1982年)

成田第二次予選ではクイズ(実体はほとんどジャンケン)が行われた。ルートはアメリカのみだったが、常夏のサイパンから極寒のアラスカへと駒を進めるなどバリエーションを持たせた。双子神経衰弱クイズが初登場。また、この回から早押しクイズの効果音(解答権取得・正解・不正解)がアナログ音から電子音に変更された。

司会の福留功男が旅の途中で病気になったこと[1]や、制作費の一部を持ったADが強盗に襲われ、またそのADが優勝賞品の旅行のロケに同行中に赤痢に感染するなど事件が多発したことから[2]、福留自身「呪われた回」と述べている。

優勝旗返還が2年ぶりに登場(前回は第4回クイズ王・上田由美が不参加のためやらず)。さらに、前回のクイズ王・真木法男と共に北川宣浩と宗田利八郎も入場、これ以後、「歴代クイズ王の入場パレード」は恒例となる。しかし3人のクイズ王はいずれも第一次予選で失格。以後第12回まで歴代クイズ王は7年連続第一次予選を突破できなかった。

チェックポイント 地名 クイズ 人数
第一次予選 後楽園球場 ○×クイズ 7332→100
第二次予選 成田空港 ジャンケン+1対1対決クイズ 100→49
敗者復活戦 早押しクイズ 51→1
第1CP 東京→サイパン 機内400問ペーパークイズ 50→40
第2CP サイパン 早起きクイズ 40→20
成田空港 敗者復活戦 ○×クイズ 20→4
第3CP アラスカ ※1 1対1早押しクイズ 24→12
第4CP ロスアンゼルス リレークイズ 12→11
第5CP バーストー ゴーストうらめし早押しクイズ 11→10
第6CP モニュメントバレー 荒野の決闘 バラマキクイズ! 10→8
第7CP ダラス テキサス宅急便早押しクイズ 8→7
第8CP ニューオリンズ 早押し双子神経衰弱クイズ 7→6
第9CP ルイビル ※2 ケンタッキーダービークイズ 6→4
敗者復活戦 ニワトリ追っかけバラマキクイズ 2→1
第10CP ワシントンDC ※3 通せんぼクイズ 5→2
決勝ポイント ニューヨーク 早押しクイズ 2→1

決勝戦進出者・機内1位

  • クイズ王 : 高橋直樹(静岡県出身、No.59、29歳、機内3位(男性2位))
    愛称「トドさん」(体重100キロの巨漢)。本番組以前に『パネルクイズ アタック25』で優勝経験があったが、その実績から福留からは序盤から強敵扱いされていた。クイズでは強気な姿勢にも関わらず準々決勝までトップ通過はゼロだった。結婚式をまだ挙げていなかったため、スタジオで式(ケーキカット)を挙げた。第3回でも後楽園を通過したが、成田で敗退している。
  • 準優勝 : 高木 剛(茨城県出身、No.70、21歳、機内2位(男性1位))
    青山学院大学の学生。愛称「カッペ」(「田舎っぺ」より)。コンピュータ予想では常時トップにいて、ほとんどのチェックポイントを上位で勝ち抜けた。第7回でも後楽園を通過するが、成田で敗退。
  • 決勝戦の結果 : (高橋)+10 VS -1(高木)
  • 機内1位 : 石倉由美子(東京都出身、No.90、25歳、モニュメントバレーにて敗退)
    区役所勤務。女性で初の機内トップ。

優勝賞品

  • 世界一周の旅 (ローマアテネカイロバンコクホンコン。決勝戦当日が出発日で、1週間で回った駆け足の旅。途中、ドバイ空港では撮影禁止であったため逮捕され、その後出国を許され事なきを得たが、このハプニングは放映されなかった)

[編集] 第7回(1983年)

歴代でもファンの評価が高く、福留自身も「歴代ベスト」と評した大会。視聴率も歴代で最高を記録。サポートアナウンサーがこの回から同行するようになった。また、全大会で唯一、大陸上陸後に急病による脱落者が発生した。

前年の『史上最大の敗者復活戦』の優勝者がシード権によりグァム空港から参加したが、合流クイズで敗退。アメリカ合衆国本土への上陸の前にカナダを経由した。

チェックポイント 地名 クイズ 人数
第一次予選 後楽園球場 ○×クイズ 10203→100
第二次予選 成田空港 ジャンケン 100→50
敗者復活戦 早押しクイズ 50→1
第1CP 東京→グァム 機内400問ペーパークイズ 51→40
40人目の上陸決戦 3→2 ※1
第2CP グァム 突撃○×どろんこクイズ 40→19
敗者決定戦 激突! ドロレスカルタクイズ 21→5
第3CP ハワイ 早起きつな引きクイズ 24→12
第4CP バンクーバー 恐怖の三択ふだ捨てクイズ 12→7
敗者決定戦 敗者決定切り株ド〜ン 5→4
第5CP ジャスパー ※2 氷河イス取り早押しクイズ 10→9 ※3
第6CP ロサンゼルス 双子神経衰弱 9→8
第7CP デスバレー 猛暑早押しダブルチャンス 8→7
第8CP レイクパウエル クイズヨットスクール 7→6
第9CP セントルイス ※4 リレー珍発明クイズ 6→5
第10CP ナイアガラ 早押しクイズ 5→4
第11CP オルバニー 新・落下傘パラマキクイズ 4→3
第12CP ボストン ※5 早押しビンゴ通過クイズ 3→2
決勝 ニューヨーク 早押しクイズ 2→1

決勝戦進出者

  • クイズ王 : 横田 尚(東京都出身、No.37、25歳、機内1位
    日本大学卒。新宿駅南口で旅館を営む若旦那であった。本番組以外のクイズ番組の出場経験はない。グァムで敗者復活を果たした。
  • 準優勝 : 渡辺晶夫(千葉県出身、No.42、29歳)
    空港勤務。クイズ番組初挑戦。グァムで敗者復活を果たした。安定感では横田を上回っていた。
  • 決勝戦の結果 : (横田)+10 VS +6(渡辺)

優勝賞品

  • カナダ産ログハウス (カナダ西部のカムループスで贈呈。自分で丸太を切って組み立てなければならなかった。土地も与えられず)

[編集] 第8回(1984年)

初めて全都道府県から参加者が集まった。また、この回から第一次予選での敗者復活戦が行われるようになった。大学生のクイズ研究会の進出がこの大会から本格的に始まった。

大声クイズとジョギング(マラソン)クイズ初登場。準々決勝ではバハマに上陸し、「クイズ史上初」といわれ、当時の最新鋭の技術を駆使した海底でのクイズが実施された。パンナムビルで決勝戦を行った最後の大会。

チェックポイント 地名 クイズ 人数
第一次予選 後楽園球場 ○×クイズ 11048→100
敗者復活戦 パスポート番号抽選 10947→1
第二次予選 成田空港 ジャンケン 101→51
敗者復活戦 航空券争奪敗者復活戦 50→3
第1CP 東京→グァム 機内400問ペーパークイズ 54→41
敗者決定戦 最下位同点決勝○×女神クイズ 2→1
第2CP グァム ※1 突撃○×泥んこクイズ 40→22
敗者復活戦 ドロンコボール争奪クイズ 18→3
暁の奇襲作戦 敗者たらいまわしクイズ 25→24
第3CP ハワイ 朝めし早食い綱引きクイズ 24→12
第4CP サンフランシスコ 双子神経衰弱クイズ 12→11
第5CP リノ ※2 遙かなる山の大声クイズ 11→10
第6CP フェニックス 時間差バラマキクイズ 10→9
第7CP ラピッドシティ ※3 ご先祖様リレークイズ 9→8
第8CP ダコタ ※4 早押しクイズ 8→6
敗者復活戦 先に泣いたほうが勝ち 2→1
第9CP インディアナポリス ※5 ジョギング早押しクイズ 7→6
第10CP キーウェスト 早押しWチャンス潮干狩りクイズ 6→5
第11CP バハマ 海底早押しクイズ 5→4
第12CP フィラデルフィア ※6 決勝進出通過クイズ 4→2
決勝 ニューヨーク 早押しクイズ 2→1

決勝戦進出者・機内1位

  • クイズ王 :石橋史行(東京都出身、No.63、27歳、機内2位)
    麻布大学の学生。歴代クイズ王の中では最も危なげなく各チェックポイントを勝ち抜け、ゲストクイズや体力系のクイズも余裕を持って上位抜けを果たした。クイズを行う際は常に「勝負服」である群青のトレーナーを着ていた(決勝を除く)。
  • 準優勝 : 宍戸浩明(福島県出身、No.5、22歳、機内3位)
    創価大学の学生。本番組挑戦以前から石橋とはクイズ仲間の友人で、第8回以前から予選に一緒に参加していた。その後出演した他局のクイズ番組にて決勝進出し、第12回のベスト8の挑戦者と勝負を決した。
  • 決勝戦の結果 : (宍戸)+7 VS +10(石橋)
  • 機内1位 : 道蔦岳史(東京都在住、22歳、ハワイにて敗退)
    第5回に続き2度目の日本国外脱出を達成するが、ハワイの綱引きクイズでは解答権を取ることなく敗退した。

優勝賞品

  • 高級クラシックカー (マイアミで贈呈。自分で組み立てなければならず、エンジンを自前で調達しなければならなかった)

[編集] 第9回(1985年)

当時のパリ市長ジャック・シラクの招致で、この回はパリが決勝地になり、ニューヨークは北米大陸最後のチェックポイントとなっていた(自由の女神が改修工事中という事情もあった)。アメリカ横断後、大西洋を越え、ヨーロッパのイギリスフランスに上陸。チェックポイントの数も増加し、これまで以上にスケールの大きい大会となった。団体戦クイズが初登場。

機内ペーパークイズのベスト3が本土上陸前に全員敗退するなど、波乱含みの大会であった。番組制作サイドは常々「知力・体力・時の運」を銘うっており、エンディングのナレーションでは、クイズ番組で活躍を重ねる人でなくても勝てることが強調された。この大会の決勝戦は第10回まで最長の収録時間で、挑戦者が誤答を連発してなかなか決着が付かなかったという[3]

またこの回辺りから挑戦者との間に距離が置かれるなど福留のキャラクターに変化が起きている。

チェックポイント 地名 クイズ 人数
第一次予選 後楽園球場 ○×クイズ 11754→100
敗者復活戦 お守りを発見した人が復活 11654→1
第二次予選 成田空港 日高直人アナ腕立て伏せ 101→101
第三次予選 ジャンケン 101→50
敗者復活戦 離陸直前空席待ち早押しクイズ 51→9
第1CP 東京→グァム 機内400問ペーパークイズ 59→45
第2CP グァム 突撃○×どろんこクイズ 45→24
敗者復活戦 どろんこ3択カルタクイズ 21→6
第3CP ハワイ クイズ・ジャポン ワイらキキ一髪 30→15
敗者復活戦 アンケートクイズ 15→3
第4CP サンフランシスコ ※1 バケツリレー6連発クイズ 18→12
敗者決定戦 一問三答早押しクイズ 6→4
第5CP ヨセミテ ヨセミテや 岩にしみいる 大声クイズ 16→14
第6CP ロスアンジェルス ※2 懐かしのTVスターハリウッド版 あの人は今 14→13
第7CP ラスベガス ※3 足あげエアロビクスクイズ 13→12
第8CP アルバカーキ 夕陽の決闘!! イバラマキクイズ 12→11
第9CP ナッシュビル パルテノン 双子ペアマッチクイズ 11→10
第10CP オーランド 絶叫!! 恐怖のジェットコースター・クイズ 10→9
第11CP アナポリス ※4 アナポリス 早押しダブルチャンスクイズ 9→8
第12CP アトランティックシティ 21のババ抜きギャンブル・クイズ 8→6
敗者決定戦 スロットマシン 2→1
第13CP ニューヨーク ニューヨークシティマラソンクイズ 7→6
第14CP ロンドン 迷路バラマキクイズ 6→5
第15CP ドーバー おかしなおかしなゲストクイズ 5→4
第16CP ドーバー横断○×クイズ ※5 4→2
決勝 パリ 早押しクイズ 2→1

決勝戦進出者・機内1位

  • クイズ王 : 金子孝雄(東京都出身、No.73、20歳、機内31位)
    埼玉大学クイズ研究会所属。愛称「林真理子」(顔が似ていることから)。優勝時の年齢が歴代最年少。福留曰く「最弱のクイズ王」。成田で敗者復活・アトランティックシティでは敗者決定戦で通過と驚異的な運で勝ち上がったが、アナポリスのトップ通過・アトランティックシティで解答回数最多であったなど、ある程度の実力も備わっていた。第9回本放送終了の翌週の『ザ・トップテン』に福留と共に出演し、近藤真彦との早押し対決が企画された(実際の早押しハットやテーブルなどの機材を持ち込んだ。3問勝負で、結果は金子は誤答し、近藤が1問正解で勝利)。
  • 準優勝 : 長谷川威夫(東京都出身、No.77、23歳、機内10位)
    出版会社の営業職。勤務先の当時のコマーシャル「ヤリガイ満々」から「ヤリガイ」という愛称が与えられたが、福留からは「バカガイ」とからかわれていた。グァム・ハワイと2度連続敗者復活。特に、2択3択の選択問題に強かった。
  • 決勝戦の結果 : (金子)+10 VS +8(長谷川)
  • 機内1位 : 永田研自(大阪府出身、No.8、ハワイにて敗退)
    早稲田大学クイズ研究会所属。

優勝賞品

  • 1人乗り小型潜水艦 (サイパンで贈呈。金子が優勝時に叫んだ言葉から「お母さまヤッタ号」と命名。「ウェット型」という形式で潜水艦内部に水が入ってくるため乗員はアクアラング等の潜水具が必要になる)

[編集] 第10回(1986年)

10周年記念大会となったこの回は、途中からルートが2コースに分岐し、それぞれのチャンピオンがニューヨークで合流するという初の試みが取り入れられた。総移動距離5万キロは第12回に次いで2番目、総チェックポイント数18は歴代大会で最も多い。

福留司会の北米ルートは通称「天国ルート」と呼ばれ、遊園地や豪華客船上などでクイズが行われた。チェックポイントはアメリカ合衆国のみだが、クイズの無い日にはバハマも訪れている。一方、同行アナウンサー日高直人司会の南米ルートは通称「地獄ルート」と呼ばれ、ボリビアブラジルに上陸し、標高が高く酸素が薄いという厳しい環境でクイズが行われた。

このほか、全大会で唯一、第二次予選が「腕ズモウ」で行われ、機内ペーパークイズが2機の機内で同時に行われた。また、この回と翌年の第11回では、リバティ島自由の女神像の前で決勝戦が行われた。

前年とは一変して、機内ペーパークイズの上位5人が全員本土上陸を果たすというハイレベルな大会となり、決勝戦でもクイズ実力者同士の激戦が繰り広げられた。

この回は横浜市放送ライブラリーに保存されている。

チェックポイント 地名 クイズ 人数
第一次予選 後楽園球場 ○×クイズ 17162→100
敗者復活戦1 ○×正解予想 8724→4 ※1
敗者復活戦2 ウルトラチェック 17058→6
第二次予選 成田空港 腕ズモウ 110→55
敗者復活戦 敗者復活なぞなぞ団体戦 55→15
第1CP 成田旅立ち ※2 ○×クイズ1問 70→35
第2CP
(+敗者復活戦
成田→グァム 機内400問ペーパークイズ 勝者側35→33
敗者側35→10
第3CP グァム 突撃○×どろんこクイズ 43→28
第4CP ハワイ 富める者も貧しき者も 一問多答つな引きクイズ 28→21
敗者復活戦 山手線サバイバルクイズ 7→1
第5CP シアトル 日米親善 インスピレーションクイズ 22→17
第6CP モハーベ砂漠 驚異のゲスト三択クイズ 17→16
第7CP ロサンゼルス Wチャンス大声+念力クイズ 16→15
第8CP モニュメントバレー 大西部マラソンクイズ 15→13
第9CP エルパソ ※3 13人の金曜日!! 砂地獄早押しクイズ 13→12
第10CP ダラス 飛んで飛んで飛んでばらまきクイズ 12→11
第11CP アトランタ 南・北お別れ早押しクイズ 11→5+5 ※4
北米・第12CP オーランド ※5 そっくりファミリー一家総出の双子神経衰弱クイズ 5→4
南米・第12CP ラパス 標高4080m 酸欠早押しクイズ 5→4
北米・第13CP マイアミ カリブ海ぞうきんがけ早押しクイズ 4→3
南米・第13CP チチカカ湖 インディオの小舟 トトーラ早押しクイズ 4→3
北米・第14CP ナイアガラ ナイアガラ通過クイズ 3→1
南米・第14CP リオデジャネイロ ※6 弱肉強食 ポイント略奪クイズ 3→1
決勝 ニューヨーク 早押しクイズ 2→1 ※7

決勝戦進出者・機内1位

  • クイズ王 : 森田敬和(岐阜県出身・東京都在住、No.33、26歳、機内総合2位(敗者機1位)、南米ルート)
    企画会社社長。拓殖大学卒。本番組挑戦以前から多数のクイズ番組で優勝をおさめていた。成田の○×問題で誤答し機内ペーパークイズで敗者復活。グァムでも敗者復活を果たした(未放送)[4]。早押しクイズでは常に1位か2位で通過。ボリビアでは高熱と腹痛に苦しみ、南米ルートの他の挑戦者が森田のサポートを行った。これによって挑戦者間の連帯感が強まり、準決勝では、挑戦者間で「お互い全力を尽くして、勝者を南米ルート代表として快く送り出そう」という約束が交わされた。さらに北米ルートとの合流前、南米ルートスタッフ全員から手厚い激励を受けたという[4]。優勝直後にクイズ引退を表明するが、後に撤回。
  • 準優勝 :西沢泰生(東京都出身、No.89、24歳、機内総合3位(勝者機2位)、北米ルート)
    会社員。東海大学卒。森田同様、数多くのクイズ番組を制覇した実力者。機内の成績は、森田とはわずか1点差であった。決勝で一時+9対+7とリードするも最後は2ポイント差で敗れた。帰国後、スタジオパートで「永遠に縮まらない2ポイント」と語った。現在もクイズサークルに所属している。
  • 決勝戦の結果 : (森田)+10 VS +8(西沢)
  • 機内総合1位 : 山本道夫(茨城県出身、No.25、35歳、南米ルート・リオデジャネイロにて敗退)
    病院勤務。第二次予選の腕ズモウで敗退したものの「敗者復活なぞなぞ団体戦」にて敗者復活(本人が解答したわけではないが、正解した挑戦者のいた縦列に本人が含まれていたため共に敗者復活)。安定した実力で勝ち進んだが、南米ルートのリオデジャネイロにて敗退した。

優勝賞品

  • 熱気球 (アルバカーキで贈呈。3人乗りの本格派のもの、だが中古品。飛び立ったときにゴンドラから「南米直行」の垂れ幕がぶら下がっていた)

[編集] 第11回(1987年)

後楽園球場で第一次予選が行われたのはこの年が最後となった。福留が引退を宣言するが、敗者の味方・徳光と総合司会の高島の説得により宣言は保留。結果的には翌年も登場しているため事実上の撤回。この回では高島も挑戦者として出場した。

成田へ行く前に埼玉県岩槻市(現・さいたま市岩槻区)の久伊豆神社[5]で第二次予選を行い、また敗者復活戦を名古屋近郊(愛知県小牧市)で行うなど、日本国内からグァムに至るまでの行程において一工夫が施された。

大陸上陸後では、途中のチェックポイントを免除できるルールが採用された。ルート中盤ではメキシコのユカタン半島を経由。タイムレースクイズが初登場。準決勝では第1回クイズ王・松尾清三との対決クイズが行われ、その結果、全大会で唯一、3人が決勝戦に進出した。ちなみに決勝に進出した3名は全員敗者復活者だった。

チェックポイント 地名 クイズ 人数
第一次予選 後楽園球場 ○×クイズ 18017→100
敗者復活戦 歯医者と縁のない人の卵割り 17917→4
第二次予選 久伊豆神社 凶の出来事クイズ 104→103
第三次予選 成田空港 ジャンケン 103→52
敗者復活戦 名古屋 名古屋縦断ミニトラクイズ(クイズ&パチンコ) 52→7 ※1
第1CP 成田→グァム
名古屋→グァム)
機内400問ペーパークイズ 勝者組52→40
復活組7→3
トレードクイズ (グァム) 深夜トレード早押しクイズ 6→3 ※2
第2CP グァム 突撃○×ドロンコクイズ 40→21
敗者復活戦 泥んこリンボー早押しクイズ 19→7
第3CP ハワイ 命預けます 一問多答つな引きクイズ 28→21
敗者復活戦 あつあつワイキキ新婚クイズ 7→3
第4CP ロサンゼルス ※3 戦車ロシアン・ルーレットクイズ 24→12
第5CP パームスプリングス ※4 強風かけこみ大声クイズ 12→11
第6CP デビルスタワー ご存知バラまきクイズ 11→10
第7CP バッドランド 国境突破!! 一足跳びクイズ 10→2+7 ※5
第8CP リンカーン 一問多答早押しリレークイズ 7→6
第9CP チチェンイツァ 恐怖のピラミッドかけのぼり数字クイズ 8→7
第10CP カンクン 日の出タイムショック 7→6
第11CP マイアミ ※6 爆走エアーボートカルタクイズ 6→4
敗者復活戦 日本・米国早起き連想クイズ 2→1
第12CP ワシントン ※7 ワシントンつぶし合いクイズサミット 5→4
第13CP ニュージャージー ※8 ニュージャージー封鎖クイズ 4→3
決勝戦 ニューヨーク 早押しクイズ 3→1

決勝戦進出者・勝者機1位

  • クイズ王 : 稲川良夫(岐阜県出身、No.94、25歳、機内総合1位
    立命館大学クイズソサエティ(RUQS)設立者で初代会長。印刷会社勤務。有給休暇が尽きてしまい会社をクビになるかも知れないという状況の中で当大会に臨んだ。成田で敗れ、名古屋のパチンコによって敗者復活を果たした。早押しクイズでは他を圧倒していたが、その反面、的外れな珍答をすることも多かった。一般企業の社員で決勝進出を果たした挑戦者は何人かいるが、うち優勝したのは稲川が唯一。第13回でも予選を突破するが、グァムで敗退した。
  • 準優勝 : 山賀恵美子(埼玉県出身、No.86、20歳、機内総合6位(勝者機5位))
    青山学院女子短期大学の学生。グァムで敗者復活。この年の上位進出を果たした彼女と他の女性2人と合わせて「三人娘」と呼ばれ、放送当時は番組視聴者の間で非常に人気があった。歴代最後の女性決勝進出者。
  • 第3位 : 高橋充成(神奈川県出身、No.22、21歳、機内総合8位(勝者機7位))
    神奈川大学クイズ研究会会長。ハワイで敗者復活。旅の間一切笑顔を見せないクールさを見せていた。
  • 決勝戦の結果 : +10(稲川) VS 0(高橋) VS +1(山賀)
  • 勝者機1位(機内総合2位): 高橋麻里子(東京都出身、No.68、19歳、カンクンにて敗退)
    駒澤大学の学生で前述の「三人娘」の一人。当初は「機内1位」と紹介されたが、稲川が成績で抜いたため、以降は「機内女性1位」と紹介された。グァムで敗者復活。カンクンでは序盤に連発した早とちりが最後まで尾を引き、敗退した。「三人娘」のもう一人はリンカーンで敗退。

優勝賞品

  • カナダ東部のノバスコシアに浮かぶ (満潮時には畳一畳分を残して水没する岩礁。干潮時には近くの島と歩いて行き来できるようになる。稲川が名古屋のパチンコで敗者復活したことから「パチンコ島」と命名。稲川のブログによれば、実際には岩礁から歩いて行き来できる島が賞品として貰えたという。現在も稲川はこの島を所有しているとのこと)

[編集] 第12回(1988年)

参加資格年齢の上限が45歳から50歳に引き上げられ(50歳になった第1回クイズ王・松尾清三が5年ぶりにして最後の再挑戦)、第一次予選の会場が東京ドームへと移り変わった。敗者の味方が徳光から渡辺正行に交代し、徳光は初めて一般挑戦者として出場した。

北極圏のバローから南極圏のフェゴ島まで南北アメリカ大陸を縦断し、縦断後にアメリカ合衆国再上陸。総移動距離55,000kmという歴代で最も距離の長いルートを辿った。南米ではブラジルとアルゼンチンに上陸。この大会から第16回まで決勝戦は「プリンセス号」の船上で行われた。

挑戦者が敗者になる度に涙を流したり、罰ゲームを受けている敗者を助けたり、終了後も挑戦者同士の交流が活発に行われているなど、挑戦者間の絆の強さが目立った大会となった。

チェックポイント 地名 クイズ 人数
第一次予選 東京ドーム ○×クイズ 20774→100
第二次予選 成田空港 ジャンケン 100→50
敗者復活戦 備えあれば復活ありクイズ 50→5
第1CP 成田→グァム 機内400問ペーパークイズ 55→40
第2CP グァム 突撃○×どろんこクイズ 40→20
第3CP バロー 一問多答 人間ピラミッドクイズ 20→15
敗者復活戦 しもやけ早押しクイズ 5→3
第4CP フェアバンクス
アラスカ鉄道※1
勝ち抜けクイズ 三択クイズ 18→勝抜3
置き去りクイズ 突撃取材クイズ 15→14
勝ち抜けクイズ 空席待ちクイズ 14→勝抜8
置き去りクイズ 時間ですよ! 早押しクイズ 6→5
勝ち抜け&置き去りクイズ 早押しクイズ 5→4
第5CP サンフランシスコ 知力派VS体力派トレード 新・マラソンクイズ 15→14
第6CP パシフィカ クイズ わたしがママよ! 14→13
第7CP ラスベガス クラップス早押しクイズ 13→11
第8CP モハーベ砂漠 バラマキクイズ 11→10
第9CP サンパウロ 勝利への脱シュートクイズ 10→9
第10CP イグアス ※2 大滝びクイズ 9→8
第11CP ブエノスアイレス クイズ タンゴアルゼンチーノ 8→7
第12CP フェゴ島 ※3 最南端で災難クイズ 7→5
敗者復活戦 二重音声クイズ 2→1
第13CP ゲインズビル 爆走ドラッグレースクイズ 6→5
第14CP ワシントンD.C. ※4 大統領選挙クイズ 5→4
第15CP ゲティスバーグ 激戦!! 通せんぼクイズ 4→2
決勝戦 ニューヨーク 早押しクイズ 2→1

決勝戦進出者・機内1位

  • クイズ王 : 瀬間康仁(群馬県出身、No.1、24歳、機内4位)
    RUQS4代目会長(2人目のRUQS出身クイズ王)。第一次予選では最後の問題で誤答したが、補欠繰上げにて成田第二次予選に参加。公務員試験を捨てての挑戦だった。献血が趣味であることから献血ボーイのあだ名がつく。アラスカ鉄道ニナーナ駅とブエノスアイレスではラスト通過となったが、ゲインズビル以降はすべてトップ通過。決勝戦は紋付袴を着て臨んだ。第10回の第一次予選も突破していたが、第二次予選の腕ズモウにて敗退していた経歴がある。
  • 準優勝 : 大江成人(千葉県出身、No.69、21歳、機内2位)
    早稲田大学の学生。アラスカ鉄道で「ノリピー語で"馬場ピー"の意味は?」の問いに「汚い」という珍解答をしたことから、「ババピー」というあだ名をつけられた。ラスベガスのクラップス早押しクイズでは後ろ向きでサイコロを振りラスト通過、フェゴ島では指名のミスも重なり苦戦の末のラスト通過となった。
  • 決勝戦の結果 : (瀬間)+10 VS +6(大江)
  • 機内1位 : 岩隈政信(東京都出身、グァムにて敗退)
    早稲田大学クイズ研究会所属。現在、日本テレビ報道局所属。

優勝賞品

  • バイオマリンスポーツセット一式 (フロリダ州のウィンターヘブンで贈呈。「バイオマリンスポーツ」とは1頭の力によって引かれる水上スキー「ホースウォータースキー」のこと)

[編集] 第13回(1989年)

第1回から続いていた高島忠夫と石川牧子によるスタジオパート(コンピュータ予想も含む)が廃止され、代わりに人工衛星撮影の画像を用いたCGのルート紹介、スタッフ・挑戦者による敗者予想など新たな傾向が試みられた。

第1問と敗者復活者が、第一次予選当日の読売新聞紙上で発表された[6]。ルート前半ではオーストラリアニュージーランドに上陸し、後半でアメリカ本土を横断。シドニーでは当時日本で話題を呼んでいたMr.マリックがゲストとして出演し、敗者復活戦も行った。

クイズ面ではゴールドコーストでの団体戦・敗者復活戦と、トマト戦争を除いて誤答の際の特殊なペナルティが排除され、1回休みまたはマイナスポイントとシンプルになった。

全大会中でも、国内予選を通過した挑戦者のクイズ知識レベルが最も高かった回とされ、多数のクイズ研究会関係者による激戦が繰り広げられた。特に準決勝ボルティモアの通せんぼクイズでは長戸勇人が通過席に8度立つなど、第5回ノックスビルにも勝る激戦が繰り広げられた。

チェックポイント 地名 クイズ 人数
第一次予選 東京ドーム ○×クイズ 24115→100
敗者復活戦 13回皆勤者、芸能人に似ている人 24015→4
第二次予選 成田空港 ジャンケン 104→52
敗者復活戦 先に泣いた方が復活!! 52→3
第1CP 成田→グァム 機内400問ペーパークイズ 55→40
第2CP グァム 突撃! ○×ドロンコクイズ 40→22
敗者復活戦 逆ドロンコクイズ 18→3
第3CP グァム→
オーストラリア ※1
3時のあなた 私がマクラをかかえたらクイズ 25→24
第4CP ゴールドコースト 団体一問多答 ライフセーバーのようなクイズ 24→18
敗者復活戦 ダウトクイズ 6→4
第5CP モーリー 史上最大! サバイバルクイズ 22→14
第6CP ブルーマウンテン ステレオ 二重音声クイズ 14→7
モノラル 一問二答クイズ 7→6
第7CP シドニー 日豪親善 超インスピレーションクイズ ※2 13→10
敗者復活戦 サイキックイズ 3→1
第8CP クイーンズタウン Mt.Nicholas まァ! うんと憎らし早押しクイズ 11→10
第9CP ショットオーバー 地獄のお叫びクイズ 10→9
第10CP ロサンゼルス ※3 クイズ わたしがママよ 9→7
第11CP ツインレークス トマト戦争 遠すぎた塹壕 7→6
第12CP チムニーロック 爆走!! コンボイリレークイズ 6→5
準々決勝 メンフィス アヒルタイムショック 5→4
準決勝 ボルティモア ※4 激戦!! 通せんぼクイズ 4→2
決勝戦 ニューヨーク 早押しクイズ 2→1

決勝戦進出者

  • クイズ王 : 長戸勇人(京都府出身、No.60、24歳、機内1位
    RUQS5代目会長。現役大学生だったが、本番組参加直前まで南米旅行をしていたため休学扱い。極めて豪快な性格と言動・関西人特有のノリが特徴。南米旅行時に発病していたA型肝炎を振り切って参加した。成田と機内クイズはパジャマ姿と髭面で挑戦し、決勝戦もパジャマを着用。「クイズはスポーツ」が信条で、ニュージーランド以降はラグビーのオールブラックスのジャージでクイズに臨むこともあった。グァムで敗者復活を果たしている。第8回と第12回でも第一次予選で突破はしていないが、テレビに映っている。福留からは「20世紀最強のチャンピオン」と呼ばれ、本番組のビデオでは「早押し0.07秒」と紹介された。
  • 準優勝 : 永田喜彰(兵庫県出身、No.50、26歳、機内3位)
    長戸と同じくRUQS出身だが大学は大阪大学出身。シドニーでMr.マリックによる「サイキックイズ」で敗者復活を果たした。過去に第10回で成田の○×問題で誤答しペーパークイズで敗者復活したが、グァムにて敗退している(この時は、問題を聞く前に○へ行くと宣言し、問題を聞いて「しまった」と言いつつ宣言通り○に飛び込んでドロンコになった)。現在も解答者として第一線で活躍している。
  • 決勝戦の結果 : (永田)-1 VS +10(長戸) - ※オンエア時には編集されており、実際の永田のポイントは-3。

優勝賞品

[編集] 第14回(1990年)

レギュラー放送で福留が全編司会をした最後の回。当時、日本テレビがタイアップしていた映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』をテーマとした大会。

第1問が第1次予選当日、早朝のテレビ番組で発表された。グァムでは台風の影響で○×どろんこクイズができないという事態が発生。その後はフランス領ポリネシアのタヒチに上陸。アメリカ本土西海岸のポートランド上陸後は、準決勝・東海岸のキティホークまで全てチャーターバスのみで移動し、日本人があまり訪れないような秘境でのクイズも行われた。

クイズ経験者や大学生が多数勝ち残った前年とはうって変わり、社会人やクイズ未経験者が多く、30代以上の本土上陸者も多かった。また、バスツアーやサバイバル体験、大西洋到着など、クイズ以外の場面での挑戦者の表情が映し出されるシーンが多く、全体的なBGMの選曲も相まって比較的ドキュメンタリー色の濃い回となった。

チェックポイント 地名 クイズ 人数
国内第1次予選 東京ドーム ○×クイズ 26735→100
敗者復活戦 大ジャンケン大会 26635→1
国内第2次予選 成田空港 ジャンケン 101→50
敗者復活戦 顔面の温度を上昇させる 51→5
第1CP 成田→グァム 機内400問ペーパークイズ 55→40
第2CP グァム 台風直撃!! 緊急事態○×クイズ 40→24
第3CP タヒチ 無人島カヌー対決クイズ 24→12
敗者復活戦 近似値クイズ 12→5
第4CP タヒチ PART2 早い者勝ちクイズ→ゲリラクイズ 17→16
第5CP オレゴン街道 幌馬車マラソンクイズ 16→12
敗者復活戦 リレークイズ 4→1
第6CP グランドテートン 13人のガンマン 対決!大声クイズ 13→12
第7CP ソルトレーク 空席待ち列車タイムショック 12→8
敗者決定戦 バラマキクイズ 4→2
第8CP アーチーズ 地獄のクイズ道 10→8
第9CP ツインレークス トマト戦争 遠すぎた塹壕 PART2 8→7
第10CP レバノン アメリカど真ん中 距離獲得クイズ 7→6
第11CP エリー サバイバル Wチャンスクイズ 6→5
第12CP レイクミシガン バック・トゥ・ザ・フューチャークイズ 5→4
バック・トゥ・ザ・フューチャークイズ PART2 5→4 ※1
敗者決定戦 二重音声クイズ 2→1 ※2
準決勝 キティホーク 激戦!! 通せんぼクイズ 4→2
決勝戦 ニューヨーク 早押しクイズ 2→1
  • ※1:1回目のクイズの敗者も参加。
  • ※2:1回目・2回目の各々の敗者が参加。

決勝戦進出者・機内1位

  • クイズ王 : 佐藤光邦(秋田県出身、No.64、33歳、機内成績非公表)
    成蹊大学卒。愛称「田園調布郵便局のヒゲの黄門様」(口髭を生やしていて、名前の「光邦」を徳川光圀にかけたことから)。第1回の松尾以来2人目の30代クイズ王。クイズ番組参加も海外旅行も全く未経験だった。早押しクイズでは実力を見せたが、反面体力系のクイズでは苦戦した。優勝後のインタビューでは、自分のクイズの旅をマルコ・ポーロの『東方見聞録』に例えていた。
  • 準優勝 : 高松康典(熊本県出身、No.54、25歳)
    機械会社勤務。佐藤とは対照的に、トマト戦争などの体力系のクイズを得意としていた。決勝戦では自分の勤務する会社の制服を着て臨んだ。
  • 決勝戦の結果 : (高松)-5 VS +10(佐藤)
  • 機内1位 : 土屋仁志(神奈川県出身、No.18、タヒチにて敗退)
    第9回も第1次予選を突破してるが、このときは成田のジャンケンで敗退。

優勝賞品

[編集] 第15回(1991年)

第1問をもって福留が司会を降り、新司会者として福澤朗が着任した。また、3年ぶりにスタジオパートが復活した。総合司会は小倉淳永井美奈子。ただし、このペアでのスタジオパートはこの回限りだった。

補足(突っ込み)テロップの多発など、当時のバラエティ番組の演出が色濃く盛り込まれるようになった。

第一次予選通過者が130名に拡大されたが、敗者復活戦の撤廃、敗者インタビューの減少、罰ゲームの過激化などハード色の強い大会となった。キャッチフレーズは『一度負けたら、ハイそれまでヨ』。また、本土上陸後の挑戦者について、クイズ研究会の影響が強かった一方で、50歳の男性、40代女性がアメリカ上陸を果たしており、年長者の奮闘も目立った。

チェックポイント 地名 クイズ 人数
第一次予選 東京ドーム ○×クイズ 28523→130
第二次予選 成田空港 ジャンケン 130→65
第1CP 成田→グァム 機内400問ペーパークイズ 65→40
第2CP グァム 突撃○×どろんこクイズ 40→26
第3CP ハワイ 対決生首クイズ 26→13
第4CP ロサンゼルス 恐怖のドッグファイト早押しクイズ 13→12
第5CP モハベ 砂漠の熱闘 バラマキクイズ 12→11
第6CP サンシティ クイズ あの時君は若かった! 11→10
第7CP エルパソ ※1 国境突破!! 大声クイズ 10→9
第8CP ジャクソン 早押しクイズ 9→8
第9CP ニューオリンズ ※2 ジャズ歴史三択クイズ 8→7
第10CP ドミニカ共和国 ※3 新大陸獲得クイズ 7→6
第11CP オーランド マラソンクイズ 6→5
第12CP 奇襲大作戦 5→4
第13CP ヨークタウン 激戦!! 通せんぼクイズ 4→2
決勝戦 ニューヨーク 早押しクイズ 2→1

決勝戦進出者・機内1位

  • クイズ王 : 能勢一幸(埼玉県出身、No.84、22歳、機内2位)
    一橋大学クイズ研究会出身、公務員。それまでクイズ歴は豊富だったが優勝経験が一度もなく、本番組が初めてのクイズ番組優勝となった。「クイズおたく」というニックネームを福澤からもらったが本人は嫌がっていた。ラスト抜けとなったドミニカ共和国での大石との一騎打ちは、現在でも語り草となっている。
  • 準優勝 : 松原史和(神奈川県出身、No.49、21歳)
    一橋大学クイズ研究会所属。松原は遅生まれで能勢は早生まれ(1月1日)のため、年齢は1つ違いだが能勢は社会人、松原は大学3年生であった。軍人志望からかほとんどのクイズで迷彩服や海軍スタイル等の所謂「アーミースタイル」でクイズに臨み、勝ち抜け時には匍匐(ほふく)前進をしたこともある個性派。福澤からは「ゲリラ」や「ネイビー」と呼ばれていた。一橋大同士の対決だったにも関わらずそれがクローズアップされることはなく、スタジオの優勝者予想でも対象から外されるなど待遇は著しくなかった。
  • 決勝戦の結果 : (松原)+8 VS +10(能勢) - ※オンエア時には編集されており、実際の松原のポイントは+5。
  • 機内1位 : 大石 禎(三重県出身、No.96、26歳、ドミニカ共和国にて敗退)
    名古屋大学クイズ研究会初代副会長。テレビ雑誌の編集者であり、体験取材の名目で参加。福澤からはそのテレビ雑誌名で呼ばれていた。ドミニカでは能勢とともに封鎖され続けた結果、一度も正解することなく敗れ去った。

優勝賞品

  • プライベート温泉アメリカンロッキーで贈呈。熱い源泉と川の水を自分で混ぜ合わせたもの。近くに鳥がいたので「かもの湯」と命名、後に彼が執筆した「能勢一幸のクイズ全書1」では危うくおたく湯になりかけたと書いている。放送時にも"「おたく湯がいいのに」とスタッフは思った"とテロップが出されている)

[編集] 第16回(1992年)

レギュラー開催最後の大会。番組テーマ曲が従来の曲のアレンジバージョンに変更。スタジオパートは再び無くなり、ルートの紹介は他大会のように事前には行われず、番組冒頭に流れた前週までのプレイバックでのみ行われ、次のチェックポイントは直前に発表されるまで視聴者は知ることはできなかった。第一次予選参加者が前回よりも減少した唯一の大会でもある。

敗者復活戦が復活するなどルールが前年より若干緩和されたが、チェックポイントがアメリカ合衆国内にとどまり、スケールが縮小された。第14回に続き、この回でもグァムで台風の被害を受けた。また、決勝戦以外のお手つき・誤答のペナルティが、すべて一回休みであった(決勝では従来どおりマイナスポイント)。

海外進出者はクイズサークル所属者も多かった(ベスト5のメンバーは当時全員所属していた)が、番組内では一切触れられなかった。ラサール石井が参加したが、第1問で敗退した。

チェックポイント 地名 クイズ 人数
国内第一次予選 東京ドーム ○×クイズ 26121→100
国内第二次予選 成田空港 ジャンケン 100→50
敗者復活戦 心の優しい方 50→5
第1CP 成田→グァム 機内400問ペーパークイズ 55→40
第2CP グァム 空席待ち早押しクイズ 40→24
第3CP ハワイ 対決 ドボンクイズ 24→12
第4CP ハワイ PARTII 真夜中のウルトラツアー○×クイズ 12→11
第5CP サンフランシスコ 11人早押しクイズ 11→9
第6CP キャメロンパーク 飛行時間獲得クイズ 9→8
第7CP レイクパウエル 湖に絶叫!! 大声クイズ 8→7
第8CP サンタフェ 聖地を駆けろ!! 新バラマキクイズ 7→5
敗者復活戦 国際電話連想クイズ 2→1
第9CP アトランタ クイズ 私がママよ 6→5
第10CP フロリダキーズ マラソンクイズ 5→4
第11CP フィラデルフィア ※1 激戦!! 通せんぼクイズ 4→2
決勝戦 ニューヨーク 早押しクイズ 2→1

決勝戦進出者

  • クイズ王 : 田中健一(東京都在住、No.14、22歳、機内1位
    東京大学クイズ研究会所属。愛称「ミニラ」(風貌が似ていることから)。決勝の相手である大西とは本番組参加前から『FNSクイズ王』で知り合っていた。現在はクイズ作家。フジテレビ系『クイズ王最強決定戦〜THE OPEN〜』で第1回から第4回まで4回連続で優勝し、他にも『トリビアの泉』の「クイズ王はファミレスのボタンを見ると押したくなる」にも出演した。
  • 準優勝 : 大西 肇(京都府出身、No.7、34歳、機内2位)
    呉服屋の若旦那で既婚者。関西大学卒。関西クイズ愛好会所属、クイズ番組出場経験多数の実力者。第13回準優勝の永田に誘われ、社会人になってからクイズを始めた。東京ドームからニューヨークまで一貫してクイズには和服を着て臨んだ(ただし、移動時には普通の服を着ていたとのこと)。体力系のクイズでは裾をたくし上げていたため、福澤からは「おやじのブルマ」と称されたことも。成田で敗者復活を果たした。
  • 決勝戦の結果 : (大西)+7 VS +10(田中)

優勝賞品

  • ワインブドウ畑 (スノコルミーで贈呈。1列のみだが、それでも年間ビン500本分のブドウ酒を収穫できる。造られたワインは「ミニラチューチュー」と名づけられた。税金の問題で畑を手放し、300本のワインと交換した。)

[編集] "今世紀最後"(第17回・1998年)

6年ぶり、1度限りの復活。司会に福留が再登板し、"敗者の味方"も徳光が担当した。再び復活したスタジオパートは伊東四朗松本明子が務め、ルート紹介はCGで行われたが、決勝地は生中継で決勝が行われる直前まで明らかにされなかった。また、トヨタ自動車の販売店ネッツトヨタが発足記念としてメインスポンサーになり、当時のトヨタ・ネッツ系の自動車ディーラー(旧トヨタオート店)ではウルトラクイズの参加申込書が各営業所内に置かれた。

ピカイチ技・ポン食い予選の導入、400問3択ペーパークイズの廃止、決勝戦は西インド諸島サン・サルバドル島でドロンコクイズを行いその模様を衛星生中継で流すなど、今までの伝統をことごとく打ち破るクイズを行った。また参加年齢制限(上限)が撤廃され、60代・70代の挑戦者も国外チェックポイントまで勝ち残った。一方で体力系クイズはグァムでの団体戦綱引きクイズのみであり、バラマキクイズや大声クイズは行われなかった。ニューヨークは準決勝のチェックポイントとなった。ニューヨーク以外で決勝戦が実施されたのは、パリで決勝戦が実施された第9回以来。全体的に、アメリカの古き良き歴史をテーマにしたチェックポイントが多かった。

この回も放送ライブラリーに保存されている。

チェックポイント 地名 クイズ 人数
第1次予選 東京ドーム ○×クイズ 50453→100
敗者復活戦 高齢者のクイズ正解人数+
高齢者全員が復活
50353→28
第2次予選 成田空港 ピカイチ技 & ゆで卵ポン食い決戦! 128→70
掟破りの大勝負 ジャンケン 2→1 ※1
敗者復活戦 ジャンケン 59→1
第1CP 成田→グァム フィッシュorチキンクイズ 69→42
第2CP グァム 大家族どろんこ綱ひきクイズ 42→21
奇襲クイズ団体行動 21→18
敗者決定戦 深夜の出前クイズ 3→2 ※2
第3CP ハワイ 負けたらスカイダイビングクイズ 20→10
- サンフランシスコ 合流○×クイズ ※3 1→1
第4CP THIS IS AMERICA 11→8
第5CP レイクパウエル ※4 クイズ完璧主義 8→7
第6CP シルバートン 列車クイズ 止まってドボン!! 7→6
第7CP デュランゴ お友達クイズ 6→4
敗者決定戦
お友達絶縁クイズ きのうの友は今日の敵
2→1
第8CP テキサス 牛追いタイムバトルクイズ 5→4
準決勝 ニューヨーク 通せんぼクイズ 4→2
決勝地 西インド諸島 突撃○×ドロンコ決勝 2→1
  • ※1:ピカイチ芸&ポン食いの勝者のうち希望者2人のみ参加。ジャンケン勝者は一足先にサンフランシスコ行き、敗者は失格。
  • ※2:奇襲クイズで最下位だった3名のみ参加(そのうち2名は遅刻が原因)。
  • ※3:※1で勝利した挑戦者1人に対し出題。ゴールデンゲートブリッジで解答、正解し合流決定。
  • ※4:タワービュートと呼ばれるメサの頂上でクイズ決行。

決勝戦進出者・機内1位

  • クイズ王 : 小川圭太新潟県出身、No.93、21歳、機内成績非公表)
    立命館大学の学生で、4人目のRUQS出身クイズ王(後にRUQS17代目会長に就任したことによりRUQS出身・所属の優勝者は全員歴代会長に就任したことになる)。クイズにはRUQSのはっぴを着て臨むことが多かった。シルバートン以降を全てトップで通過。ピカイチ芸は「南京玉すだれ」であったが第二次予選では合格せず、優勝時に披露した。
  • 準優勝 :清水耕司(No.7、25歳)
    信州大学の学生。小川同様グァムの奇襲クイズには遅刻で参加しており、その敗者決定戦で辛くも勝ち抜けた。ハワイとニューヨークでは勝ち抜けしたときに号泣した。
  • 決勝戦の結果(○×どろんこ決勝の結果。不=不正解、=正解)
挑戦者 1 2 3 4 5
清水(先攻) 1
小川(後攻) / 2
  • 機内1位 : 村田栄子(No.80、67歳、ハワイにて敗退)
    過去、多数のクイズ番組で優勝の経験を持ち、福留からも「クイズ女王」と呼ばれていた。第二次予選のピカイチ技も「クイズ」(実際には手品を披露し、その余興としてクイズをやった部分だけが放映された)。現在、クイズサークル「ホノルルクラブ」会長。

優勝賞品

  • 高級ハウスボート (マイアミ沖に浮かんでいたが、魚のためのハウスボートだった為すぐさま爆破して魚礁となった)

[編集] 史上最大の敗者復活戦

1982年に日本テレビ開局30周年記念特番として、「ウルトラクイズ 史上最大の敗者復活戦」という特別企画が行われ、同年12月31日18:30-21:48(JST)に放送された。

これは、これまで後楽園球場に行かなければ予選に出場できなかったものを、全国各地で予選を実施し、その地域に密着したユニークなクイズを出題しようという試みだった。この大会は、18歳の高校生も参加することができた。応募人数は77,779人。過去のアメリカ横断ウルトラクイズでアメリカ本土に上陸した挑戦者もクローズアップされた。司会は福留が務め(関西地区予選のみ小林大作)、徳光もリポーター・敗者の味方として登場した。

クイズが全て日本国内で行われたこともあり、ウルトラクイズの番外編扱いをされていた。「アメリカ横断」というフレーズが番組タイトルになかったのもそのためである。

この企画が好評を博し、出場資格がなかった高校生を対象として、翌1983年に「ウルトラスペシャル 全国高等学校クイズ選手権」(高校生クイズ)の第1回大会を実施するきっかけを作った。この高校生クイズでも、関東・関西地区同時予選やどんでん返しなどのアイデアが引き継がれた。高校生クイズは、当初、夏・冬の年2回に渡って行われたが、1986年以降夏のみの開催となり、ウルトラクイズが終了した2009年現在も続いている。

[編集] 内容

  • 北海道地区予選の第1問は、2カ所のサークルにいる幼稚園児のどちらが人数が多いかというものだった(理論的には数えればわかった)。
  • 東北地区予選では、○か×かによって別の船に乗るという、本番組史上初の企画が行われた。
  • 関東・関西地区予選は平日にナイターで開催され、史上初の2カ所同時中継による○×クイズ(勝ち抜け人数も両地区の合計で決まっており、「関東○人、関西○人」という定員ではなかった)だった。また「第1問A」と「第1問B」が同時に発表されて4カ所のスタンドに分かれるという企画が行われた。
  • 四国地区予選では、第1問が○か×かで別の小学校のグラウンドに向かい、正解が発表されないまま両会場で2問目以降のクイズが行われた。そして両会場6人ずつが決定した時点で初めて第1問の正解が発表された。
  • 九州地区予選では、温泉につかりながら頭につけたボタンを押すという早押しクイズが行われた。それまでの、解答席に座るという概念を覆す画期的な企画だった。
  • 24,642人が挑戦した各地の予選通過者82人が全国大会に進出し、高尾山でペーパークイズなどさまざまなクイズに挑戦。通過者8人が日本テレビのスタジオで、2ポイント取ると通過席で過去6回のアメリカ横断ウルトラクイズ優勝者と直接対決する(サイコロを2個振って、出た目の回の優勝者と対決する。例えば1と2が出た場合、第1回優勝者松尾と第2回優勝者北川の2人と対決することになる。ぞろ目の場合は1人とだけ対決)というクイズに挑戦し、そこで勝ち上がった4人が成田空港で行われた生放送での7分間早押しクイズ(準決勝。後の「タイムレースクイズ」の原型)、さらに勝ち上がった2人が7ポイント先取のジャンケン(決勝。家族も参加)に駒を進めた。
    • 高尾山でのペーパークイズの結果発表は、名前を呼ばれた挑戦者が前に出るように言われ、最後に僧侶が振り向くとそれは徳光で「以上が敗者です」と発表する形式だった(これが史上初のどんでん返しであり、「高校生クイズ」に継承された)。
    • 高尾山で、勝者8人に対して「罰ゲーム」ともいうべき滝修行があった(なお、高尾山では各クイズの敗者にもすべて罰ゲームがあった)。このとき徳光も一緒に滝に打たれた。
    • 決勝戦の演出は、2人が早押し機についている状態で「ウルトラクイズ史上最大の敗者復活戦でまだやっていないのはどれ? 1番、早押しクイズ、2番、○×クイズ、3番、ジャンケン 」と問題を読み上げ、解答者がボタンを押し「ジャンケン」と答えたところで「そういえば、ウルトラクイズの名物・ジャンケンをやってないのは不思議だ。ジャンケンで決勝戦をする事にした!!」と言い、早押し機を強制撤去してジャンケンのセットに替えるというものだった。
  • 優勝者は北海道の主婦・佐藤麻利子だった。優勝者は家族そろってニューヨーク旅行に招待されるとともに、翌1983年第7回大会のシード権(国内予選と機内ペーパークイズの免除)を獲得した。
    • この大会は番外編扱いであったため、佐藤は歴代のクイズ王扱いにはならない。しかしながらウルトラクイズ関連の優勝者としては、第4回の上田由美に次いで2人目の女性優勝者となった。
    • この大会では準優勝者の門田雅志(学生。後に「第7回FNSクイズ王」で優勝)にも、ココス島で過ごせるという賞品が出た。
  • 佐藤は第7回大会でシード権によりグァムから参加したが、400問ペーパークイズを最下位で通過した者との○×クイズで敗退。結局、ペーパークイズ失格者と共に帰国した。

[編集] ルートとクイズ内容(放送順)

史上最大の敗者復活戦では、地区大会全体が第一次予選と称された。これは初期の高校生クイズの参加規定にも引き継がれた。

[編集] 九州地区予選

場所 クイズ 人数
阿蘇・草千里ヶ浜 ○×クイズ 1232→10
垂玉温泉 いい湯だな!クイズ 10→4

[編集] 四国地区予選

場所 クイズ 人数
丸亀 ○×クイズ 536→6
金刀比羅宮 石段バラマキ無理ヤリクイズ 6→2

[編集] 東北地区予選

場所 クイズ 人数
松島 ○×クイズ→○船×船乗船クイズ 1591→16
桂島 涙の桟橋お別れクイズ
野々島 野々島の人100人に聞きますクイズ 16→5

[編集] 北海道地区予選

場所 クイズ 人数
羊ヶ丘展望台 史上初!! 数えればわかる!! 目で見るクイズ
→○×クイズ
1183→8
羊ヶ丘展望台 ニガ手問題出しっこクイズ 8→4

[編集] 関東・関西地区予選

場所 クイズ 人数
後楽園球場大阪球場 ○×クイズ 20100→67
(関東41・関西26)

[編集] 全国大会

チェックポイント 場所 クイズ 人数
第二次予選 高尾山薬王院 煩悩ふり払い百八問ペーパークイズ 82→30
  高尾山薬王院 石の上にも三人クイズ 30→10
  高尾山薬王院 極楽・地獄座禅右左クイズ 10→8
準々決勝 日本テレビ Gスタジオ チャンピオン胸貸しクイズ 8→4
準決勝 成田空港 7分間タイムレース 4→2
決勝戦 成田空港 ジャンケン 2→1

[編集] 脚注

  1. ^ 農薬入りのぶどうを食べたため
  2. ^ 「ウルトラクイズ伝説」p.146 - 162
  3. ^ 北川宣浩のホームページのクイズ王の本ネット版より
  4. ^ a b 北川宣浩「クイズ王の本」より。
  5. ^ 正式な読み方は「ひさいづ神社」。番組中では「クイズ神社」と呼ばれていた。
  6. ^ 読売新聞1989年8月13日日曜日14版20面に第1問が、同12版の17面に敗者復活の記載がある。