アメリカ横断ウルトラクイズの各大会の詳細

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本記事では、日本テレビで放送された『アメリカ横断ウルトラクイズ』の各大会の詳細について記述する。

  • この項目で述べる地名およびクイズ名称の表記は、番組内での表記に従うものとする。「CP」は「チェックポイント」の略記。
  • 実際の大会では実施されたが放映されなかったクイズ(どろんこクイズの勝者決定戦など)や、席順決めのためのクイズ、3位決定戦、勝敗に無関係なクイズ(敗者予想クイズなど)は割愛する。また、各クイズの参加・通過人数は放送上でのものであり、実際とは異なる場合がある。
  • 「決勝戦の結果」は放送上のポイントであり、実際と異なる場合がある。また、名前の順はテレビの画面通り。
  • 決勝戦進出者・機内1位の氏名、年齢、職業は特記がない限り開催当時のものであり、現在のものではない。
  • 各挑戦者にある番号は参加したときのネームプレートに書かれた番号を指す。

目次

[編集] 第1回(1977年)

日本テレビ開局25周年記念番組という形の特別番組として開催。そのため「第1回」という表記はなく、番組タイトルも「史上最大! アメリカ横断ウルトラクイズ」だった。当初は1週のみの放送予定であったが、放送時間が不足したために2週連続に拡大された。スタジオでは観客に対して賞金付きクイズ王予想が行われた。

各チェックポイントで行われたクイズの大半が早押しクイズであった。当時は成田空港(新東京国際空港、現・成田国際空港)が未開港であったため、第二次予選は羽田空港(東京国際空港)で行われた。

CP 地名 会場 クイズ 通過条件 人数
第一次予選 後楽園球場 一塁側内野スタンド ○×札上げクイズ 規定人数決定まで勝ち残り 404→80
第二次予選 羽田空港 羽田東急ホテル ジャンケン 4本先取 78※1→40
第1CP 東京→グァム 太平洋上空 機内800問ペーパークイズ 上位30位まで 40→31
機内 同点決勝 ○×札上げクイズ サドンデス 2→1
第2CP グァム ヒルトンホテル ○×札上げクイズ 規定人数決定まで勝ち残り 30→17
グァム国際空港内カウンター前 敗者復活戦 ○×札上げクイズ ※2 サドンデス 7→3
第3CP ハワイ ワイキキビーチ沖の海上 1対1早押しクイズ 3ポイント獲得、-3ポイントで失格 20→10
第4CP サンディエゴ シーワールドサンディエゴ インスピレーションクイズ 5ポイント獲得 10→6
第5CP フェニックス サグアロ 灼熱の早押しクイズ 3ポイント獲得 6→5
第6CP ダラス フェンダーパーク牧場 早押しクイズ 3ポイント獲得 5→4
第7CP ニューオルリンズ ナッチェス号船上ミシシッピ川クルーズ 早押しクイズ 5ポイント獲得 4→3
第8CP アトランタ ストーンマウンテン公園 インスピレーションクイズ+早押しクイズ 7ポイント獲得 3→2
決勝ポイント ニューヨーク パンナムビル屋上 早押しクイズ 10ポイント先取 2→1
  • ※1:2名出場辞退。
  • ※2:直前の○×クイズの最終問題での失格者7名のみ参加。

決勝戦進出者

  • クイズ王 : 松尾清三(京都府出身・No.15・38歳・機内1位
    立命館大学出身、材木店経営。関西地区収録のクイズ番組を中心に参加し、数多くの優勝歴も持っていた。クイズ本番前に歌い出したり口笛を吹くといったマイペースぶりを見せており、フェニックス以降2位通過で決勝へ進出した。
  • 準優勝 : 藤原滋子(愛知県出身・No.74・27歳・機内8位(女性2位))
    クイズ番組優勝歴を多数持っていた実力者で、当時は全国的には松尾以上の知名度を誇っていた。グァムで敗者復活、番組史上初めての敗者復活者でもある。本土上陸後はフェニックス以外は全てトップ通過で決勝へ進出した。福留から付けられた愛称は「千種区のエマニュエル」だった。
  • 決勝戦の結果 : (松尾…桃)+10 VS +3(藤原…緑)[1]

優勝賞品

テレビ放送(全2週)

[編集] 第2回(1978年)

『史上最大! アメリカ横断ウルトラクイズ』が予想を上回る好評を得たことにより、年1回のレギュラー化が決まった。

今大会より、第一次予選が後楽園球場のグラウンドで行われるようになった。また、第1問に初めて自由の女神関連問題が出題された。成田空港の開港により、第二次予選会場は羽田から成田へと移された。本土上陸後のルートは、前大会がアメリカ合衆国南部を経由するルートであったのに対し、今大会ではアメリカ北部を経由するルートとなった。

クイズにバリエーションを出し始めるものの、その後の本番組の原型になるようなものはまだそれほどなかった。今大会より「機内クイズ」の判定機、通称「ブーブーゲート」が初登場している。決勝戦では、日本にいる挑戦者の親族(成田のジャンケンの会場で待機)と国際電話を用いた音声のみの衛星中継を行った。

CP 地名 会場 クイズ 通過条件 人数
第一次予選 後楽園球場 球場内グラウンド ○×クイズ 規定人数決定まで勝ち残り 700→100
第二次予選 成田空港 成田エアポートレストハウス ジャンケン 3本先取 100→50
第1CP サイパンへ 太平洋上空 機内500問ペーパークイズ 上位40位まで 50→40
第2CP サイパン ガラパン マイクロビーチ ○×札上げクイズ 規定人数決定まで勝ち残り 40→7
サイパン国際空港内ロビー 敗者復活戦 カルタクイズ ※1 1ポイント獲得 25→13
第3CP ハワイ ホノルル カピオラニ・パーク 記憶力クイズ 3ポイント獲得 20→10
第4CP サンフランシスコ ヴァレーホ マリンワールド インスピレーションクイズ 5ポイント獲得 10→9
第5CP レイクタホ タホ湖湖畔 リレークイズ 1ポイント獲得 9→8
第6CP リノ ステートライン
サハラ・タホ・ホテル内カジノ
一発逆転 ギャンブルクイズ ※2 6ドル以上獲得 8→6
敗者決定戦 ルーレット ルーレットによるサドンデス 2→1
第7CP デンバー パイクスピーク標高約4000m地点 酸素欠乏・耐寒クイズ 3ポイント獲得 7→6
第8CP シカゴ ガーニー グレート・アメリカ 国際電話連想クイズ 最下位以外 6→5
第9CP ナイアガラ ゴート島 早押しクイズ 5ポイント獲得 5→4
第10CP ボストン バンカーヒル 熱気球ダウンアップクイズ 3ポイント獲得、-3ポイント失格 4→2
決勝ポイント ニューヨーク パンナムビル屋上 早押しクイズ 10ポイント先取 2→1
  • ※1:○×クイズの最終問題での失格者25名のみ参加。
  • ※2:挑戦者を男女別に2組に分け、4名ずつで対戦。男女の敗者が、敗者復活戦に回る。

決勝戦進出者

  • クイズ王 : 北川宣浩東京都出身・No.69・24歳・機内1位
    東京都立大学(現・首都大学東京)出身。それまで勤めていた建築会社を辞めての初参加。妹と共に、それまでにもクイズ番組の優勝経験を多数持つ実力者として知られていた。サイパンで敗者復活を果たし、ハワイ以降はリノ(2位通過)と準決勝を除いてトップ通過の連続で決勝へ進出した。共に後楽園予選を通過した妹は成田で敗退しているが、国際電話連想クイズで兄をサポートした。第4回でも国内予選を突破するが、この時はグァムで敗退している。
  • 準優勝 : 間下友美子(東京都出身・No.42・27歳)
    クイズ番組ファンという一家の末っ子で、共に後楽園予選を通過した兄は成田で、姉はサイパンで敗退する。本人もサイパンで敗れたものの、敗者復活を果たす。国際電話連想クイズでは姉のサポートを受けて勝ち抜け、クイズ番組初挑戦ながら決勝まで勝ち残った。ヨーロッパ旅行は数回あるが、アメリカ旅行は初めてだった。
  • 決勝戦の結果 : (間下…赤)0 VS +10(北川…緑)

優勝賞品

テレビ放送(全3週)

[編集] 第3回(1979年)

番組テーマ曲が今大会から「スタートレックのテーマ」となり、番組内で使われる他の楽曲の多くも今大会から使用された。早押しテーブルなどの機材も今大会のものが基本になっているものが多い。

体力系のクイズが行われ始め、バラマキクイズやダイビングクイズ(ドボンクイズ)など、その後の番組の代名詞になるようなクイズが初登場し、クイズ形式の基礎が確立された。ルートは第1回よりも更に南側のコースとなり、ロサンゼルスとフロリダ半島に初上陸した。また、全編を通じて敗者復活戦が行われなかった初めての大会でもある。

CP 地名 会場 クイズ 通過条件 人数
第一次予選 後楽園球場 球場内グラウンド ○×クイズ 規定人数決定まで勝ち残り 1362→100
第二次予選 成田空港 成田エアポートレストハウス ジャンケン 3本先取 100→50
第1CP 東京→サイパン 太平洋上空 機内400問ペーパークイズ 上位40位まで 50→40
第2CP サイパン ガラパン マイクロビーチ お泊まりクイズ 規定人数決定まで勝ち残り 40→20
第3CP ハワイ ワイキキビーチ沖の海上 ダイビングクイズ 2ポイント獲得、誤答2回で失格 20→10
第4CP ロスアンジェルス ブエナパーク ナッツベリーファーム ゲストインスピレーションクイズ 4ポイント獲得 10→8
第5CP グランドキャニオン グランドキャニオン国立公園 早押しクイズ 3ポイント獲得 8→7
第6CP ツーソン オールド・ツーソン バラマキクイズ 2ポイント獲得 7→6
第7CP サンアントニオ アラモ砦 早押しクイズ 3ポイント獲得 6→5
第8CP ヒューストン オークツリー牧場 ゲストインスピレーションクイズ+早押しクイズ 5ポイント獲得 5→4
第9CP マイアミ マイアミビーチ リ・タイヤクイズ 4ポイント獲得 4→3
第10CP ワシントン ホワイトハウス南庭・エリプス広場 早押し封鎖クイズ 5ポイント獲得 3→2
決勝ポイント ニューヨーク パンナムビル屋上 早押しクイズ 10ポイント先取 2→1

決勝戦進出者

  • クイズ王 : 宗田利八郎(福島県出身・No.17・29歳・機内5位)
    早稲田大学出身、造り酒屋若旦那。大学時代は落語研究会に所属していた。プロレスラーアブドーラ・ザ・ブッチャーに似ているとの理由で、福留から付けられた愛称は「ブッチャー」。クイズ番組での優勝経験があったものの、眠気と胃痛に悩まされることが多く準々決勝までトップ通過は無かった。第5回でも国内予選を突破[2]するが、この時はハワイで敗退している[3]
  • 準優勝 : 田上 滋(京都府出身・No.69・18歳・機内5位(宗田と同点))
    浪人生。宗田とは対照的に、本番組がクイズ番組初挑戦であった。体力系に強く、バラマキクイズとリ・タイヤクイズでトップ通過している。10代での決勝進出を果たしたのは後にも先にも田上だけである。
  • 決勝戦の結果 : (宗田…赤)+10 VS +7(田上…青)
  • 機内1位 : 岩崎悠一(サイパンにて敗退)

優勝賞品

  • 競走馬一頭(ダラスにて贈呈。数え年で8歳、人間でいうと45歳程度の老馬だった。ヒューストンまで進出した女性挑戦者の名前「千春」から「サウザンド・プランタン」(英語の「サウザンド」とフランス語の「プランタン」を組み合わせた造語)と命名)

テレビ放送(全3週)

[編集] 第4回(1980年)

成田での敗者復活戦が今大会から始まり、ジャンケンに負けた人にも国外脱出のチャンスが与えられるようになった。また、どろんこクイズが初登場、更に通せんぼクイズの前身・通過クイズが登場し、各クイズ形式にも一ひねりを入れ始めた。ルートでも横断の要素に加え縦断の要素が強い回となり、準決勝では全大会で唯一、プエルトリコに上陸した。

歴代で唯一、女性挑戦者がクイズ王となった大会であり、本土上陸した女性4名が準決勝まで脱落せず勝ち進んだ。決勝戦は初めてクイズ番組未経験者同士の対決となった。

この回から第1問は自由の女神関連問題で定着するようになった[4]

CP 地名 会場 クイズ 通過条件 人数
第一次予選 後楽園球場 球場内グラウンド ○×クイズ 規定人数決定まで勝ち残り 2707→100
第二次予選 成田空港 成田エアポートレストハウス ジャンケン 3本先取 100→50
空港へ移動中のバス車中 敗者復活戦 ビンゴマシーン ビンゴ当選者 50→1
第1CP 東京→グァム 太平洋上空 機内400問ペーパークイズ 上位40位まで 51→50→40 ※1
第2CP グァム コンチネンタルホテル・ビーチ ○×どろんこクイズ 1問正解 40→20
第3CP ハワイ ワイキキビーチ沖の海上 新ダイビングクイズ 2ポイント獲得、誤答2回で失格 20→10
第4CP サンフランシスコ フィッシャーマンズワーフ ピア39 ゲストインスピレーションクイズ 各組最下位以外 ※2 10→8
アルカトラズ島 敗者復活戦 ゲスト3択クイズ サドンデス 2→1
第5CP ソルトレイクシティー グレートソルトレイク砂漠 新バラマキクイズ 2ポイント獲得 9→8
第6CP イエローストーン オールド・フェイスフル・ガイザー 輝け! 熱湯早押しクイズ 3ポイント獲得 [5] 8→7
第7CP コロラドスプリングス ブラッドムーア・アイススケート場 裸足の駆けっ氷クイズ 3ポイント獲得 [5] 7→6
第8CP アルバカーキ ラグーナ族居住地 インディアン嘘つかない! 早駆けクイズ 2ポイント獲得 [5] 6→5
第9CP ニューオリンズ ルイジアナ・スーパードーム 水風船タッチダウンクイズ 3ポイント獲得 [5] 5→4
第10CP プエルトリコ サンフアン デル・モロ要塞 早押し通過クイズ 3ポイント獲得後通過クイズ正解 4→2
決勝ポイント ニューヨーク パンナムビル屋上 早押しクイズ 10ポイント先取 2→1
  • ※1:途中サイパン国際空港に立ち寄り、機内成績最下位者1名がサイパンで降ろされた。
  • ※2:挑戦者を年齢順に5名ずつ2組に分け、問題数限定クイズを両組に出題し各組の最下位が敗者復活戦に回る。

決勝戦進出者・機内1位

  • クイズ王 : 上田由美(千葉県出身・No.24・21歳→22歳)
    父親が経営する不動産会社勤務。高校時代にフェンシングインターハイ優勝の経歴を持つ。本番組唯一の女性優勝者で、本番組以外のクイズ番組出場経験はない。成田のジャンケンで対戦相手からもらったハチマキを締めて以降のクイズに臨んだことから「ハチマキ娘」と呼ばれた。当初、コンピュータ予想の評価は高くなかったものの、イエローストーン以降は全てトップ通過で決勝まで進出した。1986年(昭和61年)に結婚して姓が「山口」となる。後に国際線フライトアテンダントになり、その職業柄日本にいないことが多く、優勝以降は本番組へ参加できない時期があったが(『史上最大の敗者復活戦』では、クイズ王連合軍として参加した)、第14回から再び参加するようになった。
  • 準優勝 : 松澤典子(東京都出身・No.51・20歳)
    クイズ番組初挑戦。初の親子での予選通過を果たすが、母親は機内ペーパークイズで脱落。長旅の疲労で体調を崩しながらもニューヨーク行きを決める。
  • 決勝戦の結果 : (上田…赤)+10 VS +4(松澤…青)
  • 機内1位 : 北川宣浩(東京都出身・26歳・グァムにて敗退)
    広告代理店勤務。第2回に続いて、2度目の機内1位。どろんこクイズ初挑戦者であり、不正解で泥まみれになった敗者第1号でもある。

優勝賞品

  • 1人乗り小型飛行機モハーベ空港にて贈呈。部品の状態で渡され、自分で組み立てなければならなかった)

テレビ放送(全3週)

  • 第1週…1980年(昭和55年)10月30日:ハワイ・新ダイビングクイズ数名挑戦まで
  • 第2週…1980年11月6日:コロラドスプリングスまで
  • 第3週…1980年11月13日

[編集] 第5回(1981年)

第1問が球場前で発表されるようになった。また、初めてアメリカ合衆国以外の国(メキシコ)にチェックポイントを置いた。これ以降アメリカ以外の国にも行くことが定着。前期ウルトラクイズの中では最もチェックポイントの多い大会となった。勝ち抜き時の『○○行き決定!』のゴシック体のスーパーが初登場し、以後定着する。空席待ちクイズ、奇襲クイズ、通せんぼクイズが初登場。一方、罰ゲームはますます厳しくなり、「72歳の老婆との結婚式」(ラスベガス)、「闘牛」(メキシコシティー)、「イグアナのフルコース料理を食べる」(テオティワカン)、「スカイダイビング」(フェニックス)などが登場、その厳しさに批判的な意見が新聞(読売新聞など)の投書欄に出るようになった。

準決勝地ノックスビルは前期ウルトラクイズで最も激しい戦いが繰り広げられ、第13回・準決勝の激戦が行われるまでは「史上最大の名勝負」と言われていた。

CP 地名 会場 クイズ 通過条件 人数
第一次予選 後楽園球場   ○×クイズ 規定人数決定まで勝ち残り 6473→100
第二次予選 成田空港 成田エアポートレストハウス ジャンケン 3本先取 100→50
成田空港・北ウイング前 敗者復活戦 仁義なき○×クイズ サドンデス 50→5
第1CP 東京→サイパン 太平洋上空 機内400問ペーパークイズ 上位45位まで 55→45
第2CP サイパン ガラパン マイクロビーチ 早起き空席待ちクイズ 1ポイント獲得 45→20
敗者復活戦 ○×どろんこクイズ 1問正解 25→10
第3CP ハワイ マカハ・ビーチ クレーン宙づりドボンクイズ 1問正解、不正解は即失格 30→14
第4CP ロスアンジェルス
ホノルル空港
ホノルル国際空港入口 ※1 眠気ざましの奇襲クイズ 最下位以外 14→13
第5CP ラスベガス カジノ通りフレモント・ストリート ゲストインスピレーションクイズ 4ポイント獲得 13→12
第6CP アカプルコ アカプルコ・デ・ファレス ドラフトクイズ 3ポイント獲得 12→11
第7CP メキシコシティー プラサメヒコ闘牛場 メキシコの子供たち95人に聞きますクイズ 4ポイント獲得 11→10
第8CP テオティワカン 太陽のピラミッド前方100m地点 早押し 急がば祈れクイズ 3ポイント獲得 10→9
第9CP フェニックス サグアロ 落下傘バラマキクイズ 2ポイント獲得 9→8
第10CP エルパソ ホワイトサンズ (ニューメキシコ州) 早押しクイズ 3ポイント獲得 8→6
ホテル内 敗者復活戦 先に眠った方の勝ち 先に眠る 2→1
第11CP ヒューストン ジョンソン宇宙センター
サターンIB型ロケット
早押しクイズ 3ポイント獲得 7→6
第12CP メンフィス 市街観光 ※2 ダウンタウンツアークイズ 5ポイント獲得 6→4
第13CP ノックスビル グレート・スモーキー山脈国立公園
ケーズ・コーブ
通せんぼクイズ 3ポイント獲得後通過クイズ正解 4→2
決勝ポイント ニューヨーク パンナムビル屋上 早押しクイズ 10ポイント先取 2→1
  • ※1:ロスアンジェルス空港で結果発表。
  • ※2:ミッド・アメリカン・モール→ミシシッピ川ショーボート乗り場→ミシシッピ川の橋の上(バス車内)→ライブハウス「ブルース・アレイ」→洋服店「ランスキー」→プレスリー・プラザと廻り、それぞれの場所で出題した。

決勝戦進出者・機内1位

  • クイズ王 : 真木法男(茨城県出身・東京都在住・No.6・24歳)
    中央大学の学生。細身の体型と色付きのメガネをかけていたことから、福留からは「メガネカマキリ」と呼ばれていた。番組初の現役大学生クイズ王。クイズ番組の優勝経験が複数回ある実力者であったが、サイパンでの敗者復活を皮切りにテオティワカンとフェニックスで苦戦しラスト通過、腹痛にも悩まされた末トップ通過無し。福留から三枚目っぷりを弄られた。
  • 準優勝 : 杉山 眞(東京都出身・No.73・32歳)
    武蔵工業大学(現・東京都市大学)出身、電気会社勤務。真木と同様に、クイズ番組の優勝経験が複数回ある実力者だった。実力派が多かった当大会にあって常時3~4位前後通過が多く、安定感では真木を上回っていた。義兄弟で国内予選を通過し(杉山は義弟)、義兄[6]はハワイまで進出した。真木とは『クイズグランプリ』の優勝商品でヨーロッパ旅行を共にした間柄。
  • 決勝戦の結果 : (真木…赤)+10 VS +2(杉山…青)
  • 機内1位 : 道蔦岳史神奈川県出身・No.69・19歳・メンフィスにて敗退)
    東京学芸大学の学生。「学生クイズ王」として名を馳せており優勝候補と呼ばれていたが、準々決勝のエルヴィス・プレスリーに関する問題を多く集めた3択クイズでライバル(機内2位の慶應義塾大学の学生)共々敗退した。

優勝賞品

  • テキサス油田採掘権 (イーグルパスで贈呈。しかし掘り当てても獲得配当の割合が微少のため、相当の大鉱脈が当たることを期待するしかない)

テレビ放送(全4週)

[編集] 第6回(1982年)

成田第二次予選ではクイズ(ただしジャンケンで3勝した挑戦者が解答権優先)が行われた。ルートはアメリカのみだったが、常夏のサイパンから極寒のアラスカへと駒を進めるといった工夫がなされた。双子神経衰弱クイズが初登場。また、今大会から早押しクイズの効果音(解答権取得・正解・不正解)がアナログ音から電子音に変更された。

司会の福留功男が旅の途中で病気になったこと[8]や、制作費の一部を持ったAD[9]強盗に襲われ、またそのADが優勝賞品の旅行のロケに同行中に赤痢に感染するなど事件が多発したことから、福留自身「呪われた回」と述べている[10]

優勝旗返還が2年ぶりに登場(前大会は第4回クイズ王・上田由美が不参加のため行わず)。さらに、前大会クイズ王・真木法男と共に北川宣浩と宗田利八郎も入場、これ以後「歴代クイズ王の入場パレード」は恒例となる。

CP 地名 会場 クイズ 通過条件 人数
第一次予選 後楽園球場   ○×クイズ 規定人数決定まで勝ち残り 7332→100
第二次予選 成田空港 成田エアポートレストハウス ジャンケン+1対1対決クイズ 1問正解 100→49
敗者復活戦 早押しクイズ 1問正解、不正解は即失格 51→1 [11]
第1CP 東京→サイパン 太平洋上空 機内400問ペーパークイズ 上位40位まで 50[11]→40
第2CP サイパン ガラパン マイクロビーチ 早起き読書犯人当て+空席待ちクイズ 1ポイント獲得 40→20
成田空港 [12] 成田空港到着ロビー 敗者復活戦 ○×クイズ サドンデス 20→4
第3CP アラスカ アンカレッジ ポーテージ氷河 1対1早押しクイズ 2ポイント獲得 24→12
第4CP ロサンジェルス サンタクララ マジック・マウンテン リレークイズ 1ポイント獲得 12→11
第5CP バーストー キャリコ・ゴーストタウン ゴーストうらめし早押しクイズ 2ポイント獲得 11→10
第6CP モニュメントバレー ナバホランド 荒野の決闘 バラマキクイズ! 2ポイント獲得 10→8
第7CP ダラス ハイウェイ移動(モービルハウス車内) テキサス宅急便早押しクイズ 3ポイント獲得 8→7
第8CP ニューオリンズ ヴァシュリー オークアレイ大農園 早押し双子神経衰弱クイズ クイズ正解後双子2組または三つ子1組を当てる 7→6
第9CP ルイビル レキシントン
ケンタッキー・ホース・パーク
ケンタッキーダービークイズ 4コーナー合計10ポイント獲得 [13] 6→4
敗者復活戦 ニワトリ追っかけバラマキクイズ 1ポイント獲得 2→1
第10CP ワシントンDC バージニア州クアンティコ
FBIナショナルアカデミー
通せんぼクイズ 3ポイント獲得後通過クイズ正解 5→2
決勝ポイント ニューヨーク パンナムビル屋上 早押しクイズ 10ポイント先取 2→1
  • ※:ジャンケンで3本先取した方がクイズの先攻解答権を獲得。不正解の場合ジャンケン敗者に解答権移動。敗者が正解すればジャンケンの勝数に関わらず敗者側が通過。不正解の場合は両者敗者復活戦に回る。

決勝戦進出者・機内1位

  • クイズ王 : 高橋直樹(静岡県出身・No.59・29歳・機内3位)
    父親が経営する会計事務所勤務。体重が100キロという巨漢であることから、愛称は「トドさん」。『パネルクイズ アタック25』で優勝経験があり、その実績から福留からは序盤から強者扱いされていた。しかし強気な姿勢にもかかわらず準決勝までトップ通過はなく、双子神経衰弱では苦戦してラスト通過した。結婚式をまだ挙げていなかったため、スタジオで披露宴(ケーキカット)を挙げた。第3回でも後楽園予選を通過していたが、この時は成田で敗退している。優勝賞品の世界一周から帰った時点で4歳だった実娘とウルトラクイズに参加するという夢が、"今世紀最後"で実現した。
  • 準優勝 : 高木 剛(茨城県出身・No.70・21歳・機内2位)
    青山学院大学の学生。愛称は「田舎っぺ」ということから「カッペ」、準決勝以降は「パンプキン」。コンピュータ予想では常時トップにいて、ほとんどのチェックポイントを上位で通過していた。第7回でも後楽園予選を通過するが、成田で敗退。
  • 決勝戦の結果 : (高橋…赤)+10 VS -1(高木…青)
  • 機内1位 : 石倉由美子(東京都出身・No.90・25歳・モニュメントバレーにて敗退)
    区役所勤務。女性で初の機内トップ。

優勝賞品

テレビ放送(全4週)

  • 第1週…1982年(昭和57年)10月7日:サイパン・早起き読書犯人当て開始まで
  • 第2週…1982年10月14日:ロサンジェルスまで
  • 第3週…1982年10月21日:ニューオリンズまで
  • 第4週…1982年10月28日

[編集] 第7回(1983年)

福留が「歴代ベスト」と評した大会。参加者が1万人を突破し、視聴率も歴代で最高を記録した。今大会からサポートアナウンサーが同行するようになり、第8回までは石川牧子が担当した。ダブルチャンスクイズが初登場。ルートではアメリカ合衆国本土への上陸の前と途中でカナダを経由した。

全大会で唯一、大陸上陸後に急病による脱落者が発生した。また、前年末に開催された『史上最大の敗者復活戦』の優勝者がシード権によりグァム空港から参加したが、合流クイズで敗退した。

CP 地名 会場 クイズ 通過条件 人数
第一次予選 後楽園球場   ○×クイズ 規定人数決定まで勝ち残り 10203→100
第二次予選 成田空港 成田エアポートレストハウス ジャンケン ※1 3本先取 100→50
敗者復活戦 早押しクイズ 1問正解、不正解は即失格 50→1
第1CP 東京→グァム 太平洋上空 機内400問ペーパークイズ 上位40位まで 51→40
グァム国際空港 40人目の上陸決戦 ※2 サドンデス 3→2
第2CP グァム コンチネンタルホテル・ビーチ 突撃○×どろんこクイズ 1問正解 40→19
敗者復活戦 激突! ドロレスカルタクイズ 1問正解 21→5
第3CP ハワイ ワイキキビーチ 早起きつな引きクイズ 1ポイント獲得 24→12
第4CP バンクーバー ロガー・スタジアム 恐怖の三択ふだ捨てクイズ 3ポイント獲得 12→7 ※3
敗者決定戦 敗者決定切り株ド〜ン 最下位以外 5→4
第5CP ジャスパー コロンビア氷原 氷河イス取り早押しクイズ 2ポイント獲得 10→9 ※4
第6CP ロサンゼルス ロングビーチ停泊中のクイーン・メリー船上 双子神経衰弱 クイズ正解後双子または三つ子を当てる 9→8
第7CP デスバレー パナミント渓谷 猛暑早押しダブルチャンス 3ポイント獲得 8→7
第8CP レイクパウエル グレンキャニオンダム・湖畔 クイズヨットスクール 3ポイント獲得 7→6
第9CP セントルイス ジェファーソン国立記念公園 リレー珍発明クイズ 1ポイント獲得 6→5
第10CP ナイアガラ ※5 スカイロン・タワー近くの展望台 早押しクイズ 3ポイント獲得 5→4
第11CP オルバニー オールド・ラインベックエアロドローム 新・落下傘パラマキクイズ 3ポイント獲得 4→3
第12CP ボストン クインシー・マーケット 早押しビンゴ通過クイズ 5マスのビンゴ成立後通過クイズ正解 3→2
決勝 ニューヨーク パンナムビル屋上 早押しクイズ 10ポイント先取 2→1
  • ※1:対戦50組中10組は、負けジャンケンで行われた。この場合、ジャンケン敗者が勝ち抜けで勝者は敗者復活戦に回る。また、この時成田に来た挑戦者は男女とも50人だったため、全てのジャンケンが「男性」対「女性」の組み合わせで行われた。
  • ※2:機内最下位通過者(同率39位)2名と『史上最大の敗者復活戦』優勝者の計3名が参加。
  • ※3:三択ふだを使い果たした挑戦者が5名出たため。
  • ※4:バンクーバー→ジャスパー間で急病のため1名リタイアしている。
  • ※5:カナダ側(オンタリオ州)のナイアガラフォールズにて行われた。

決勝戦進出者

  • クイズ王 : 横田 尚(東京都出身・No.37・25歳・機内1位
    駅前の旅館を営む若旦那。日本大学出身。183㎝の長身で、福留からは「のんびり屋の若旦那」と言われていた。コンピュータ予想では常時トップにいたが、グァムの敗者復活戦では残り最後1つに辛くも滑り込んだり、パラマキクイズでは早々にリーチをかけながら3ポイント目を取るのに苦戦した。本番組以外のクイズ番組の出場経験はない。
  • 準優勝 : 渡辺晶夫(千葉県出身・No.42・29歳)
    空港ポーターサービス業。横田とは対照的に、福留からは「しっかり者の社会人」と言われていた。グァムで敗者復活を果たした以外は各チェックポイントのほとんどを上位で通過しており、安定感では横田を上回っていた。
  • 決勝戦の結果 : (横田…赤)+10 VS +6(渡辺…青)

優勝賞品

  • カナダ産ログハウス (カナダ西部のカムループスで贈呈。土地も与えられず、丸太を自分で切って組み立てなければならなかった)

テレビ放送(全4週)

  • 第1週…1983年(昭和58年)10月20日:グァム・ドロンコクイズ数名挑戦まで
  • 第2週…1983年10月27日:ジャスパーまで
  • 第3週…1983年11月3日:セントルイスまで
  • 第4週…1983年11月10日

[編集] 第8回(1984年)

初めて全都道府県から参加者が集まった。また、今大会から第一次予選での敗者復活戦が行われるようになった。また、予選の段階での優勝賞品発表が唯一行われた大会でもある。大学生のクイズ研究会の進出が、今大会から本格的に始まった。

大声クイズとジョギングマラソン)クイズ初登場。準々決勝ではバハマに上陸し、「クイズ史上初」と銘打たれ、当時の最新鋭の技術を駆使した海底でのクイズが実施された。パンナムビルで決勝戦を行った最後の大会である。

CP 地名 会場 クイズ 通過条件 人数
第一次予選 後楽園球場   ○×クイズ 規定人数決定まで勝ち残り 11048→100
敗者復活戦 パスポート番号抽選 パスポート番号が一致した人 10947→1
第二次予選 成田空港 成田エアポートレストハウス ジャンケン 3本先取 101→51
成田空港送迎デッキ 敗者復活戦 航空券争奪敗者復活戦 金庫の鍵開け成功 50→3 [14] 
第1CP 東京→グァム 太平洋上空 機内400問ペーパークイズ 上位40位まで 54[14]→41
グァム国際空港 敗者決定戦 最下位同点決勝○×女神クイズ サドンデス 2→1
第2CP グァム ココス島 突撃○×泥んこクイズ 1問正解 40→22
敗者復活戦 ドロンコボール争奪クイズ 1問正解 18→3
暁の奇襲作戦 敗者たらいまわしクイズ 1ポイント獲得 25→24
第3CP ハワイ ワイキキビーチ 朝めし早食い綱引きクイズ 1ポイント獲得 24→12
第4CP サンフランシスコ サンノゼ
カリフォルニア・グレート・アメリカ
双子神経衰弱クイズ クイズ正解後
双子または三つ子を当てる
12→11
第5CP リノ スコーバレー 遙かなる山の大声クイズ 2ポイント獲得 11→10
第6CP フェニックス サグアロ 時間差バラマキクイズ 2ポイント獲得 10→9
第7CP ラピッドシティー ラシュモア山国立記念公園 ご先祖様リレークイズ 2ポイント獲得 9→8
第8CP ダコタ ノースダコタ州ビスマーク郊外
グレートプレーンズ
早押しクイズ 3ポイント獲得 8→6
敗者復活戦 先に泣いたほうが勝ち 先に泣く 2→1
第9CP インディアナポリス インディアナポリス・
モーター・スピードウェイ
ジョギング早押しクイズ 3ポイント獲得 7→6
第10CP キーウェスト   早押しWチャンス潮干狩りクイズ 3ポイント獲得 6→5
第11CP バハマ カリブ海海底 海底早押しクイズ 3ポイント獲得 5→4
第12CP フィラデルフィア インティペンデンス・ホール 決勝進出通過クイズ 3ポイント獲得後通過クイズ正解

4→2

決勝 ニューヨーク パンナムビル屋上 早押しクイズ 10ポイント先取 2→1

決勝戦進出者・機内1位

  • クイズ王 :石橋史行(東京都出身・No.63・27歳・機内2位)
    麻布大学の学生。獣医学科に在籍していたために福留からは「獣医さん」と呼ばれ、その巨体から「クマさん」とも呼ばれていた。クイズ番組の優勝経験を複数回持つ実力者で、第4回から後楽園予選に参加しており、5回目で予選通過を果たす。歴代クイズ王の中では最も危なげなく各チェックポイントを勝ち抜け、ゲストクイズや体力系のクイズも余裕を持って上位通過を果たした。準決勝まで、クイズに臨む際は自ら「戦闘服」と称していた青色のパーカーを着用していた。
  • 準優勝 : 宍戸浩明(福島県出身・東京都在住・No.5・22歳・機内3位)
    創価大学の学生。石橋とはクイズを通して知り合った友人同士で、第5回から後楽園予選に一緒に参加していた。ゲストクイズではラスト通過だったものの、早押しクイズでは石橋と各チェックポイントのトップ通過を競い合っていた。
  • 決勝戦の結果 : (宍戸…青)+7 VS +10(石橋…赤)
  • 機内1位 : 道蔦岳史(神奈川県出身・東京都在住・No.26・22歳・ハワイにて敗退)
    [14]第5回に続き2度目の機内1位を達成するが、ハワイの綱引きクイズでは解答権を取ることなく敗退した。

優勝賞品

  • 高級クラシックカー (マイアミで贈呈。部品の状態で渡され、自分で組み立てなければならず、しかもエンジンを自前で調達しなければならなかった)

テレビ放送(全4週)

  • 第1週…1984年(昭和59年)10月11日:グァム・ドロンコボール争奪クイズまで
  • 第2週…1984年10月18日:リノまで
  • 第3週…1984年10月25日:インディアナポリスまで
  • 第4週…1984年11月1日

[編集] 第9回(1985年)

自由の女神の修復工事が今大会と重なり、当時のパリ市長ジャック・シラクの招致で今大会はパリが決勝地になり、ニューヨークは北米大陸最後のチェックポイント[15]となっていた。それに伴い第1問もパリのランドマークであるエッフェル塔関連の問題が出題された。

アメリカ横断後、大西洋を越え、ヨーロッパのイギリスフランスに上陸。チェックポイントの数も増加し、これまで以上にスケールの大きい大会となった。団体戦クイズが初登場。

機内ペーパークイズのベスト3が本土上陸前に全員敗退するなど波乱含みの大会となった。番組制作サイドは常々「知力・体力・時の運」を銘打っており、第4週エンディングのナレーションでは、クイズ番組で活躍を重ねる人でなくても勝てることが強調された。[16]

CP 地名 会場 形式 通過条件 人数
第一次予選 後楽園球場   ○×クイズ 規定人数決定まで勝ち残り 11754→100
一塁側スタンド 敗者復活戦 お守りを発見した人が復活 座っている座席の裏に
成田山新勝寺のお札がある [17]
11654→1
第二次予選 成田空港 成田エアポートレストハウス 日高直人アナ腕立て伏せ 全員通過 101→101
第三次予選 ジャンケン 3本先取 101→50
成田空港・北ウイング前 敗者復活戦 離陸直前空席待ち早押しクイズ 1問正解 51→9 ※1
第1CP 東京→グァム 太平洋上空 機内400問ペーパークイズ 上位45位まで 59→45
第2CP グァム パシフィックアイランドクラブ・ビーチ 突撃○×どろんこクイズ 1問正解 45→24
敗者決定戦(罰ゲーム) どろんこ3択カルタクイズ サドンデス 21→6
第3CP ハワイ ワイキキビーチ沖の海上 クイズ・ジャポン ワイらキキ一髪 2ポイント獲得、誤答2回で失格 30→15
天台宗布哇(ハワイ)別院 敗者復活戦 アンケートクイズ サドンデス 15→3
第4CP サンフランシスコ キャンドルスティック・パーク バケツリレー6連発クイズ 一問多答問題をチーム全員が正解 18→12
(6名×2チーム)
敗者決定戦 一問三答早押しクイズ 一問三答問題を1人で全て正解 6→4
第5CP ヨセミテ エル・キャピタン ヨセミテや 岩にしみいる 大声クイズ 2ポイント獲得 16→14
第6CP ロスアンジェルス ユニバーサル・スタジオ・ハリウッド 懐かしのTVスターハリウッド版 あの人は今 4ポイント獲得 14→13
第7CP ラスベガス フーバーダムミード湖湖畔 足あげエアロビクスクイズ 2ポイント獲得 13→12
第8CP アルバカーキ 熱気球飛行場 夕陽の決闘!! イバラマキクイズ 2ポイント獲得 12→11
第9CP ナッシュビル パルテノン前広場 パルテノン 双子ペアマッチクイズ クイズ正解後双子を当てる 11→10
第10CP オーランド サーカス・ワールド 絶叫!! 恐怖のジェットコースター・クイズ 2ポイント獲得 10→9
第11CP アナポリス 海軍士官学校 アナポリス 早押しダブルチャンスクイズ 3ポイント獲得 9→8
第12CP アトランティックシティ ボードウォーク・ビーチサイド 21のババ抜きギャンブル・クイズ クイズに正解する毎にトランプ1枚を獲得し
数字の合計を17から21にする
8→6
カジノ・アトランティス 敗者決定戦 スロットマシン スリーセブンを当てる 2→1
第13CP ニューヨーク セントラル・パーク5番街
エンパイア・ステート・ビル
ニューヨークシティマラソンクイズ 3ポイント獲得 7→6
第14CP ロンドン ウィルトシャー州 ロングリート・ハウス内
メイズ・ガーデン(生垣迷路)
迷路バラマキクイズ 3ポイント獲得 6→5
第15CP ドーバー リド空港入口 おかしなおかしなゲストクイズ 2ポイント獲得 5→4
第16CP リド空港→ドーバー海峡上空 ドーバー横断○×クイズ ※2 1問正解 4→2 ※3
決勝 パリ パリ16区 トロカデロ広場 早押しクイズ 10ポイント先取 2→1
  • ※1:当初10名敗者復活となっていたが、解答権のある挑戦者が1組キャンセルが出たため1名分減らされた。
  • ※2:ゲストクイズを勝ち抜いた順に、空港の出国手続き所にて○×を選択。
  • ※3:勝者2名はル・ブルジェ空港ヘ。

決勝戦進出者・機内1位

  • クイズ王 : 金子孝雄(東京都出身・No.73・20歳・機内31位)
    埼玉大学の学生で、同大学のクイズ研究会所属。愛称は、顔が似ていることから「林真理子」。福留曰く「史上最弱のチャンピオン」。優勝時の年齢が歴代最年少。成田で敗者復活、アトランティックシティでは敗者決定戦で通過と驚異的な運で勝ち上がったが、アナポリスでのトップ通過、アトランティックシティでは解答回数最多であったなど、ある程度の実力も備わっていた。第9回本放送終了の翌週の『ザ・トップテン』に福留と共に出演し、近藤真彦との早押し対決が企画された(実際の早押しハットやテーブルなどの機材を持ち込んでの3問勝負。結果は金子は誤答し、近藤が1問正解で勝利)。
  • 準優勝 : 長谷川威夫(東京都出身・No.77・23歳・機内10位)
    出版社営業マン。勤務先のコマーシャルのキャッチフレーズ「ヤリガイ満々」から「ヤリガイ」と呼ばれていたが、福留からはよく「バカガイ」とからかわれていた。グァム・ハワイと2度連続で敗者復活。特に2択3択の選択問題に強かった。
  • 決勝戦の結果 : (金子…青)+10 VS +8(長谷川…赤)
  • 機内1位 : 永田研自(大阪府出身・神奈川県在住・No.8・19歳・ハワイにて敗退)
    早稲田大学の学生で、同大学のクイズ研究会所属。

優勝賞品

  • 1人乗り小型潜水艦 (サイパンで贈呈。金子が優勝時に叫んだ言葉から「お母さまヤッタ号」と命名。「ウェット型」という形式で潜水艦内部に水が入ってくるため乗員はアクアラング等の潜水具が必要になる)

テレビ放送(全4週)

[編集] 第10回(1986年)

10周年記念大会となった今大会は、途中アトランタからルートが2コースに分岐し、それぞれのチャンピオンがニューヨークで合流するという初の試みが取り入れられた。総移動距離5万キロは第12回に次いで2番目、総チェックポイント数18は歴代大会で最も多い。

福留が担当する北米ルートは通称「天国ルート」と呼ばれ、遊園地豪華客船上などでクイズが行われた。チェックポイントはアメリカ合衆国のみだが、クイズの無い日にはバハマも訪れている。一方、同行アナウンサーの日高直人が担当する南米ルートは通称「地獄ルート」と呼ばれ、ボリビアブラジルに上陸し、標高が高く酸素が薄いという厳しい環境でクイズが行われた。

このほか、全大会で唯一、第二次予選が「腕ズモウ」で行われ、機内ペーパークイズが2機の機内で同時に行われた。また、今大会と翌年の第11回ではリバティ島自由の女神像の前で決勝戦が行われた。

前年とは一変して機内ペーパークイズの上位5名が全員本土上陸を果たした。決勝戦では実力者同士の激戦が繰り広げられ、第5回・第13回の準決勝と並ぶ名勝負とされている。

今大会は横浜市放送ライブラリーに保存されている。

CP 地名 会場 クイズ 通過条件 人数
第一次予選 後楽園球場   ○×クイズ 規定人数決定まで勝ち残り 17162→100
一塁側スタンド 敗者復活戦1 ○×正解予想 ※1 第2問~第10問の出題前○×予想全問的中者 8724→4
球場内グラウンド 敗者復活戦2 ウルトラチェック 福留が提示した条件の該当者 17058→6
第二次予選 成田空港 成田エアポートレストハウス 腕ズモウ 腕ズモウに勝利 110[18]→55
敗者復活戦 敗者復活なぞなぞ団体戦 1問正解、不正解は即失格 ※2 55[18]→15
(5名×3チーム)
第1CP 成田旅立ち 成田空港・北ウイング前 ※3 ○×クイズ1問 1問正解 70→35
第2CP
(+敗者復活戦
成田→グァム 太平洋上空 機内400問ペーパークイズ 勝者機敗者機の最下位以上の点数獲得者
敗者機成績上位者(勝者機の失格者数×5名)が通過
勝者機35→33
敗者機35→10 ※4
第3CP グァム パシフィックアイランドクラブ・ビーチ 突撃○×どろんこクイズ 1問正解 43→28 [19]
第4CP ハワイ ワイキキビーチ 富める者も貧しき者も 一問多答つな引きクイズ 一問多答問題をチーム全員が正解 28→21
(7名×3チーム)
敗者復活戦 山手線サバイバルクイズ 最後の1名まで勝ち残り、不正解は即失格 7→1
第5CP シアトル スペースニードル前の公園 日米親善 インスピレーションクイズ 1ポイント獲得 22→17
第6CP モハーベ砂漠   驚異のゲスト三択クイズ 3ポイント獲得 17→16
第7CP ロサンゼルス カリフォルニア州立チノ刑務所 Wチャンス大声+念力クイズ 2ポイント獲得 16→15
第8CP モニュメントバレー ナバホランド 大西部マラソンクイズ 2ポイント獲得 15→13
第9CP エルパソ ホワイトサンズ (ニューメキシコ州) 13人の金曜日!! 砂地獄早押しクイズ 2ポイント獲得 13→12
第10CP ダラス ウルトラライトプレーン停泊広場 飛んで飛んで飛んで ばらまきクイズ 2ポイント獲得 12→11
第11CP アトランタ ケネソー古戦場 南・北お別れ早押しクイズ 2ポイント獲得 11→5+5 ※5
北米ルート 第12CP オーランド ディズニー・ワールド
エプコット・センター
そっくりファミリー 一家総出の双子神経衰弱クイズ 2ポイント獲得後双子を当てる 5→4
南米ルート ラパス アルティプラーノ 標高4080m 酸欠早押しクイズ 3ポイント獲得 5→4
北米ルート 第13CP マイアミ カーニバルクルーズライン
カリブ海クルーズ
カリブ海ぞうきんがけ早押しクイズ 4ポイント獲得 4→3 ※6
南米ルート チチカカ湖   インディオの小舟 トトーラ早押しクイズ 4ポイント獲得 4→3
北米ルート 第14CP ナイアガラ ゴート島 北米チャンピオン決定戦 ナイアガラ通過クイズ 3ポイント獲得後通過クイズ正解 3→1
南米ルート リオデジャネイロ コルコバードの丘 南米チャンピオン決定戦 弱肉強食 ポイント略奪クイズ 最後の1名まで勝ち残り 3→1
決勝 ニューヨーク リバティ島 自由の女神像 早押しクイズ 10ポイント先取 2→1 ※7
  • ※1:第1問不正解者のみ参加。
  • ※2:正解時は解答者のいる縦列5名が全員復活、不正解時は解答者のいる縦列5名が全員失格。
  • ※3:正解発表は機内上空。
  • ※4:勝者機側は2名失格者が出たため、敗者機側の成績上位者10名が敗者復活。
  • ※5:北米ルートへ5名・南米ルートへ5名。通過順に任意のコースを選択。
  • ※6:勝者3名はバハマ・リゾート後、ナイアガラへ。
  • ※7:北米ルート・南米ルートから各1名が合流。

決勝戦進出者・機内1位

  • クイズ王 : 森田敬和(岐阜県出身・東京都在住・No.33・26歳・機内総合2位(敗者機1位)・南米ルート代表)
    拓殖大学出身、企画会社社長。それまでに数多くのクイズ番組を制覇していた実力者だった。成田の○×問題で誤答したものの、機内ペーパークイズで敗者復活。早押しクイズでは常に上位で通過し、アトランタ以降は全てトップ通過で決勝まで進出した。ボリビアでは高熱と腹痛に苦しみ、南米ルートの他の挑戦者が森田のサポートを行った。これによって挑戦者間の連帯感が強まり、準決勝では、挑戦者間で「お互い全力を尽くして、勝者を南米ルート代表として快く送り出そう」という約束が交わされた。さらに北米ルートとの合流前、南米ルートスタッフ全員から手厚い激励を受けたという[20]。優勝直後にクイズ引退を表明するが、後に撤回。
  • 準優勝 :西沢泰生(神奈川県出身・東京都在住・No.89・24歳・機内総合3位(勝者機2位)・北米ルート代表)
    東海大学出身、社内報編集者。森田と同様に、数多くのクイズ番組を制覇した実力者。機内の成績は、森田とはわずか1点差であった。決勝で一時+9対+7とリードするも、誤答し最後は2ポイント差で敗れた。帰国後、スタジオで「永遠に縮まらない2ポイント」と語っている。現在もクイズサークルに所属している。
  • 決勝戦の結果 : (森田…赤)+10 VS +8(西沢…青)
  • 機内総合1位 : 山本道夫(茨城県出身・No.25・35歳・南米ルート・リオデジャネイロにて敗退)
    病院勤務。第二次予選の腕ズモウで敗退したものの「敗者復活なぞなぞ団体戦」にて敗者復活(本人が解答したわけではないが、正解した挑戦者のいた縦列に本人が含まれていたため共に敗者復活)。その後も全般的に安定した実力で勝ち進んでいった。

優勝賞品

  • 熱気球 (アルバカーキで贈呈。3人乗りの本格派のもの[21]。飛び立ったときにゴンドラから「南米直行」の垂れ幕がぶら下がっていた)

テレビ放送(全4週)

  • 第1週…1986年(昭和61年)10月30日:グァムまで
  • 第2週…1986年11月6日:モニュメントバレーまで
  • 第3週…1986年11月13日:南米ラパス・北米オーランドまで
  • 第4週…1986年11月20日

[編集] 第11回(1987年)

後楽園球場で第一次予選が行われたのは今大会が最後となった。福留が引退を宣言するが、敗者の味方・徳光和夫と総合司会の高島忠夫の説得により宣言は保留。結果的には翌年も登場しているため事実上の撤回。今大会では高島も挑戦者として出場した。

成田へ行く前に埼玉県岩槻市(現・さいたま市岩槻区)の久伊豆神社(正式な読み方は「ひさいず神社」だが番組中では「クイズ神社」と呼ばれていた)で第二次予選を行い、また敗者復活戦を名古屋近郊(愛知県小牧市)で行うなど、日本国内からグァムに至るまでの行程において一工夫が施された。

大陸上陸後では、途中のチェックポイントを免除できるルールが採用された。ルート中盤ではメキシコのユカタン半島を経由。タイムショッククイズ(タイムレース)が初登場。準決勝では第1回クイズ王・松尾清三との対決クイズが行われた結果、全大会で唯一3名が決勝戦に進出した。

CP 地名 会場 クイズ 通過条件 人数
第一次予選 後楽園球場   ○×クイズ 規定人数決定まで勝ち残り 18017→100
三塁側スタンド 敗者復活戦 歯医者と縁のない人[22]の卵割り 頭で割った卵が生卵であること 17917→4
第二次予選 久伊豆神社 岩槻久伊豆神社境内 凶の出来事クイズ おみくじで凶以外は通過
凶を引いた挑戦者は2ポイント獲得
104→103 ※1
第三次予選 成田空港 成田エアポートレストハウス ジャンケン 3本先取 103→52
敗者復活戦 名古屋 小牧駅前パチンコ「ニューヨーク」 名古屋縦断ミニトラクイズ(クイズ&パチンコ) クイズ正解後パチンコで2000発以上出す 52→7 ※2
第1CP 成田→グァム
名古屋→グァム)
太平洋上空 機内400問ペーパークイズ 勝者組上位40位まで
復活組勝者機平均点以上獲得
勝者組52→40
復活組7→3
グァム パシフィックアイランドホテル内プールリゾート 深夜トレード早押しクイズ 2ポイント獲得 6→3 ※3
第2CP パシフィックアイランドクラブ・ビーチ 突撃○×ドロンコクイズ 1問正解 40→21
敗者復活戦 泥んこリンボー早押しクイズ 1問正解 19→7
第3CP ハワイ ワイキキビーチ 命預けます 一問多答つな引きクイズ 一問多答問題をチーム全員が正解 28→21
(7名×3チーム)
敗者復活戦 あつあつワイキキ新婚クイズ クイズ正解後新婚カップルを当てる 7→3
第4CP ロサンゼルス ハリウッド郊外サンフェルナンド・バレー地区 戦車ロシアン・ルーレットクイズ クイズ正解後弾が出る戦車を当てる 24→12
第5CP パームスプリングス テハチャピ山地風力発電所近辺 強風かけこみ大声クイズ 2ポイント獲得 12→11
第6CP デビルスタワー デビルスタワー・モニュメント前 ご存知バラまきクイズ 2ポイント獲得 11→10
第7CP バッドランド バッドランド国立公園 国境突破!! 一足跳びクイズ 一足飛び組2ポイント獲得後通過クイズ正解
遠回り組通過クイズ無しの2ポイント獲得
10→2+7 ※4
第8CP リンカーン トウモロコシ畑前 一問多答早押しリレークイズ 5ポイント獲得 7→6
第9CP チチェンイツァ カスティーヨ(マヤのピラミッド) 恐怖のピラミッドかけのぼり数字クイズ 獲得数値合計92以上 8→7
第10CP カンクン プールリゾート 日の出タイムショック 最下位以外 7→6
第11CP マイアミ エバーグレーズ国立公園 爆走エアーボートカルタクイズ 3ポイント獲得 6→4
エバーグレーズ 敗者復活戦 日本・米国早起き連想クイズ 獲得ポイントが多い方 2→1
第12CP ワシントン ウィラード・ホテル ワシントンつぶし合いクイズサミット 5ポイント獲得 5→4
第13CP ニュージャージー ジャージーシティ
リバティー・ステイト・パーク
セントラル・レイルロード・
オブ・ニュージャージー
ニュージャージー封鎖クイズ ※5 3ポイント獲得 4→3 ※6
決勝戦 ニューヨーク リバティ島 自由の女神像前 早押しクイズ ※5 10ポイント先取 3→1
  • ※1:早押しクイズには凶を引いた3名が参加。ここの敗者は名古屋の敗者復活戦に回る。
  • ※2:第二次予選敗者1名と第三次予選敗者51名の計52名が参加。
  • ※3:敗者復活者3名(名古屋→グァム間の機内400問ペーパークイズで勝者機の平均点を上回る成績を記録した挑戦者)と勝者側の機内通過下位3名が参加。
  • ※4:バットランド通過者先着2名がメキシコ(チチェンイツァ)へ一足飛び、3着以降の勝ち抜け7名が遠回りコースのリンカーンへ。
  • ※5:準決勝と決勝戦は同日収録だった。
  • ※6:挑戦者4名それぞれ初代クイズ王松尾との対決方式であったため、通過人数が不定であった(最低2名以上で全員通過もあり得た)。結果、通過を果たしたのは3名だった。

決勝戦進出者・勝者機1位

  • クイズ王 : 稲川良夫(岐阜県出身・大阪府在住・No.94・25歳・機内総合1位
    立命館大学出身、印刷会社勤務。立命館大学クイズ研究会(正式名称「立命館大学クイズソサエティ」・通称RUQS)の設立者にして初代会長であり、自身は第5回にて初参加、第7回からはRUQSを引き連れて後楽園予選に参加していた。有給休暇が尽きてしまい会社を解雇されるかもしれないという状況の中で当大会に臨んだ。成田で敗退したが、「名古屋縦断ミニトラクイズ」におけるパチンコによって敗者復活を果たした。早押しクイズでは他を圧倒していたが、その反面、的外れな珍答をすることも多かった。一般企業の社員で決勝進出を果たした挑戦者は何名かいるが、優勝を果たしたのは稲川だけである。第13回でも国内予選を突破するが、この時はグァムで敗退している。
  • 準優勝 : 山賀恵美子(埼玉県出身・No.86・20歳・機内総合6位(勝者機5位))
    青山学院女子短期大学の学生。グァムで敗者復活。この年の上位進出を果たした彼女と他の女性2名と合わせて「三人娘」と呼ばれ、放送当時は番組視聴者の間で非常に人気があった。歴代最後の女性決勝進出者。
  • 第3位 : 高橋充成(神奈川県出身・No.22・21歳・機内総合8位(勝者機7位))
    神奈川大学の学生で、同大学のクイズ研究会会長。ハワイで敗者復活。コーヒー紅茶烏龍茶が苦手なことが愛称となり、大声クイズのセリフとして取り上げられた。
  • 決勝戦の結果 : +10(稲川…赤) VS 0(高橋…青) VS +1(山賀…黄)
  • 勝者機1位(機内総合2位): 高橋麻里子(東京都出身・No.68・19歳・カンクンにて敗退)
    駒澤大学の学生で前述の「三人娘」の1名。当初は「機内1位」と紹介されたが、稲川が成績で上回ったため、以降は「機内女性1位」と紹介された。グァムで敗者復活。カンクンにて、序盤に連発した早とちりの誤答が最後まで尾を引き敗退した。「三人娘」のもう1名はリンカーンで敗退。

優勝賞品

  • カナダ東部のノバスコシアに浮かぶ (満潮時には畳一畳分を残して水没する岩礁。干潮時には近くの島と歩いて行き来できるようになる。稲川が名古屋のパチンコで敗者復活したことから「パチンコ島」と命名。稲川のブログによれば、実際には岩礁から歩いて行き来できる島も含めて賞品として貰えたという。現在も稲川はこの島を所有しているとのこと)

テレビ放送(全4週)

  • 第1週…1987年(昭和62年)11月5日:グァム・深夜トレード早押しクイズまで
  • 第2週…1987年11月12日:パームスプリングスまで
  • 第3週…1987年11月19日:カンクンまで
  • 第4週…1987年11月26日

[編集] 第12回(1988年)

参加資格年齢の上限が45歳から50歳に引き上げられ、第一次予選が初めて東京ドームにて行われた。また、敗者の味方が徳光から渡辺正行へと交代し、徳光は初めて一般挑戦者として出場した。

北極圏のバローから南極圏のフェゴ島まで南北アメリカ大陸を縦断し、アメリカ本土(フロリダ半島)へ再上陸。総移動距離55,000kmという歴代で最も距離の長いルートを辿った。南米ではブラジルとアルゼンチンを経由した。

今大会から第16回まで決勝戦はイースト川を航行する遊覧船「プリンセス号」の船上で行われるナイター決勝となった。挑戦者が敗者になる度に涙を流したり、罰ゲームを受けている敗者を助けたりするなど、挑戦者間の絆の強さが目立った大会となった。

CP 地名 会場 クイズ 通過条件 人数
第一次予選 東京ドーム   ○×クイズ 規定人数決定まで勝ち残り 20774→100
第二次予選 成田空港 成田エアポートレストハウス ジャンケン 3本先取 100→50
敗者復活戦 備えあれば復活ありクイズ 渡辺が提示した条件を満たしてクイズに1問正解 50→5
第1CP 成田→グァム 太平洋上空 機内400問ペーパークイズ 上位40位まで 55→40
第2CP グァム パシフィックアイランドクラブ・ビーチ 突撃○×どろんこクイズ 1問正解 40→20 [23]
第3CP バロー 北極海沿岸 一問多答 人間ピラミッドクイズ 一問多答問題をチーム全員が正解後
カラオケ通過クイズに正解
20→15
(5名×3チーム)
敗者復活戦 しもやけ早押しクイズ 1ポイント獲得 5→3
第4CP フェアバンクス
アラスカ鉄道
フェアバンクス→ネナナ→アンカレッジ 勝ち抜けクイズ 三択クイズ 規定人数決定まで勝ち残り 18→勝抜3
置き去りクイズ 突撃取材クイズ 1問正解 15→14
勝ち抜けクイズ 空席待ちクイズ 1ポイント獲得 14→勝抜8
置き去りクイズ 時間ですよ! 早押しクイズ 1ポイント獲得 6→5 ※1
勝ち抜け&置き去りクイズ 早押しクイズ 2ポイント獲得 5→4
第5CP サンフランシスコ サンフランシスコ証券取引所→急勾配の坂 知力派VS体力派トレード 新・マラソンクイズ 知力派3ポイント獲得
体力派1ポイント獲得
15→14
第6CP パシフィカ パシフィカビーチ クイズ わたしがママよ! クイズ正解後子供の母親を当てる 14→13
第7CP ラスベガス カジノ通り フレモント・ストリート クラップス早押しクイズ クイズ正解後クラップスで勝利 ※2 13→11
第8CP モハーベ砂漠 ソーダレイク バラマキクイズ 2ポイント獲得 11→10
第9CP サンパウロ パレストラ・イタリア球技場 勝利への脱シュートクイズ 2ポイント獲得 10→9
第10CP イグアス イグアス国立公園 (ブラジル) 大滝びクイズ 2ポイント獲得 9→8
第11CP ブエノスアイレス カミニートタンゴ発祥の地) クイズ タンゴアルゼンチーノ 2ポイント獲得 8→7
第12CP フェゴ島 ウシュアイア 南氷洋沿岸 最南端で災難クイズ 5ポイント獲得、-12ポイントで失格 7→5
敗者復活戦 二重音声クイズ 1ポイント獲得 2→1
第13CP ゲインズビル ゲインズビル・レースウェイ 爆走ドラッグレースクイズ 2ポイント獲得後ドラッグレースの予想を当てる 6→5
第14CP ワシントンD.C. 議会議事堂前広場 大統領選挙クイズ 獲得数値合計50以上 5→4
第15CP ゲティスバーグ ミリタリー・ナショナルパーク 激戦!! 通せんぼクイズ 3ポイント獲得後通過クイズ正解 4→2
決勝戦 ニューヨーク プリンセス号船上イースト川クルーズ 早押しクイズ 10ポイント先取 2→1
  • ※1:4名が正解したところで列車が発車して2名が置き去りとなってしまったため、同行アナの小倉淳がヘリコプターで現場へ救助に出向き、その場でのクイズで敗者1名を決定。他方の1名はヘリコプターに乗って再びアラスカ鉄道へと合流。
  • ※2:2個のサイコロを投げ、合計が7か11になったら勝ち抜け。2か3か12は負けとなり、解答席に戻る(他の合計目の場合はサイコロを振り直し)。

決勝戦進出者・機内1位

  • クイズ王 : 瀬間康仁(群馬県出身・大阪府在住・No.1・24歳・機内4位)
    立命館大学の学生で、同大学のクイズ研究会4代目会長。第一次予選では最後の問題で誤答したが、補欠繰上げ[24]にて第二次予選に参加。公務員試験を捨てての挑戦だった。献血が趣味であることから「献血ボーイ」の愛称がつく。アラスカ鉄道ニナーナ(ネナナ)駅とブエノスアイレスではラスト通過となったが、ゲインズビル以降は全てトップ通過。決勝戦は紋付羽織袴を着て臨んだ。第10回の第一次予選も突破していたが、第二次予選の腕ズモウにて敗退していた経歴がある。
  • 準優勝 : 大江成人(千葉県出身・No.69・22歳・機内2位)
    早稲田大学の学生。アラスカ鉄道の「空席待ちクイズ」で「のりピー語で"ババピー"の意味は?」との問いに「汚い」という珍解答をしたことから(正解は「大きい」の意)、「ババピー」という愛称をつけられた。ラスベガスのクラップス早押しクイズでは後ろ向きでサイコロを振りラスト通過、フェゴ島では指名のミスが重なり苦戦の末のラスト通過となった。
  • 決勝戦の結果 : (瀬間…青)+10 VS +6(大江…赤)
  • 機内1位 : 岩隈政信(東京都出身・No.26・21歳・グァムにて敗退)
    早稲田大学の学生で、同大学のクイズ研究会所属。現在、日本テレビ報道局所属。

優勝賞品

テレビ放送(全5週)

  • 第1週…1988年(昭和63年)11月3日:グァム・ドロンコクイズ数名挑戦まで
  • 第2週…1988年11月10日:アラスカ鉄道まで
  • 第3週…1988年11月17日:モハーベ砂漠まで
  • 第4週…1988年11月24日:フェゴ島まで
  • 第5週…1988年12月1日

[編集] 第13回(1989年)

第1回から続いたスタジオパートが廃止され、代わりに人工衛星による撮影画像を用いたCGのルート紹介、スタッフや挑戦者による敗者予想など新たな趣向が試みられた。

第1問と敗者復活者が、第一次予選当日の読売新聞紙上で発表された[25]。ルート前半ではオーストラリアニュージーランドに上陸し、後半でアメリカ本土を横断。シドニーではMr.マリックがゲストとして出演し、敗者復活戦も行った。

全大会中でも、国内予選を通過した挑戦者のクイズ知識が際立っていた大会とされ、多数の大学クイズ研究会関係者による激戦が繰り広げられた。特に準決勝ボルティモアの通せんぼクイズでは長戸勇人が通過席に8度立つなど、第5回ノックスビルにも勝る激戦が繰り広げられた。

CP 地名 会場 クイズ 通過条件 人数
第一次予選 東京ドーム   ○×クイズ 規定人数決定まで勝ち残り 24115→100
球場内グラウンド 敗者復活戦 皆勤出場者+
皆勤出場者の好きな芸能人※1に似ている人
過去の予選13回全て参加した皆勤出場者
皆勤出場者が提示した条件の該当者
24015→4
第二次予選 成田空港 成田エアポートレストハウス ジャンケン 3本先取 104→52
敗者復活戦 先に泣いた方が復活!! 早く涙を流した人先着3名 52→3
第1CP 成田→グァム 太平洋上空 機内400問ペーパークイズ 上位40位まで 55→40 [26]
第2CP グァム パシフィック・スター・ビーチ 突撃! ○×ドロンコクイズ 1問正解 40→22
敗者復活戦 逆ドロンコクイズ サドンデス [27] 18→3
第3CP グァム→ [28]
オーストラリア
パシフィック・スターホテル ※2 3時のあなた 私がマクラをかかえたらクイズ 最下位以外 25→24
第4CP ゴールドコースト ゴールドコーストビーチ 団体一問多答 ライフセーバーのようなクイズ 一問多答問題をチーム全員が正解 24→18
(6名×3チーム)
敗者復活戦 ダウトクイズ 1ポイント獲得 6→4
第5CP モーリー モーリー郊外草原地帯 史上最大! サバイバルクイズ 2ポイント獲得 22→14
第6CP ブルーマウンテン ブルー・マウンテンズ国立公園 ステレオ 二重音声クイズ 1ポイント獲得 14→7
モノラル 一問二答クイズ 1ポイント獲得 7→6
第7CP シドニー オペラハウス前広場 日豪親善 超インスピレーションクイズ 2ポイント獲得 13→10
コンベンション・ステーション 敗者復活戦 サイキックイズ 最後の1名まで勝ち残り、不正解は即失格 3→1
第8CP クイーンズタウン マウント・ニコラス牧場 Mt.Nicholas まァ! うんと憎らし早押しクイズ 3ポイント獲得 11→10
第9CP ショットオーバー カワラウ・バンジー・センター 地獄のお叫びクイズ 2ポイント獲得 10→9
第10CP ロサンゼルス パサデナ バットマンハウス クイズ わたしがママよ 2ポイント獲得後子供の母親を当てる 9→7
第11CP ツインレークス   トマト戦争 遠すぎた塹壕 2ポイント獲得 7→6
第12CP チムニーロック 州間高速道路88号線ネブラスカ州ハリスバーグ
バーナー小学校校庭→チムニーロック)
爆走!! コンボイリレークイズ 最前列でクイズに正解 6→5
準々決勝 メンフィス ピーボディー・ホテル アヒルタイムショック 最下位以外 5→4
準決勝 ボルティモア フォートマクヘンリー 激戦!! 通せんぼクイズ 3ポイント獲得後通過クイズに正解 4→2
決勝戦 ニューヨーク プリンセス号船上イースト川クルーズ 早押しクイズ 10ポイント先取 2→1

決勝戦進出者

  • クイズ王 : 長戸勇人(京都府出身・No.60・24歳・機内1位
    立命館大学の学生だったが、休学して第一次予選の参加直前まで南米旅行をしていた。立命館大学クイズ研究会5代目会長。極めて関西人らしい豪快な性格と言動が特徴。第一次予選終了後に南米旅行時に感染したA型肝炎で入院したが、第二次予選直前に退院して参加した。第二次予選と機内クイズは髭面でのパジャマ姿で臨み、グァムで髭は剃り落としたものの、決勝戦も再びパジャマ姿で臨んだ。グァムで敗者復活。「クイズはスポーツ」が信条で、ニュージーランド以降はラグビーオールブラックスジャージでクイズに臨むこともあった。福留からは「20世紀最強のチャンピオン」と呼ばれ、本番組のビデオでは「早押し0.07秒」と紹介された。
  • 準優勝 : 永田喜彰兵庫県出身・No.50・26歳・機内3位)
    大阪大学出身、システムエンジニア。第5回から第一次予選に参加しており、大学在学中は青春18きっぷを利用しての電車旅行ついでに予選参加していたくらいの鉄道ファンであった。シドニーで敗者復活。第10回でも国内予選を突破し、成田の○×問題で誤答しペーパークイズで敗者復活したものの、この時はグァムで敗退している(「他の人の問題を聞いても間違えてばかり」という理由で、問題を聞く前に○へ行くと宣言したものの、よりによって鉄道運賃に関する問題が出され「しまった」と言いながらも結局宣言通り○に飛び込んでドロンコになった)。翌年の1987年(昭和62年)からは、外部生ながら立命館大学クイズ研究会に所属していた。後に長戸と共にバラエティ番組に出演するなどクイズタレントとしても活動している。
  • 決勝戦の結果 : (永田…青)-1 VS +10(長戸…赤) [29]

優勝賞品

テレビ放送(全5週)

  • 第1週…1989年平成元年)10月26日:グァム・ドロンコクイズ1名挑戦まで
  • 第2週…1989年11月2日:モーリーまで
  • 第3週…1989年11月9日:クイーンズタウンまで
  • 第4週…1989年11月16日:ツインレークスまで
  • 第5週…1989年11月23日

[編集] 第14回(1990年)

レギュラー放送で福留が全編担当をした最後の大会。日本テレビがタイアップしていた映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART3』に因み、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」がテーマとなっていた。

第1問が第一次予選当日、早朝のテレビ番組で発表された。グァムでは台風の影響で○×どろんこクイズができないという事態が発生。その後はフランス領ポリネシアのタヒチに上陸。アメリカ本土西海岸のポートランド上陸後は、準決勝・東海岸のキティホークまで全てチャーターバスのみで移動し、日本人があまり訪れないような秘境でのクイズも行われた。

クイズ経験者や大学生が多数勝ち残った前年とはうって変わり、社会人やクイズ未経験者が多く、30代以上の本土上陸者も多かった。また、バスツアーや車中泊サバイバル体験入学大西洋到着など、クイズ以外の場面での挑戦者の表情が映し出される場面が多く、全体的なBGMの選曲も相まってヒューマン・ドキュメンタリー色の濃い大会となった。

CP 地名 会場 クイズ 通過条件 人数
第一次予選 東京ドーム   ○×クイズ 規定人数決定まで勝ち残り 26735→100
敗者復活戦 大ジャンケン大会 ジャンケン勝ち残り 26635→1
第二次予選 成田空港 成田エアポートレストハウス ジャンケン 3本先取 101→50
敗者復活戦 顔面の温度を上昇させる 顔面の温度上昇度上位5名 51→5
第1CP 成田→グァム 太平洋上空 機内400問ペーパークイズ 上位40位まで 55→40
第2CP グァム パシフィック・スター・ビーチ 台風直撃!! 緊急事態○×クイズ 1問正解 40→24
第3CP タヒチ モーレア島クック湾浅瀬 無人島カヌー対決クイズ 2ポイント獲得 24→12
クック湾 敗者復活戦 近似値クイズ 正解に近い挑戦者上位5名 12→5
第4CP タヒチ PART2 モーレア・ビーチコンバー・ホテル他 早い者勝ちクイズ→ゲリラクイズ 1ポイント獲得 17→16
第5CP オレゴン街道 ポートランド郊外
エコラ・ステート・パーク
幌馬車マラソンクイズ 通常クイズに2名が正解後
1問多答問題を残り2名で正解
16→12
(4名×3チーム)
敗者復活戦 リレークイズ 1問正解 4→1
第6CP グランドテートン グランドテートン国立公園 13人のガンマン 対決!大声クイズ 2ポイント獲得 13→12
第7CP ソルトレーク 大陸横断鉄道 空席待ち列車タイムショック 3ポイント獲得
列車通過後は下位2名以外
12→8 ※1
グレートソルトレイク砂漠 敗者決定戦 バラマキクイズ 1ポイント獲得 4→2
第8CP アーチーズ ルート「QUIZ」→アーチーズ国立公園 地獄のクイズ道 3ポイント獲得 10→8
第9CP ツインレークス   トマト戦争 遠すぎた塹壕 PART2 2ポイント獲得 8→7
第10CP レバノン センター・ポイント(地理的中心地) アメリカど真ん中 距離獲得クイズ 獲得数値合計5000以上 7→6
第11CP エリー ミネソタアウトワード・バウンド・スクール
OBS
サバイバル Wチャンスクイズ 3ポイント獲得 6→5
第12CP レイクミシガン ミシガン州ニューバッファロービーチ バック・トゥ・ザ・フューチャークイズ 2ポイント獲得 5→4
インディアナ州ミシガンシティ
時計台前
バック・トゥ・ザ・フューチャークイズ PART2 2ポイント獲得 5→4 ※2
敗者決定戦 二重音声クイズ 1ポイント獲得 2→1 ※3
準決勝 キティホーク キルデビルヒルズ
ライト兄弟メモリアル・キルデビルヒル
激戦!! 通せんぼクイズ 3ポイント獲得後通過クイズ正解 4→2
決勝戦 ニューヨーク プリンセス号船上イースト川クルーズ 早押しクイズ 10ポイント先取 2→1
  • ※1:0ポイントだった挑戦者が4名出たため。
  • ※2:1回目の敗者も参加。
  • ※3:1回目・2回目の各々の敗者が参加。

決勝戦進出者・機内1位

  • クイズ王 : 佐藤光邦(秋田県出身・神奈川県在住・No.64・33歳)
    成蹊大学出身、郵便局員。口髭を生やしていることと、名前の「光邦」を徳川光圀に掛けて、愛称は「ヒゲの黄門様」。クイズ番組への参加も海外旅行も全くの未経験だった。早押しクイズでは実力を見せたが、その反面、体力系のクイズでは苦戦した。優勝後のインタビューでは、自分のクイズの旅をマルコ・ポーロの『東方見聞録』に例えていた。
  • 準優勝 : 高松康典(熊本県出身・No.54・25歳)
    機械会社勤務。佐藤とは対照的にトマト戦争などの体力系のクイズを得意としていた。早押しクイズでの解答権取得の素早さも際立ったものの誤答も多かった。決勝戦では自分の勤務する会社の制服を着て臨んだ。
  • 決勝戦の結果 : (高松…青)-5 VS +10(佐藤…赤)
  • 機内1位 : 土屋仁志(神奈川県出身・No.18・28歳・タヒチにて敗退)
    第9回でも第一次予選を突破していたが、この時は成田のジャンケンで敗退している。

優勝賞品

  • "ラスベガス"のカジノのオーナー権 (ネバダ州ではなく、ニューメキシコ州ラスベガスで贈呈。ゲームは「牛糞ビンゴ」だったが、ニューメキシコ州では賭博は禁止されているため、収益は全額寄付しなければならなかった。牛糞ビンゴで使われた土地と牛2頭が佐藤に贈られた。賞品地レポーターは小倉淳が務めた)

テレビ放送(全5週)

  • 第1週…1990年(平成2年)10月25日:グァムまで
  • 第2週…1990年11月1日:オレゴン街道まで
  • 第3週…1990年11月8日:アーチーズまで
  • 第4週…1990年11月15日:エリーまで
  • 第5週…1990年11月22日

[編集] 第15回(1991年)

第1問をもって福留が降板し、新出題者として福澤朗が着任した。また、3年ぶりにスタジオパートが復活した。総合司会は小倉淳と永井美奈子。ただし、このペアでのスタジオパートは今大会限りだった。

補足(ツッコミテロップの多発など、当時のバラエティ番組の演出が色濃く盛り込まれるようになった。

第一次予選通過者が130名に拡大されたが、敗者復活戦の撤廃・敗者インタビューの減少・罰ゲームの過激化など妥協を許さないサバイバル性の強い大会となった。この回から付いたキャッチフレーズは『明るく楽しい生存競争』、『一度負けたら、ハイそれまでヨ』。ルートでは第3回同様、アメリカ本土の南側に加えメキシコドミニカ共和国を経由している。また、全体的にクイズ研究会関係者の勢いが強かった中で、50歳の男性や40代の女性がアメリカ本土上陸を果たしており、年長者の健闘も目立った。

またこの回からテレビ放送が全4週に戻った。

CP 地名 会場 クイズ 通過条件 人数
第一次予選 東京ドーム   ○×クイズ 規定人数決定まで勝ち残り 28523→130
第二次予選 成田空港 成田エアポートレストハウス ジャンケン 3本先取
炎の一本勝負は1本先取
130→65
第1CP 成田→グァム 太平洋上空 機内400問ペーパークイズ 上位40位まで 65→40
第2CP グァム パシフィック・スター・ビーチ 突撃○×どろんこクイズ 1問正解 40→26
第3CP ハワイ ワイキキビーチ 対決生首クイズ 3ポイント獲得 26→13
第4CP ロサンゼルス フラートンエアポート 恐怖のドッグファイト早押しクイズ 2ポイント獲得 13→12
第5CP モハベ ソーダレイク 砂漠の熱闘 バラマキクイズ 2ポイント獲得 12→11
第6CP サンシティ   クイズ あの時君は若かった! 1ポイント獲得後写真の人物を当てる [30] 11→10
第7CP エルパソ シウダー・フアレス リオ・グランデ川沿岸 国境突破!! 大声クイズ 2ポイント獲得 10→9
第8CP ジャクソン マッコーム オフロード 早押しクイズ 3ポイント獲得 [31] 9→8
第9CP ニューオリンズ バーボン・ストリート ジャズ歴史三択クイズ 3ポイント獲得 8→7
第10CP ドミニカ共和国 サントドミンゴの植民都市 オサマ砦 新大陸獲得クイズ 各セット毎最後まで残った1名 7→6
第11CP オーランド ユニバーサル・スタジオ・フロリダ マラソンクイズ 3ポイント獲得 6→5
第12CP   奇襲大作戦 3ポイント獲得 5→4
第13CP ヨークタウン ネルソンハウス裏庭 激戦!! 通せんぼクイズ 3ポイント獲得後通過クイズ正解 4→2
決勝戦 ニューヨーク プリンセス号船上イースト川クルーズ 早押しクイズ 10ポイント先取 2→1
  • ※:メキシコの国境にて行われ、勝ち抜け後アメリカへ再入国しエルパソへ。

決勝戦進出者・機内1位

  • クイズ王 : 能勢一幸(埼玉県出身・No.84・22歳・機内2位)
    一橋大学出身、公務員。一橋大学クイズ研究会出身で、それまでクイズ歴は豊富なものの優勝経験が一度もない無冠の帝王だった。『ウルトラクイズ』には大学生となった第11回から"今世紀最後"まで計7回参加したが、第一次予選を突破したのは第15回のみ。「クイズおたく」という愛称を福澤からもらったが、本人は嫌がっていた。後にウルトラクイズにおける自身の体験談を『能勢一幸のクイズ全書1』(情報センター出版局、1993年)という著書として発表している。
  • 準優勝 : 松原史和(神奈川県出身・No.49・21歳)
    一橋大学の学生で、同大学のクイズ研究会所属。能勢は大学の先輩にあたる。松原は遅生まれで能勢は早生まれ(1月1日)のため、年齢は1つ違いだが能勢は社会人、松原は大学3年生であった。ほとんどのチェックポイントに迷彩服で臨み、勝ち抜け時には匍匐(ほふく)前進をやった。そのため福澤から「ゲリラ」と呼ばれていたが、本人は嫌がっていた。ドミニカ共和国からネイビースタイルに変えたが、「ゲリラ」と呼ばれる状況は変わらなかった。
  • 決勝戦の結果 : (松原…青)+8 VS +10(能勢…赤) [32]
  • 機内1位 : 大石 禎(三重県出身・東京都在住・No.96・25歳・ドミニカ共和国にて敗退)
    名古屋大学出身、テレビ情報誌記者。クイズ研究会出身で、初代副会長だった。番組体験取材という名目で参加し、福澤からはそのテレビ情報誌名で呼ばれていた。ドミニカでは能勢と共に封鎖され続けた結果、能勢との直接対決でどちらかが落ちるという状況になり、最終的に敗退した。

優勝賞品

  • プライベート温泉アメリカンロッキーで贈呈。熱い源泉と川の水を自分で混ぜ合わせたもの。近くにがいたので「かもの湯」と命名するが、"「おたく湯がいいのに」とスタッフは思った"[33]とテロップが出されている)

テレビ放送(全4週)

  • 第1週…1991年(平成3年)11月7日:グァムまで
  • 第2週…1991年11月14日:サンシティまで
  • 第3週…1991年11月21日:ドミニカ共和国まで
  • 第4週…1991年11月28日

[編集] 第16回(1992年)

レギュラー開催最後の大会[34]。番組テーマ曲が従来の曲のアレンジバージョンに変更。スタジオパートは再び無くなり、ルートの紹介は他大会のように事前には行われず。番組冒頭に流れた前週までのプレイバックでのみ行われ、次のチェックポイントは直前に発表されるまで視聴者は知ることはできなかった。台風上陸の影響もあってか、第一次予選参加者が前回よりも減少した唯一の大会でもある[35]

敗者復活戦が再開されるなどルールが前年より若干緩和されたが、チェックポイントがアメリカ合衆国内にとどまり、スケールが縮小された。第14回に続き、今大会でもグァムで台風の被害を受けた。また、決勝戦以外のお手つき・誤答のペナルティが、すべて一回休みであった(決勝では従来どおりマイナスポイント)。[36]

第一次予選にはラサール石井が参加していたが、第1問で敗退した。

CP 地名 会場 クイズ 通過条件 人数
第一次予選 東京ドーム   ○×クイズ 規定人数決定まで勝ち残り 26121→100
第二次予選 成田空港 成田エアポートレストハウス ジャンケン 3本先取
炎の一本勝負は1本先取
100→50
敗者復活戦 心の優しい方 ピコピコハンマーで渡辺正行を叩いた時の
衝撃度下位(軽く叩いた人)5名
50→5
第1CP 成田→グァム 太平洋上空 機内400問ペーパークイズ 上位40位まで 55→40
第2CP グァム リーフホテル・ビーチ 空席待ち早押しクイズ 1ポイント獲得 40→24
第3CP ハワイ ワイキキビーチ沖の海上 対決 ドボンクイズ 2ポイント獲得 24→12
第4CP ハワイ PARTII ヌアヌ・パリカメハメハ大王像前→ワイキキビーチ 真夜中のウルトラツアー○×クイズ 最下位以外 12→11
第5CP サンフランシスコ マリンカウンティ・ベイエリア 11人早押しクイズ 2ポイント獲得 11→9
第6CP キャメロンパーク 飛行場跡地 飛行時間獲得クイズ 獲得数値合計2000以上 9→8
第7CP レイクパウエル グレンキャニオンダム・湖畔 湖に絶叫!! 大声クイズ 3ポイント獲得 8→7
第8CP サンタフェ ブラック・メサ付近の大平原 聖地を駆けろ!! 新バラマキクイズ 2ポイント獲得 7→5
  敗者復活戦 国際電話連想クイズ 獲得ポイントが多い方 2→1
第9CP アトランタ ストーンマウンテン公園 クイズ 私がママよ 2ポイント獲得後子供の母親を当てる 6→5
第10CP フロリダキーズ セブンマイル・ブリッジ マラソンクイズ 3ポイント獲得 5→4
第11CP フィラデルフィア バレーフォージ 激戦!! 通せんぼクイズ 3ポイント獲得後通過クイズ正解 4→2
決勝戦 ニューヨーク プリンセス号船上イースト川クルーズ 早押しクイズ 10ポイント先取 2→1

決勝戦進出者

  • クイズ王 : 田中健一(大阪府出身・東京都在住・No.14・22歳・機内1位
    東京大学の学生で、同大学のクイズ研究会所属。福澤から「(風貌が似ていることから)ミニラ田中」または「(東大を象徴するものとして)赤門田中」などと呼ばれていたが、本人は嫌がっていた。上位通過が多かったが、私がママよでラスト通過・次のマラソンクイズでトップ通過と浮き沈みもあった。決勝の相手である大西とは本番組参加前から『FNS1億2000万人のクイズ王決定戦』(フジテレビ系列)で知り合っていた。現在はクイズ作家。
  • 準優勝 : 大西 肇(京都府出身・No.7・34歳・機内2位)
    関西大学出身、呉服店店主で既婚者。第13回で準優勝した永田に誘われ、関西クイズ愛好会に所属。社会人になってからクイズを始め、クイズ番組出場経験多数の実力者だった。東京ドームからニューヨークまで一貫してクイズには和服を着て臨んだ(ただし、移動時には普通の服を着ており、クイズ収録時に和服に着替えていたとのこと)。体力系のクイズでは裾をたくし上げていたため、福澤からは「おやじのブルマー」と称されたこともあった。成田で敗者復活した以外は、常に上位通過で安定していた。
  • 決勝戦の結果 : (大西…赤)+7 VS +10(田中…青)

優勝賞品

  • ワインブドウ畑 (ワシントン州スノコルミーで贈呈。1列のみだが、それでも年間ビン500本分のブドウ酒を収穫できる。造られたワインは「ミニラチューチュー」と名づけられた。維持費と税金の問題で畑を手放し、約300本のワインと交換した。しかし本人を含め家族全員下戸だったため、ワイン全部を知人縁者に配ったという)

テレビ放送(全4週)

  • 第1週…1992年(平成4年)10月22日:グァムまで
  • 第2週…1992年10月29日:キャメロンパークまで
  • 第3週…1992年11月5日:アトランタまで
  • 第4週…1992年11月12日

[編集] "今世紀最後"(第17回・1998年)

6年ぶり、1度限りの復活。「Mr.ウルトラクイズ」福留が再登板し、"敗者の味方"も徳光が担当した。再び復活したスタジオ司会は伊東四朗松本明子が務め、ルート紹介はCGで行われたが、決勝地は生中継で決勝が行われる直前まで明らかにされなかった。また、当初はトヨタ自動車の販売店である「トヨタオート店」がメインスポンサーであったが、トヨタオート店が「ネッツトヨタ」として改組したことで「ネッツトヨタ発足記念番組」となり、当時のトヨタ・ネッツ系の自動車ディーラー(旧トヨタオート店)ではウルトラクイズの参加申込書が各営業所内に置かれた。

第二次予選でのピカイチ技・ポン食い予選の導入、機内400問3択ペーパークイズの廃止と、それまでの伝統を一新した内容を取り入れた。また参加年齢の上限が撤廃され、60~70歳代の挑戦者も国外チェックポイントまで進出したものの、それに配慮してか体力系クイズはグァムでの団体戦綱引きクイズのみであり、バラマキクイズや大声クイズは行われなかった。ニューヨークは準決勝のチェックポイントとなり、決勝戦は西インド諸島サン・サルバドル島でドロンコクイズを行いその模様を衛星生中継で放送した。全体的に、アメリカの古き良き歴史をテーマにしたチェックポイントが多かった。

今大会も放送ライブラリーに保存されている。

CP 地名 会場 クイズ 通過条件 人数
第1次予選 東京ドーム   ○×クイズ 規定人数決定まで勝ち残り 50453→100
敗者復活戦
高齢参加者による○×クイズ ※1
抽選の当選者(○×クイズ正解人数分)
正解した高齢参加者
50353→28[37]
第2次予選 成田空港 ホテル日航ウインズ成田 ピカイチ技 & ゆで卵ポン食い決戦! ピカイチ芸合格orポン食い成功 128[38]→70
掟破りの大勝負 ジャンケン ※2 3本先取 2→1
敗者復活戦 ジャンケン 全体のジャンケンで勝ち残った2名で3本勝負 59[38]→1
第1CP 成田→グァム 太平洋上空 フィッシュorチキンクイズ 上位42位まで 69→42
第2CP グァム リーフホテル・ビーチ 大家族どろんこ綱ひきクイズ 一問多答問題をチーム全員が正解 42→21
(7名×3チーム)
ショッピングセンター 奇襲クイズ団体行動 最下位以外 21→18
リーフホテル 敗者決定戦 深夜の出前クイズ ※3 サドンデス 3→2
第3CP ハワイ 機内ハワイ上空4000m 負けたらスカイダイビングクイズ 2ポイント獲得 20→10
サンフランシスコ ゴールデンゲートブリッジ 合流○×クイズ ※4 1問正解 1→1
第4CP アラモスクエア公園 THIS IS AMERICA 4ポイント獲得 11→8
第5CP レイクパウエル ナバホ族聖地メサ「タワービュート」頂上 クイズ完璧主義 4問連続正解※5 8→7
第6CP シルバートン デュランゴ・アンド・シルバートン狭軌鉄道 ※6 列車クイズ 止まってドボン!! 列車停止時最後尾以外 7→6
第7CP デュランゴ デュランゴ駅前 お友達クイズ 3ポイント獲得 6→4
敗者決定戦 お友達絶縁クイズ
きのうの友は今日の敵
2ポイント獲得 2→1
第8CP テキサス ダラス郊外 サンダース牧場 牛追いタイムバトルクイズ 最下位以外 5→4
準決勝 ニューヨーク スタテンアイランドハドソン川沿岸 通せんぼクイズ 3ポイント獲得後通過クイズ正解 4→2
決勝地 西インド諸島 サン・サルバドル島 突撃○×ドロンコ決勝 両者5問解答時点で正解数が多い方 2→1
  • ※1:第1回が開催された1977年(昭和52年)時点で参加不可年齢である46歳以上(1931年(昭和6年)以前生まれ)だった人が対象。
  • ※2:ピカイチ芸&ポン食いの勝者のうち希望者2名のみ参加。ジャンケン勝者は一足先にサンフランシスコ行き、敗者は敗者復活戦に回る。
  • ※3:奇襲クイズで最下位だった3名のうち2名は遅刻が原因だった。
  • ※4:※2で勝利した挑戦者1名に対し出題。正解し合流決定。
  • ※5:2問目以降は、解答権があるのは1問目の正解者のみ。
  • ※6:ロックウッド駅到着まで。

決勝戦進出者・機内1位

  • クイズ王 : 小川圭太(新潟県出身・No.93・21歳)
    立命館大学の学生で、同大学のクイズ研究会所属(後に17代目会長に就任したことにより立命館クイズ研出身・所属の優勝者は全員歴代会長に就任したことになる)。クイズには立命館クイズ研の法被を着て臨むことが多かった。グァムの奇襲クイズで遅刻し最後に合流するというミスがあったが、シルバートン以降を全て上位で通過。デュランゴでは清水とペアを組んでいた。ピカイチ技は「南京玉すだれ」であったが一次審査で不合格、優勝した際に改めて披露した。
  • 準優勝 :清水耕司(No.7・25歳)
    信州大学の学生。小川同様グァムの奇襲クイズには遅刻しており、その敗者決定戦で辛くも勝ち抜けた。ハワイとニューヨークでは、勝ち抜けしたときに号泣した。
  • 決勝戦の結果(○×どろんこ決勝の結果。不=不正解、=正解)
挑戦者 1 2 3 4 5
清水(先攻) 1
小川(後攻) / 2
  • 機内1位 : 村田栄子(東京都出身・No.80・67歳・ハワイにて敗退)
    過去、多数のクイズ番組で優勝の経験を持つが、ウルトラでは年齢制限オーバーにより一度も参加が叶わなかった。福留からは「クイズの女王」と呼ばれ、第二次予選のピカイチ技は「クイズ」[39]だった。クイズサークル「ホノルルクラブ」会長。

優勝賞品

  • 高級ハウスボート (マイアミ沖に浮かんでいたが、魚のためのハウスボートだったためにすぐさま爆破されて魚礁となった)

テレビ放送(2夜連続)

  • 第1夜…1998年(平成10年)11月22日:アメリカ本土上陸直前(合流○×クイズ含む)まで
  • 第2夜…1998年11月23日

[編集] 史上最大の敗者復活戦

1982年(昭和57年)に日本テレビ開局30周年記念特番として、「ウルトラクイズ 史上最大の敗者復活戦」という特別企画が行われ、同年12月31日18:30-21:48(JST)に放送された。

全国各地で予選を実施し、その地域に密着したユニークなクイズを出題しようという試み。この大会は、18歳以上であれば高校生も参加することができた。応募人数は77,779名、これまで後楽園球場に行かなければ予選に出場できなかったものを地方ごとの予選にしたことが大きかった。過去の「アメリカ横断ウルトラクイズ」でアメリカ本土に上陸した挑戦者もクローズアップされた。司会は福留が務め(関西地区予選のみ小林大作)、徳光もリポーター・敗者の味方として登場した。

クイズが全て日本国内で行われたこともあり、ウルトラクイズの番外編扱いをされていた。「アメリカ横断」というフレーズが番組タイトルになかったのもそのためである。

この企画を受けて、出場資格がなかった高校生を対象として、翌1983年(昭和58年)に「ウルトラスペシャル 全国高等学校クイズ選手権」(高校生クイズ)の第1回大会を実施するきっかけを作った。この高校生クイズでも、関東・関西地区同時予選やどんでん返しなどのアイデアが引き継がれた。高校生クイズは、当初、夏・冬の年2回に渡って行われたが、1986年(昭和61年)以降夏のみの開催となり、ウルトラクイズが終了した以降も続いている。

[編集] 内容

  • 北海道地区予選の第1問は、2カ所のサークルにいる幼稚園児のどちらが人数が多いかというものだった(理論的には数えればわかった)。
  • 東北地区予選では、○か×かによって別の船に乗るという、本番組史上初の企画が行われた。
  • 関東・関西地区予選は平日にナイターで開催され、史上初の2カ所同時中継による○×クイズ(勝ち抜け人数も両地区の合計で決まっており、「関東○名、関西○名」という定員ではなかった)だった。また「第1問A」と「第1問B」が同時に発表されて4カ所のスタンドに分かれるという企画が行われた。
  • 四国地区予選では、第1問が○か×かで別の小学校のグラウンドに向かい、正解が発表されないまま両会場で2問目以降のクイズが行われた。そして両会場6名ずつが決定した時点で初めて第1問の正解が発表された。
  • 九州地区予選では、温泉につかりながら頭につけたボタンを押すという早押しクイズが行われた。それまでの、解答席に座るという概念を覆す画期的な企画だった。
  • 24,642名が挑戦した各地の予選通過者82名が全国大会に進出し、高尾山でペーパークイズなどさまざまなクイズに挑戦。通過者8名が日本テレビのスタジオで、2ポイント取ると通過席で過去6回のアメリカ横断ウルトラクイズ優勝者と直接対決する(サイコロを2個振って、出た目の回の優勝者と対決する。例えば1と2が出た場合、第1回優勝者松尾と第2回優勝者北川の2名と対決することになる。ぞろ目の場合は1名とだけ対決)というクイズに挑戦し、そこで勝ち上がった4名が成田空港で行われた生放送での7分間早押しクイズ(準決勝。後の「タイムレースクイズ」の原型)、さらに勝ち上がった2名が7ポイント先取のジャンケン(決勝。家族も参加)に駒を進めた。
    • 高尾山でのペーパークイズの結果発表は、名前を呼ばれた挑戦者が前に出るように言われ、最後に僧侶が振り向くとそれは徳光で「以上が敗者です」と発表する形式だった(これが史上初のどんでん返しであり、「高校生クイズ」に継承された)。
    • 高尾山で、勝者8名に対して「罰ゲーム」ともいうべき滝修行があった(なお、高尾山では各クイズの敗者にもすべて罰ゲームがあった)。このとき徳光も一緒に滝に打たれた。
    • 決勝戦の演出は、2名が早押し機についている状態で「ウルトラクイズ史上最大の敗者復活戦でまだやっていないのはどれ? 1番、早押しクイズ、2番、○×クイズ、3番、ジャンケン 」と問題を読み上げ、解答者がボタンを押し「ジャンケン」と答えたところで「そういえば、ウルトラクイズの名物・ジャンケンをやってないのは不思議だ。ジャンケンで決勝戦をする事にした!!」と言い、早押し機を撤去してジャンケンのセットに替えるというものだった。
  • 優勝者は北海道の主婦・佐藤麻利子だった。優勝者は家族そろってニューヨーク旅行に招待されるとともに、翌1983年(昭和58年)の第7回大会のシード権(国内予選と機内ペーパークイズの免除)を獲得した。
  • 佐藤は第7回大会でシード権によりグァムから参加したが、400問ペーパークイズを最下位で通過した者との○×クイズで敗退。結局、ペーパークイズ失格者と共に帰国した。

[編集] ルートとクイズ内容(放送順)

史上最大の敗者復活戦では、地区大会全体が第一次予選と称された。これは初期の高校生クイズの参加規定にも引き継がれた。

[編集] 九州地区予選

会場 クイズ 人数
阿蘇・草千里ヶ浜 ○×クイズ 1232→10
垂玉温泉 いい湯だな!クイズ 10→4

[編集] 四国地区予選

会場 クイズ 人数
丸亀 うちわ○×迷城クイズ→○×クイズ 536→6
金刀比羅宮 石段バラマキ無理ヤリクイズ 6→2

[編集] 東北地区予選

会場 クイズ 人数
松島 ○×クイズ→○船×船乗船クイズ 1591→16
桂島 涙の桟橋お別れクイズ
野々島 野々島の人100人に聞きますクイズ 16→5

[編集] 北海道地区予選

会場 クイズ 人数
羊ヶ丘展望台 史上初!! 数えればわかる!! 目で見るクイズ
→○×クイズ
1183→8
ニガ手問題出しっこクイズ 8→4

[編集] 関東・関西地区予選

会場 クイズ 人数
後楽園球場大阪球場 ○×クイズ 20100→67
(関東41・関西26)

[編集] 全国大会

  • 12月24日(第二次予選)、12月25日(準々決勝)、12月31日(準決勝・決勝 / 生放送)実施
CP 会場 クイズ 人数
第二次予選 高尾山薬王院 煩悩ふり払い百八問ペーパークイズ 82→30
石の上にも三人クイズ 30→10
極楽・地獄座禅右左クイズ 10→8
準々決勝 日本テレビ Gスタジオ チャンピオン胸貸しクイズ 8→4
準決勝 成田空港 7分間タイムレース 4→2
決勝戦 ジャンケン 2→1

[編集] 脚注

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  1. ^ 第1回放送の翌年の1978年8月31日にテレビ朝日で放送された「クイズタイムショック500回放送記念78日本一王座決定戦」に松尾、藤原の両決勝進出者が出演した。成績は松尾9問正解、藤原11問正解と今度は藤原の方が好成績をあげた。また、この放送では後に"今世紀最後"で機内クイズ1位を獲得しハワイまで進出した村田栄子が12問正解を達成している。
  2. ^ 同じく第5回第一次予選を突破した女性の中に婚約者がいると発表したが、この女性は成田のジャンケンで敗退した。
  3. ^ ディスコで朝まで寝ないで遊んでいたのが祟った、と福留にネタにされた。
  4. ^ 決勝地がパリだった第9回はエッフェル塔関連の問題だった。
  5. ^ a b c d 書籍『アメリカ横断ウルトラクイズ 4』には、4ポイント勝ち抜けと記されている。
  6. ^ 第2回でもハワイまで進出。後の第13回ではアメリカ横断ウルトラクイズの予選参加全13回皆勤ということで第一次予選で敗者復活し、オーストラリアまで進出している。
  7. ^ 第3週のエンディングにて、石川牧子は「再来週の木曜日」と決まり文句を変えている。
  8. ^ 農薬の付着したブドウを水洗いせず、そのまま食べたため。
  9. ^ 後に、第11回~第15回と"今世紀最後"の総合演出を担当する事になる日本テレビ・加藤就一。
  10. ^ 『ウルトラクイズ伝説』p.146 - 162
  11. ^ a b 高橋直樹のホームページによると、もう一つの敗者復活戦が行われており更に10名増えている(ロサンジェルスまで進出した挑戦者が成田の敗者席にいたところが映っており、それを指摘した視聴者による問い合わせが日本テレビに多数あったという)。
  12. ^ 当時サイパンからアラスカへの直行便が無かったため、勝者も成田経由アンカレッジ国際空港へと旅立った。
  13. ^ 放送では10ポイント勝ち抜けとなっているが、書籍『アメリカ横断ウルトラクイズ 6』には12ポイント勝ち抜けと記されている。
  14. ^ a b c 第8回挑戦者のホームページによると、「金庫の鍵開け」の前に「逆さ言葉早押しクイズ」を行っていたという。結果、道蔦岳史が正解し敗者復活した(現に成田空港行きの敗者バスに道蔦が映っていた)。ちなみに書籍『アメリカ横断ウルトラクイズ 8』には、成田通過合計人数が55名となっている。
  15. ^ 1985年昭和60年)当時、自由の女神が改修工事中という事情もあった。
  16. ^ 第9回の決勝戦は、第10回までの最長の収録時間で、挑戦者が誤答を連発してなかなか決着が付かなかったという(北川宣浩のホームページ内にある『クイズ王の本』ネット版より)。
  17. ^ お札は2つの座席にあったのだが、発見されたのは1つのみであった。
  18. ^ a b 永田喜彰のホームページによると、対戦相手予定だった人が急病で参加不可となったため永田は不戦勝だったという。そのため、成田に参加している挑戦者数は1名不足している(放送上では110名→55名のままで説明無し)。
  19. ^ 北川宣浩のホームページ内にある『クイズ王の本』ネット版によると、当初どろんこクイズを勝ち抜けた人数は26名であった。敗者復活戦の札上げ○×クイズが行われ、2名が復活。そのうちの1名が今大会優勝者の森田であった。
  20. ^ 北川宣浩のホームページ内にある『クイズ王の本』ネット版より
  21. ^ 北川宣浩のホームページ内にある『クイズ王の本』ネット版によると、新品ではなく中古品であったという。しかも熱気球を操縦するにはライセンスが必要なため、本人では使用出来ず。
  22. ^ 多数いたため、○×クイズを行っている。
  23. ^ 第12回挑戦者のホームページによると、当初勝ち残ったのが23名だったため札上げ○×クイズによる勝者決定戦が行われた(未放送)。それで敗者となった3名は、改めて泥んこプールへ飛び込まされたという。
  24. ^ 挑戦者都合による辞退者対策として、補欠制度がある。
  25. ^ 読売新聞1989年平成元年)8月13日日曜日14版20面に第1問が、同12版の17面に敗者復活の記載がある。
  26. ^ 長戸勇人著『クイズは想像力・理論編』によると、40位の2名による同点決勝が行われていた。
  27. ^ 『ウルトラクイズ伝説』によると、逆ドロンコクイズだけでは決着がつかなかったため札上げ○×クイズで決定した。
  28. ^ 当時グァムからオーストラリアへの直行便が無かったため、グァム国際空港から成田経由でシドニー国際空港へ旅立った。
  29. ^ 第13回決勝戦は編集されており、実際の永田のポイントは-3。
  30. ^ 能勢一幸著『能勢一幸のクイズ全書1』によると、実際は2ポイントだった。
  31. ^ 能勢一幸著『能勢一幸のクイズ全書1』によると、実際は4ポイント勝ち抜けだった。
  32. ^ 第15回決勝戦は編集されており、実際の松原のポイントは+5。
  33. ^ 能勢一幸著『能勢一幸のクイズ全書1』によると、"危うく「おたく湯」になりかけた"と記載されている。
  34. ^ ただし福沢が敗者に対し「来年がある」と励まし(当然のことながら)次回開催も匂わせていた。
  35. ^ 田中健一「アメリカ横断ウルトラクイズ体験記」によれば、参加申し込みハガキは6万8000通届いた。
  36. ^ 第16回の海外進出者はクイズサークル所属者が多かった(ベスト5のメンバーは当時全員所属していた)が、番組内では一切触れられなかった。
  37. ^ 会場の説明では1931年(昭和6年)以前生まれの参加者は18名いるとのことだったが、グラウンドに降りた高齢参加者は14名だった。そのため14+14で、28名復活となった。
  38. ^ a b アメリカ大使館爆破事件の余波でビザの発給が大幅に遅れ、当初の日程から大幅に変更してしまい出場を辞退した挑戦者が続出した。補欠者で補充したものの、放送上言われている挑戦者人数に届かず3名不足となってしまった。
  39. ^ 実際には手品を披露したが、その余興としてクイズをやった部分だけが放映された。
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