アルカトラズ島

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アルカトラズの衛星写真
アルカトラズ、2005年

アルカトラズ島(アルカトラズとう、Alcatraz Island)は、アメリカ合衆国カリフォルニア州サンフランシスコ湾内にある面積0.076km²の断崖の小で「ロック」、「監獄島」とも呼ばれている。脱出不可能と言われたアルカトラズ連邦刑務所の跡地があり、現在では観光名所となっている。

カモメを始めとした海鳥の生息地としても知られる。アルカトラズはスペイン語の「ペリカン」を意味する言葉である。

目次

[編集] 歴史

[編集] 前史

島を最初に発見したヨーロッパ人はフアン・デ・アヤラで、1775年サンフランシスコ湾の海図を作るときにこの島に La Isla de los Alcatraces と名づけた。1848年ゴールドラッシュサンフランシスコは多くの船が寄港する重要な地となり、灯台が至急必要になった。1853年にはアルカトラズ島にアメリカ太平洋岸で最初の灯台ができた。この灯台は1909年に監獄建設のため取り壊され2代目になる現在の灯台が建設された。

1850年にはサンフランシスコ湾を守るため、最初の軍事施設ができたが、この建物は後に軍の収容所となりホピ族などのインディアン戦士、南北戦争米西戦争捕虜第一次世界大戦時の反戦活動家らが本土から離れたこの島に収容された。

1906年サンフランシスコ大地震で街が壊滅すると、街の刑務所にいた一般の受刑者数百人が治安のため急遽アルカトラズ島に移された。これをきっかけに、軍刑務所時代から脱走しにくさと苛酷な環境で悪名高かった島は一般向け刑務所になった。1912年には大型監獄が島中央にでき、1920年代末には3階建ての監獄は受刑者で一杯になった。反抗した受刑者たちは罰として足首を鎖でつながれ12ポンドの金属球をぶらさげられて重労働に従事させられ、食事も制限された。

[編集] 連邦刑務所

1934年7月1日、この孤島にアルカトラズ連邦刑務所が開設され、アル・カポネロバート・フランクリン・ストラウドアルヴィン・カーピスら矯正不可能とみなされた者が主に服役した。以後「ザ・ロック」と呼ばれた監獄島は大変恐れられた。数多くの脱獄が試みられたが、周辺は潮流が速く水温が低いため島からの脱出はほぼ不可能とされていた。脱獄者は34人いるが、7人が射殺、2人が溺死、5人が行方不明(遺体は未発見だが公式記録上は死亡扱い)、残りはすべて再捕獲された。行方不明者5人のうちフランク・モリスら3人が試みた脱獄劇は有名で、後に映画『アルカトラズからの脱出』として再現された。

1963年3月21日、時の司法長官ロバート・ケネディによって連邦刑務所は閉鎖が決定される。閉鎖の理由は諸説あるが、維持費が高額で財政難に陥ったと言う説が有力である。1969年から2年間、権利の奪還をもとめるインディアンスー族らの組織が、放棄されていた孤島を占拠し、自分達の文化教育センターにしたこともある。この時期一部の付属施設が放火されたほか、占拠後には連邦政府がいくつかの付属施設を取り壊した。

1972年からはゴールデンゲート国立レクリエーション地域の一部として国立公園局の管理下に置かれている。1973年から現在に至るまで一般公開され、対岸のフィッシャーマンズ・ワーフ近くのピア33からは定期観光船が出ており、ここの船着き場が入場ゲートとなっている。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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