シウダー・フアレス
| シウダー・フアレス(フアレス市) Ciudad Juárez |
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| ファイル:Juarezcollage.jpg シウダー・フアレス |
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| 位置 | |||
| 座標 : 北緯31度44分16.08秒 西経106度29分0.96秒 / 北緯31.7378000度 西経106.4836000度 | |||
| 歴史 | |||
| 設立 | 1659年 | ||
| 行政 | |||
| 国 | |||
| 州 | チワワ州 | ||
| Municipality | Municipio de Juárez | ||
| 市 | シウダー・フアレス(フアレス市) | ||
| 市長 | エクトル・ムルギーア (Héctor Murguía) (PRI) |
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| 地理 | |||
| 面積 | |||
| 市域 | 188km2 | ||
| 標高 | 1,137m(3,730ft) | ||
| 人口 | |||
| 人口 | (2010年現在) | ||
| 市域 | 1,321,004人 | ||
| その他 | |||
| 等時帯 | 山岳部標準時 (UTC-7) | ||
| 夏時間 | 山岳部夏時間 (UTC-6) | ||
| 郵便番号 | 32000 - | ||
| 市外局番 | +52 656 | ||
| 公式ウェブサイト : http://www.juarez.gob.mx/ | |||
シウダー・フアレス(Ciudad Juárez)はメキシコの都市。チワワ州最大の都市。旧名のエル・パソ・デル・ノルテ(El Paso del Norte)でも知られる。1863年、メキシコシティがフランス軍に制圧されたため、当時のメキシコの大統領、ベニート・フアレス率いる共和党が一時的にエル・パソ・デル・ノルテに移住し、フランス軍との侵略戦争(メキシコ出兵)に抵抗した。その行為に敬意を表す形で1888年にエル・パソ・デル・ノルテはシウダー・フアレスに改称された。 人口は2010年の統計によれば約1,332,131人、メキシコで8番目に大きい都市に指定されている[1]。市の北側にメキシコとアメリカの国境(アメリカ=メキシコ国境)でもあるリオ・グランデ川が流れている。川を渡ればアメリカに入国することになり、テキサス州最西部の町エル・パソにたどり着く。シウダー・フアレスにはエル・パソと結ぶ4つの橋があり、2008年におよそ22,958,472人の移民がこれらの橋を利用して2つの都市を行き来したといわれている。シウダー・フアレスとエル・パソを合わせば、アメリカとメキシコの国境地帯の都市で2番目の大きさを誇り、その人口もおよそ210万人に跳ね上がる[2]。近年、工業化が著しく、世界中で最も発展が早い国の1つとして知られているが、同時に急速に治安が悪化しており「戦争地帯を除くと世界で最も危険な都市」とも恐れられていた[3]。しかし2012年にホンジュラスの都市サンペドロスーラに抜かれ、現在「世界で2番目に危険な場所」になっている[4]。
目次 |
歴史 [編集]
詳細は「エル・パソの歴史」を参照
1659年、ロッキー山脈へのルートを開拓していたスペイン人探検家Fray García de San Franciscoによって「エル・パソ・デル・ノルテ」の町が造られた。
1810年、ヌエバ・エスパーニャからの独立を目指したメキシコ独立革命(1810年-1821年)が始まる。
1832年、ベラスコの戦いでテクシャンがメキシコ合衆国に勝利。
1836年、テキサス革命(1835年-1836年)の講和条約・ベラスコ条約[5]でテキサス共和国(1836年-1845年)がメキシコ合衆国 (1824年–1864年)から独立。
1848年、米墨戦争(1846年 - 1848年)の講和条約、グアダルーペ・イダルゴ条約によってリオ・グランデ川を米墨国境とすることが確定した。
1850年3月、アメリカ合衆国領のリオ・グランデ川北岸は「エル・パソ郡」(El Paso County)エル・パソと呼ばれるようになった。
1888年、メキシコ領の南岸「エル・パソ・デル・ノルテ」は初代大統領ベニート・フアレスにちなんでシウダー・フアレス(Ciudad Juárez)と改称。
マキラドーラの発達とともに治安が悪化、特に女性に対する暴行事件が1990年代以降に急増し、女性殺害(femicide)事件や女性誘拐事件が頻発している。また北米自由貿易協定の発効に伴い農村が疲弊し失業者が増大、誘拐ビジネスが横行するようになった。アメリカ合衆国・テキサス州のエル・パソと隣り合う(El Paso–Juárez)ことからアメリカへの不法入国者が急増した。
2005年には麻薬カルテルのシナロア・カルテルとフアレス・カルテルの間の抗争が勃発、2008年以降は急速に激化し、治安悪化のため駐留した連邦軍や連邦警察との間で内戦状況を呈している。(詳しくはメキシコ麻薬戦争)。
地理 [編集]
シウダー・フアレスでは、チワワの砂漠に位置する北米最大の砂漠と考えられています.街の南は、大規模な砂丘によって特徴付けサマラユーカ砂丘、保護地域を、配置されています。この環境は、極端な天候にシウダー・フアレスの特徴、特に風が頻繁に市内で生成近くに砂漠の砂嵐と一緒にソースを記録した。
気候 [編集]
シウダー・フアレスにはチワワ砂漠から近いため、気候は異常に乾燥している上、最高気温と最低気温に大きな差がある。夏季の平均最高気温は摂氏35度に上り、最低気温は摂氏20度以下になる。冬季の平均最高気温は摂氏14度で、最低気温は摂氏0度である。標高も高いため、シウダー・フアレスはメキシコの他の都市と比べ、気温は若干低い。夏季は干ばつが激しく、降水量は非常に少ない。そして冬季は1,2度雪が降る[6]。
交通 [編集]
アブラハム・ゴンザレス国際空港があり、国内の主要都市との定期便がある。 空港からはシャトルバスが運行し、エル・パソまで運転している[7]。
人口統計 [編集]
シウダー・フアレスでは、1, 495, 145人の住民(2012)、チワワ州の最も人口の多い都市である、メキシコの第八首都圏を持っています。エルパソ、テキサス州と一緒に、二国間、ほぼ2以上の面積とダウンティファナ - サンディエゴから50万人の住民、メキシコ第二の最大の二国間の領域を作成する。
麻薬組織の活動 [編集]
- 2008年頃から麻薬密売組織(カルテル)の抗争激化、メキシコ政府の取り締まりも強化しているにも関わらず、市内では白昼に銃撃戦が発生するほど治安が急速に悪化した。同市では、2008年を通じて1,600人が麻薬がらみの事件で死亡。抗争はそれでも収まらず2009年には、2,575件の殺人事件が発生した[8]。
- 2010年1月31日未明、武装グループがパーティー会場を襲撃し、高校生ら13人を射殺、負傷者が多数発生する事件が発生。警察当局からの話として、抗争に絡んで誘拐などに加担する高校生の存在が報道された[9]。
- シウダー・フアレスは長い間、その高い殺人率に起因する世界で最も危険な都市として見なされていた。2010年と2011年の間の殺人率は57%減少した。また、70%誘拐率を減少させた。
ギャラリー [編集]
脚注 [編集]
- ^ http://chs.utep.edu/cihre/demographic/juarez_city_and_county_demographics.php Retrieved on 2012-09-26
- ^ http://en.wikipedia.org/wiki/Ciudad_Ju%C3%A1rez
- ^ Olsen, Lise. (2009-10-21) Ciudad Juárez passes 2,000 homicides in '09, setting record | Breaking News | Chron.com – Houston Chronicle. Chron.com. Retrieved on 2011-04-30
- ^ http://www.teamliquid.net/forum/viewmessage.php?topic_id=303432
- ^ メキシコ合衆国はベラスコ条約を根拠とするテキサス共和国の独立を認めていない。
- ^ http://wpedia.goo.ne.jp/enwiki/Ciudad_Ju%C3%A1rez#Climate
- ^ http://www.vivaaerobus.com/mx/vivabus
- ^ http://www.cnn.co.jp/world/CNN201001010006.html 麻薬戦争の犠牲者、過去最悪の7600人に
- ^ メキシコで高校生13人射殺される、麻薬組織の犯行か(2010年2月1日ロイター通信)