ヌエバ・エスパーニャ
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ヌエバ・エスパーニャ副王領(スペイン語:Virreinato de Nueva España)は、1535年から1821年までの、北アメリカ大陸、カリブ海、太平洋、アジアにおけるスペイン帝国の副王領地を指す名称。
江戸時代の日本では、「ノビスパン(濃毘数般)」、「新イスパニア(新意斯巴尼亜)」などと呼ばれた。
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領域 [編集]
ヌエバ・エスパーニャ副王領の旗として用いられたブルゴーニュ十字
ヌエバ・エスパーニャの領域は、当初はパナマ地峡以北の新大陸のスペイン領土すべてを含み、1565年に新たに占領されたフィリピンも管轄下に置かれた[1]。北の境界はブリティッシュコロンビア州とアラスカ州までを主張したが、1819年のアダムズ=オニス条約で再定義された。
歴史的にヌエバ・エスパーニャ副王領の領域であった地域は以下の通り。
- アジア:フィリピン、マリアナ諸島
- カリブ海諸島:ベイ諸島(1643年まで)、ケイマン諸島(1670年まで)、キューバ、イスパニョーラ島(ハイチを含む。1697年まで)、ジャマイカ(1655年まで)、プエルトリコ、トリニダード島(1797年まで)、
- アメリカ大陸:中央アメリカ(コスタ・リカの南国境までの範囲)、メキシコ、アメリカ合衆国南西部のほぼ全部(現在のアメリカ合衆国のカリフォルニア州、ネバダ州、ユタ州、コロラド州、ワイオミング州、アリゾナ州、ニューメキシコ州、テキサス州のすべてまたは一部を含む)、フロリダ州
1821年にメキシコ独立が起こり、スペインはアメリカ大陸の領地を失った。しかし、キューバ、プエルトリコとスペイン領東インド(マリアナ諸島とフィリピンを含む)は、1898年の米西戦争までスペイン王室領の一部であった。
行政区分 [編集]
ヌエバ・エスパーニャは、メキシコシティに首都を置く副王(virrey)によって統治された副王領(virreinato)である。下に示す行政区分に分けられていたほか、グアテマラ、キューバ、サント・ドミンゴ、フィリピンには総督府(Captainía General)が置かれた。
- ヌエバ・エストレマドゥーラ(Nueva Extremadura)
- ヌエバ・エスパーニャ北部。ヌエボ・メヒコ(Nuevo México, 主に現在のニューメキシコ州)やコアウイラ・イ・テハス州(コアウイラ州、テキサス州)を含む。名前はエストレマドゥーラ州にちなむ。
- ヌエバ・ガリシア(Nueva Galicia)
- スペイン本国のガリシア地方にちなんで名付けられた。18世紀後半には、グアダラハラの管轄庁(Intendencia)になった。
- ヌエバ・ビスカヤ (Nueva Vizcaya)
- もともとサカテカス州北部の開拓地から、現在のチワワ州、ドゥランゴ州一帯と、シナロア州、ソノラ州、ラス・カリフォルニアス(アルタ・カリフォルニア、バハ・カリフォルニア)の一部を含んだ。名前はビスカヤ県にちなむ。スペイン領フィリピンにも同名の区分があった。→w:Nueva Vizcaya, New Spain
- ヌエボ・サンタンデール (Nuevo Santander)
- 現在のタマウリパス州とテキサス州南部。名前はスペインの都市サンタンデールにちなむ。
統治体制は秀でていたものの、実際には副王の権限の行使は、下位区分の総督やアウディエンシアの独立性に阻まれ、副王の権限はおおまかにメキシコの中部と南部、北はサン・ルイス・ポトシから南はテワンテペク地峡までに限定された[1]。
脚注 [編集]
- ^ a b "Viceroyalty of New Spain." Encyclopadia Britannica. 2008. Encyclopadia Britannica Online. 2012年4月24日.
参考文献 [編集]
- 増田義郎・山田睦男編『ラテン・アメリカ史I メキシコ・中央アメリカ・カリブ海』山川出版社、1999年
- 池端雪浦編『東南アジア史II 島嶼部』山川出版社、1999年
関連項目 [編集]
- スペイン帝国
- スペインによるアメリカ大陸の植民地化
- ペルー副王領 - ヌエバ・グラナダ副王領 - リオ・デ・ラ・プラタ副王領
- ヌーベルフランス
- ニューネーデルラント
- 北アメリカ史
- 中央アメリカ史
- フィリピンの歴史
- マニラ・ガレオン
- シボラ
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