マリアナ諸島

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マリアナ諸島の位置

マリアナ諸島(Mariana Islands)はミクロネシア北西部の列島。東の北西太平洋と西のフィリピン海の境界に位置し、北には小笠原諸島、南にはカロリン諸島がある。南北約800キロメートルに連なる約15の島から構成され、北緯13度から21度、東経144度から146度の間に弧状に広がっている。

南端のグアム島を除く島々を北マリアナ諸島サイパン島より北の島々を北部諸島(Northern Mariana Islands)と呼ぶ。

全域がアメリカ合衆国領である。ただし、グアムと北マリアナ諸島は別の行政区画である。地位も違い、グアムは準州、北マリアナ諸島は米国自治連邦区(コモンウェルス)である。

地名の由来[編集]

この島を訪れたカトリック司祭イエズス会宣教師ディエゴ・ルイス・デ・サンビトレス(Diego Luis de Sanvitores)が、スペインフェリペ4世の王妃マリアナ(Mariana de Austria, 神聖ローマ皇帝フェルディナント3世の娘)にちなんで、17世紀初頭に「マリアナの島」(Islas de las Marianas)と名づけたことによる。

地勢[編集]

総面積は1026平方キロメートル最高峰アグリハン島の965メートルで、これはミクロネシアの最高峰でもある。

全ての島が火山起源であるが[1]、南部のグアム島からファラリョン・デ・メディニラ島まで[2]は古い火山で、長い間活動しておらず周辺の珊瑚礁が良く発達している。北部諸島の9つの島は地質学的に新しく[3]、452もの火山が現在も活動している火山が多い。

気候[編集]

島や地形によって一律の気候ではないが、海洋性亜熱帯気候雨季は7月~10月、乾季は11月~5月で風が吹く。年間降水量の60%が雨季に降る。 年間平均気温は28度、平均湿度79~86%。 台風災害が甚大で、風速119キロメートルを超えると「台風」と認識され、約10年間隔でやって来るスーパー台風は、時速251キロメートルを超える。近年は気候変動で大型台風のやって来る度合いが増えている。 2002年のグアム島を襲った巨大台風ボンソナでは、ライフラインや家屋に大きな被害をもたらし、グアム博物館も被災した。2004年にマーシャル諸島で発生した巨大台風チャバは、マリアナ諸島を通過し、日本列島を縦断し、甚大な被害をもたらした。[4]

歴史[編集]

もともとの住民は、チャモロ人である[5]1521年フェルディナンド・マゼランがこの島々を「発見」。マゼラン隊はこの島に立ち寄った直後にチャモロ人といざこざを起こし、彼らを虐殺している。

1667年に、スペインはこの島々を彼らの植民地、スペイン領「マリアナ島」とした。以後、入植人口が10万人に増えた一方、チャモロ人はスペイン人が持ち込んだ疫病で数を減らされていった。

米西戦争によってグアム島が1898年アメリカ合衆国に割譲され、これ以降現在に至るまで、グアムは他の島と政治的に異なる立場となる。残る島嶼も2500万ペセタドイツへ売却された(正式な領土化は翌年)。

1914年第一次世界大戦が勃発し、連合国側についた日本軍はドイツ領マリアナ諸島に侵攻し、実効支配下に置いた。戦後発足した国際連盟によって、マリアナ諸島は日本の委任統治領と認められ、サイパン島を中心に日本人による殖産興業が進められた。

その結果、サイパン島グアム島テニアン島太平洋戦争中、戦略上の要衝として、多くの民間人を巻き込んだ地上戦の舞台となった(マリアナ・パラオ諸島の戦いを参照)。またアメリカによる占領後のサイパン島グアム島テニアン島は日本本土に対する戦略爆撃の基地として利用された。

戦後、グアム島は戦前の地位を回復し、1950年には自治権を得た。北マリアナ諸島は1947年国連太平洋諸島信託統治領(グアムは含まない)の一部としてアメリカの統治を受け、1986年、アメリカに併合された。

2000年代、チャモロ人はアメリカ本土やグアムにも散らばり、約1万9千人がマリアナ諸島全体で暮らしている。

2010年8月22日18時(日本時間)大規模地震発生。

人口[編集]

マゼランがマリアナ諸島に到来後の1668年には約10万人のチャモロ人が居住していたと推定されている。

1710年のスペインの調査によれば居住人口3000人強まで激減した。1800年までには、居住人口は4000人まで戻ったが、チャモロ人は2108人まで減少して、残りはフィリピン人やその子孫、スペイン人などである。

1830年までには人口も増加し、チャモロ人も2652人に増えた。1886年ではマリアナ地域(グアム、ロタ、テニアン、サイパン)居住者9770人で、チャモロ人は8361人で、混血が進んだ。[6]

2000年の人口調査では22万426人。うちグアム島が15万4805人、北マリアナ諸島が6万9,221人。北マリアナ諸島のうちロタ島が3283人、テニアン島が3540人、サイパン島が6万2392人、北部諸島が6人。 2010年の調査では、マリアナ諸島に22万9182人、そのうちグアム島が18万865人、北マリアナ諸島が4万人で、グアム島に圧倒的に集中している。北マリアナ諸島ではロタ島に約5%、テニアン島に約5%、サイパン島に90%が生活している。

2000年調査の人口分布では、14歳以下の子どもが27.8%、15~64歳が65.2%、65歳以上が7%となっている。[7]

マリアナ諸島の島々(地図タイトルは北マリアナ諸島だが諸島全体が描かれている)

各島[編集]

北から。

脚注[編集]

  1. ^ 諸島を形成し始めたのは4200万年前ごろで、パラウ、ヤップ、グアム、ロタ、アグイガン、テニアン、サイパン、ファラリョン・デ・メディニラ島が同時に海面に現れたと考えられている。(中山京子「火山活動でできた亜熱帯の島」/ 中山京子編著『グアム・サイパン・マリアナ諸島を知るための54章』明石書店 2012年 18ページ)
  2. ^ グアム、ロタ、アグイガン、テニアン、サイパン、ファラリョン・デ・メディニラ島は海面に現れたのち、サンゴ礁を発達させたが、島全体の隆起によりサンゴ礁が石灰岩化した島となった。(中山京子「火山活動でできた亜熱帯の島」/ 中山京子編著『グアム・サイパン・マリアナ諸島を知るための54章』明石書店 2012年 18ページ)
  3. ^ 500万年前にプレート移動と火山活動は再開し、アナタハンより北の島々(サリガン、ググアン、アラマガン、バガン、アグリハン、アスンシオン、マウグ、ファラリョン・デ・バハロス)9島ができた。(中山京子「火山活動でできた亜熱帯の島」/ 中山京子編著『グアム・サイパン・マリアナ諸島を知るための54章』明石書店 2012年 19ページ)
  4. ^ 中山京子「火山活動でできた亜熱帯の島」/ 中山京子編著『グアム・サイパン・マリアナ諸島を知るための54章』明石書店 2012年 20ページ
  5. ^ 紀元前1500年前ごろから東南アジア人が移り住んだ。古代チャモロ人と称される。(中山京子編著『グアム・サイパン・マリアナ諸島を知るための54章』明石書店 2012年 20ページ)
  6. ^ 前川啓治「<グアム> 13 チャモロ」/ 綾部恒雄監修 前川啓治・訓棚橋編集『講座 世界の先住民族 -ファースト・ピープルズの現在- 09 オセアニア』 明石書店 2005年 240-241ページ
  7. ^ 中山京子「火山活動でできた亜熱帯の島々」/ 中山京子編著 『グアム・サイパン・マリアナ諸島を知るための54章』 明石書店 2012年 21-22ページ

参考文献[編集]

*『グアム戦跡完全ガイド』(社会批評社) *『サイパン&テニアン戦跡完全ガイド』(社会批評社

関連項目[編集]

外部リンク[編集]