マリアナ・パラオ諸島の戦い
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| マリアナ・パラオ諸島の戦い | |
|---|---|
テニアンに上陸する海兵隊 |
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| 戦争:太平洋戦争 / 大東亜戦争 | |
| 年月日:1944年6月15日から9月10日 | |
| 場所:マリアナ諸島、サイパン諸島 | |
| 結果:アメリカの勝利 | |
| 交戦勢力 | |
| 指揮官 | |
| 斎藤義次 南雲忠一 角田覚治 小沢治三郎 |
チェスター・ニミッツ リッチモンド・ターナー ホーランド・スミス レイモンド・スプルーアンス |
| 損害 | |
| 戦死 63,000 | 戦死 9,500 |
マリアナ・パラオ諸島の戦い(マリアナ・パラオしょとうのたたかい)とは、マリアナ諸島で起こった日米の戦闘。ソロモン諸島、ニューギニア諸島、ギルバート諸島の全域を支配した米軍はマリアナ諸島まで迫りつつあった。サイパン、テニアンは第一次世界大戦以来20年に渡って日本の植民地であった。のみならず、大規模な飛行場を備えたサイパンが占領される事は日本本土が戦略爆撃機の射程内に入ることを意味した。大本営は東條英機を主体として絶対国防圏を定め、マリアナ諸島を死守することを目標とし、空母9の機動部隊と5万人以上の守備隊を派遣した。
[編集] 結果
派遣された機動部隊は米機動部隊の前に大敗を喫した(マリアナ沖海戦)。陸の戦闘では、完全に制空権と制海権を失っているにも拘らず日本海軍の伝統であった水際防衛に執着し、米軍の砲爆撃に晒された守備隊は著しく消耗し次々に玉砕していった。中でもサイパンの戦いでは上陸3日で3万人の守備隊が壊滅している。絶対国防圏が破られた事で東條英機は内閣総理大臣を辞職した。
米軍は次のフィリピン諸島を目標とした。フィリピン諸島奪還は、日本軍の生命線である南方油田地帯と日本本土との連絡遮断につながるためである。(フィリピンの戦い)
[編集] 参考文献
『失敗の本質 日本軍の組織論的研究』(中央文庫)
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