ギブ↑大久保

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ギブ↑大久保
本名 大久保 亮(おおくぼ あきら)
ニックネーム ギブさん
生年月日 (1964-12-29) 1964年12月29日(59歳)
出身地 東京都目黒区
血液型 B型
身長 176 cm
言語 日本語
最終学歴 立正大学 夜間 中退
活動時期 芸人 1989年-
占い師 2010年-
同期 爆笑問題
さまぁ〜ず
月亭方正
イジリー岡田
デンジャラス
江頭2:50
松村邦洋
他の活動 占い師
公式サイト ギブ↑大久保の占い
テンプレートを表示

ギブ↑大久保(ギブアップおおくぼ、1964年昭和39年〉12月29日 - )は、日本のお笑い芸人占い師

経歴[編集]

1980年から1986年、元々は役者志望でありエキストラとして数々の作品に出演。その後22歳で役者活動を封印した[1]

1986年、池袋青春の館というショーパブ桑田佳祐のフリマネで初めてステージデビュー。当時のステージのトリは、ものまね芸人の神奈月だった[2]

1989年4月、ホリプロお笑い勉強会に通いはじめる。同期は、さまぁ〜ずイジリー岡田広川ひかるあきらとかやまコンビを結成したが、一週間で解散した。その後、秋までピンで活動した[2]

1989年秋、うえずだとアインシュタインを結成[2]

1990年、アインシュタイン解散[2]

1991年花見卓也(レッドキング)とソルティドッグ結成[2]

1992年、秋元とスクラップ結成(その間作家のオークラとユニットを結成)[2]

1992年、ソルティドッグ解散[2]

1996年、スクラップ解散。しばらくピンで活動した[2]

1998年、バターフィッシュ結成(トリオ)。半年で解散[2]

1999年、ダッチマン結成(トリオ)[2]

2001年、ダッチマン解散。しばらくピンで活動した[2]

2003年全米No1結成(コンビ)[2]

2007年、全米No1解散。ピン芸人として活動を開始する[2]

2010年、お笑い芸人と並行して、占い師の活動を始める。母が占い好きだったため、子供の頃から占いと縁が深かった。原宿の母に弟子入りした[2]

エピソード[編集]

  • ハンバーグ屋でアルバイトをしている時に、「役者よりお笑いの方が向いている」と言われ、お笑いの道を目指し始める[2]
  • 最初は本名を芸名としてやっていた。友達から山本山ののりのcmみたいに、ボクオオクボとしたが35歳になった時、芸人仲間から「何がボクですか!ギブでしょう!」そこからギブ大久保に改名。その後、占いの師匠が「ギブはよくないから、ギブ大久保↗️にしなさい」と言われて改名した。しかし、仲間の占い師からギブ↑大久保の方が良いと言われ、さらに改名した[2]
  • 芸人で食べていけないとエキストラのバイトをしていたため、エキストラだけで100回以上テレビ出演がある[2]
  • とにかく天然キャラであり、芸人仲間とキャンプに行ったらキャンプ場にアリが大発生していたため、アリの巣コロリを買ってくる。すると、余計にアリが増え、「普通は殺虫剤でしょう。」と芸人仲間から怒られた。「いや?いやゴキブリ退治にコンバット。いつも使っているから」と本人は満足そうな顔をしていた[2]
  • 最初はスーパージョッキーの熱湯コマーシャルに応援をしに行ったが、当日熱湯に入る人間がバックれ、急遽熱湯コマーシャルの熱湯に入ることになる。熱いのに我慢してしまいリアクションが薄く、石倉三郎も困っていた[2]
  • 後輩芸人のさがね正裕(X-GUN)の居酒屋で働いていた時、赤ワインの注文があり、赤ワインを出すと、お客さんから「何これ?甘いよ」と言われ、焦ってボトルを見たらカシスの原液を出していた。本人いわくボトルが似ていたそう。さがねは「ちゃんとしてください!」とキレていた[2]

出演[編集]

テレビ番組 [編集]

ラジオ[編集]

映画[編集]

ドラマ[編集]

LIVE[編集]

  • 新人コント大会(1989年、アインシュタインというコンビで)[2]
  • 大川興行すっとこどっこい[2]
  • 赤坂バッタモンクラブ[2]
  • ビタミン寄席[2]
  • THAT;笑LIVE[2]
  • 渡辺プロフレッシュライブ[2]
  • 笑ギャラリー[2]
  • リブストーンライブ[2]
  • ラフボックストークZ[2]
  • 西口プロレス[2]
  • ホリプロライブネオ[2]

 赤坂お笑い道場


脚注[編集]

出典[編集]

外部リンク[編集]