野島稔
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野島 稔(のじま みのる、1945年5月23日 神奈川県横須賀市 - )は日本のピアニスト。桐朋学園大学卒業。
少年時代から学生時代まで一貫して井口愛子の薫陶を受ける。1966年よりソ連邦の招きでモスクワ音楽院に留学し、レフ・オボーリンに入門。1969年、第3回ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールに準優勝し、翌年カーネギーホールにデビューして大成功を収める。それ以来、日本とアメリカを往復しながら自由な演奏活動を謳歌する。その間ニューヨークにおいて、コンスタンス・キーンとエイブラム・チェイシンズの許で研鑚を重ねた。
米国で「ピアニストの中のピアニスト」と呼ばれるほど高い名声にもかかわらず、録音にあまり熱心ではないため、一般的な知名度は高くない。だがこれまでに、1988年に「野島稔・プレイズ・リスト」を、1999年には「野島稔・プレイズ・ラヴェル」の計2枚のCDを発表しており、いずれも決定的名盤との評価が高い(前者については、2007年、ジョイス・ハットーの夫ウィリアム・バーリントン=クープによって音源を盗用されていたことが発覚して、再び話題を集めている)。また伝統的な作品ばかりでなく、現代日本人作品の演奏にも興味を寄せており、1986年と1988年にロシアで松村禎三の《ピアノ協奏曲 第2番》を演奏して、好評を博した。1992年に有馬賞を受賞。
1981年と1985年にヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールに審査員として招かれて以来、国内外のコンクールの審査員に名を連ねており、仙台国際音楽コンクールのピアノ部門で審査委員長を務めるほか、2006年には横須賀芸術劇場において野島稔ピアノコンクールを創設した。


