前川國男

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前川 國男まえかわ くにお明治38年(1905年)5月14日 - 昭和61年(1986年6月26日)は昭和期の建築家である。

ル・コルビュジエアントニン・レーモンドの元で学び、モダニズム建築の旗手として、第二次世界大戦後の日本建築界をリードした。丹下健三木村俊彦は前川事務所の出身である。

目次

[編集] 経歴

[編集] 主な作品

埼玉県立博物館
埼玉県立博物館
東京海上日動ビル本館(旧:東京海上ビルディング)
東京海上日動ビル本館(旧:東京海上ビルディング)

[編集] エピソード

  • 東京海上ビルディングの建設では「美観論争」に巻き込まれた。これは、1961年の31メートル高さ制限撤廃と容積制への移行をふまえ、当初は、地上32階、高さ130メートルの日本最初の超高層ビルとして構想されていたが、丸の内が美観地区に指定されていたこと、また「皇居を見下ろすとはけしからん」という配慮があったからか、中々建築確認が出されず、結局高さを100m以下に下げるという設計変更を行い建設することになった。
  • 青森県弘前市には前川の手がけた建築物が数多い。木村産業研究所、青森県立弘前中央高校講堂(1954年)、弘前市役所、弘前市民会館、弘前市立病院(1971年)、弘前市立博物館(1976年)、弘前市緑の相談所(1980年)、弘前市斎場などがある。
  • 前川リポート」で知られる元日本銀行総裁の前川春雄は、彼(長男)の実弟(三男)である。
  • 府立一中(現・都立日比谷高)時代に、梁田貞により音楽の世界に魅せられ、また建築家アントニン・レーモンドの妻ノエミも同校で英語教師をしていた。
  • 東京帝国大学在籍中には、岸田日出刀がヨーロッパから持ち帰ったル・コルビュジエの4冊の本に影響され、その後に渡欧するきっかけとなった。

[編集] 日本近代建築の歴史に占める位置

近代建築を最初に生み出した西ヨーロッパからみれば後進的であった日本に、真正の近代建築を根付かせるという使命を自らに課すことから出発した前川國男は、日本と日本建築界は(当時の)先進地域と同水準の技術的な土台、経済的下部構造または生産の社会的諸条件を備えるべきであり、もしそれが先行あるいは並行して実現されなければ、日本の近代建築は見せかけだけの偽物にとどまるしかないであろうと考えた。(資材統制が終わった)1950年代に彼は「日本相互銀行本店」をはじめとする諸作品によって「テクニカル・アプローチ」の範を示し、日本における近代建築の技術的諸課題の克服に直接的かつ間接的に寄与した。 しかし彼の作品は、初期および中期においてさえ、均等ラーメン構造、工業化、機能主義等によって特徴付けられる(いわゆる国際様式の)単なる近代建築というよりは、「光の下で組み合わされた諸々のヴォリュームの巧緻精確で壮麗な遊戯(ル・コルビュジエ)」とみなすことができ、人間的な尺度と民俗的または土着的な温かみを兼備している。1960年代半ば以降、彼は産業社会とそれを支える合理主義のいくつかの側面にきわめて批判的になったが、近代運動の理想の最良の部分を最後まで放棄しなかった。なによりも強調するべきことは、前川國男はその生涯を通して建築家の職能と職業倫理の確立のために尽力したということである。

熊本県立美術館
熊本県立美術館

[編集] 建築的プロムナード

ル・コルビュジエが映画、キュビスム絵画、アラブ建築等の原理を研究しながら考案した内部交通システム。建築家富永譲によれば、前川作品における建築的プロムナードは、初期および中期においては、ル・コルビュジエの強い影響下にあり、シトロアン住宅にみられるような吹き抜けを通しての垂直的運動を重視していた。

ケルン市立東洋美術館
ケルン市立東洋美術館

しかし、ル・コルビュジエの没年でもある1965年以降、とくに後期の美術館群においては、「ある種の音楽的なリズム」あるいは緩急の変化をともなう水平方向の運動が相対的に強まり、造園や書道とも関連すると考えられる「一筆書き」のプランとともに日本的空間把握にもとづく独自の建築的プロムナードを完成させた。

ル・コルビュジエの散策路では、来訪者が歩みを進めるにつれ、さまざまなパースペクティヴが継起しながら展開する。それは「絶えず変化に富み、思いがけず、ときとして驚きを与える諸々の様相」を提供し、光や薄暗がりを作り出したり、とつぜん建物の外部に向かって開かれたパースペクティヴのなかに来訪者を投げ込んだりする、多くの仕掛けに満ちている。前川の後期作品にも同様の特徴は残っているといえるが、富永が的確に指摘するように、「水平に雁行しながら増殖するL字型の壁」が「生活感のある細部の諸要素」とともに空間の連続性を構成しており、同時にまた、この連続性は「時間的な経過のなかで起きる現象を意図した緻密なデザイン」に貫かれている。それはたんに来訪者を外部に向かわせるだけでなく、風景や季節の移ろいを取り込み、映し込むための背景、つまりそれ自身は目立つことを望まない控えめな装置として構想されているのである。このような建築的プロムナードは来訪者をせわしなく歩かせ続けるかわりに、そこここで立ち止まらせ、佇ませ、憩い寛ぎながら「自分を取り戻すこと」を可能にする。富永はそれを「壁をめぐる目的のない旅(漂泊)の空間」と呼び、建築家クリストファー・アレグザンダーの「無名の質」についての哲学的省察と関連付ける。このようにして富永は、後期の前川國男が「人生の儚さ」に対峙して建築のなかに追い求めた「永遠」が、たんに「打ち込みタイルの耐久性」のみに還元されるわけではないことを示唆している。前川國男の後期作品の重要性は二十一世紀を通してますます切実に認識されるようになるであろう。前川國男 現代との対話(松隈洋編、六耀社、2006年)参照。

[編集] 前川事務所出身の建築家・構造家

[編集] 関連項目

[編集] 著作・文献

  • 一建築家の信条(晶文社、1981年)
  • 前川國男 : 近代日本建築の源流(プロセスアーキテクチュア、1984年)
  • 建築の前夜(而立書房、1996年)
  • 建築家前川國男の仕事(松隈洋他編、美術出版社, 2006年)
  • 前川國男・弟子たちは語る(前川國男建築設計事務所OB有志、建築資料研究社、2006年)
  • 前川國男 現代との対話(松隈洋編、六耀社、2006年)

[編集] 外部リンク

前川建築設計事務所