東京都美術館
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| 情報 | ||||
| 正式名称 | ||||
| 愛称 | ||||
| 前身 | 東京府美術館 | |||
| 専門分野 | 美術館 | |||
| 事業主体 | ||||
| 管理運営 | 東京都歴史文化財団 | |||
| 年運営費 | {{{年運営費}}} | |||
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| 所在地 | 〒110-0007 東京都台東区上野公園8-36 |
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東京都美術館(とうきょうとびじゅつかん)は上野恩賜公園内にある美術館。日展を筆頭にする大小の公募団体展と、マスコミとの共催による大規模企画展に対する、貸し館事業が中心である。
目次 |
[編集] 設立までの沿革
明治・大正にかけて日本の美術界では、美術館、特に明治以降の日本画や洋画など同時代の美術を展示する近代美術館の必要性は兼ねてから議論され、内国博覧会などの際に一時的に実現したこともあったが、文部省の美術館構想は予算不足により頓挫していた。そうした折、北九州の石炭王と言われた佐藤慶太郎から100万円の寄付金が申し出され、それをもとに大正15年、東京府美術館が建設された(岡田信一郎設計)。
[編集] 貸し館事業
当初から美術品のコレクションはほとんど持たず、美術界の要望もあって国展や二科展といった公募展やフランス現代美術などの企画展を中心としていた。このため、豊富なコレクションを持つ欧米の美術館に比べ貧弱であり、特定団体が優先的に使用する貸し館に過ぎないなどと批判も受けてきた。こうした東京府美術館の性格は、それまで日本で美術展覧会といえば、博覧会や美術館、デパートにそのときだけ設置される会場での美術団体による団体展や企画展が中心だった状態をそのまま受け継いだものかもしれない。また、近現代の日本美術が、西欧の近代美術の営みを近代化の一環として導入することによって始まり、歴史に根ざした蓄積の上に立って現代や未来を形作っていくものなのではなく、海外から導入した現代的な先端こそを啓蒙する行為として行われてきた要素が強いことも無視できない。そして、博物館の一ジャンルとしてコレクションという資産(ストック)を重視する欧米の美術館と異なり、特別展での動員人数(フロー)を重視するギャラリー的な要素を主体とする傾向は以後日本の美術館を支配することになる。コレクションを持った近代美術館の登場は、私立でいえば倉敷の大原美術館や、1933年(昭和8年)に誕生した京都市美術館、戦後の国立近代美術館を待たねばならない。
[編集] 改築とコレクション形成
開設当時の建物は老朽化した上、来館者や使用団体の増加に対応できなくなったので、1968年に今後のあり方が検討された。ここではじめて公募展への貸し館機能を拡充させ今後も行いながら、独自の現代美術コレクションを構築・展示し、都民への教育活動もあわせて行う機能をもつ美術館をめざすことになった。1975年に現在の建物(前川國男設計)が建設され、それ以降貸し館以外の自主事業として、自主企画展覧会の開催や美術図書室の運営を行うようになった。
1995年に東京都現代美術館が開館すると、収蔵品や図書はそちらに移管され、再び公募展への貸し館とマスコミとの共催による企画展を中心に行うようになった。
[編集] 国立新美術館完成後の課題
2002年以降は東京都歴史文化財団が運営を行っている。なお、東京都美術館はまたもや公募展数の増加や作品数の増加などで、展覧会を十分に捌く物理的能力に限界をきたしており、公募展側の要望もあって国が巨費を投じて六本木に新しい貸し会場を設置運営することが決まった。(ナショナル・ギャラリー構想、現・国立新美術館)今後は上野に残るか六本木に移転するかの選択が各公募団体の課題になると思われる。また公募展やマスコミの大規模企画展の多くが六本木に移転した後の東京都美術館の運営をどうするか、も課題として浮上するであろう。
[編集] 交通、開館日時
JR上野駅公園口より徒歩7分。東京メトロ上野駅、京成上野駅からは徒歩10分。休室日は毎週月曜日(ただし公募展は第3月曜日。いずれも祝日に当たるときはその翌日)、年末年始、及び臨時休館日、特別整理日がある。


