京成上野駅
| 京成上野駅* | |
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正面口(2010年7月)
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| けいせいうえの - Keisei-Ueno | |
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(2.1km) 日暮里 KS02►
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| 所在地 | 東京都台東区上野公園1−60 |
| 駅番号 | ○KS01 |
| 所属事業者 | 京成電鉄 |
| 所属路線 | ■■本線 |
| キロ程 | 0.0km(当駅起点) |
| 駅構造 | 地下駅 |
| ホーム | 2面4線 |
| 乗降人員 -統計年度- |
46,503人/日 -2009年- |
| 開業年月日 | 1933年(昭和8年)12月10日 |
| 乗換 | 上野駅(JR東日本・東京地下鉄) |
| 備考 | * 1953年に上野公園駅から改称。 |
京成上野駅(けいせいうえのえき)は、東京都台東区上野公園にある、京成電鉄本線の駅。駅番号はKS01。
駅名標は「京成上野」と表示されているが、旅客向け案内では「京成」を省略して上野とすることが多い。京成本線の起点、京成電鉄の東京側のターミナル駅の一つとなっている。
目次 |
[編集] 駅構造
島式ホーム2面4線を有する地下駅。上野公園の真下に位置する。
1973年(昭和48年)の駅改修時に「スカイライナー」を10両編成で運行することが計画されていたことから、ホーム有効長は10両分ある。
コンコース上の発車標は他の駅と同じLED式を使用していたが、成田空港線(成田スカイアクセス)開業を迎えた2010年(平成22年)からはLCDを使用した発車標が使用されている。この発車標は日暮里駅と同じタイプであり、快特は「快速特急」と表示される。
地上への出入口は、上野公園への入口に近い正面口のほか、池之端口(2か所)、ヨドバシカメラマルチメディア上野店に直結・併設しているアメ横口の計4か所が存在している。なお、他に京成上野駐車場経由で地上に出られる出入口がいくつか存在する。
過去には朝日生命ビル前に広小路口、上野公園内の駅直上に公園口が存在していた。前者は上野中央通り地下通路の建設に支障が出るため閉鎖して取り壊され、後者は利用者が極端に少ないことや、警備上の問題で閉鎖され、非常口とされた。
東日本旅客鉄道(JR東日本)および東京地下鉄(東京メトロ)銀座線・日比谷線の上野駅とは、地下通路により改札外でつながっており、乗り換えが可能である。しかし、JRへは正面口出口(地上出入口)を出るよう案内サインによって表示されており、地下通路で両駅がつながっていることは、京成・JRの両社では案内していない。
また、2009年(平成21年)3月16日に完成した上野中央通り地下通路とも接続をしている。これにより、東京メトロ銀座線の上野広小路駅や都営地下鉄大江戸線の上野御徒町駅とも、地下で乗り換えることが可能になった。ただし、これらの駅とは連絡運輸を行っていない。
なお、正面口の右側の壁一面には、鯉のぼりと風車をモチーフにした陶板壁画「風月延年」(メキシコの著名な日系人壁画家、ルイス・ニシサワの作)が設置されている。1981年(昭和56年)9月26日に駅構内で設置されはじめ、後に現在の場所へ移されている。
1990年代後半に自動改札機が更新・増設された時は、中央の有人改札口がAE100形の先頭車をモチーフにした「スカイライナー」専用改札口に変わっていた。その後、完全自動改札化された時に幅広型の自動改札機を2台設置した。
開業時の駅本屋(現在のアメ横口に該当)は旧京成電鉄本社ビル[1](京成聚楽ビル、別名「軍艦ビル」。久野節設計)だった。戦前の古絵葉書には「京成聚楽」とともに「食堂・デパート」の看板がある。戦後は京成電鉄本社として機能した後、1969年(昭和44年)から1977年(昭和52年)まで「上野京成ホテル」として使われていたが、老朽化により2006年(平成18年)に取り壊された。跡地にはヨドバシカメラの自社ビルが建設された。上野中央通り地下通路が完成してからは、地下でヨドバシカメラと接続している。
なお上野中央通り地下通路の建設前まで、アメ横口に通ずる地下通路(現在ではヨドバシカメラへの通路にあたる)には「京成上野ステーションギャラリー」がかつて存在した。ここでは通路の壁を利用して、写真や絵画などの展示スペースを貸し出していた。
[編集] のりば
| 1 - 4 | ■成田スカイアクセス線 | 「スカイライナー」 | |
|---|---|---|---|
| 一般電車 | 青砥・高砂・北総線・ |
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| ■京成本線 | 「シティライナー」 「イブニングライナー」 |
青砥・船橋・成田・ |
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| 一般電車 | 青砥・高砂・船橋・成田・ |
- ラッシュ時は種別による発車番線の振り分けは特になされていないが、日中の時間帯は、1番線は特急、2番線はスカイライナー、3番線はシティライナーと普通列車、4番線は普通列車が使用する。
- 当駅 - 日暮里駅間の乗車に関して、スカイライナー・シティライナー・イブニングライナーの利用はできない。
[編集] 駅構内施設
売店以外は改札外に設置されている。
- ミニショップ(売店、2店舗) - 1・2番線ホーム日暮里駅寄り、および改札そば
- ファミリーマート 京成上野駅店
- みずほ銀行・ゆうちょ銀行ATM
- 京成トラベル上野京成観光センター(旅行代理店)
- 外貨自動両替機 - 京成トラベルが設置・管理している。米ドル、ユーロ、豪ドル、韓国ウォン、中国人民元の両替が可能。
- 東京観光情報センター 京成上野支所 - 成田空港に到着した外国からの旅行者が最初に訪れる東京の場所の一つであることから設置されている。
- クイック&リラクゼーション西洋館 京成上野駅店
- アートカフェ 京成上野駅店
- 宝くじ売り場
- 地下タクシー乗り場 - ただしすこし離れている。
- コインロッカー - 旅行者の利用頻度が比較的高い駅のため、大型ロッカーの割合が多い。
その他、みずほ銀行ATMの前に雑誌・新聞の手売り売店、およびコンコースの中央に販売催事場が置かれることが多い。
[編集] 利用状況
2009年度の1日平均乗降人員は46,503人で[2]、京成線内64駅中第8位である。近年の1日平均乗車人員推移は下記の通り。
| 年度 | 京成電鉄 | 出典 |
|---|---|---|
| 1990年 | 34,244 | [3] |
| 1991年 | 33,571 | [4] |
| 1992年 | 33,011 | [5] |
| 1993年 | 32,167 | [6] |
| 1994年 | 31,619 | [7] |
| 1995年 | 31,511 | [8] |
| 1996年 | 30,742 | [9] |
| 1997年 | 29,197 | [10] |
| 1998年 | 28,123 | [11] |
| 1999年 | 27,571 | [12] |
| 2000年 | 26,992 | [13] |
| 2001年 | 26,797 | [14] |
| 2002年 | 26,619 | [15] |
| 2003年 | 25,956 | [16] |
| 2004年 | 25,696 | [17] |
| 2005年 | 25,786 | [18] |
| 2006年 | 26,033 | [19] |
| 2007年 | 25,825 | [20] |
| 2008年 | 25,400 | [21] |
| 2009年 |
[編集] 駅周辺
北東にはJR、東には東京地下鉄の上野駅があり、駅前から南東方はいわゆる「上野の街」が広がる。当駅は上野公園と繁華街の間にある。
「上野」も参照
- 東日本旅客鉄道(JR東日本)・東京地下鉄(東京メトロ) 上野駅
- 上野恩賜公園(上野公園) - 当駅はこの公園の南端の地下にある。
- アメヤ横丁
- アメ横センタービル
- 鈴本演芸場
- お江戸上野広小路亭
- 下町風俗資料館
- ヨドバシカメラマルチメディア上野
- マルイシティ上野 - 地下道経由地下鉄上野駅前
- 上野駅前郵便局
- ABAB上野店
- 松坂屋上野店
- 東京地下鉄銀座線 上野広小路駅・都営大江戸線 上野御徒町駅 - 地上経由で出入口まで徒歩約5分。当駅から両駅までを結ぶ地下通路と地下駐車場が建設され、2009年(平成21年)3月16日に完成した。
- 旧岩崎邸庭園
[編集] バス路線
正面口付近に「京成上野駅」と「上野公園山下」の2つのバス停が存在するほか、上野駅周辺にバス停が散在する。詳細は上野駅#バス路線を参照。
[編集] 歴史
- 1933年(昭和8年)12月10日 - 「上野公園駅」として開業。開業時は2面4線(4両編成)。
- 1945年(昭和20年)
- 1953年(昭和28年)5月1日 - 「京成上野駅」に改称。
- 1967年(昭和42年) - 6両編成運転開始に伴い1番線を閉鎖してホームを延長し、2面3線となる。
- 1972年(昭和47年) - 10月25日 「スカイライナー」運行開始に伴う改良工事を開始。開業時の形態に縮小。6両編成は日暮里駅で折り返し。
- 1973年(昭和48年)
- 1976年(昭和51年) - 京成で2番目の自動改札機を設置。2008年時点で設置されている自動改札機ではない。また他駅発行の乗車券は磁気券でなかったため、入場専用自動改札機として供用されていた。
- 7月 - 1面2線を増設して改装完成、現在の形態となる。
上野公園地下線建設時の条件として「公園の樹木、特に桜の根を損傷してはならない。寛永寺などの建造物に影響を及ぼしてはならない」などの厳しい条件を付けられ、後年の大改装の時も公園の環境保全には特に注意が払われている。
太平洋戦争末期に陸運統制令による強制収用で当駅 - 日暮里駅間の営業を休止し、下り線を三線軌条化した上で地下線内に国鉄車両を搬入して指令設備などが置かれたが、実際にはあまり使用されなかったようである。[22]また、上野駅構内を軍需工場に転用するための検討が行われ、機材の配置図面作成や条件交渉が行われているうちに終戦を迎えたという。営業再開時点では下り線の軌道復元及び車両撤去が遅れており、上り線を使用しての単線運転としたという。なお、文献によっては、省電の避難場所や学童疎開列車の発着場所として使われたなどといった記述[23]もあるが、真偽ははっきりと分かっていない。
[編集] 隣の駅
- 京成電鉄
- ■■本線
- なお、当駅 - 日暮里間には博物館動物園駅や寛永寺坂駅が存在していた。前者は1997年(平成9年)4月1日に営業休止、2004年(平成16年)4月1日に廃止された。後者は1947年(昭和22年)8月21日に廃止された。
- 当駅(京成上野駅)から隣の日暮里駅までの停車間距離最高速度(種別毎に定められた駅同士の間の最高速度)は全列車共通で50km/hだが、地下区間を含めて急カーブが連続して続き40km/hの速度制限があるため、2.1kmを4分近くかけて走っている。
[編集] 参考文献
- 石本祐吉「京成電鉄“不思議発見”」『鉄道ピクトリアル』632号、電気車研究会、1997年1月
[編集] 関連項目
[編集] 脚注
- ^ 旧京成本社ビル
- ^ 京成電鉄 駅別乗降人員
- ^ 東京都統計年鑑(平成2年)228ページ
- ^ 東京都統計年鑑(平成3年)234ページ
- ^ 東京都統計年鑑(平成4年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成5年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成6年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成7年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成8年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成9年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成10年) (PDF)
- ^ 東京都統計年鑑(平成11年) (PDF)
- ^ 東京都統計年鑑(平成12年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成13年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成14年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成15年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成16年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成17年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成18年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成19年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成20年)
- ^ 兼松学『終戦前後の一証言 ある鉄道人の回想』(交通協力会、1986年)では中枢機能を移転したものの、換気不足から来る体調不良と他省庁との連絡機能不備から、列車指令部門が使用した程度に終わった、とある。
- ^ 毎日新聞 連載記事『地下鉄』 1973年1月19日
[編集] 外部リンク
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