こいのぼり

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
こいのぼり(上から矢車、吹き流し、真鯉、緋鯉、子鯉)

こいのぼり(鯉幟)とは元来、日本の風習で、江戸時代に武家で始まった、端午節句である旧暦5月5日までの梅雨の時期のの日に、男児の出世と健康を願って家庭の庭先で飾られた不織布などにの絵柄を描き、風をはらませてなびかせる吹流しをの形に模して作ったのぼり。皐幟(さつきのぼり)、鯉の吹き流し[1]とも言う。現在はグレゴリオ暦新暦5月5日まで飾られ、夏の季語として用いられる。飾られる季節も変わり、イメージは「晩春の晴天の日の青空にたなびくもの」となった。 但し地方によりひと月遅れのグレゴリオ暦(新暦)6月5日までの地方もある(例 静岡県の西部地区他)。

概要[編集]

中国の正史、二十四史の一つである後漢書による故事で、黄河の急流にある竜門と呼ばれる滝を多くの魚が登ろうと試みたが鯉のみが登り切り、になることができたことにちなんで鯉の滝登りが立身出世の象徴となった。

本来は真鯉(黒い鯉)のみで、明治時代から真鯉(まごい)と緋鯉(ひごい)の対で揚げるようになったが、昭和時代からは家族を表すものとして子鯉(青い鯉)を添えたものが主流となった。ただし、過渡的に黒と青だけという組み合わせも見られた。また、真鯉に赤い裸の男の子がしがみついている柄のものがあるが、これは金太郎とみられ金太郎が自分より大きい鯉を捕まえた伝説をもとにしているとみられる。

最近では緑やオレンジといった、より華やかな色の子鯉も普及してきており、所によっては女の子も含め家族全員の分の鯉を上げる家もある。暖色の子鯉の増加はそういった需要に応えてのことのようである。

さおの先に回転球やかご玉、その下に矢車を付け、五色もしくは鯉などを描いた吹流しを一番上に、以下真鯉、緋鯉、等を大きさの順に並べて揚げるのが一般的。

なお都市周辺では、1980年代以降の住宅事情(庭付き一戸建て住宅の減少とマンションなど集合住宅の増加)や少子化などのため、後述の童謡に歌われるような、民家の庭に高々とこいのぼりが揚がる姿を見ることは少なくなっている。

高速道路などでは風速・風向を示す吹流しが、4月・5月にはこいのぼりに取って代えられる場合もある[2]

発生過程[編集]

Sketches of Japanese Manners and Customs (1869年) より。幟には鍾馗様の姿も見える。
歌川広重『名所江戸百景』より。当時はまだ錦鯉が普及しておらず、真鯉のみが飾られている。

「江戸っ子は皐月の鯉の吹流し」と言われるように、こいのぼりは「(のぼり)」とは名づけられているものの、形状は魚を模した吹流し形である。

そもそも、こいのぼりは門松雛人形と同じく、江戸時代中期の裕福な庶民の家庭で始まった習慣であった。

端午の節句には厄払いに菖蒲を用いることから、別名「菖蒲の節句」と呼ばれ、武家では菖蒲と「尚武」と結びつけて男児の立身出世・武運長久を祈る年中行事となった。 この日武士の家庭では、虫干しをかねて先祖伝来のを奥座敷に、玄関には旗指物(のぼり)を飾り、家長が子供達に訓示を垂れた。

一方、大きな経済力を身につけながらも社会的には低く見られていた商人の家庭では、武士に対抗して豪華な武具の模造品を作らせ、のぼりの代わりに黄表紙の挿絵などを見ると五色の吹流しを美々しく飾るようになっている。

さらに、吹流しを飾るだけでは芸がないと考えたのか、一部の家庭で「竜門」の故事にちなんで、吹流しに鯉の絵を描くようになった。 現在の魚型のこいのぼりは、さらにそこから派生したものである。

ただし、これは主に江戸を含む関東地方の風習で当時の関西(上方)には無い風習であった。天保9年(1838年)の『東都歳時記』には「出世の魚といへる諺により」鯉を幟(のぼり)に飾り付けるのは「東都の風俗なりといへり」とある。

主な行事[編集]

日本では全国各地でこいのぼりにちなんだ行事が取り行なわれる。

  • 戦前からこいのぼりの生産量では日本一の埼玉県加須市では1988年2月に長さ100メートル・350kgのこいのぼりを作り、全長世界一の大きさで有名になった。生産量の高さとともに加須のこいのぼりとして世界中に名を知らしめた。同市では毎年5月に開催する市民平和祭で利根川河川敷で勇姿を見せる。
  • 熊本県小国町杖立温泉では、3,500匹のこいのぼりがたてられる。
  • 和紙の生産が盛んな高知県吾川郡いの町では、水にぬれても破れない和紙を用いて作られたこいのぼりが仁淀川に放流され、川下りをしながら水中を泳ぐこいのぼりを遊覧できる。
  • 石川県金沢市を流れる浅野川では、浅野川大橋と梅ノ橋間で川幅いっぱいに泳ぐ200匹のこいのぼりを水中からライトアップする。
  • 石川県珠洲市の大谷地区でも、5月上旬に大谷川に多数のこいのぼりが飾られる。
  • 四万十川中流の高知県高岡郡四万十町十川では、4月下旬から5月上旬にかけて500匹のこいのぼりの川渡しが行われており、その発祥地として知られる。(昭和49年~)
  • 群馬県館林市では、世界一こいのぼりの里まつりが3月下旬から5月中旬まで開催される。5,000匹以上のこいのぼりが鶴生田川、茂林寺川、近藤沼、つつじが岡パークインの4箇所で掲揚される。掲揚数世界一で2005年ギネス世界記録に登録された。

唱歌・童謡[編集]

こいのぼりは、いくつかの唱歌・童謡で歌われている。

  1. 作詞・東くめ、作曲・滝廉太郎 『鯉のぼり』
  2. 作詞者不詳、作曲・弘田龍太郎 『鯉のぼり1914年大正3年)
  3. 作詞・近藤宮子、作曲者不詳 『こいのぼり1931年昭和6年)

特に、口語調の3番目のものと、文語調の2番目のものが有名である。

その他[編集]

  • 主にダカール・ラリーに参戦しているラリードライバー菅原義正はこいのぼりを自身のトレードマークとして使用しており、セレモニアルフィニッシュ時に車に取り付けて走行する事で世界的に知られている。
  • 静岡県御前崎市、高知県幡多郡黒潮町、鹿児島県枕崎市、沖縄県本部町カツオの水揚げが盛んな地域では「鰹のぼり」をたてている所もある。
  • 宮崎市の佐土原町には「佐土原くじら物語」に由来する幸せを呼ぶ「鯨のぼり」なるものがある[3]
  • 埼玉県神川町の矢納地区では、平安時代中期に平将門がこの地に逃げ込んだ際、民家にあげられていたこいのぼりのせいで所在が敵に知られてしまい、結果として将門は戦いに敗れてしまった。そのため「こいのぼりをあげるとその家が不幸になる」として、現在でもこいのぼりをあげる風習がない[4]

ギャラリー[編集]

脚注[編集]