大高正人
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大高 正人(おおたか まさと、1923年9月8日 - )は日本の建築家、都市計画家である。福島県三春町出身。
1923年、福島県三春町に生まれる。1936年、旧制福島県立福島中学校卒業。 在学中器械体操部のマネージャーと美術部部長をつとめる。1937年、旧制浦和高等学校理科入学。体操部所属。1944年、高等学校を繰り上げ卒業。
1947年東京大学工学部建築学科卒。1949年東京大学大学院修了後に前川國男建築事務所に入所。1960年に東京で開催された世界デザイン会議を契機に川添登、菊竹清訓、粟津潔、黒川紀章、槇文彦らと戦後の日本で最初の建築思想であり運動であったメタボリズム・グループ結成した。1962年大高建築設計事務所設立。
[編集] 主な作品
- 坂出人工土地(香川県坂出市/1967年)
- 千葉県文化会館(千葉市中央区/1968年/日本建築学会賞作品賞)
- 栃木県議会棟庁舎(栃木県宇都宮市/1969年/芸術選奨文部大臣賞)
- 千葉県立中央図書館(千葉市中央区/1970年)
- 日本万国博覧会ゲート(大阪/1970年)
- 広島基町再開発(広島市中区/1976年)
- 東京海上都市の提案 1959年
- 新宿副都心計画・群造形(槇文彦らと) 1960年
- ショッピングストリート計画(槇文彦らと) 1960年
- 住居群計画(槇文彦らと) 1960年
- 百万都市計画・群造形(槇文彦らと) 1961年
- プレファブ住宅計画と試作 1961年
- 人工宅地計画 1961年。1963年再検討
- 姫路市・三十万都市計画 1961年
- 農協農村計画 1962年
- 新宿副都心野球場計画 1962年
- 大手町人工土地計画 1963年
- 常盤橋地区再開発計画 1963年
- 伊豆観光開発計画・群造形 1964年
- こどもの国計画・群造形 1964年
- 南多摩ニュータウンのモデル設計(ランドスケープは上野泰) 1965年
- 農協農村コミュニティセンター計画(岩手県農協をモデル) 1965年
- 千葉文化の森 1965年-1966年、1969年
- 南多摩ニュータウン・マスタープラン 1966年
- 南多摩ニュータウン・住宅地開発基本計画 1967年-1968年
- 千葉港中央地区公園 1968年-1969年
- 千葉中央港業務センター配置計画 1969年
- 千葉港周辺計画 1968年-1970年
- みなとみらい基本計画
- 広島基町長寿園団地
- 検見川周辺計画 1968年-1970年
- 南大沢(多摩ニュータウン中央地区)センターペデストリアンデッキ 1971年-1977年
- つくば科学万博海上Fブロック
- 千葉ちはら台駅前広場計画
- 兵庫県明無地区高層住宅後援広場人工土地
- 横浜市緑農住区地区計画案 1970年
- 三春町周辺景観形成マスターアーキテクト
- 現代日本彫刻展(須磨離宮公園)主催
- 群馬県立歴史博物館(群馬県高崎市/1980年/毎日芸術賞)
- 神奈川県立近代美術館別館(神奈川県鎌倉市/1985年)

