新宿

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新宿(しんじゅく)は、東京都新宿区南西部にある新宿駅を中心とした繁華街であり、同地区の町名でもある。渋谷池袋と並ぶ3大副都心の一つであり、日本を代表する繁華街・オフィス街の一つである。町名としては新宿一丁目から新宿七丁目が存在する。

西新宿に東京都庁が移転してきてからは西新宿をさして特に「新都心」とも呼ぶこともある。その名称はかつての甲州街道宿場町内藤新宿(ないとうしんじゅく)に由来している。

西新宿の超高層ビル群
新宿夜景

目次

[編集] 地名の由来

江戸時代甲州街道は起点である日本橋から最初の宿駅である高井戸まで4(約16km)という距離であり、起点と宿場までの間が長いため多くの旅人が難儀していた。

そこで1698年(元禄11年)、この地に新しい宿駅が設けられた。当時の信州高遠藩主であった内藤氏中屋敷があったため、内藤新宿と称したことに起因している。この中屋敷跡が現在の新宿御苑であり、御苑のある地名も「内藤町」となっている。

なお、東京方言における「新宿」の本来の発音は「しんく」であるとされていた。[要出典]

[編集] 歴史

[編集] 宿場開設以前

花園神社
新宿総鎮守として、古来より街の守り神としてまつられている

この地と内藤氏とのつながりは、豊臣秀吉により後北条氏が滅ぼされ、徳川家康江戸に入府する直前の1590年天正18年)7月にさかのぼる。三河時代より徳川家康の小姓として仕えていた内藤清成は、家康の入府に先立ち後北条氏残党に対する警備のため、鉄砲隊を率いて甲州街道(国府道)と鎌倉街道が交差していた現在の新宿二丁目付近に陣を敷いた。

この功が認められ、清成は付近一帯を拝領し中屋敷(上屋敷は神田小川町、下屋敷は下渋谷にあったという)を構えた。なお、清成が率いていた鉄砲隊は、1602年(慶長7年)に伊賀組鉄砲百人組として大久保に配置され、百人町の名のもととなっている。

この拝領に際しては、家康が「馬が一息で駆け巡るだけの範囲を与える」と伝えたため、清成は馬に乗り榎の大木を中心に東は四谷、西は代々木、南は千駄ヶ谷、北は大久保におよぶ範囲を駆け、その馬はついに倒れて、まもなく死んでしまったというエピソードがある。

[編集] 宿場開設後

内藤新宿の復元模型
手前の道の分岐が新宿追分

江戸時代甲州街道は江戸から甲府までの主要街道として整備されたが、第一の宿場高井戸であり、距離が長く、旅人は難儀をしたという。そのうち、現在の新宿二丁目近辺に人家ができ、1625年寛永2年)には住民の願いにより太宗寺門前の町屋ができ、これを内藤宿と呼ぶようになった。「宿」とはいっても、正規の「宿場」ではなく、甲州街道や成木街道(現:青梅街道)を利用する人馬が休憩所として利用していたので、そのように呼び習わすこととなったという。

1698年元禄11年)、甲州街道における新たな宿場の必要性や、行楽地づくりを念頭に、当時の浅草安倍川町の名主であった喜兵衛ほか同志4人が5600の上納とともに宿場開設を願い出て、翌年、内藤家の中屋敷の敷地を一部利用して宿場が開設される。宿場開設を申し出た喜兵衛は高松喜六と名乗り、高松家は代々新宿の名主を務めた。

この新宿は、玉川上水の水番所が置かれていた四谷大木戸から西、現在の新宿駅付近までの街道沿いに広がっていた。なお、新宿には青梅街道と甲州街道の分岐点である追分(新宿追分・現在の新宿三丁目交差点付近)があり、現在でも地名などに残っている。

その後内藤新宿は、品川東海道)、板橋中山道)、千住日光街道奥州街道)と併せて四宿(ししゅく)と呼ばれ、江戸の新たな行楽地としても発展し、岡場所(非公認の売春宿)などが繁盛して、「四谷新宿馬の糞の中であやめ咲くとはしほらしい」(馬の糞は活発な馬の往来、あやめは飯盛女遊女を意味する)と狂歌に詠われている。これらが災いし、1718年享保3年)に風紀上の理由から一時廃駅の憂い目にあうも、1772年明和9年)には復活している。歓楽街としての新宿の原型は、この時代に既にあったといえるだろう。

このころ太宗寺は、江戸六地蔵のひとつに数えられ、庶民の信仰を集めていた。また、成覚寺は遊女などの投げ込み寺であった。

[編集] 明治以後

伊勢丹新宿本店

江戸時代の岡場所は、明治以降は遊郭となり、戦後の公娼廃止後もいわゆる赤線地帯として1958年(昭和33年)の売春防止法施行まで続いた。

また、1887年(明治20年)に日本鉄道品川線新宿駅が宿場のはずれ角筈(つのはず)に作られる。その後、大正期には新宿は西へと広がった東京市街地の交通が集中するようになり、伊勢丹デパートや中村屋のカリー、高野商店の果物(フルーツパーラー)といった名物をはじめ、映画館カフェー劇場などが集中し人々で賑わうようになる。現在の新宿三越の裏手界隈は飲食店などに混ざり、借家、アパート、下宿が多く生活の臭いが色濃く残る地域であった。

新宿は東京大空襲によって焼け野原と化したが、新宿駅周辺には戦後間もない頃に闇市が建ち並び、繁華街として復興の道を歩み始めた。空襲で焼け残った伊勢丹は一部を占領軍に接収された。現在では、日本有数の巨大繁華街として全国的にも認知され、東京における観光スポットの顔である。

1971年(昭和46年)頃までは、若者の街若者文化流行の発信地といえば、新宿だった。しかし、1973年(昭和48年)に渋谷PARCOが開店したあたりから、徐々に若者文化の潮流が物志向へと大きく変化。その流れのイニシアティブは新宿から、渋谷または(原宿等含め)渋谷区全体へと移り変わっていく[要検証]

[編集] 地理

[編集] 駅周辺

駅周辺は日本有数の繁華街である。

繁華街の集客人員は164万人(2002年(平成14年))に達しており、統計では日本一となっている[1]。また、1日の利用者数が約364万人2007年(平成19年) 地下街で連結した西武新宿駅含む)を計上し世界一とされる新宿駅ギネス・ワールド・レコーズ認定)を中心としているほか、徒歩圏の周辺駅も併せた『新宿エリア』の駅乗降者数は約403万人以上(2007年)[2]を計上するなど、昼夜にわたり人波が途絶えることはない。このほか、デパート販売額や商品販売額では日本で初めて1兆円を超えるなど、繁華街として巨大な商圏を形成している。

なお、繁華街として一般に「新宿」と称される範囲は、地名としては概ね新宿区新宿・西新宿歌舞伎町などである。また、新宿駅新南口渋谷区に位置するが、タカシマヤタイムズスクエア小田急サザンタワーが渋谷区にあることを意識する人はほとんどいない。[要検証]

[編集] 新宿駅東側

新宿駅東口前

新宿駅の東側は老舗デパートや専門店・飲食店などが密集し、昼夜を問わず人の波が途絶えることはなく、銀座に次ぐ日本第二位の繁華街となっている。駅東口近くにあるスタジオアルタや中央東口の交番は、新宿でも屈指の待ち合わせ場所となっているが、特に夕方の終業時間になると著しく混雑する。三丁目の明治通り東方には新宿末廣亭という戦前から著名な寄席がある。既存の新宿武蔵野館、そして松竹、東映が映画館の再編成による改築で誕生させた新宿ピカデリー新宿バルト9などシネコン映画館もある。 伊勢丹紀伊国屋書店中村屋新宿高野などの老舗が今も残る。なお、新宿の繁華街の東端には、新宿御苑があり、四季折々の移ろいを草木を通し楽しむことが出来る庭園として親しまれている。

[編集] 新宿駅西側

新宿駅の西側は、1950年代までは西口には十二社池(じゅうにそういけ)といった大きな池もあり、戦前までは東京近郊の行楽地であった。そうしたことも関連し、1960年代までは東側に比べ長閑(のどか)で寂しい地域であった。しかし、このころ千代田区周辺の東京都心部に機能が集中していることが課題となり、新宿西口が副都心として位置づけられた。

1965年(昭和40年)には西口にあった淀橋浄水場東村山市に移転し、その跡地に1971年(昭和46年)の京王プラザホテルを皮切りに超高層ビルが挙って建設され、後に新宿副都心と呼ばれるようになった。また東京都庁1991年(平成3年)に有楽町からこの地に移転し、都心部に次ぐ商業集積地となった(この都庁移転以降、新都心と呼称される場合もある、ただし、青梅街道にある新都心歩道橋は都庁移転以前から存在する)。高層ビル近辺では1968年(昭和43年)に開園した新宿中央公園が都会のオアシスとして著名である。

駅に隣接する大型カメラ店や私鉄デパートなどの存在も欠かすことも出来ない。

大ガード

なお、西口のやや北寄りには、太平洋戦争後すぐに形成された闇市を起源とする思い出横丁が存在する。ここには「赤ちょうちん」と呼ばれる小規模な居酒屋が密集し、変化の著しい新宿の町並みのなかでも戦災復興や昭和の時代の臭いを残している。そのすぐ北にはJR線の高架橋、通称・大ガードがある、下を走る青梅街道靖国通り小滝橋通りの交差する大ガード交差点周辺は交通の要衝のため夜間は著しく混雑する。

[編集] 新宿駅北側

歌舞伎町
「不夜城・新宿」の象徴

新宿駅の北側、歌舞伎町方面は飲食店やホテルが軒を連ねて巨大な歓楽街を形成している。いわゆる新宿ゴールデン街も歌舞伎町の中にある。西武新宿駅が至近である。一方、線路の西側である小滝橋通り周辺には、輸入、中古レコード店やライブハウスなどが目立ち、新宿駅の他の地域に比べれば人の往来は少なめである。

[編集] 新宿駅南側

新宿駅の南側に面す新宿四丁目は、かって四谷旭町と言う住所で作家の林芙美子が下宿していた場所として知られる。入り組んだ路地に民家や旅館、個人商店などが都市開発の煽(あお)りを受けビルに阻まれる様に取り残されている雑多な地域であったが平成10年前後の再開発により、周辺には超高層ビルや大型デパートなどが次々と建設された。新宿タカシマヤから駅構内に直結するペデストリアンデッキ(歩道橋)が整備され、新たな人の流れを生み出している。戦後、満州からの引き揚げ者が餃子屋を多く営んでいた。 アルタと同様目印となる巨大ビジョン(FLAGSビジョン)がある駅南口、東南口は階段と周囲が一新されFLAGSのオープン以降は待ち合わせの人などで大変混雑するようになった。夕方から夜にかけてはアマチュア音楽家による演奏が行われ、家路を急ぐ人々などの注意を惹いている。吉本興業芸人らが出演する劇場ルミネtheよしもと」もある。なお、タカシマヤを含む甲州街道の南側は、新宿四丁目の一部を除き渋谷区千駄ヶ谷代々木に属する。

なお、京王デパートと小田急デパートの間には「モザイク通り」という遊歩道があり、様々な店舗が軒を連ねている[3]。西口から南口側へ抜けるにはここを通れば最短で便利である。

[編集] その他の周辺地域

街並みは新宿駅南口及び新南口至近の渋谷区代々木千駄ヶ谷辺りにも波及している。また、近隣の中野坂上初台などの開発は新宿の地続き的な発展として捉えていいだろう。

[編集] 高層ビル

新宿超高層ビル街区

以下は、西新宿のビル街からは離れている。

[編集] 都市問題

新築のビルの横に風俗店パチンコ店が密集し、雑多な景観は新宿の特徴でもあるが、治安悪化の温床でもあった。近年では、繁華街の商店主や警察らによって治安の向上が図られている。[要検証]

また、特に歌舞伎町の北方には、コリアン中国人を主とする外国人が多く居住しており、独特の町並みを形成しているが、不法入国者も多いとされている[誰?]。また、公園地下道の一部など、ホームレスが集まっている区域もある。

さらに、高層ビルの増加に伴う日照権ビル風などの問題もある。

[編集] 行政区画・町名の変遷

新宿一帯は1889年(明治22年)の町村制施行で南豊島郡内藤新宿町となる。1896年(明治29年)南豊島郡と東多摩郡の合併で豊多摩郡の所属となる。1920年(大正9年)に東京市四谷区に編入、1947年(昭和22年)3月15日には四谷区、牛込区淀橋区が統合されて新宿区となる。

1973年(昭和48年)住居表示実施による町名変更で現在の新宿一丁目から四丁目、1978年(昭和53年)には新たに五丁目から七丁目が誕生した。西新宿は角筈と十二社、淀橋、柏木一丁目が統合された。北新宿となっている地域は柏木二丁目から柏木五丁目であった。

住居表示実施後 実施前(注意書きのない町名はその一部)
旧四谷区 旧淀橋区
新宿一丁目 新宿一丁目、花園町(全部)
新宿二丁目 新宿一丁目、新宿二丁目
新宿三丁目 角筈一丁目(のち淀橋区)、
新宿二丁目、新宿三丁目
角筈一丁目(一部は四谷区から編入)、
角筈二丁目
新宿四丁目 新宿四丁目(全部)
新宿五丁目 番衆町(全部)、三光町 東大久保一丁目
新宿六丁目 東大久保一丁目、東大久保二丁目、西大久保一丁目
新宿七丁目 東大久保二丁目、西大久保二丁目

新宿一丁目から七丁目までの人口は、15,605人(2010年(平成22年)8月1日現在、住民基本台帳による。新宿区調べ)。

[編集] 新宿を舞台にした作品

[編集] 漫画

[編集] アニメ

[編集] 小説

[編集] 映画

[編集] ドラマ

[編集] 歌謡曲

[編集] ゲーム

[編集] 雑事

  • 2007年になって新宿駅を行き来する一般路線バスの表示が「Shinjuku」から「Shinjyuku」と変わっている。[要出典]

[編集] 脚注

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  1. ^
    新宿地区164万人・渋谷地区130万人・難波心斎橋地区122万人・名古屋錦栄地区120万人・大阪駅周辺地区119万人・横浜関内伊勢佐木町地区112万人・池袋地区100万人・名古屋駅周辺地区93万人・有楽町銀座地区86万人・神田神保町御茶ノ水地区77万人・札幌大通り・すすきの地区77万人・福岡中洲天神地区71万人・横浜駅周辺地区70万人・三宮駅周辺地区63万人・京都四条河原町地区58万人・六本木赤坂地区56万人・上野浅草地区50万人・天王寺阿倍野地区37万人・紙屋町八丁堀地区33万人・博多駅周辺地区28万人・仙台一番町周辺地区22万人・京橋地区19万人・町田駅周辺地区19万人・名古屋大須地区17万人、その他ソースは日経流通新聞(日経MJ)など
  2. ^
    • 新宿エリア乗降客数4,036,061(2007年)
    内訳:新宿西口駅53,685・大江戸線都庁前駅37,809・丸ノ内線新宿3丁目駅46,073・都営新宿3丁目駅41,316・大江戸線東新宿駅15,915・丸ノ内線西新宿44,449・丸ノ内線新宿御苑前駅45,621・南新宿4,124人・JR代々木駅74,536人・都営代々木駅31,950人
  3. ^ 一部はルミネ新宿店の一部をなしている

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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