アントニン・レーモンド

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アントニン・レーモンド
アントニン・レーモンド.jpg
人物情報
生誕 1888年5月10日
Flag of Austria-Hungary (1869-1918).svg オーストリア=ハンガリー帝国 ボヘミア王国 クラドノ
死没 1976年10月25日
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ペンシルバニア州 ニューホープ
母校 プラハ工科大学
業績
建築物 作品を参照
プロジェクト 作品を参照
デザイン 作品を参照
受賞 日本建築学会賞作品賞(1952年、1965年)
勲三等旭日中綬章(1963年)

アントニン・レーモンドAntonin Raymond, 1888年5月10日 - 1976年10月25日)はチェコ出身の建築家フランク・ロイド・ライトのもとで学び、帝国ホテル建設の際に来日。その後日本に留まり、モダニズム建築の作品を多く残す。日本人建築家に大きな影響を与えた。

生涯[編集]

アントニン・レーモンドはオーストリア=ハンガリー帝国(現在のチェコクラドノに、父アロイと母ルジーナの間の1男第3子アントニーン・ライマンAntonín Reimann)として生まれる。プラハ工科大学で建築を学び、卒業後の1910年にアメリカへ移住。カス・ギルバートの下で働き、1916年にアメリカの市民権を得ると共に姓をレーモンドRaymond)に改姓する。同年妻ノエミの友人の紹介でフランク・ロイド・ライトの事務所に入所。1918年、第1次世界大戦が勃発すると、アメリカ軍から徴兵され、一旦はライトの下を離れる。大戦終了後、ライトから帝国ホテル設計のための日本行きを打診され、再びライトの下で働くことになる。

1919年、帝国ホテル設計施工の助手としてライトと共に来日。1922年独立し、レーモンド事務所を開設する。ライトの影響が余りに強烈であったため、そこから抜け出すのに苦労したという。聖路加国際病院などの設計をベドジフ・フォイエルシュタイン(Bedřich Feuerstein、オーギュスト・ペレの弟子)と共同で行ったほか、ル・ランシーの教会堂(ペレの代表作)をコピーした東京女子大学礼拝堂を建設した。ペレを介してライトの影響から逃れ、モダニズム建築の最先端の作品を生み出すようになった。その頃の作品に、イタリア大使館中善寺保養所がある。壁に市松調模様や独特の平面プランニング、日本家屋と欧米生活様式の融合を図ったディテールなどはライト建築との決別を意味する新境地となる。前川國男吉村順三ジョージ・ナカシマなどの建築家がレーモンド事務所で学んだ。

上記の通り1916年にアメリカ市民権を取得しているが、第一次世界大戦後にチェコスロバキアが独立を果たすとトマーシュ・マサリク率いる政府を代表する名誉領事に任命された[1]

1937年に僧院宿舎建設のため、フランス領ポンディシェリ(現インド)へに向かった。その後、日本を取り巻く国際情勢が緊迫悪化したため、アメリカのペンシルベニア州ニューホープに土地を購入し、農家に増改築を施した事務所を構え、当地で10年ほど設計活動に従事した。

第2次世界大戦の際、アメリカ軍少将カーチス・ルメイ焼夷弾の効果を検証する実験のため、ユタ州の砂漠に東京下町の木造家屋の続く街並みを再現した(Japanese village)。この際、日本家屋の設計をしたのはレーモンドであった。この実験は東京大空襲などで生かされた。自伝には日本への愛情と戦争の早期終結への願いという矛盾に対する苦渋の心境が綴られている。このことについて藤森照信は自著でナチス・ドイツの母国チェコへの迫害説を取り上げ、また帰米前に受けた外国人排斥と日本の軍国主義化に対する鬱憤のためであったという説もある[要出典]。以後、林昌二が自著『建築家林昌二毒本』で取り上げる等、この点につき一部の日本人建築家らから批判を受ける。

第2次世界大戦後の1947年にダム建設予定地の調査のため再度来日。パシフィックコンサルタンツを共同設立するほか、リーダーズダイジェスト東京支社の設計に際して、新たに建築設計事務所を開設。戦後の日本にモダニズムの理念に基づく作品を多く残した。戦後の事務所では小規模木造住宅の設計で新境地を開いた増沢洵などが学び、名前を冠したその「レーモンド設計事務所」は今も存続している。

1973年、アメリカに帰国し、建築家を引退する。3年後の1976年、ペンシルベニア州ニューホープで死去。88歳。

2007年9月15日-10月21日に神奈川県立近代美術館で「建築と暮らしの手作りモダン アントニン&ノエミ・レーモンド」と題した回顧展が開かれた。

受賞等[編集]

作品[編集]

霊南坂の家
旧イタリア大使館日光別邸
赤星喜介邸
夏の家(1933)
スリ・オーロビンド・ゴーズ僧院宿舎
聖ポール教会
東京女子大学礼拝堂
群馬音楽センター
南山大学
名称 所在地 備考
1918 ド・ヴュー・コロンビエ座の劇場
(改造)
ニューヨーク アメリカ
1921 千歳幼稚園 山形県山形市 日本
1921 東京女子大学総合計画 東京都杉並区 日本
1922 藤沢カントリー倶楽部クラブハウス 神奈川県藤沢市 日本 神奈川県立体育センター合宿所「グリーンハウス」
1923 霊南坂の自邸 現存せず 日本
1924 聖心女子学院 修道院および教室 東京都港区 日本
1924 旧星商業学校 東京都品川区 日本 星薬科大学
1926 エリスマン邸 横浜市中区 日本 元町公園内に移築
1926 ライジングサン石油会社ビル 横浜市中区関内 日本
1927 小林聖心女子学院本館 兵庫県宝塚市 日本 登録有形文化財
1927 旧ライジングサン石油会社社宅 横浜市中区 日本 フェリス女学院10号館
1928 旧イタリア大使館日光別邸 栃木県日光市 日本
1928 聖路加国際病院 東京都中央区 日本 装飾のないデザインが不評を買い、建設途中で解雇。J.V.W.バーガミニーが引継いで完成させた。
1928 ソヴィエト大使館 現存せず 日本
1929 旧清心高等女学校 岡山県岡山市 日本 ノートルダム清心女子大学本館・東棟
1930 トレッドソン別邸 栃木県日光市 日本
1931 アメリカ大使館 現存せず 日本
1932 東京ゴルフクラブ 現存せず 日本
1932 赤星喜介邸 東京都品川区 日本
1932 聖母女学院 大阪府寝屋川市 日本
1933 夏の家 長野県軽井沢町 日本 ペイネ美術館 ル・コルビュジエの計画案を取り入れ、コルビュジエから盗作の指摘を受けた(後に和解)。
1934 川崎守之助邸 現存せず 日本
1934 赤星鉄馬 東京都武蔵野市 日本 現 カトリック・ナミュール・ノートルダム修道女会
1934 岡別邸 長野県軽井沢町 日本
1934 小寺別邸 長野県軽井沢町 日本
1934 聖ポール教会 長野県軽井沢町 日本 軽井沢聖パウロカトリック教会
1934 東京女子大学礼拝堂および講堂 東京都杉並区 日本
1936 岡邸 東京都世田谷区 日本
1936 トレッドソン邸 東京都港区 日本
1937 スリ・オーロビンド・ゴーズ僧院宿舎 ポンディシェリー インド
1938 不二家 横浜市中区 日本
1939 ニューホープの家 ペンシルバニア州ニューホープ アメリカ
1939 トニー・ウィリアムズ邸 ニュージャージー州フレンチタウン アメリカ
1940 ストーン邸 ニュージャージー州ランバートヒル アメリカ
1941 カレラ邸 ニューヨーク州モントークポイント アメリカ
1944 カーソン邸 ペンシルバニア州ニューホープ アメリカ
1951 リーダーズダイジェスト東京支社 現存せず[2] 日本
1951 日本楽器ビル・ヤマハホール 現存せず 日本
1951 レーモンド自邸(麻布笄町の家) 現存せず 日本 この作品を模範に建設された旧井上房一郎邸(高崎市美術館敷地内)がある
1951 レーモンドホール 三重県津市 日本 登録有形文化財
1953 安川電機本社ビル 福岡市八幡西区 日本
1954 カニングハム邸 東京都港区 日本
1954 P.J.ドーランス邸 東京都港区 日本
1954 原田邸 東京都港区 日本
1954 聖アンセルモ目黒教会 東京都目黒区 日本
1955 森村邸 東京都目黒区 日本
1956 聖アルバン教会 東京都港区 日本
1956 聖パトリック教会 東京都豊島区 日本
1958 葉山海の家 現存せず 日本
1958 八幡製鉄レクリエーションセンター 福岡県北九州市 日本
1958 富士カントリークラブ 静岡県御殿場市 日本 登録有形文化財
1960 国際基督教大学図書館 東京都三鷹市 日本
1960 イラン大使館 東京都港区 日本
1960 立教高等学校本館校舎 埼玉県新座市 日本 立教新座中学校・高等学校
1961 群馬音楽センター 群馬県高崎市 日本
1961 東京聖十字教会 東京都世田谷区 日本
1961 聖ミカエル教会 札幌市東区 日本
1962 軽井沢の新スタジオ 長野県軽井沢町 日本
1963 立教学院聖パウロ礼拝堂 埼玉県新座市 日本
1963 プライス邸 現存せず 日本
1963 H.伊藤邸 東京都大田区 日本
1964 南山大学総合計画 名古屋市昭和区 日本
1965 新発田カトリック教会 新潟県新発田市 日本
1966 もみの木の家(足立別邸) 長野県軽井沢町 日本
1966 立教小学校講堂礼拝堂 東京都豊島区 日本
1966 神言神学院 名古屋市昭和区 日本
1967 聖マリア修道女会幼稚園及び修道会 千葉県千葉市 日本
1968 上智大学6号館・7号館 東京都千代田区 日本 6号館現存せず
1969 マースクライン支配人住宅 横浜市中区 日本
1973 マースクビル(現KRCビルディング) 横浜市中区 日本

著書[編集]

  • 『私と日本建築-A・レーモンド』SD選書17(鹿島出版会、1967年)
  • "ANTONIN RAYMOND An Autobiography" (TUTTLE)、三沢浩訳『自伝』(鹿島研究所出版会、1970年)

脚注[編集]

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  1. ^ 1935年、ユーゴスラビアの新聞「ポリティカ」の日本特派員だったブランコ・ド・ヴーケリッチが同紙に掲載したレーモンドへの取材記事には「チェコスロヴァキア共和国の領事」と記されている(『ブランコ・ヴケリッチ 日本からの手紙』未知谷、2007年、p196 - 201)。
  2. ^ 現在のパレスサイドビルの位置に所在した。

参考文献[編集]

  • 栗田勇編著『現代日本建築家全集1 アントニン・レーモンド』(三一書房、1971年)
  • 三沢浩『アントニン レーモンドの建築』(鹿島出版会、1998年)
  • 三沢浩『A・レーモンドの住宅物語』(建築資料研究社、1999年)
  • 東京女子大学レーモンド建築 東寮・体育館を活かす会編著『喪われたレーモンド建築 東京女子大学東寮・体育館』(工作舎、2012年) ISBN 978-4875024439

外部リンク[編集]