ミース・ファン・デル・ローエ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
ミース・ファン・デル・ローエ
Stamps of Germany (Berlin) 1986, MiNr 753.jpg
生誕100年を記念した切手
人物情報
国籍 ドイツの旗 ドイツ / アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生誕 1886年3月27日
ドイツの旗 ドイツ帝国 アーヘン
死没 1969年8月17日(満83歳没)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 シカゴ
業績
建築物 バルセロナ・パヴィリオン
トゥーゲントハット邸‎
ファンズワース邸
シーグラムビル
ベルリン国立美術館
デザイン バルセロナチェア
受賞 プール・ル・メリット勲章(1959年)
RIBAゴールドメダル(1959年)
AIAゴールドメダル(1960年)
大統領自由勲章(1963年)

ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエLudwig Mies van der Rohe1886年3月27日1969年8月17日)は、20世紀モダニズム建築を代表する、ドイツ出身の建築家

ル・コルビュジエフランク・ロイド・ライトと共に、近代建築の三大巨匠、あるいは、ヴァルター・グロピウスを加えて、四大巨匠とみなされる。

Less is more.」(より少ないことは、より豊かなこと)や「God is in the detail」(神は細部に宿る)という標語で知られ、近代主義建築のコンセプトの成立に貢献した建築家である。柱と梁によるラーメン構造の均質な構造体が、その内部にあらゆる機能を許容するという意味のユニヴァーサル・スペースという概念を提示した。

略歴[編集]

ミースは、ドイツのアーヘンに、墓石や暖炉を主に扱う石工のネーデルラント系の父ミヒャエル・ミースと母アマリエ・ミースの息子として生まれた。大学で正式な建築教育を受けることなく、地元の職業訓練学校で製図工の教育を受けた後、リスクドルフの建築調査部で漆喰装飾のデザイナーとして勤務。

1906年にブルーノ・パウルの事務所に勤務。パウルの事務所の同僚の紹介により、1907年に最初の作品であるリール邸を手がけている。この仕事が認められたことにより、1908年から1912年まで建築家ペーター・ベーレンスの事務所にドラフトマンとして在籍し、建築を学ぶことになる。1912年、独立して事務所を開設。

1913年、アダ・ブルーンと結婚。アダの紹介によりベルリン近郊の富裕層の住宅の設計を手がける。1927年ドイツ工作連盟主催のシュトゥットガルト住宅展に参加し、ベーレンス、ヴァルター・グロピウスル・コルビュジエブルーノ・タウトらと共に、実験的な集合住宅を建設した。

バルセロナ・パビリオン(復元建築)

1929年バルセロナ万国博覧会で建設されたドイツ館、バルセロナ・パヴィリオンは、鉄とガラスで構成され、大理石の壁を配したもの。モダニズムの空間を実現したものとして、建築史上有名。なお、同館のために、ミースがデザインしたバルセロナ・チェアも、モダンデザインの傑作として知られる。パヴィリオンは、博覧会終了後に取り壊されたが、1986年に同じ場所に復元され、「ミース・ファン・デル・ローエ記念館」となっている。

グロピウスの推薦で、1930年からバウハウスの第3代校長を務めた。ナチスによってバウハウスが閉鎖(1933年)されたため、アメリカに亡命した。1938年から58年、シカゴのアーマー大学(後のイリノイ工科大学)建築学科の主任教授を務め、クラウン・ホールをはじめとする同大学のキャンパス計画を手がけた。1944年には、アメリカ市民権を獲得。

ファンズワース邸

四方をガラスの壁で囲んだファンズワース邸(1950年 アメリカイリノイ州)も代表作の一つ。週末別荘として建てられたもので、建設費が当初予算を大幅に超えたため、施主のエディス・ファンズワースと訴訟沙汰になったがミースが勝訴した。2003年にオークションに出され、地元のナショナルトラストが取得した。

シーグラムビル

超高層ビルの実作品として、ニューヨークシーグラムビル1958年竣工)があるが、モダニズムの超高層ビルの中では、SOMレバー・ハウス1952年竣工)と並んで、最も優れたデザインの超高層ビルともいわれている。

他の代表作に、ブルノトゥーゲントハット邸1930年 チェコスロヴァキア)、レイクショアドライブ・アパートメント(1951年 シカゴ)、ベルリン国立美術館・新ギャラリー1968年 西ベルリン)などがある。

没後の評価[編集]

ポストモダンの建築家、ロバート・ヴェンチューリは、ミースの標語「Less is more.」をもじり、「Less is bore.」(より少ないことは退屈だ)と皮肉った。

2001年、トゥーゲントハット邸はユネスコ世界遺産に登録された。

作品[編集]

レイクショアドライブ・アパートメント
イリノイ工科大学クラウンホール
ベルリン国立美術館・新ギャラリー

建築[編集]

家具[編集]

記念碑[編集]

起用されなかった作品[編集]

日本語文献[編集]

1980年代以降の文献[編集]

  • 『ミース・ファン・デル・ローエ 建築家の講義』 小林克弘訳、丸善、2009年
    1955年と1964年に、自らの建築理念を語った対話録、小著。
  • 『評伝ミース・ファン・デル・ローエ』 フランツ・シュルツ
    澤村明訳、鹿島出版会、1987年/新装版2006年-美術史家による大著
  • 『テクトニック・カルチャー 19–20世紀建築の構法の詩学』 ケネス・フランプトン
    松畑強+山本想太郎訳 TOTO出版、2002年
  • 『ミース再考 その今日的意味』 ケネス・フランプトン、デイヴィット・スペースほか
    澤村明ほか訳、SDライブラリー、1992年/新版<SD選書>鹿島出版会、2006年
  • 『ミース・ファン・デル・ローエ』 デイヴィッド・スペース
    平野哲行訳、<SD選書>鹿島出版会、初版1988年
  • 『ミース・ファン・デル・ローエ 真理を求めて』
    高山正實、鹿島出版会、2006年-図版解説多数、著者はミースに師事、SOM事務所で設計に従事。
  • 『ミース・ファン・デル・ローエの建築言語』
    渡辺明次、工学図書、2003年-著者はミース事務所勤務
  • 『ミースという神話 ユニヴァーサル・スペースの起源』
    八束はじめ、彰国社、2001年
  • 『ミース・ファン・デル・ローエの戦場 その時代と建築をめぐって』
    田中純彰国社、2000年
  • 『20世紀建築の3大巨匠+バウハウス』-入門書、写真図版多数
    マガジンハウスムック、2002年/改訂版2006年
  • 『ミース・ファン・デル・ローエ 1886-1969 空間の構造』-入門書、写真多数
    クレア・ジマーマン文/Chizuru Ono(大野千鶴)訳、タッシェン・ジャパン(Taschen Japan)、2007年
  • トゥーゲントハット邸 ― 建築家 ミース・ファン・デル・ローエ』
    栗田仁文/宮本和義撮影 シリーズ World Architecture、バナナブックス、2008年
  • 『ミース・ファン・デル・ローエ』 上田義彦撮影、鹿島出版会、2012年、大著の写真集

1970年代までの文献[編集]

  • 『巨匠ミースの遺産』 山本学治・稲葉武司共著、(彰国社、初版1970年)
  • 『現代建築の巨匠 20世紀の空間を創造した人びと』 ピーター・ブレイク
    田中正雄・奥平耕造共訳、(彰国社、初版1963年、改訂版1967年)-この2冊は、現在まで多数重版。
    ※ミースのほかに、ル・コルビュジェと、フランク・ロイド・ライトの三大巨匠を扱う。
  • 『ミース・ファン・デル・ローエ』 二川幸夫写真、浜口隆一文、渡辺明次解説
    <現代建築家シリーズ>美術出版社、1968年 -※以下は主に写真集
  • 『ミース・ファン・デル・ローエ』 ワーナー・ブレイザー編・解説、渡辺明次訳
    A.D.A.EDITA Tokyo、1976年
  • 『ミースの家具』 ワーナー・ブレイザー編・解説、長尾重武
    <現代の家具シリーズ.5>A.D.A.EDITA Tokyo、1981年
  • 『GA.75 ミース・ファン・デル・ローエ バルセロナ・パヴィリオン/トゥーゲントハート邸』二川幸夫企画・撮影、フリッツ・ノイマイヤー文、A.D.A.EDITA Tokyo、1995年
  • 『GA.27 ミース・ファン・デル・ローエ ファンズワース邸』 二川幸夫企画・撮影、ルゥドウィッグ・グレイサー文、A.D.A.EDITA Tokyo、初版1974年
  • 『GA.14 ミース・ファン・デル・ローエ クラウン・ホール/ベルリン国立近代美術館』二川幸夫企画・撮影、ルゥドウィッグ・グレイサー文、A.D.A.EDITA Tokyo、初版1972年

設計図・設計論集[編集]

  • 『ミース・ファン・デル・ローエ ファンズワース邸』 ダーク・ローハン文、北村修一製図
    GA.DETAIL.1(ディテール1号)、A.D.A.EDITA Tokyo、2000年、(初版1976年)
  • 『ミース・ファン・デル・ローエ イリノイ工科大学クラウンホール』
    <世界建築設計図集34>同朋舎、1984年
  • 『バルセロナ・パヴィリオンの空間構成の方法』 高砂正弘、パレードブックス、2009年

外部リンク[編集]