ザハ・ハディッド

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Zaha Hadid
ザハ・ハディッド
人物情報
国籍 イラクの旗 イラク
生誕 1950年10月31日(61歳)
イラクの旗 イラクバグダッド
母校 英国建築協会付属建築専門大学AAスクール
所属組織 Zaha Hadid Office
業績
建築物 ヴィトラ社工場
オードロップゴー美術館増築
国立21世紀美術館
受賞 プリツカー賞(2004年)
インスブルックのスキージャンプ台
ライプツィヒのBMWセントラルビルディング
ヴィトラ社工場・消防ステーション、ヴェイル・アム・ライン
レッジョ・ディ・カラブリアのレギウム・ウォーターフロント再開発計画(地中海博物館)

ザハ・ハディッド(ザハ・ ハディドとも表記、Zaha Hadid1950年10月31日-。 アラビア語表記:زها حديد)は、イラクバグダッド出身、イギリス在住の女性建築家。世界的に活動する建築家で、現代建築における脱構築主義の旗手の一人でもある。 

目次

[編集] 経歴

ベイルートアメリカン・ユニバーシティで数学を学び、さらにロンドンの私立建築学校英国建築協会付属建築専門大学(Architectural Association School of Architecture、通称AAスクール)で建築を学んだ。卒業後に恩師であったオランダ人建築家、レム・コールハースの下で働くようになる。1979年に自分の事務所を構え、以来ロンドンを拠点として母校AAスクールでも教壇に立っている。1980年代にはハーバード大学イリノイ大学シカゴ校の教授も勤めた。建築における顕著な功績で大英帝国勲章(CBE)を受章、2004年には女性初のプリツカー賞を受賞した。

彼女は、ロシア構成主義の建築や美術の強い影響を受け、コンセプチュアルで空想的なものを現実空間に出現させ、見学・利用者に驚きを与えている。かつては、同じく脱構築主義者であるダニエル・リベスキンド同様に、実際の建築作品ではなく、建築思想の提唱者として、また過激なコンセプトを示した図面の製作者としてもっぱら知られていた。

無数の道路やパイプのようなラインがゆるやかに折れ曲がり交差し重なり合いながら高速で流れるイメージや巨大な有機体状の構造物などを描いたドローイングは有名であり、1988年ニューヨーク近代美術館が主催した『脱構築主義者建築展』などで活躍したが、独立後から十数年間は、実現できた建築はほとんど無かった。

彼女を最初に有名にした1983年香港ビクトリア・ピーク山上の「ピーク・クラブ」設計案は、審査委員の一人だった磯崎新によって発見され、一等賞に推され、世界の建築界を驚かせたが、爆発した建物の無数の破片が鋭い軌跡を宙に残しながら飛び交うような過激な設計案は、コンペ勝利直後の事業者の倒産により実際に建設されることはなかった(コンペ審査の段階において、事業者は自身が倒産するのを既に予知していたため、到底実現不可能な彼女の案を受け入れたという側面もある)。

しかし1990年代以降、ヴィトラ消防ステーションの建設を皮切りに多くの建築を実現させている。また、インテリアの仕事も多く、ロンドンのミレニアム・ドームの『マインド・ゾーン』の内装設計などが有名であるほか、東京・原美術館におけるドイツ銀行コレクション展の展覧会場設計も行っている。

国際建築設計競技(コンペ)にも多く勝利しているが、勝利しながら建築困難として実現しなかった建築もある。顕著な例では、前述の香港「ピーク・クラブ」(1983年)やウェールズカーディフのカーディフ・ベイ・オペラハウス(1994年)がそうである。

しかし、多くのコンペでも快進撃を続けている。2002年シンガポールの都市計画コンペで勝利し、2005年にはバーゼルの新カジノ建設計画のデザインコンペも入賞した。また、ブリタニカ百科事典の編集委員の一員になるなど、活躍の場を広げている。

[編集] 主な作品

[編集] 受賞歴

[編集] 出演

[編集] 日本語文献

  • 『ザハ・ハディッドは語る』 ハンス・ウルリッヒ・オブリスト共著
     滝口範子訳、筑摩書房、2010年9月、詳細なインタビューほか
  • 『ザハ・ハディド 最新プロジェクト』 A.D.A.EDITA Tokyo、2010年8月、作品写真集ほか

[編集] 外部リンク


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