ザハ・ハディッド

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Zaha Hadid
ザハ・ハディッド
Zaha hadid - Flickr - Knight Foundation.jpg
人物情報
国籍 イギリスの旗 イギリス
生誕 1950年10月31日(64歳)
イラクの旗 イラクバグダード
母校 英国建築協会付属建築専門大学AAスクール
所属組織 Zaha Hadid Office
業績
建築物 ヴィトラ社工場
オードロップゴー美術館増築
国立21世紀美術館
受賞 プリツカー賞(2004年)
高松宮殿下記念世界文化賞(2009年)
ヴィトラ社工場・消防ステーション
インスブルックのベルクイーゼルシャンツェのスキージャンプ台
BMWセントラルビルディング
香港理工大学ジョッキー・クラブ・イノベーション・タワー
ウイーン経済大学(WU)新キャンパス
北京・銀河SOHO

ザハ・ハディッド(ザハ・ ハディド、ザハ・ハディードとも表記、Zaha Hadid1950年10月31日 - 、アラビア語表記:زها حديد)は、イラクバグダード出身、イギリス在住の女性建築家。現代建築における脱構築主義を代表する建築家の一人である。

経歴[編集]

ハディッドはイラクの首都バグダードに産まれた。父は政治家でリベラル系政党の指導者だった。建築に対する関心は、イラク南部に残っているシュメール文明の遺跡を訪れたときに芽生えた。ハディッドは以下のように述懐している。「父は私たちをシュメールの都市を見せに連れて行きました」、「まずボートで、さらにもっと小さい葦でできた小舟で沼地にある村々を訪れました。その風景の美しさ-砂、水、葦、鳥たち、家々、そして人々が一緒くたになって流れてゆく-忘れたことはありません。私は現代的なやり方で同じ事をしようと、設計と都市設計の形態を発見-発明することだと思っていますが-しようとしています」[1]

彼女は幼少期にカトリックが運営していたフランス語学校で学んだ。この学校はイスラム教徒であるハディッドやユダヤ教徒も共に机を並べるリベラルな雰囲気の学校だった。ベイルートアメリカン・ユニバーシティで数学を学んだ。イラクでサダム・フセインが権力を握ると彼女の家族はイラクを脱出した。1972年にハディッドは渡英し、ロンドンの私立建築学校英国建築協会付属建築専門大学(Architectural Association School of Architecture、AAスクール)で建築を学んだ。1977年に卒業するとAAスクールでの教師でもあったオランダ人建築家のレム・コールハースの設計会社Office of Metropolitan Architecture(OMA)で働き始めた。1980年に独立して自分の事務所を構えた[1]

彼女の名が知られるようになったのは、1983年に行われたピーク・レジャー・クラブ(The Peak Leisure Club)の建築設計競技(コンペ)である。これは香港ビクトリア・ピーク山上に建設が予定されていた高級クラブのためのコンペで、ジョン・アンドリュースガブリエル・フォルモサ磯崎新アルフレッド・シウロナルド・プーンが審査委員を務めた。磯崎の推薦によりハディッドが一等を獲得したが、爆発した建物の無数の破片が鋭い軌跡を宙に残しながら飛び交うような設計案は、コンペ勝利直後に事業者が倒産したことで実際に建設されることはなかった[2]。1980年代にはハーバード大学イリノイ大学シカゴ校で教鞭をとったこともあり、1988年ニューヨーク近代美術館が主催した『脱構築主義者建築展』などでも注目されたが、独立後から十数年間は実現に至った建築は無かった。

1990年に札幌のMonsoon Restaurantの内装を手掛け、同年の大阪の国際花と緑の博覧会では他の脱構築主義建築家らとともにフォリーを手がけている。1993年から1994年の作品であるドイツのヴェイル・アム・ラインのヴィトラ消防署が、彼女にとって最初の実際に建設されたプロジェクトになった[3]。これはスイスの家具・インテリア製造会社であるヴィトラの工場跡地に建設されたヴィトラ・デザイン・ミュージアムの一部であり、安藤忠雄のConference Pavilion、アルヴァロ・シザのProduction Hall、ジャン・プルーヴェガソリンスタンドバックミンスター・フラーのドームテント、ヘルツォーク&ド・ムーロンによるショップ・カフェを併設するショールームなどが隣接している[4]

1994年にはウェールズの首府カーディフのカーディフ・ベイ・オペラハウス(Cardiff Bay Opera House)の設計コンペに勝利したが、保守的なチャールズ皇太子がメディアを通して伝統主義的建築の復興を訴えるキャンペーンを行なっていた影響もあり、コンペはやり直しになった。二度目の選考でもハディッドが勝利すると資金提供を予定した国営クジ公社(National Lottery)は建築計画を中止した[1]

以後は国際デザインコンペで多く勝利している。2002年シンガポールの都市計画コンペで勝利し、2005年にはバーゼルの新カジノ建設計画のコンペも入賞した。2012年には日本の新国立競技場のコンペで最優秀賞を受賞し、設計に当たることになった。また、建築設計以外にも、ブリタニカ百科事典の編集委員の一員になるなど、活躍の場を広げている。

建築における顕著な功績で2002年に大英帝国勲章 コマンダー(CBE)、2012年に同デイム・コマンダー(DBE)を受章。2004年には女性初のプリツカー賞を受賞した。

インテリアの仕事も多く、ロンドンのミレニアム・ドームの『マインド・ゾーン』の内装設計などが有名であるほか、東京・原美術館におけるドイツ銀行コレクション展の展覧会場設計も行っていた。

2022年のFIFAワールドカップで使用されるカタールの新スタジアムを設計したが、その際、「女性器」のようなデザインだとして海外で話題にされてしまった[要出典]。「アル・ワクラ・スタジアム」というもの。ザハ・ハディド氏の事務所「ザハ・ハディド・アーキテクト」が2013年11月下旬に新スタジアムのコンセプト画像を公開し、カタールの伝統的な漁船「ダウ船」をイメージし、見た目の美しさだけでなく、現地の強烈な日差しにも耐えられるよう工夫してつくられた。しかし、一般の目には「ダウ船」には映らず。デザインが発表されるとインターネット上では「女性器に似ている」として瞬く間に笑い話となってしまい、天井の中央に開いた穴、ひだ状の外壁、どれも女性器に見えるという。外観がライトアップされ薄桃色に色づいていることも想像をかきたてる原因になっているとされた。[要出典]ブログサイト「Buzzfeed」がいち早く取り上げたのを皮切りに、その後、英紙「The Guardian」や、オピニオン雑誌「The Atlantic」のウェブサイトなどでも「Vagina Stadium(女性器スタジアム)」として報道。いくつかの深夜テレビでも報道された。風刺が得意の米テレビ番組「The Daily Show」では、米女性画家ジョージア・オキーフ氏の花をモチーフにした官能的な雰囲気の作品になぞらえて「the Georgia O'Keeffe of things you can walk inside(オキーフが描いた作品の中に歩いて入っていくようなものだ)」とジョークを飛ばされた[5]。本人も黙っておらず。米TIME誌に対し「彼らのナンセンスな意見には本当に戸惑っているの」「彼らが何て言っているかって?建物の穴が女性器に見えるってことばかりよ。ばかげているわ」と批判は全て男性がしているかのように語り、「もし仮に男性が設計したのなら、こんな卑猥な比較はされなかったでしょう」と付け加え、デザインの問題であるにも関わらず女性差別を受けたかの様な発言をしている。しかし、大衆の「女性器に見える」という意見は変わらず、むしろ、火に油を注ぐ形となり、米ニューズウィークと合併したニュースサイト「デイリー・ビースト」では11月26日、「芸術作品の本質において、鑑賞者の反応は作家が伝えようとした意図と同様に重要である」と主張。最後には、女性器に見えるという感想は誰も非難すべきものではないと結んでいる[6]
また、他にもデザインした日本の「新国立競技場」は、カブトガニやヘルメットなどに似た奇抜なデザインでも注目された。しかし、あまりの巨大さから景観を損ねるという指摘、建設費が莫大過ぎるとして、各方面から批判が噴出。こうした声を受けて縮小計画が発表された。だが、それでも建設費は約1800億円、年間維持費は約41億円にものぼる見通しで、こちらでも問題が山積している。[要出典]

設計思想[編集]

彼女は、ロシア構成主義の建築や美術の強い影響を受け、コンセプチュアルで空想的なものを現実空間に出現させ、見学・利用者に驚きを与えている。かつては、同じく脱構築主義者であるダニエル・リベスキンド同様に、実際の建築作品ではなく、建築思想の提唱者として、また過激なコンセプトを示した図面の製作者としてもっぱら知られていた。

無数の道路やパイプのようなラインがゆるやかに折れ曲がり交差し重なり合いながら高速で流れるイメージや、巨大な有機体状の構造物などを描いたドローイングを特徴とする。

主な作品[編集]

受賞・受章歴[編集]

出演[編集]

参考文献[編集]

  • 『ザハ・ハディド 最新プロジェクト』 A.D.A.EDITA Tokyo、2010年8月 - 作品写真集ほか
  • 『ザハ・ハディッドは語る』 ハンス・ウルリッヒ・オブリスト共著、滝口範子訳、筑摩書房、2010年9月 - 詳細なインタビューほか

脚注[編集]

外部リンク[編集]