フィリップ・ジョンソン

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フィリップ・ジョンソン
自邸・ガラスの家
AT&Tビル 現・ソニービル

フィリップ・ジョンソンPhilip Johnson, 1906年7月8日 - 2005年1月25日)はアメリカモダニズムを代表する建築家

オハイオ州クリーブランドに生まれ、ニューイングランドで育った。1923年にニューヨークのハックリー・スクールを卒業後ハーバード大学に入学。哲学を専攻した。在学中に弁護士の父から譲られた株が高騰し、巨額の富を手にした。1927年に卒業。その後ヨーロッパを巡り、古典建築及び近代建築に触れた。

1930年ニューヨーク近代美術館(MOMA)の初代館長アルフレッド・バーの誘いでキュレーターに就任。1932年、建築史家のヘンリー・ラッセル・ヒッチコックと共に近代建築展(インターナショナル・スタイル- 1922年以後の建築)を開催し、アメリカにヨーロッパ最先端のモダニズム建築を紹介した。翌年には「アメリカ・スカイスクレーパーの誕生」展を開催するなど精力的に活動したが、1936年、辞職。1930年代初めのドイツ旅行の際に触れたナチズムに感化され政治活動を行った。

1940年、再びハーバード大学建築学部大学院に入学し、グロピウスマルセル・ブロイヤーらに建築学を学んだ。 卒業後はアメリカ軍技術師団に志願入隊し、第二次世界大戦の終戦まで過ごした。

1946年から1954年にかけて再度ニューヨーク近代美術館(MOMA)のキュレーターに就任。1947年には「ミース・ファン・デル・ローエ」展を開催し、アメリカで初めてミースを紹介しその活動に助力した。 ミースシーグラム・ビルSeagram Building)にも協力し、モダニズムの建築家の代表となった。1984年AT&Tビルではポスト・モダニズムへの展開を見せた。

建築作品[編集]



著作[編集]

  • インターナショナル・スタイル(1932年)ヘンリー・ラッセル・ヒッチコックと共著
  • 機械芸術(1934年)
  • ミース・ファン・デル・ローエ(1947年)

参考文献[編集]

  • 「フィリップ・ジョンソン作品集」エーアンドユー (a+u臨時増刊)、1979年
  • Franz Schulze『Philip Johnson』The University of Chicago Press、1996年