ポツダム
| 紋章 | 地図 |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 連邦州: | ブランデンブルク州 |
| 郡: | 郡独立市 |
| 緯度経度: | 北緯52度23分 東経13度03分 |
| 標高: | 海抜 35 m |
| 面積: | 187.27 km² |
| 人口: |
156,906人(2010年12月31日現在) [1] |
| 人口密度: | 838 人/km² |
| 郵便番号: | 14401–14482 |
| 市外局番: | 0331 |
| ナンバープレート: | P |
| 自治体コード: | 12 0 54 000 |
| 行政庁舎の住所: | Friedrich-Ebert-Str. 79/81 14469 Potsdam |
| ウェブサイト: | potsdam.de |
| 首長: | ヤン・ヤーコプス (Jann Jakobs) |
| 州内の位置 | |
ポツダム(Potsdam)はドイツ連邦共和国東北部に位置する郡独立市。ブランデンブルク州の州都である。人口は約15万人。旧東ドイツ領。東ドイツ時代は、ポツダムを県都とするポツダム県が置かれていた。
目次 |
[編集] 地勢・交通
ベルリンの西南近郊に位置し、ベルリンの中心街から約26kmである。ベルリンからSバーン(S-Bahn、近郊列車)で行くことができる。ハフェル川が流れ、いくつかの互いにつながった湖がある。
[編集] 歴史
ポツダムは"Poztupimi"と呼ばれるスラヴ人の村として7世紀に設立された可能性が高い。名前の意味は「樫の木の下」と思われる。993年に最初に文書に記述され、1317年までは小さな町として記述されていた。1345年に都市特権を得た。1573年のポツダムは、人口2000人程度の小さな市場町であった。三十年戦争によって、ポツダムは人口の半分近くを失った。
ポツダムの命運が劇的に変わったのは、1660年にブランデンブルクの選帝侯フリードリヒ・ヴィルヘルムの狩猟館として選ばれてからである。その後、ホーエンツォレルン家の宮殿が置かれるなどプロイセン公国の拠点の一つとして発展した。1685年、フランスでルイ14世がナントの勅令(1598年に定められていた宗教寛容令)を廃止してユグノーの迫害を図ると、プロイセンはポツダム勅令を発表した。これにより、ポツダムはヨーロッパ移民の中心地となった。フランスのユグノーの亡命者のほか、ロシア、オランダ、ボヘミアなどから、移民がやってきた。移民をひきつけたのは、勅令によるその宗教的な自由度である。
その後、街はプロシア王家の居住地となった。王家の壮大な建造物は、18世紀半ば、主にフリードリヒ2世の治世の間に建てられた。そのうちの一つが、庭園とロココ様式の内装で有名なサンスーシー宮殿である。他には、新宮殿やオランジェリー宮殿がある。 戦前には、ドイツ映画人の別荘が多く建てられた。 1945年、第二次世界大戦においてドイツが降伏した後、この都市のツェツィーリエンホーフ宮殿で米、ソ、英の3首脳が集まり、ドイツの戦後処理および日本の全面降伏を要求するポツダム会談が行われた。
[編集] 政治
[編集] 姉妹都市
ボン(ノルトライン=ヴェストファーレン州)1988年
オポーレ(ポーランド共和国シレジア)1973年
ミンスク(ベラルーシ共和国)
ボビニー(フランス共和国)1974年
ユヴァスキュラ(フィンランド共和国)1985年
ペルージャ(イタリア共和国)1990年
スーフォールズ(アメリカ合衆国サウスダコタ州)1990年
ルツェルン(スイス連邦)2002年
[編集] 観光
1745年にプロイセン王国のフリードリヒ大王が造営した夏の離宮サンスーシ宮殿や、第二次世界大戦末期の1945年にポツダム会談が行われたツェツィーリエンホーフ宮殿などが、1990年に「ポツダムとベルリンの宮殿群と公園群」としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。
[編集] 関連
[編集] 引用
- ^ http://www.statistik-berlin-brandenburg.de//Publikationen/OTab/2011/OT_A01-04-00_124_201012_BB.pdf ブランデンブルク州の2010年12月31日時点の人口] (PDF; 31.71 KB)
[編集] 外部リンク
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