ボビニー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
ボビニー中心部のパノラマ
Bobigny
Blason Bobigny 93.svg
行政
フランスの旗 フランス
地域圏 (Région) イル=ド=フランス地域圏
(département) セーヌ=サン=ドニ県
(arrondissement) ボビニー郡
小郡 (canton) ボビニー小郡
INSEEコード 93008
郵便番号 93000
市長任期 カトリーヌ・ペイジュ
2008年 - 2014年
人口動態
人口 44 079人
1999年
人口密度 6 511人/km²
地理
座標 北緯48度54分38秒 東経2度26分23秒 / 北緯48.9106度 東経2.4397度 / 48.9106; 2.4397座標: 北緯48度54分38秒 東経2度26分23秒 / 北緯48.9106度 東経2.4397度 / 48.9106; 2.4397
標高 平均:?m
最低:39m
最高:57m
面積 6.77km² (677ha)
Bobignyの位置(フランス内)
Bobigny
Bobigny
テンプレートを表示

ボビニー(Bobigny)は、フランスの北部、イル・ド・フランス地域圏都市で、セーヌ=サン=ドニ県県庁所在地である。

セーヌ=サン=ドニ県内では、14番目の面積(677ヘクタール)と12番目の人口(2010年国勢調査で47492人)を有する。なお、8つの地区に分けられ、そのほとんどが経済・社会問題対策優先実施区域(脆弱都市地域。zone urbaine sensible, ZUS)に指定されている。

地理[編集]

イル・ド・フランス(パリ周辺)の地図。赤く示されているのがボビニー。

位置[編集]

パリ北東の郊外(バンリュー)、パリ市境から約3キロメートルの位置にあり、ウルク運河の北岸に面している。平均海抜は55メートルの平野部である。


隣接自治体[編集]

ボビニーは、以下の自治体に囲まれている。


交通[編集]

ボビニー=パブロ・ピカソ駅(メトロ5号線)
ボビニー=パブロ・ピカソ駅(トラム1号線)

パリからパリメトロ5号線が通じており、ボビニー=パンタン=レイモン・キュノー駅とボビニー=パブロ・ピカソ駅を擁している。

トラム (パリ)1号線(T1)が、市域を東西に貫いている。

グランド・サンチュールが、市域の西側を南北に、南側を東西に走っている。現在は貨物輸送限定で使用されているが、トラムを走らせて旅客化する計画がある。

ボビニー=パブロ・ピカソ駅(地上)のバスターミナル。奥の建物(中央)はセーヌ=サン=ドニ県庁。

都市の様相[編集]

市の南と西は主に商業地域となっている。 市の中心部であるボビニー=パブロ・ピカソ駅周辺では、公共施設(市庁、県庁、ショッピングセンター・ボビニー2)を高層集合住宅が取り巻いている。 市の北部及び北東部(ドランシとの市境付近)には、20世紀初頭に建てられた古い戸建て住宅が残っている。 ウルク運河北岸には、ベルジェール県立公園が整備されている。

ジャン・ロスタン広場
シテ・ポン・ドゥ・ピエール
ボビニー大審裁判所の入口


地名の由来と市章[編集]

地名の由来[編集]

ボビニーの地名は、バルビニウス(Balbinius)の名に由来する。 バルビニウスは、ボンディの森に館を築いた古代ローマの将軍である。

市章[編集]

市章は、金地の斜め十字である。中心部の青い小さな盾には、銀色の花と果物が満ち、小麦の穂を7つ冠したバスケットが描かれている。ボビニーは、紋章学においてサン・アンドレの十字(斜め十字図形)によって象徴される、サン・アンドレの庇護下に置かれていた。


歴史[編集]

1789年当時、人口200人余りの穀物生産が盛んな小さい村であったが、1870年に普仏戦争が起こると、戦禍により荒廃した。

19世紀の終わりにパリからの鉄道が通じたことにより、新たな生活がもたらされた。野菜の集約栽培を行っていた村は、労働集約型企業の労働者の町へと変貌した。住宅不足が生じ、分譲地において住宅が建築された。

1920年以降、共産主義市政の誕生により、パリの「赤いバンリュー」« banlieue rouge » の一部を構成するようになった。

第2次世界大戦の間には、1500人に及ぶユダヤ人がボビニーの駅から鉄道でアウシュビッツ収容所に送られた。

1954年から1964年の10年間に、人口が約1万8500人から約3万7000人へと倍増した。 この急速な人口増加により、社会施設及び住宅建設のための総合計画が立案・実施され、多くのシテが建設された。シテ・ポン・ドゥ・ピエール(1958年)もそのような住宅の一つである。

1968年1月1日、新たにセーヌ=サン=ドニ県の設置が決まり、県庁所在地とされることになった。

1985年、メトロ5号線が到達した。

ボビニーの人口の推移
1793年 1800年 1806年 1821年 1831年 1836年 1841年 1846年 1851年 1856年 1861年 1866年 1872年 1876年 1881年 1886年 1891年 1896年 1901年 1906年 1911年 1921年 1926年 1931年 1936年 1946年 1954年 1962年 1968年 1975年 1982年 1990年 1999年 2006年 2007年 2008年 2009年 2010年
260 257 278 231 316 333 351 353 370 363 561 910 889 972 1173 1335 1540 1678 1946 2438 3660 6757 11412 17370 17676 16547 18521 37010 39453 43125 42723 44659 44079 47806 48196 47726 48503 47492

経済[編集]

パリ市内では19区などの所得が低いが、その状況はそのまま北東部郊外のセーヌ=サン=ドニ県に連なっている。 ボビニーの地域経済や雇用は、県庁所在地としての中心機能によって、基礎付けられている。

パリ周辺の地区毎の年間平均所得の分布[1]


姉妹都市[編集]


脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ INSEE - À Paris, les ménages les plus aisés voisins des plus modestes 国立統計経済研究所・パリにおける所得分布の高低(フランス語)

外部リンク[編集]