7区 (パリ)

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パリ・7区の位置
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パリ・7区の位置

パリ7区 (7く、: 7e arrondissement de Paris)は、フランス首都・パリ市を構成する20の行政区のひとつである[1]。第7区、パリ7区ともいう。市のほぼ中央、1区の南西に位置しており、セーヌ川の南岸に面している。

概要[編集]

パリの7区は、市のほぼ中央にある行政区。「パレ=ブルボン区 (Arrondissement du Palais-Bourbon)」と呼ばれることもある[2]。区域は、扇形に近い形をしている。セーヌ川の南岸に面しており、テュイルリー庭園グラン・パレシャイヨ宮の対岸にあたる。人口は、56,985人 (1999年。人口の推移等詳細については後述)。

Hôtel de Rochechouart, rue de Grenelle (グルネル通りにあるロシュシュアール子爵家の館。現在、国民教育・高等教育・研究省が入居).
La Maison de la Chimie, rue Saint-Dominique (サン=ドミニク通りにある化学会館。かつてはラ・トゥール・ドーヴェルニュ子爵家ラ・ロシュフーコー公爵家の館だった).

区の名称は、市の中央部から時計回り螺旋を描くようにして各区に付けられた番号を基にしており、当区はその7番目にあたることから、「7区」と名づけられた。フランスの政治・行政の中心となる機関が集中しており、国民議会 (下院)外務省国防省などがあるほか、国際機関としては、ユネスコ (UNESCO) の本部がある。

また、エッフェル塔アンヴァリッド (廃兵院)オルセー美術館など、世界的に有名な施設が多く存在している。周辺のアンヴァリッド地区、フォーブール・サンジェルマン界隈は旧貴族の大邸宅が集まる"貴族街"ないし高級住宅街として知られている。

ブルボン宮殿など貴族の公邸、館が立ち並ぶのは、かつて幼君ルイ15世の摂政オルレアン公フィリップ2世ヴェルサイユからパリに宮廷を移す際、伝統的貴族街のマレ地区が既に過密だったため、セーヌ川右岸フォーブール・サントノレ界隈(現在のパリ8区)と共に[3]、当時は草地や牧草地が広がるスペース[4]としてこのセーヌ川左岸一帯が選ばれたのが始まりとされている。

世界最初の百貨店とされるボン・マルシェ百貨店も7区に所在するが、サマリテーヌ百貨店はパリ右岸の1区に、ギャラリー・ラファイエットプランタン百貨店はそれぞれパリ右岸の9区に所在する。

なお、セーヌ川に沿った地域のうち、イエナ橋より上流は「パリのセーヌ河岸」として世界遺産に登録されている。

地理[編集]

パリ・7区の詳細地図
ジュール・ラヴィロット作「イムーブル・ラヴィロット (ラヴィロットの居住建物)」のプラーク (Plaque de l'immeuble art nouveau de Jules Lavirotte.)
Entrée de l'immeuble Lavirotte au 29 avenue Rapp.

7区は、パリのほぼ中央部、1区の南西に位置している。セーヌ川の南岸に面しており[5]、市内では、川の湾曲部が最も北に突き出た区域である。面積は、4.09 平方キロメートル。

北東から北西にかけて、セーヌ川を挟んで、同じパリの行政区である1区、8区及び16区に接している。

東はセーヴル通りなどを境界として、6区に接している。サンジェルマン大通りが、サン・ルイ島から5区、6区、7区を通りコンコルド橋まで続く。

西から南にかけては、シュフラン大通りなどを境界として、15区に接している。

隣接する自治体(行政区)[編集]

地区(カルチェ)[編集]

パリ・7区のカルチエ詳細図

パリの行政区は、それぞれ4つの地区(カルチェ)に区分されている。7区を構成する4地区のコードと名称は、次のとおりである。

住民[編集]

人口[編集]

7区の人口は、1926年に110,684人となり、ピークに達した。しかし、その後は減少を続け、1999年には約半分の56,985人となった。2005年の推計では55,400人と見積もられており、人口の更なる減少が見込まれている。

人口の減少とともに人口密度も減り続けており、1999年の人口密度は、ピーク時の約半分の13,940人となっている。20区のうちで1区8区に次いで3番目に人口密度が低く、パリの平均人口密度の0.6倍である。人口の推移の詳細は、次のとおりである。

区人口 市人口 区人口/市人口 区人口密度 市人口密度 備考
1872年 78,553 1,851,792 4.24% 19,216 21,303
1926年 110,684 2,871,429 3.85% 27,075 33,033 人口がピークに達する。
1954年 104,412 2,850,189 3.66% 25,541 32,788
1962年 99,584 2,790,091 3.57% 24,360 32,097
1968年 87,811 2,590,771 3.39% 21,480 29,804
1975年 74,250 2,299,830 3.23% 18,163 26,457
1982年 67,461 2,176,243 3.10% 16,502 25,035
1990年 62,939 2,152,423 2.92% 15,396 24,761
1999年 56,985 2,125,246 2.68% 13,940 24,449
2005年 55,400 2,166,200 2.56% 13,552 24,920 人口は推計。

歴史[編集]

政治・行政・司法[編集]

主な官公庁・公共機関[編集]

マドレーヌ寺院からのロワイヤル通り、コンコルド広場及びセーヌ川を挟んだブルボン宮殿の眺め

軍事[編集]

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国際機関[編集]

  • ユネスコ本部 (英:United Nations Educational, Scientific and Cultural Organization (UNESCO)

外国の施設[編集]

  • イタリア大使館 (Ambassade d'Italie) - ヴァレンヌ通り51番地にある。

経済[編集]

主な企業[編集]

主な店舗・商業施設[編集]

宿泊施設[編集]

主な宿泊施設[編集]

教育[編集]

大学等[編集]

  • フランス国立行政学院 (エナ、École nationale d'administration)
    • 1991年にストラスブールのサント=マルグリット通り (rue Sainte-Marguerite) 1番地に移転後も、およそ10年間、パリ7区の創設の地であるサン=ペール通り (rue des Saints-Pères) 56番地、及び同区ユニヴェルシテ通り (rue de l'Université) 13番地にも校舎があった。生涯学習等を対象とした現在のパリ校は、6区リュクサンブール公園南側オプセルヴァトワール通り (avenue de l'Observatoire) 2番地にある。
  • パリ政治学院 (シアンスポ、Institut d'Etudes Politiques de Paris)
    • 実質、上記ENA(エナ)の前期課程の様相を呈している。

高等学校[編集]

  • リセ・ヴィクトル=デュリュイ (Lycée Victor-Duruy)

文化施設[編集]

美術館・博物館[編集]

映画館・劇場[編集]

宗教施設[編集]

教会・寺院[編集]

観光・憩い[編集]

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建築[編集]

公園・緑地等[編集]

旧跡・記念碑等[編集]

交通[編集]

鉄道[編集]

道路[編集]

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  • アンヴァリッド大通りBoulevard des Invalides
  • ウディノ通りRue Oudinot
  • エクスポジション通りRue de l'Exposition
  • グルネル通りRue de Grenelle
    • シャン・ド・マルス公園、アンヴァリッド地区、フォーブール=サンジェルマン界隈と、7区内を東西に走る。通り西側のシャン=ド=マルスから交差する下記クレール通り界隈までの間に、レストランからカフェ、スーパーのピカールなど多くの店舗がある。アンヴァリッドを過ぎ、通り東側セーヴル通り界隈ドラゴン通りで一部6区に差し掛かる。差し掛かる辺りはサン=ジェルマン=デ=プレ地区になり、周辺はサン=ペール通り、ヴュー=コロンビエ通りやフール通り、セーヴル通り等が交差し、ホテル・ルテシアやボン・マルシェ百貨店、有名ファッションブランド店等が連なるル・コルビュジエ広場界隈になる。
  • クレール通りRue Cler
  • ケ・アナトール=フランス通り(アナトール=フランス河岸通り, Quai Anatole-France
    • セーヌ河岸、1区西側対岸を走る。オルセー美術館界隈を走る。下記河岸通りを東西の順で並べると、ヴォルテール、アナトール=フランス、オルセー、ブランリとなる。
  • ケ・オルセー通り(オルセー河岸通り, Quai d'Orsay
  • ケ・ブランリ通り(ブランリ河岸通り, Quai Branly
  • ケ・ヴォルテール通り(ヴォルテール河岸通り, Quai Voltaire
  • サックス大通りAvenue de Saxe
  • サン=ギヨーム通りRue Saint-Guillaume
  • サン=ジェルマン大通りBoulevard Saint-Germain
  • サン=ドミニク通りRue Saint-Dominique
    • コンコルド橋やブルボン宮殿南側サン=ジェルマン大通りからシャン=ド=マルス公園との間、区内北側を東西に伸びる通り。それぞれ東西に走る、下記ユニヴェルシテ通りの南を、上記グルネル通りの北を並走する。東西順に、軍事省(国防省)のあるブリエンヌ館、サント=クロチルド聖堂、化学会館、カナダ大使館、ブリティッシュ・カウンシル、閣僚弾劾裁判所 (fr [8])、アンヴァリッドを通過する。アンヴァリッドを抜けると、オテル・ル・パヴィヨンやオテル・サン=ドミニク等のホテル、さらにレストランやビストロ、カフェ、私立ラ・ロシュフーコー校 (幼・小・中・高校, fr)、ブラッスリー トゥーミュー (Hotel Brasserie Thoumieux[9])、スーパーカルフール、サン=ピエール=デュ=グロ=カイユ教会 (Église Saint- Pierre-du-Gros-Caillou)、隣接してメルヴェイユ (fr) で知られパリ市内外やリールその他欧州内でも展開するオ・メルヴェイユ・ドゥ・フレッド (Aux Merveilleux de Fred) 等のパティスリーがある。ボスケ大通り (Avenue Bosquet) との交差点を越えると、Le Campanella[10]、「マルスの泉 (fr)」傍にある老舗ブラッスリー La Fontaine de Mars[11]、共に共同経営レストランの Les Fables de La Fontaine とバスク料理店 Pottoka[12]ミシュラン星付きの Le Violon d'Ingres、Les Cocottes Tour Eiffel、Le Café Constant など仏料理界トップシェフのクリスチャン・コンスタン (fr) が界隈で運営する3店のレストランやカフェ・・といった有名フランス料理店等が連なる。ルーマニアやルクセンブルクの各大使館、ロダン美術館南側に位置するリセ・ギュスターヴ=エッフェル職業校・・等が通り(周辺)界隈に見えると、エッフェル塔がそびえるシャン=ド=マルス公園となる。
  • サン=ペール通りRue des Saints-Pères
    • 6区との境界を南北に走り南側でセーヴル通りに接続する。ENA本校があった通り。同通りから7区内へ、ユニヴェルシテ通りの北側を東西に並走するヴェルヌイユ通りにセルジュ・ゲンスブールの旧宅がある。
  • シャルル=フロケ大通りAvenue Charles-Floquet
  • シャン・ド・マルス通りRue du Champ-de-Mars
  • シュフラン大通りAvenue de Suffren
    • 7区シャン=ド=マルス公園の西側に沿って走り、15区ガリバルディ大通りにあるメトロ地上駅 セーヴル=ルクールブ駅界隈まで続く通り。
  • セーヴル通りRue de Sèvres
  • セギュール大通りAvenue de Ségur
  • ソルフェリノ通りRue de Solférino
  • トゥール=モーブール大通りBoulevard de la Tour-Maubourg
  • バック通りRue du Bac
    • テュイルリー庭園の対岸、ヴォルテール河岸界隈から南側へ伸び、東西に走るユニヴェルシテ通りを抜け、ルネ=シャール広場でサン=ジェルマン大通り、ラスパイユ大通りと交差。その先で「くの字」状に戻りラスパイユ大通りの西側を並走、ヴァレンヌ、バビロヌ各通りを抜け、セーヴル通りに交差する。
  • バビロヌ通りRue de Babylone
    • アンヴァリッド南東側、リセ・ヴィクトル=デュルイ界隈にあるアンヴァリッド大通りとの交差点から6区方向へ東西に走る。途中、ヴァノー通り (Rue Vaneau) との交差点にかけて、東京南青山にライセンスブランドで出店していた2011年創業クチューム (Coutume Café)・・等のカフェやブラッスリー、ラ・ターブル・ダキ (La Table d'Aki)・・等の和食から仏料理レストランまである。フランス首相官邸マティニョン館南側、カトリーヌ=ラブレ庭園を抜け、サン=ジェルマン=デ=プレ界隈、上記ボン・マルシェ、ブシコー公園、オテル・ルテシア・・等があるラスパイユ大通りやセーヴル通りとのセーヴル=バビロヌ駅交差点ル・コルビュジエ広場界隈まで伸びる通り。
  • ヴァノー通りRue Vaneau
  • ヴァレンヌ通りRue de Varenne
    • 上記バビロヌ通りの北側を東西に並走する。ロダン美術館北側、農水省や首相官邸マティニョン館、イタリア大使館・・など旧大邸宅建物を抜ける。イタリア大使館隣りラデュレ支社から先は、ブティック、家具店、ブーランジュリーの他、ラ・パティスリー・デ・レーヴ (La Pâtisserie des Rêves) やリヴォリ通りのモンブラン発祥店アンジュリーナ・・などのパティスリーがあるバック通りと交差する。さらにすぐ先で交差するラスパイユ大通りとの突き当る界隈は、ケンゾーポール・スミス等のブティックや香水店、ショコラ等のパティスリーで知られるユーゴ・エ・ヴィクトール (Hugo et Victor)・・等がある。ラスパイユ大通りの南方向は、ボン・マルシェ百貨店やブシコー公園があるセーヴル=バビロヌ駅界隈ル・コルビュジエ広場になり、同大通りの北方向は、ワイン専門店 ラ・カーヴ・ド・ジョエル・ロブション (La Cave de Joël Robuchon)、さらにラトリエ・ド・ジョエル・ロブション (L'Atelier de Joël Robuchon)等のレストランやビストロ、16区モザール通りのほか東京南青山でも2019年頃の短期間展開していたシャポン (Chapon)といったショコラトリー、カフェ、食材店、ファッションのマージュ (Maje)、サントノレ通り界隈の店舗が知られるインテリアデザインのメゾン・サラ・ラヴォワンヌ (Maison Sarah Lavoine)、スーパーのモノプリ (Monoprix)・・などがあるリュ・ド・バック駅界隈ルネ=シャール広場界隈となる。
  • ピエール=レロウ通りRue Pierre-Leroux
  • ブルゴーニュ通りRue de Bourgogne
  • ブルトゥイユ大通りAvenue de Breteuil
    • アンヴァリッド南側ヴォバン広場から直線で、南側15区へ向かう通り。ブルトゥイユの他、ガリバルディ、パストゥール各大通り、セーヴル、ルクールブ各通りなどが交わるアンリ=クイユ広場 (Place Henri-Queuille) まで伸びる通り。65番地の日本人パティシエによるモリ・ヨシダ (Mori Yoshida) が2010年代半ば以降の近年知られている[13]。同通りの中央は緑地帯ないし公園になっており、ジャック・シャバン・デルマス広場 (Esplanade Jacques-Chaban-Delmas) で交差するサックス大通りを西側に進むとユネスコとエコール・ミリテール、シャン=ド=マルス公園エッフェル塔になる。
  • ブルドネ大通りAvenue de La Bourdonnais
  • ベルシャッス通りRue de Bellechasse
  • ボスケ大通りAvenue Bosquet
  • ユニヴェルシテ通りRue de l'Université
    • エッフェル塔真横、ケ・ブランリー美術館南側からセーヌ川に沿って東側6区方向へ走り、アンヴァリッドの北側を抜け、サン=ジェルマン=デ=プレ中心部を東西に走るジャコブ通りに接続する。ジャコブ通りはその先セーヌ通りまで伸びる。
  • ラ・カッズ通りRue Las Cases
  • ラスパイユ大通りBoulevard Raspail
    • バック通りやサン=ジェルマン大通りが接続する7区内のルネ=シャール広場から南へ向かうと、沿道界隈にはレストランからパティスリー、ブティック・・等が軒を連ね、セーヴル=バビロヌ駅があるバビロヌ通りやセーヴル通りと交差するル・コルビュジエ広場界隈で6区内に入る。右斜め下に横切りながら14区内の中心部ダンフェール=ロシュロー広場 (カタコンブ・ド・パリ) 界隈までを走る通り。
  • ラップ大通りAvenue Rapp
  • ラ・モット=ピケ大通りAvenue de La Motte-Picquet
    • アンヴァリッド西側で、上記グルネル通りからシャン=ド=マルス公園南側へ伸びる通り。その先では、15区内北側を東西に並走するポンディシェリ通りとグルネル"大"通りに達し、メトロ ラ・モット=ピケ=グルネル駅界隈交差点に接続する。7区内を左斜め下に走る通り。このグルネル"大"通りの東側へ進むと、メトロ カンブロンヌ駅があるカンブロンヌ広場、ユネスコの南側界隈、ネッケル病院に至り、通り名もガリバルディ、パストゥール大通りと改称する。反対に西側セーヌ川方向へ進むと、メトロ ビラケム駅ビラケム橋パリ日本文化会館がある。
  • リール通りRue de Lille
    • 上記ヴォルテールなどセーヌ河岸の各通りの南側に沿って東西に走る通り。
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橋梁[編集]

セーヌ川に架かる区内の橋は、次のとおりである(上流順に、つまり東西順に列挙)。

広場・交差点[編集]

サンジェルマン大通りやラスパイユ大通り、バック通り等が交差するルネ=シャール広場 (ルネ=シャール交差点, Place René-Char)

パリの「広場 (プラス、Place)」は、しばしば2以上の道路が交差する場所に位置し、中心の「島」を道路が周回するロータリー状の交差点となっている場合が多い。中心の「島」部分は、オベリスク緑地等に利用されている場合もあり、エトワール凱旋門があるシャルル・ド・ゴール広場は世界的に有名である。7区の広場や交差点には、次のようなものがある。

船舶[編集]

著名な出身者[編集]

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貴族・軍人[編集]

政治[編集]

財界[編集]

文化[編集]

芸能[編集]

著名な居住者[編集]

王侯貴族[編集]

政治家・軍人等[編集]

学者[編集]

文化[編集]

芸能[編集]

その他[編集]

ゆかりの人物[編集]

政治[編集]

脚注[編集]

  1. ^ フランス語の 「7e 」 = 「septième 」 は、英語の「seventh 」 に相当する序数。「第7の」 「7番目の」を意味する。したがって、原語の「7e arrondissement 」を直訳すると「第7区」となる。
  2. ^ レジフランスLégifrance). “地方自治一般法典 (Code Général des Collectivités Territoriales (CGCT))” R2512-1条. 2008年6月26日閲覧.
  3. ^ 「Hôtel du Châtelet(シャトレ館ないしシャトレ公邸)」のフランス語版の参照文献:Véronique Rampazzo et Patrick Lesieur (dir.), Philippe Abergel (photographies) et Fabienne Casta-Rosaz (textes), L'Élysée, la vie et les métiers de la première maison de France, Le Cherche Midi, 2010, p. 6. 及び、Armand Tandeau, Hôtel du Châtelet : Histoire d'un édifice d'exception, ministère chargé du Travail,‎ (ISBN 978-2-35787-007-9) 等より。
  4. ^ 界隈はかつてプレ・オ・クレー(ル)(仏:Pré-aux-Clercs)と呼ばれた、パリの有名な決闘地として知られた草地あるいは牧草地であった。現在も通り名に遺る(Rue du Pré-aux-Clercs)。
  5. ^ セーヌ川の左岸にあたる。
  6. ^ 地球の歩き方編集室編 『地球の歩き方A07・パリ&近郊の町 2007〜2008年版』、ダイヤモンド社、2007年、p.374.
  7. ^ その他、サントノレ通りリュクサンブール庭園南西側ヴァヴァン通り (Rue Vavin) 3番地、マレ地区、東京神宮前台北上海等で展開している。
  8. ^ 2017年、エマニュエル・マクロン大統領が、当弾劾裁判所を廃止する意向を示している。
  9. ^ Brasserie Thoumieux by Sylvestre”. Restaurant.Michelin.fr (2019年). 2019年3月25日閲覧。
  10. ^ Lexy Delorme (2011年10月11日). “Casual Cafes in the Paris 7th: Campanella, Bistro de la Tour Eiffel & Crep ‘ and Tea”. BONJOUR PARIS. 2019年3月26日閲覧。
  11. ^ CREAトラベラー (2012年 冬号). “La Fontaine de Mars ラ・フォンテーヌ・ドゥ・マルス”. 文藝春秋社. 2019年3月25日閲覧。
  12. ^ Patricia Wells (2014年). “The Food Lover's Guide to Paris: The Best Restaurants, Bistros”. Workman Publishing. p. 64. 2019年3月25日閲覧。
  13. ^ KEICO (2019年7-19号). “パリ7 区☆Mori Yoshida(モリ ヨシダ)”. madamefigaro.jp. 2019年10月25日閲覧。
  14. ^ のちに、同8区ラブレ通り (Rue Rabelais) 2番地のジョッケクルブ (fr)に統合された。
  15. ^ Henri Charpentier および Euloge Boissonnade, 100 ans de Jeux olympiques, Paris, France-Empire,‎ , 31 p. (ISBN 2-7048-0792-2, notice BnF no FRBNF35821958). Document utilisé pour la rédaction de l’article
  16. ^ Béatrice Gurrey (2018年9月27日). “Jérôme Solal-Céligny, l’inconnu de la rédaction de la Constitution de 1958”. Le Monde(ル・モンド). 2022年12月21日閲覧。.
  17. ^ 死亡証明書番号1544、パリ市立公文書館
    Acte de décès no 1544 du 26 décembre 1963 sur le site des archives de Paris.
  18. ^ Bernard Stéphane, Petite et grande histoire des rues de Paris, Éditions Albin Michel, 2011,ISBN 978-2226230621, p. 117.

参考文献[編集]

  • MICHELIN, ed (2007) (フランス語). Plan Atlas 56 – Paris du Nord au Sud –. MICHELIN. ISBN 978-2-06-710591-1 (パリ市内の詳細地図。)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]