イネス・ド・ラ・フレサンジュ

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イネス・ド・ラ・フレサンジュ

イネス・ド・ラ・フレサンジュ(Inès Marie Laetitia Eglantine Isabelle de Seignard de la Fressange、略称Inès de la Fressange、1957年8月11日 - )は、フランスファッションモデルファッションデザイナー

現在モデルとしての活動は多くないが、サロン経営やジャン=ポール・ゴルチエを始めとするブランド・コンサルタントへと活躍の場を広げている。

経歴[編集]

生い立ち[編集]

フランスヴァール県ガッサンで、フランスの名門貴族の父フレサンジュ伯爵と、アルゼンチン系フランス人でファッションモデルをしていた母の間に生まれる。父方の祖母はユダヤ系アメリカ人で、アメリカの投資銀行ラザードの創業者一族の出身である。

「ミューズ」[編集]

1983年からシャネルカール・ラガーフェルドの「ミューズ」として8年近く活躍した。契約期間中、同メゾンのありとあらゆる広告、PR活動、そして年2回ずつパリで行われるオートクチュールプレタポルテコレクションの中心に立つ。フランス本国にアメリカ、そして特に日本で彼女をイメージにしたPRは大成功をし、「元祖スーパーモデル」はイネスとも言われる。

1989年に、フランスの象徴である「マリアンヌ」のモデルに選ばれる。専属契約を結んでいたカールは、イネスにマリアンヌのモデルを断るように頼んだが、拒否されたため、シャネル社は裁判を起こし専属契約を解除している。

ブランド設立[編集]

1990年に自身の名を冠したファッションブランド「イネス・ド・ラ・フレサンジュ(Inès de la Fressange)」を立ち上げ、パリモンテーニュ通りにブティックをオープンした。トップメゾンで長く見てきた最高の仕事を、リーズナブルに楽しめる事をコンセプトとしアパレルから雑貨インテリアまで販売し、アメリカ日本にも進出し成功を博す。パリコレクションにも参加。同じく1990年、イタリアの鉄道会社の役員であるLuigi d’Ursoとタラスコンで結婚。2人の女の子を授かっている。

離別[編集]

1999年に、同ブランドの経営陣に無断でフランス中の薬局で販売するピルケースにブランド名を使用し、解雇となるも不当解雇を訴える裁判では勝訴する。その後、彼女の手から離れたブランドは急速に人気を落とし、新しい経営陣が彼女にカムバックを申し出るが断られる。現在はフランスのみで細々と展開するアパレル部門と香水のみ。

現在[編集]

2006年に、ルイージが心筋梗塞で死別したため、Mécénat Chirurgie Cardiaqueという心臓病の治療を目的とした団体での活動も行っている。

著書[編集]

  • La famille de Sagnard de La Fressange, une famille noble à Saint-Didier-en-Velay (Haute-Loire) de 1627 à nos jours, par Jérôme Sagnard (2000)
  • Profession mannequin. Autobiographie co-écrite avec Marianne Mairesse, journaliste au magazine Marie-Claire, et éditée par Hachette Littératures (2002)
  • 「イネス―シャネルが愛したスーパー・モデル」ソニーマガジンズ