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ジャック・シャバン・デルマス(シャバンデルマス、シャバン=デルマス、Jacques Chaban-Delmas、1915年3月7日 – 2000年11月10日)は、フランスの政治家。ドゴール派の重鎮で、ジョルジュ・ポンピドゥ大統領の下で1969年から1972年まで首相を務めた。
[編集] 生涯
本名は、ジャック・デルマス。第二次世界大戦中、レジスタンス活動に参加し、多くの偽名を用いたが、その最後の偽名がシャバンで、戦後、正式にシャバン・デルマスと改名した。レジスタンス活動では旅団規模の部隊を指揮し、1944年8月のパリ蜂起に参加している。
戦後、急進党に入党するが、ド・ゴールと行動を共にし、ド・ゴール主義政党、フランス国民連合(RPF)を結成する。1947年から1995年までほぼ半世紀に渡り、ボルドー市長とジロンド県から国民議会議員として選出された。 1953年ド・ゴールの政界引退を受けて、シャバン・デルマスは、ドゴール派議員を糾合し、社会共和派を結成した。また、中道左派の政党連合である共和国戦線とも提携した。
1958年アルジェリア独立問題を受けて、ド・ゴールが政界復帰すると、シャバン・デルマスは、ド・ゴール派新党「新共和連合」(UNR)結成に一役買い、第五共和政発足後、下院国民会議議長に選出されド・ゴールを支えた。 1969年ド・ゴールが辞任し、後任の大統領にジョルジュ・ポンピドゥ首相が当選すると、シャバン・デルマスは後任の首相に任命された。 シャバン・デルマスは、前年の1968年五月革命による社会的混乱を収拾するため「新しい社会」をスローガンに新内閣を発足させた。シャバン・デルマスは、マスメディアに対する統制を緩和した。これはドゴーリスト内の保守派からは、進歩的であると見なされることになった。また、シャバン・デルマスとポンピドー大統領の間には潜在的な対立も生まれるようになった。鋭い風刺で知られる『ル・カナル・アンシェネ Le Canard enchaîné』紙は、シャバン・デルマスを脱税容疑で批判した。
1974年4月2日ポンピドーが死去すると、シャバン・デルマスは、後継大統領選挙に立候補する。シャバン・デルマスはジャック・シラクの支持を得てドゴール派の候補者となったが、選挙戦では、ヴァレリー・ジスカール・デスタンが支持を集め当選した。
1978年国民議会議長に選出される。フランソワ・ミッテラン大統領のときにフランス社会党が敗北し、コアビタシオンが浮上すると、ミッテランとの交友関係から、首相候補に取りざたされたが、シャバン・デルマスはこれを辞退し、シラクを推し自らは、国民議会議長を選んだ。
個人的には第一級のスポーツマンであり、テニスプレイヤーとして鳴らした。
1966年公開の映画「パリは燃えているか」 Paris brûle-t-il ? ルネ・クレマン監督)では、アラン・ドロンがシャバン・デルマス役を演じている。
- 先代:
- Jacques Chastellain
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- 公共事業・運輸・観光大臣
- 1954年
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- 次代:
- Maurice Bourgès-Maunoury
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- 先代:
- Maurice Bourgès-Maunoury
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- 公共事業・運輸・観光大臣
- 1954年 - 1955年
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- 次代:
- Édouard Corniglion-Molinier
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- 先代:
- Eugène Claudius-Petit
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- 建設・住宅大臣
- 1954年
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- 次代:
- Maurice Lemaire
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