ボルドー

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ボルドー
地域圏 アキテーヌ
ジロンド
行政機能 地域圏首府
人口 (2007年) 244,000 人 (市)
1,250,000 人 (都市圏)
面積 49.36 km² (市)
3,875 km² (都市圏)
市長 ユグー・マルタン(2005年~)

ボルドー(Bordeaux)は、フランスの南西部に位置する都市で、アキテーヌ地域圏の首府、ジロンド県の県庁所在地である。

目次

[編集] 概要

ガロンヌ川河口に位置する港町で、湾曲部にそって三日月形に市街地が形成される港町である。ボルドーワインの産地として世界的に有名。中心部から北側にかけては、都市計画による大通りがある。市の南側は18世紀に建設されたが、狭くてまがった通りのある古い一画である。

ジロンド県の県庁が置かれている地で、フランス革命期にはジロンド派の地盤であった。現在も、フランス南西部の中心的な都市である。

[編集] 歴史

マネ作「ボルドーの港」(1871年)
マネ作「ボルドーの港」(1871年)

ボルドーの町は紀元前300年ケルト系ガリア人によって創設され、ブルティガラと呼ばれた。紀元前1世紀にはローマに占領されて主要な交易港となり、ワイン生産が盛んで商業地としてさかえた。4世紀には、アクイタニア・セクンダ州の主都となり、大司教座がおかれた。5世紀にローマ帝国が崩壊した後にゲルマン民族の一派であるゴート人に支配され、10世紀にはノルマン人ヴァイキングの侵略を受けた。732年にはスペインから来たアブド・アル・ラーマンのイスラム軍に占領されている。1154年、アキテーヌ女公エリアノールがやがて英王となるヘンリー2世と結婚したため、12世紀から15世紀にかけてイングランドの支配下にはいった。だが、イングランド軍はフランス軍との戦いにやぶれ、百年戦争末期の1453年に撤退しフランスに奪回された。イングランドの支配下である程度の自治を享受していたため、1548~1675年にボルドーはフランスの支配に対して反逆した。ボルドーは18世紀西インド諸島との貿易で黄金時代を迎える。フランス革命時には、穏健共和派であるジロンド派の本拠地であった。ジャコバン派による恐怖政治の時代には、ボルドーのジロンド派に対して報復が何度もなされた。1871年、普仏戦争が敗勢に陥る中、ボルドーで国民議会が開催され、ボルドーにフランス政府がおかれた。この時に、ティエールが行政長官に選ばれた。1880年ごろから、ブドウのべと病を防ぐボルドー液が使われ始めた。

第一次世界大戦中にも、ドイツ軍がパリ近郊まで迫ったためフランス政府がトゥールを経てボルドーにうつされた。第二次世界大戦でも1940年6月にパリ陥落を前に一時期政府がおかれたが、間もなくドイツ軍に占領され、政府はビシーにうつった。1945年4月、フランス軍はドイツ軍を一掃した。当時、レジスタンス運動の指導者だったジャック・シャバン・デルマスが戦後の1947年から1995年まで長期に渡ってボルドー市長を勤めた。ボルドー市長の座は1995年から2004年までアラン・ジュペが占め、その後、ユグー・マルタンとなっている。

[編集] 観光

サン・タンドレ大聖堂
サン・タンドレ大聖堂

3ヶ所がフランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路のモニュメントとして1998年に世界遺産に登録されている。

  • サン・タンドレ大聖堂
  • サン・スラン大寺院
  • サン・ミッシェル大寺院

また、市内の歴史地区が「月の港ボルドー」の名で、2007年に世界遺産に登録された。

[編集] 教育

1441年に起源をもつボルドー大学を始め、グラン・ゼコールなどの高等教育機関が多く、町全体の学生数は7万人で、ヨーロッパ最大の学生町となっている。

[編集] 交通

  • メリニャック空港
  • サン・ジャン駅からTGVパリまで3時間。
  • 市内にはトラムが走る。

[編集] 姉妹都市・提携都市

[編集] 出身有名人

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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