アンドレ・ジッド

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アンドレ・ジッド
ノーベル賞受賞者 ノーベル賞
受賞年:1947年
受賞部門:ノーベル文学賞
受賞理由:

アンドレ・ポール・ギヨーム・ジッドAndré Paul Guillaume Gide, 1869年11月22日 - 1951年2月19日)は、フランス小説家アンドレ・ジイド(昭和時代はこの表記が多かった)、アンドレ・ジードとも表記される。

来歴[編集]

青年時代(1893年)

1869年パリ生まれ。父親はパリ大学法学部教授をつとめた。伯父は経済学者のシャルル・ジッド。アルザス学院に学ぶが、放校となり、しばらく神経を病む。復学後、ピエール・ルイスと出会い、アンリ四世校の哲学学級に進学。ポール・ヴァレリーらとも親交を結び、やがてステファヌ・マラルメの「火曜会」に出入りするようになる。1890年に『アンドレ・ヴァルテールの手記』を出版。マラルメから絶賛され、その後も象徴主義の影響が色濃い作品を発表する。

北アフリカ[編集]

1893年、北アフリカ(アルジェリアチュニジア)を旅行。以後たびたび同地へ赴き、オスカー・ワイルドと邂逅、娼婦との交流や同性愛を経験する。この一連の体験が文学者としての転機となった。

レシとソチ[編集]

1895年、『パリュード』を発表。これが象徴主義との実質的な決別となる。1898年、『地の糧』を発表。1902年の『背徳者』においては、生の価値と快楽に目覚め、既成道徳から背をそむけてゆく男の悲劇を描く。この時期の作品はナチュリスムと呼ばれる流れに位置づけられた。

1909年、『狭き門』を発表、過剰な神秘主義に陥るヒロインの愛と悲劇を描く。1913年の『法王庁の抜け穴』では、ローマ法王フリーメーソンを皮肉ったストーリー設定の下、動機のない殺人(「無償の行為」)を遂行するラフカディオという主人公を登場させた。なお、ジッドは『背徳者』、『狭き門』、『田園交響楽』(1919年)などの一人称語り手による単線的な筋の作品を「レシ(物語)」、『パリュードフランス語版』、『鎖を離れたプロメテ』(1899)、『法王庁の抜け穴』などの批判的・諧謔的な作品を「ソチ(茶番劇)」と分類して、「ロマン(小説)」と区別している。

ロマン[編集]

1925年、『贋金つくり』(『贋金つかい』とも訳される)を発表。これはジッドが唯一「ロマン」として認めた代表作であり、ドストエフスキーやイギリス小説(フィールディングディケンズスティーブンソンなど)から学んだ手法をとりまぜた作品である。作中にエドゥワールという小説家が登場し、作品と同名の小説(「贋金づくり」)を書くという設定になっており、いわゆる「小説の小説」になっている。このようなメタ的な手法(「中心紋」)は後のヌーヴォー・ロマンの作家たちに多大な影響を与えたと言われる。

作品には、生涯の妻であった従姉・マドレーヌの影響が強く、『背徳者』、『狭き門』などに彼女の影を持った女性キャラクターが登場している。しかしながら、マドレーヌのことを愛しながら性交渉をもたず(「白い結婚」)、マルク・アレグレとの同性愛関係により結婚生活は破綻をきたしていたと言われる。このアレグレとの関係は、自伝的な特色がある『日記』に詳しく書かれている。また、彼にはエリザベート・ヴァン・リセルベルグという愛人も存在しており、一女をもうけている。また、『コリドン』(1924年)では男色を擁護し、つづく自伝の『一粒の麦もし死なずば』(1926年)で自らの同性愛的性向をカミング・アウトした。

中央アフリカ[編集]

1926年7月から1927年5月にかけて、フランス領赤道アフリカフランス領コンゴ英語版(現コンゴ共和国)、ウバンギ・シャリ英語版(現中央アフリカ共和国)、一時チャドに滞在した後カメルーンを視察したのちフランスへ帰国して『コンゴ紀行フランス語版』(1927年)と『チャドからの帰還フランス語版 -- 続コンゴ紀行』(1928年)を発表した。『コンゴ紀行』及び『チャドからの帰還 -- 続コンゴ紀行』では、フランスの植民地支配のあり方について疑義を唱え、当時の社会に波紋を呼び起こした。1920代後半から1930年代にかけては、知識人としてのアンガージュマン(政治参加)が目立つようになる。

ロシア[編集]

1930年代に入ってからは、ソヴィエトへの共感を口にし始め、共産主義的傾向を強める。しかし1936年、マクシム・ゴーリキーを見舞うために同国を訪れたジッドは(『ソヴィエト紀行フランス語版』)でソ連の実態を明らかにしてスターリン体制に反対する姿勢を鮮明にし、左派から猛バッシングを受ける。ジッドは翌年の『ソヴィエト紀行修正』(1937年)で前著に対する批判には反論している。その後は反ナチ・反ファシズムを貫き、第二次大戦前には反戦・反ファシズム世界青年会議名誉議長を務めた。

晩年[編集]

1938年、マドレーヌが亡くなると深い孤独感に陥り、『今や彼女は汝の中にあり』を書く。

1945年ゲーテ勲章授与。1947年オックスフォード大学から名誉博士号、さらにノーベル文学賞受賞。

1951年パリで没。その著作は死後、ローマ教皇庁により、禁書に認定された。

影響[編集]

日本では、和気津次郎による紹介を皮きりに、堀口大學山内義雄などの手によって知られるようになった。小説家・石川淳による批評文もあり、石川はジッドの小説を翻訳してもいる。また、ジッドの著作は当時の文人たちに多大な影響を与えた。例えば横光利一の純粋小説論はジッドの『贋金つくり』が影響していると言われている。

代表作[編集]

文壇誌 新フランス評論NRF)創刊者の一人。『日記』は半世紀以上書かれ、フランス日記文学を代表する作品である。

小説的作品、戯曲など[編集]

  • 『アンドレ・ヴァルテールの手記』(『アンドレ・ワルテルの手記』という訳が流布)
  • 『ナルシス論』
  • 『ユリアンの旅』
  • 『愛の試み』
  • 『パリュード』
  • 『エル・ハジ』
  • 『地の糧』
  • 『フィロクテート』(戯曲、『フィロクテテス』とも訳せる)
  • 『鎖を解かれかけたプロメテ』(『鎖を離れたプロメテ』という訳が流布、「プロメテ」は「プロメテウス」とも訳せる)
  • 『カンドール王』(戯曲、『カンダウレス』王)とも訳せる)
  • 背徳者』 
    • 石川淳訳(新潮文庫)、石川淳訳(改造文庫)、川口篤訳(岩波文庫)、二宮正之訳(『背徳の人』、ちくま文庫
  • 『サウル』(戯曲)
  • 『放蕩息子の帰宅』
  • 狭き門』 
    • 川口篤訳(岩波文庫)、山内義雄訳(新潮文庫)
  • 『イザベル』
    • 新庄嘉章訳(『イザベル・青春』、新潮文庫)
  • 『法王庁の抜け穴』
    • 石川淳訳(岩波文庫)、生島遼一訳(新潮文庫)
  • 田園交響楽』 
  • 『コリドン』
  • 贋金つくり』(『贋金つかい』とも訳される)
    • 山内義雄訳(『贋金づかい』、新潮文庫)、川上篤訳(『贋金つくり』、岩波文庫)
  • 『贋金づくりの日記』(『贋金づくり』の創作日記)
  • 一粒の麦もし死なずば』(自伝)
  • 『女の学校』(以下、『女の学校』三部作と呼ばれる。妻、夫、娘それぞれの視点から同一の家庭のドラマが語られる)
  • 『ロベール』
    • 川口篤訳(『女の学校・ロベール』、岩波文庫)、新庄嘉章訳(『女の学校・ロベール』、新潮文庫)
  • 『ジュヌヴィエーヴ』
    • 新庄嘉章訳(『未完の告白』、新潮文庫)
  • 『エディップ』(戯曲、『オイディプス』とも訳せる)
  • 『新しき糧』(『地の糧』の続編)
  • 『ロベール、あるいは一般の利益』(『ロベール』の戯曲化)
  • 『テゼ』(生前最後の作品、『テセウス』とも訳せる)

全集、選集[編集]

日本での翻訳全集(全作品集)は戦前に二社で、戦後は新潮社で刊行された。

  • 『ジイド全集』全18巻、金星堂、1934-1935年。
  • 『アンドレ・ジイド全集』全12巻、建設社、1934-1937年。
  • 『アンドレ・ジイド全集』全16巻、新潮社、1950-1951年。

エッセー、評論など[編集]

  • 『プレテクスト』
  • ドストエフスキー[1]
  • 『モンテーニュ論』、他にも作家論がある
  • コンゴ紀行』
  • 『チャドからの帰還--続コンゴ紀行』
    • 杉捷夫訳(『続コンゴ紀行』岩波文庫)
  • 『ソヴィエトからの帰還』(訳書では『ソヴィエト紀行』が流布)
    • 小松清訳(『ソヴェト旅行記』、岩波文庫)
  • 『ソヴィエトからの帰還の修正』(訳書では『ソヴィエト紀行修正』が流布)
    • 小松清訳(『ソヴェト旅行記修正』、岩波文庫) 
  • 『日記』

評伝、研究書[編集]

  • 『アンドレ・ジッド』、クロード・マルタン、吉井亮雄訳、九州大学出版会 2003年。

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ ジャック・リヴィエールに献呈された。

外部リンク[編集]