シャルロット・ペリアン

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Siège pivotant (1927), Musée des Arts Décoratifs, Paris

シャルロット・ペリアン(Charlotte Perriand、1903年10月24日 - 1999年10月27日)は、フランス建築家デザイナー

略歴[編集]

  • 1903年(明治36)パリで生まれる。父親は紳士服の裁断、母親は婦人服の仕立てを生業としていた家庭に育ち幼い頃から様々な素材に囲まれて育った。
  • 1926年 パリの装飾美術連学校を卒業。自らアトリエを構え、展覧会に家具の出品を始める。
  • 1927年昭和2)サロン・ドートヌンヌに出品した『屋根裏のバー』が認められたことによりル・コルビュジエのアトリエに入る。
  • 1937年(昭和12)ル・コルビュジエのアトリエを辞し独立。独立後もル・コルビュジエ、ピエール・ジャンヌレらと良好な関係を維持している。
  • 1940年(昭和15) 日本の商工省が輸出工芸指導の装飾美術顧問として招聘され来日。これは坂倉準三の尽力によるものであった。河井寛次郎柳宗理らと交流。
  • 1941年(昭和16)日本で『選択・伝統・創造』展開催。商工省との契約解除。
  • 1942年(昭和17)日本各地を回り、伝統工芸に触れる。第二次世界大戦の戦渦を避け仏領インドシナ(現・ベトナム)へ行く。
  • 1946年(昭和21)パリ帰還。コルビュジェの集合住宅実施計画に参画。
  • 1949年(昭和24)ル・コルビュジェ設計のマルセイユのユニテ・ダビシオンのためのオープンキッチンの試作品を製作。
  • 1952年(昭和27)ジャン・プルーヴェとの協働を始める。
  • 1955年(昭和30)日本で『ル・コルビュジェ、レジェ、ペリアン三人展』開催。
  • 1959年(昭和34)坂倉準三、進来廉エールフランス東京支社オフィスをデザイン。ペリアンの夫はエールフランス日本支社長だった。
  • 1966年(昭和41)坂倉準三らとパリ日本大使公邸の内装をデザイン。
  • 1967年(昭和42)フランス・サヴォア県「アーク」のスキーリゾート計画に参画。
  • 1985年(昭和60)パリ装飾美術館にて『シャルロット・ペリアン大回顧展』開催。
  • 1993年平成5)パリ・ユネスコ本部大茶会のため「茶室」をデザイン。
  • 1996年(平成8)ロンドンデザインミュージアムで『シャルロット・ペリアン モダニストパイオニア展』開催。
  • 1998年(平成10)自伝『UNE VIE DE CREATION』刊行(邦訳は『シャルロット・ペリアン自伝』北代美和子訳、みすず書房、2009年刊)。日本で『シャルロット・ペリアン展』開催。
  • 1999年(平成11)没

作品[編集]

建築

  • スイス学生会館内装(1933年)/フランス、パリ
  • マルセイユのユニテ・ダビシオンのキッチン(1952年)/フランス、マルセイユ[1]
  • エールフランスロンドン支店内装(1957年)/イギリス、ロンドン
  • ブラジル学生会館内装(1959年)/フランス、パリ
  • メリベルの山荘(1962年)
  • 在仏日本大使館大使官邸改装(1966年)/フランス、パリ 共同設計:進来廉

家具

  • LCシリーズ (コルビュジエ アトリエにて) アトリエに入る前から溜めていたデザインの具現化といわれている。
  • ペリアンチェアー
  • オスピテ Ospite(1927年)/テーブル
  • リフレッソ Riflesso(1939年)/棚
  • レフォロ Refolo(1953年)/ソファ
  • オンブラ Ombra(1953年)/椅子
  • プラナ Plana(1969年)/テーブル
  • ヴェンタリオ Ventaglio(1972年)/テーブル
  • 1940年の来日では、民芸運動に参加し、家具のデザインをした。LCシリーズを竹細工で制作する。山形県新庄市でわら細工の寝台敷を指導制作。トイレ・バスのデザイン。

脚注[編集]

  1. ^ CASA BRUTUS No132 理想のキッチンのつくりかた。マガジンハウス出版2011年 P.28~33