堀田善衛

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堀田 善衛(ほった よしえ、1918年7月7日 - 1998年9月5日)は、日本小説家富山県高岡市出身。

[編集] 来歴・人物

父は富山県会議長の堀田勝文、母は大正年間に富山県で初めて保育所を創設した堀田くに。生家は伏木港廻船問屋であり、当時の日本海航路の重要な地点であったため、国際的な感覚を幼少時から養うことができた。旧制金沢二中から慶應義塾大学に進学し、文学部仏文科卒業。大学時代は詩を書き、雑誌「批評」で活躍、その方面で知られるようになる。戦争末期に国際文化振興会の上海事務所に赴任し、そこで終戦を迎え、国民党に徴用される。引揚後、一時期新聞社に勤務したが、まもなく退社し、作家としての生活にはいる。

1956年、アジア作家会議に出席のためにインドを訪問、この経験を岩波新書の『インドで考えたこと』にまとめる。これ以後、諸外国をしばしば訪問し、日本文学の国際的な知名度を高めるために活躍した。また、その中での体験に基づいた作品も多く発表し、欧米中心とはちがう、国際的な視野を持つ文学者として知られるようになった。この間、1959年にはアジア・アフリカ作家会議日本評議会の事務局長に就任。日本評議会が中ソ対立の影響で瓦解したあと、1974年に結成された日本アジア・アフリカ作家会議でも、初代の事務局長をつとめた。また、「ベ平連」の発足の呼びかけ人でもあり、脱走米兵を自宅に匿ったこともあった。

1977年、『ゴヤ』完結後、スペインに居を構え、それからスペインと日本とを往復する生活をはじめる。スペインやヨーロッパに関する著作がこの時期には多い。また、1980年代後半からは、社会に関するエッセイである〈同時代評〉のシリーズを始め、これは作者の死まで続けられ、没後『天上大風』として1冊にまとめられた。

なお、堀田の愛読者である宮崎駿は、『方丈記私記』のアニメ化を長年に渡って構想していた。また、2008年、宮崎吾朗他のスタジオ・ジブリスタッフにより、『方丈記私記』等の堀田作品をアニメ化するという仮定のもとのイメージ・ボードが制作され、神奈川近代文学館に展示された。

[編集] 受賞歴

[編集] 主な作品

  • 広場の孤独(1951年、中央公論社)
  • 記念碑(1955年、中央公論社)
  • 奇妙な青春(「記念碑」第2部/1956年、中央公論社)
  • 河(1959年、中央公論社)
  • 建設の時代(1960年、新潮社)
  • 海鳴りの底から(1961年、朝日新聞社)
  • 審判(1963年、岩波書店)
  • 歴史と運命(1966年、講談社)
  • 若き日の詩人たちの肖像(1968年、新潮社)
  • 美しきもの見し人は(1969年、新潮社)
  • 橋上幻像(1970年、新潮社)
  • 方丈記私記(1971年、筑摩書房)
  • 19階日本横丁(1972年、朝日新聞社)
  • インドで考えたこと(1957年、岩波書店)
  • 小国の運命・大国の運命(1969年、筑摩書房)
  • ゴヤ(1974-77、新潮社)
  • 本屋のみつくろい 私の読書(1977年、筑摩書房)
  • 航西日誌(1978年、筑摩書房)
  • スペイン断章 歴史の感興(1979年、岩波新書)
  • スペインの沈黙(1979年、筑摩書房)
  • オリーブの樹の蔭に スペイン430日(1980年、集英社)
  • 彼岸繚乱 忘れ得ぬ人々(1980年、筑摩書房)
  • 情熱の行方 スペインに在りて(1982年、岩波新書)
  • 日々の過ぎ方 ヨーロッパさまざま(1984年、新潮社)
  • 路上の人(1985年、新潮社)
  • 聖者の行進(1986年、筑摩書房)
  • 定家明月記私抄(1986-88年、新潮社)
  • 歴史の長い影(1986年、筑摩書房)
  • バルセローナにて(1989年、集英社)
  • 誰も不思議に思わない(1989年、筑摩書房)
  • めぐりあいし人びと(1993年、集英社)
  • 未来からの挨拶(1995年、筑摩書房)
  • 上海にて (1995年、筑摩書房)
  • 空の空なればこそ(1998年、筑摩書房)
  • 天上大風 全同時代評一九八六年-一九九八年(1998年、筑摩書房)
  • 時空の端ッコ(1992年、筑摩書房)
  • ミシェル 城館の人(1992-94、集英社)
  • ラ・ロシュフーコー公爵傳説(1998年、集英社)
  • 故園風來抄(1999年、集英社)
  • 上海にて (2008年、集英社 版)

など