森敦
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森 敦(もり あつし 明治45年(1912年)1月22日 - 平成元年(1989年)7月29日)は、長崎市出身の小説家。朝日村名誉村民(現・鶴岡市名誉市民)。
目次 |
[編集] 来歴・人物
横光利一に師事し、その推薦で22歳の時『毎日新聞』に「酩酊舟〔よいどれぶね〕」を連載する。太宰治、檀一雄らと『青い花』創刊に参加したが、作品を発表せず、各地を放浪。戦後同人誌『ポリタイア』に「天上の眺め」その他の短編を発表。『季刊芸術』第26号(1973年7月)に発表した中編「月山」で第70回芥川賞受賞。当時62歳であり、これは現在も芥川賞史上最高齢での受賞である。
他に『鳥海山』、『意味の変容』、野間文芸賞受賞作『われ逝くもののごとく』などがある。なお、『意味の変容』は、『群像』に連載されていたものを再編し筑摩書房から出版されたもので、同じ時期に『群像』に連載を持っていた柄谷行人の強い要望によって出版が実現された。柄谷行人曰く、日本文学史上類例をみない奇跡的な私小説であり、その評価は非常に高い(ちくま文庫の解説には岩井克人、浅田彰、中上健次等も賞賛の辞を寄せている)。数学者の森毅は、理系的センスを褒めた。また『森敦全集』第2巻(筑摩書房)には先駆稿を含め搭載されている。なお、電子文庫パブリでは購入可能である(発行・筑摩書房)。
崇拝者は多く、小島信夫とは1949年ころからの知り合いであり、新井満も森を記念して月山でコンサートを開いている。養女・森富子の著作もある。小島の大長編『別れる理由』は、作中に森敦が登場することによって完結し、その後『群像』で小島と森は対談を連載した。
「もりとん」と呼ばれることもある。
[編集] 経歴
- 1912年、長崎市に生まれる。
- 旧制一高を中退する。
- 1949年、この頃より山形県庄内地方を放浪する。
- 1951年、夏頃から翌年の初夏まで注連寺に滞在する。
- 1973年、『季刊藝術』に『月山』を発表、最高齢で第70回芥川賞を受賞。
- 1987年、『われ逝くもののごとく』で、第40回野間文芸賞を受賞。
- 1989年、死去。朝日村名誉村民に推戴される。
[編集] 著書
[編集] 単著
- 「月山」(1974年)河出書房新社 のち文春文庫「月山・鳥海山」
- 「鳥海山」(1974年)河出書房新社
- 「文壇意外史」(1974年)朝日新聞社
- 「浦島太郎の人間探検記」(1975年)青春出版社
- 「森敦のおかっぱ愛情学」(1975年)主婦と生活社
- 「私家版聊斎志異」(1979年3月)潮出版社
- 「星霜移り人は去る わが青春放浪」角川文庫(1979年11月)
- 「わが風土記」(1982年8月)福武書店
- 「意味の変容」(1984年9月)筑摩書房 のち文庫
- 「月山抄」(1985年9月)河出書房新社
- 「マンダラ紀行」(1986年5月)筑摩書房 のち文庫
- 「わが青春わが放浪」(1986年5月)福武書店 のち文庫
- 「われ逝くもののごとく」(1987年5月)講談社 のち文芸文庫
- 「十二夜 月山注連寺にて」(1987年6月)実業之日本社
- 「一即一切、一切即一 『われ逝くもののごとく』をめぐって 対談集」(1988年8月)法蔵館
- 「われもまたおくのほそ道」(1988年8月)日本放送出版協会 のち講談社文芸文庫
- 「浄土」(1989年6月)講談社 のち文芸文庫
- 「酩酊船」(1990年8月)筑摩書房 のち講談社文芸文庫
- 「天に送る手紙」(1990年6月)小学館 のちライブラリー
- 「わが人生の旅」(1990年)弘済出版社
- 森敦全集 全8巻別巻1 筑摩書房、1993-95
[編集] 共著
- 「対談・文学と人生」小島信夫(2006年2月)講談社文芸文庫
[編集] 翻訳
- 「友の憂いに吾は泣く 旧制高等学校物語」ドナルド・T.ローデン(監訳)(1983年4月)講談社
- 「韓国人の美意識」洪思重(監訳)(1984年)三修社
[編集] 参考文献
- 森敦-月に還った人 新井満 文芸春秋 1992
- 森敦との対話 森富子 集英社 2004


