綿矢りさ

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綿矢りさ
誕生 山田梨沙(やまだ りさ)
1984年2月1日(25歳)
日本の旗 京都府京都市左京区
職業 小説家
国籍 日本
主題 小説
代表作 インストール
蹴りたい背中
主な受賞歴 第38回文藝賞
第130回芥川賞
  

綿矢りさ (わたや りさ)本名:山田梨沙(やまだ りさ)は、日本小説家

高校在学中「インストール」で文藝賞を当時最年少の17歳で受賞しデビュー。大学在学中の2004年、「蹴りたい背中」により19歳で芥川賞受賞(金原ひとみと同時受賞)、同賞の最年少受賞記録を大幅に更新し話題となる。2006年に長編第3作『夢を与える』を発表。早稲田大学教育学部国語国文学科卒業後は専業作家として活動している。

筆名の「綿矢」は、姓名判断を参考に中学時代の同級生の姓「綿谷」から拝借したもの。

目次

[編集] 経歴

幼少期からの読書好きで、小学生のころは江戸川乱歩那須正幹の『ズッコケ三人組』シリーズ、『不思議の国のアリス[1]カニグズバーグ、『クマのプーさん』、ミヒャエル・エンデの『はてしない物語』などを愛読。中学生の頃からマーガレット・ミッチェル風とともに去りぬ』や田辺聖子『言い寄る』を繰り返し読む[2]。中学では演劇部に所属。演劇部の27年先輩には歌手の尾崎亜美がいる。

京都市立紫野高等学校在学中の2001年、「インストール」で第38回文藝賞受賞。当時17歳であり、第18回(1981年)の堀田あけみ(『アイコ十六歳』)以来20年ぶりの最年少タイ記録として話題となった(その後2005年に当時15歳の三並夏が記録更新)。同作品で第15回三島由紀夫賞候補。選考委員の福田和也島田雅彦より高い評価を受ける。また同作品の単行本は、3年後の芥川賞受賞や映画化の効果も相まって、2008年現在までに70万部が発行されるベストセラーとなった。

2002年、高校を卒業し、早稲田大学教育学部国語国文学科に自己推薦入試で入学(在学中は千葉俊二ゼミに所属)。大学在学中の2004年、「蹴りたい背中」で第130回芥川賞受賞(当時19歳)。金原ひとみ(当時20歳)「蛇にピアス」と同時受賞であり、それまでの最年少記録(第56回(1966年)・丸山健二の23歳0ヶ月)を大幅に更新。芥川賞受賞作と選評が掲載された月刊『文芸春秋』2004年3月号は、雑誌としては異例の初回刷80万部、最終的には118万5000部を記録し、それまで最高だった1990年12月号「昭和天皇独白録」収録号の105万部を抜き、最多発行部数を更新した。単行本は芥川賞受賞作としては1976年受賞の村上龍限りなく透明に近いブルー』(131万部)以来、28年ぶりのミリオンセラーとなった。2004年末までの発行部数は127万部。2003年の第25回野間文芸新人賞候補にも挙げられた。

2006年、『蹴りたい背中』で2005年度早稲田大学小野梓記念賞<芸術賞>を受賞。早稲田大学を卒業して専業作家となる。同年末に『蹴りたい背中』以来3年半ぶりの長編となる『夢を与える』を発表。2008年、第26回京都府文化賞奨励賞を受賞。

[編集] 人物

愛読書として上述したものの他に村上春樹の初期作品(『風の歌を聴け』『羊をめぐる冒険』)、よしもとばななの『キッチン』、町田康『人間の屑』などを挙げている[2]太宰治も好きな作家だが斜陽については、「革命とか雄雄しいところが人間味がない」としてあまり好きではないらしい[要出典]スティーブン・キングもよく読む作家の一人。好きな映画は『普通の人々』やマリリン・モンローの作品、オードリー・ヘップバーンの作品。

芥川賞の賞金の使い道は引越しとノートパソコン[要出典]。芥川賞受賞時については「部屋で一人こもって書いていたときとのギャップがあまりにもあったので、何で本を書いてこんなことしているんだろうと思ったりしました。」と述べている[要出典]

大学生活を一言で表すと「没交流」。大学を卒業した際には「大学にはあんなにいっぱい人がいたのに、卒業後も会うほどのお友だちになれた人はごくわずか。ちょっともったいなかったかなぁ・・・。」と述べている[要出典]。在学中は執筆に行き詰って塾でアルバイトもしていた[3]。大学の卒業旅行では青森に行き、太宰治の生家、斜陽館に立ち寄った。

各メディアへの登場後ストーカーに悩まされたことがあり[要出典]、授賞式以外は公の場から遠ざかり、『インストール』(後日上戸彩ら映画関係者と対面した)が2004年に映画化された際もプロモーションに参加しなかった。世間やマスコミが熱狂していた大学在学中はつらくなって実家によく帰ったとも語っている。専業作家となって以降はテレビのインタビューなどにも応じており、2007年には初のサイン会も開いた。

[編集] 作品解説

インストール(『文藝』2001年冬季号初出)
高校生活から突如脱落した朝子が、小学生のかずよしに誘われて風俗チャットを体験する、という作品。綿矢の処女作品だが、それ以前にも「すっごく短いのなら、いくらか書いたかもしれないですけど。長続きしなかった。」と語っている[要出典]。高校2年生の冬休みを使って一気に仕上げたもので、「受験勉強からの逃避」でもあったという[要出典]。最初はシャーペンで大学ノートに書いていたが、後にワープロで仕上げた。作中に出てくる風俗チャットは綿矢の創作であり、存在を確認していたわけはない。
文藝賞選考では4人の審査員に絶賛され満場一致で受賞[4]。第15回三島賞選評では福田和也は「話者の意識の構成、エピソードの継起の仕組みといい、きめ細かく構成されていて瑕疵がなかった」として、同じくインターネットを主題とした阿部和重『ニッポニア・ニッポン』よりも高い評価を与えている[5]
蹴りたい背中(『文藝』2003年秋季号初出)
周囲に溶け込むことが出来ない陸上部の高校1年生・初実(ハツ)と、アイドルおたくで同級生の男の子・にな川との交流を描いた作品。2002年の夏から2003年の夏にかけて書き上げた。綿矢によれば(恋愛小説というより)「思春期小説」だという[要出典]。また前作『インストール』と比較し「前作はストーリーを決めて書き始めたんですが、今回はキャラクターの外見や性格が先に浮かびました。」と述べており、その一方「前作と共通することが多いことに自分で驚きました。」とも述べている[要出典]
書き出しの部分(「さびしさは鳴る。耳が痛くなるほど高く澄んだ鈴の音で鳴り響いて、胸を締めつけるから、せめて周りには聞こえないように、私はプリントを指で千切る。細長く、細長く。紙を裂く耳障りな音は、孤独の音を消してくれる。気怠げに見せてくれたりもするしね。葉緑体? オオカナダモ? ハッ。っていうこのスタンス。」)について、「一番においのきついところだと思う。主人公ハツの酔いしれ度が高いから引く人もいるかも。リズムなどを考えて一番書き直した部分です。」と述べている[要出典]。芥川賞選考会で三浦哲郎はこの部分を指して「不可解な文章」だと評した[6]が、他の9人の選考委員の支持を得て受賞となった。文学賞の批判本『文学賞メッタ斬り』を出した豊崎由実、大森望は「とてもとても、容姿に恵まれた人が書ける小説じゃない」「下手な書きかたしちゃうと、低レベルのいじめ話か、つまらない恋愛小説みたいになって閉じちゃいそうな話を、絶妙に開いたまま上手に物語を手放してる器量には舌を巻きます」と絶賛している[7]
夢を与える(『文藝』2006年冬季号初出)
クォーターの少女・夕子がチャイルドモデルとしてのCM出演から国民的アイドルになり、スキャンダルによって転落するまでを描く。執筆期間は約1年半で、それまで中絶した作品がいくつもあったという[3]。1人称限界を感じたことから本作では3人称が取られており「文体を変えたくて自分の中で更新するまで時間がかかった。」と述べている[8]。芸能プロダクションの関係者に話を聞いたり、大学一年生の時にテレビのスタジオ閲覧に自分で応募して見にいくなどして取材を行なった[3]。主人公・夕子のモデルは著者自身かとの見方が各所でなされたが、本人は完全に否定している[3][8]
『夢を与える』というタイトルは、「違和感を覚えた言葉」「高飛車な言葉」で、作品中に何度も出てきたことからタイトルに採用したという[3]。また作品の結末について「この物語はひどいところで終わっているけど、もしかしたら主人公の夕子の一生を描けば良い話かもしれない。」「太宰治の人間失格ほど悲惨ではないと思いますよ」と語っている[要出典]
単行本(2007年)の表紙に映っているモデルの夢子はカナダ人と日本人のハーフで、幼児の頃から通販カタログなどを中心として活躍するなど、芸能活動を始めた経緯では主人公の夕子にも一部通じるプロフィールを持つ。表紙のモデルの名前に作品タイトルの「夢」が入ってるのは偶然だという[要出典]

[編集] 著書

[編集] 発行部数

(出典はすべて河出書房新社のホームページより)

[編集] 作品のメディア展開

[編集] 映画

[編集] 漫画

[編集] ドラマ

[編集] 参考文献

[編集] 外部リンク

[編集] 脚注・出典

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芥川賞
129回
吉村萬壱
ハリガネムシ
130回
金原ひとみ
蛇にピアス
綿矢りさ
蹴りたい背中
131回
モブ・ノリオ
介護入門