小谷野敦
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小谷野 敦(こやの とん[1]、1962年12月21日 - )は比較文学者、評論家[2]、小説家。禁煙ファシズムと戦う会[3]代表。愛称、猫猫先生[4]。茨城県水海道市(現・常総市)生まれ。恋愛の比較文学的研究から出発し、「もてない男」[5]や「軟弱者」、「正直者」などのキャラを打ち出した評論活動、「新近代主義」の提唱や反禁煙の主張などの言論を展開している。
目次 |
[編集] 学歴
- 1981年 海城高等学校卒業
- 1987年 各1年間の浪人・留年[6]を経て東京大学文学部英文学科卒業、同大学大学院総合文化研究科比較文学比較文化専攻修士課程進学
- 1990 - 92年 ブリティッシュコロンビア大学留学
- 1994年 東京大学大学院総合文化研究科比較文学比較文化専攻博士課程単位取得満期退学
- 1997年 博士 (学術)(東京大学)(博士論文タイトル「<男の恋>の文学史 -日本文学における男性恋愛心理の比較文学的研究」)
[編集] 職歴
- 1993年 帝京女子短期大学非常勤講師( - 1994年)
- 1994年 大阪大学言語文化部専任講師( - 1997年)
- 1997年 大阪大学言語文化部助教授( - 1999年)
- 1999年 明治大学兼任講師( - 2005年)
- 2001年 東京大学非常勤講師( - 2009年3月)
- 2003年 国際日本文化研究センター客員助教授( - 2006年)
- 2008年 専修大学兼任講師( - 2009年3月)
[編集] 人物
二人兄弟の長男として生まれる[7][8]。 小学校2年生のとき交通事故で入院[7]。同じころ父親が転職したためもあり、小学校3年生のとき埼玉県越谷市に転居[7]。転校先の越谷市立出羽小学校でいじめを受ける[7]。同校4年生の時、国語の教科書に載っていたシェイクスピアの『リア王』の児童向けリライト版冒頭部分に影響され、学級新聞に小説『新・リア王』を連載したことがある[9]。12歳のとき、NHKの人形劇『新八犬伝』に夢中になったことから日本の古典や時代物小説を読むようになる。越谷市立富士中学校在学中は落語研究会所属で漫画家志望だったが、絵を描く能力に関してイラストレーターの叔父から疑念を表明され漫画の道を断念、高校時代に大江健三郎や太宰治を読むようになると小説家志望へ転じる[10]。高校受験では埼玉県立浦和高等学校を受験したが失敗し、海城高等学校に進学。同校ではなかなか友人ができず、いじめっ子集団の標的にされ、成績は平均よりも下を低迷していた[11]。このいじめは、2年生になって成績が向上するまで続いた。陰惨な環境の男子校だったため「男性的なもの」を激しく嫌悪し、女性的なものに憧れて『キャンディ・キャンディ』に熱中した[12]。幼い頃からクラシック音楽に惹かれ、その延長線上でバレエ音楽『コッペリア』『くるみ割り人形』の原作者E・T・A・ホフマンに関心を寄せ、そのため「大学ではドイツ文学科へ進もうと思っていた」[13]こともあるという。
大学受験では1981年、現役で早稲田大学第一文学部に合格したが進学せず、1年間の予備校生活を経て、1982年、早稲田大学第一文学部を蹴って東京大学文科III類に進学。1984年、3年次から英文科に進学。大江と同じように23歳で芥川賞を取って大学卒業後ただちに作家生活に入ることを考え、大学時代は同人誌めいた発表舞台に2、3篇を載せたが自信を失って挫折[10]。しかし大学の卒論を書くことが面白かったことから学者をしながら評論めいたことを書こうと考え[10]、大学院に進学、1990年6月、東大大学院での修士論文『英雄の生涯─馬琴、シェイクスピア、19世紀アメリカ小説における近代の運命』が芳賀徹の推薦で福武書店から『八犬伝綺想』として出版される。修士論文『遊女の文化史』を中公新書から出版してマスコミの寵児になった佐伯順子のことを目標にしていたため、『八犬伝綺想』の反響のなさに失望し、鬱状態に陥った。
1990年8月からカナダのブリティッシュ・コロンビア大学アジア学科の博士課程に留学し、週に一度だけティーチングアシスタントとして日本語の授業を受け持ちつつ、鶴田欣也、モストウ、ブレイマーの指導の下で日本文学や比較文学を研究する(このカナダ留学が、思いを寄せる女性を追いかけてのものであったことが、小説「悲望」で明らかにされている)。留学中は『日本文学』『批評空間』に論文を発表。博士論文のテーマには谷崎潤一郎を選ぼうと考えていたが、ブリティッシュ・コロンビア大学では鶴田と対立する教員から嫌われてティーチングアシスタントから外された後、英語力の不足などが理由で博士号取得資格試験に失敗[14]。鶴田からは「評論家的な資質が自分に似ている」と評され、芳賀らとは後に学問的な対立をしたこともあり、のちに「お前の恩師は誰か、一人挙げろと言われたら、鶴田欣也をあげる」[15]と言っている。
1992年に日本へ帰国。1993年4月から帝京女子短期大学にて英語の非常勤講師を務める。1994年4月、大学院の先輩でロシア語教官であるヨコタ村上孝之助教授の世話により[16]、大阪大学専任講師に就任。1997年には東大で博士号を取得。同年、大阪大学では助教授に進んだが、1999年3月に辞職して東京に移住。この辞職について小谷野本人は、酒乱の同僚から恫喝や暴言を受け続け、神経症になったためとしている[17][16]。また、辞職の直前、1999年1月にちくま新書から『もてない男──恋愛論を超えて』を刊行し、新書としては異例ながら10万部を超えるベストセラーになった。同書が反響を呼んだ原因について、小谷野は「誰も言っていなくて、だけど、みんなが思っていたことを言ったからでしょう。そんなのはコロンブスの卵みたいなもんで」と分析している[18]。小谷野はまた、「これまでのところ、私はある種の強運を持っていると思っている。たまたま阪大を辞めたのと同時に本がベストセラーになったため、今日まで食うに困るわけでもなく生き長らえているのは、一つの強運だろう。(中略)だが、庇護者運は悪いらしい」[19]とも発言している。
1999年10月、5歳上の言語学者で大阪大学助教授の由本陽子と「結婚」し[20]、週刊誌から「裏切り」と報道された[21][7]。この「結婚」は挙式のみで婚姻届なしの遠距離別居であり、小谷野によれば「恋愛できない人間にお勧めの『友愛結婚』の実践」だったが[7]、入籍について由本の同意が得られなかったため、2002年夏、事実婚から3年弱で小谷野の側から「離婚」を申し入れた[7]。
しかし、2003年秋ごろにはやはりもう一度結婚したい、あるいは恋人が欲しいという思いが強くなった上[22]、2004年春、それまで交際していた大学院生の女性の一人に手ひどい振られ方をしたことがきっかけで[22]結婚情報サービスに入ろうとしたり、出会い系サイトで女性遍歴を重ねたり[23]、『帰ってきたもてない男――女性嫌悪を超えて』の後書き(pp.208-209)で「結婚相手に求める七か条」[24]を書いたりするなどの試行錯誤を経て、2007年、ブログで知合った21歳年下の東京大学大学院修士課程在学中(当時)の女性と入籍した[25][26]。
また、個人的な趣味としては「古典的なものが好き」で、歌舞伎、落語、相撲[27]などを愛する。また、NHKの「大河ドラマ」に関してもマニアックなファンである。音楽ではクラシック、オペラなどが好きであり、大学院では歌舞伎とオペラの比較研究を志していたこともある。その一方、「ロックなどという若者向けの音楽を論じて、受けを狙う学者は気にいらない」「ミステリのような通俗小説を、学者で愛好する人がいるのが理解できない」「筒井康隆のようなSF的設定の小説は面白いが、SF小説自体は、SF漫画やSF映画に乗り越えられている」などと語っている。その他、特撮を愛好する一面もある。
2008年8月、東京大学駒場キャンパスにおける歩行喫煙の是非を巡って東京大学教授下井守と争った[28]ことがきっかけで、禁煙に関する東京大学の方針に従わない態度が問題となり、2009年3月をもって東京大学非常勤講師を雇い止めにされる[29]。これに伴い、2009年4月9日、東京都杉並区で人文系教養塾「猫猫塾」を開設した[30]。
[編集] 研究・言論活動
[編集] 恋愛の比較文化論
研究対象は恋愛の比較文化論で、博士論文『<男の恋>の文学史』では、従来、成立したものとしてしか論じられてこなかった恋愛を「片思い」の視点から記述、中世以前の日本文芸では、男の片思いは共感をもって描かれてきたが、徳川時代の文芸では、恋愛の主体が女性に移ると共に、もてる男が英雄視されるようになり、それが近代になって男の片思い文学が復活したと論じた。また『<男の恋>の文学史』の続編、『恋愛の昭和史』では、近代的な「恋愛」観念が国民的レベルで成立したのは昭和30年代であると主張し、大衆小説における恋愛観念の変遷を辿っている。
これら歴史的な研究と並行して、従来の恋愛研究の批判を展開する。博士論文の総論「日本恋愛文化論の陥穽」を収めた『男であることの困難』では、「恋愛」という概念が明治期に輸入されたという説に対し、それは徳川時代と比較しての話に過ぎないと論駁した。また『江戸幻想批判』では、徳川時代の遊里などを過剰に美化する風潮を批判している。これらは、歴史的事実をきちんと検証しないまま、現代人の願望を過去に投影して安易に書かれた「恋愛の比較文化研究」が、刊行・評価されることに危惧を表明したものである。
『江戸幻想批判』では佐伯順三の『遊女の文化史』を、中世に関しては成立している遊女神聖説を近世に適用したとして批判していたが、2007年の『日本売春史』では、中世に関してもそのような説は成立しないと主張、佐伯説を「密輸入」したとして網野善彦らをも批判するに至っている。なお同書は、古代から現代までの売春の変遷を辿ると同時に、各時代の売春が後世の都合によりどう解釈されてきたか追跡したものである。また2008年には『江戸幻想批判』の増補改訂版も刊行して、遊女神聖論に対する批判を理論的に精密化した。
[編集] 文藝評論の展開
『片思いの発見』所収の「恋・倫理・文学」では、文学と倫理の関係を論じて作家の伝記の問題に及び、国木田独歩の評伝がロマン派的な恋愛幻想により歪曲されていると指摘した。『谷崎潤一郎伝 堂々たる人生』では、従来、人物より作品が主に論じられていた谷崎をあえて取り上げ、自ら評伝の執筆を行うことを通じて、性や恋愛をめぐるロマン派的な谷崎幻想を克服することをめざした。『里見弴伝──「馬鹿正直」の人生』では、「恋愛」が西欧近代から輸入されたと論じる、ヨコタ村上孝之ら「近代恋愛」論者が無視してきた里見の存在に光を当て、ポリガミックな女性関係を含め、その人生と文筆を詳細に検証した。
『反=文藝評論』では、村上春樹の『ノルウェイの森』や俵万智の『サラダ記念日』が刊行された1987年以降、現代文学が新たな恋愛幻想に取り憑かれ、カジュアル的なセックス描写を批判するとともに、男女関係の現実を描くリアリズムの文学として、藤堂志津子や佐川光晴を高く評価した。『リアリズムの擁護』では、田山花袋の『蒲団』に遡り、赤裸々な事実の暴露という意味での、リアリズムの系譜を掘り起こしている。
小谷野の文藝評論は、日本の前近代の文藝や、海外の文学をも対象にしている。江戸文藝に関しては、八犬伝をめぐる論文を『日本文学』に発表した他、『八犬伝綺想』、『夏目漱石を江戸から読む』等の著書がある。また、アメリカ文学を論じた『聖母のいない国』では、従来、ロマン派やモダニズムの視点から語られていたアメリカ文学史を、リアリズムの観点から見直すという論を展開し、サントリー学芸賞を受賞した。『『こころ』は本当に名作か』では、古今東西の名作に独自の評価を下し、江戸文藝や漱石、ドストエフスキーの価値を疑問視している。
[編集] 恋愛文化批判
恋愛文化研究の成果を踏まえ、1990年代後半からは、ジャーナリズムにおける評論活動を積極的に展開し、現代日本の恋愛文化に対する批判を進めていく。『もてない男―恋愛論を超えて』(ちくま新書)では、自らを「もてない男」と規定し、その実存の真実に立脚して、「誰にでも恋愛ができる」というのが近代恋愛思想の最大の嘘であるとの主張を展開した。本書の斬新な主張は注目を集め、10万部を超えるベストセラーとなった。続く『恋愛の超克』では、「誰もが恋愛、セックスをしなければならない」と若者を洗脳しているとして、現代の各種メディアを批判し、資本主義社会の御用イデオロギーとしての恋愛の超克を主張した。また本書では、「売春反対論者」であったが、現在は「必要悪としての容認論」に転じている。
「もてない男」を標榜する反面、「美人好き」をも公言している。いずれの議論も、現代のフェミニズムが隠蔽している、男女それぞれの内部における深刻な格差を問題化するものである。『美人好きは罪悪か』では、自らをとらえている「知的な美人」への嗜好を、社会的・歴史的に分析している。また、文学や学問の世界でも美貌の女性が得をするのが現実であり、それならば偽善を言わないで、美人作家などはどんどんその美貌を活用して売ればいいと主張する。また、清岡純子の少女ヌードの愛好家であることを明かし、児童ポルノ規制の強化(単純所持で処罰)に反対の意を表明している。
「美人好き」といっても、女性は誰もがきれいになるべき、なれるという立場には否定的である。同書では、「どんなにブスでもデブでもバカでも、外見さえ整えれば、ダイエットすれば、男が付き合ってくれるだろう、などとは言えまい。もっとも、そういう嘘は女性雑誌が盛んに言っているが、あれは化粧品会社がスポンサーだったりするからで、美容産業と結託しているのである。」[31]と批判している。また「エステなどの美容産業」が「女性雑誌あたり」と結んで、女性に「加齢による容貌の衰え」を気に病ませるよう誘導しているとも指摘した[32]。
[編集] 「新近代主義」の提唱
小谷野は社会問題全般に関しても積極的な発言をしている。小谷野の恋愛研究は、前近代を賛美して近代の制度を批判する傾向に対する反措定であったが、社会思想においても、ポストモダン思想の虚妄を批判して、近代的理念を再評価する「新近代主義」の立場を取り、現代日本の論壇人への苛烈な批判で知られる。『すばらしき愚民社会』では大衆批判を展開しているが、小谷野の言う大衆とは知的大衆、すなわち一般知識人、読書人階層である。いわゆる大衆の迷妄よりも、知的な言論において暗黙のうちに前提とされ、ドグマと化す観念の迷妄を撃つことに小谷野の批評のモチーフがある。
『中庸、ときどきラディカル―新近代主義者宣言』では自らの政治的立場を、「共和主義者」と規定している。小谷野によれば、日本のいわゆる右派、保守派はロイヤリスト(王党派)に過ぎないが、これとは異なり、身分差別に基づく天皇制を否定する、近代的なナショナリズムが「共和主義」である。ゆえに小谷野は天皇制廃止論者であると共に、憲法第9条改定論者でもあり、アメリカのイラク戦争を支持した。戦争に反対する知識人は恵まれた特権階級であるが、栄誉と縁のない普通の民衆は戦争によるカタルシスを欲している以上、戦争は止められないと分析した。
『なぜ悪人を殺してはいけないのか』では、死刑制度の存続を主張している。死刑廃止を主張する者は、釈放された凶悪殺人犯が自分の家の隣に住んだらどうするのかと小谷野は問う。この世に明らかな「悪」が存在する限り、正義の実現としての死刑は必要であるという。また死刑を廃止するかわりに敵討ちを認めればいいという議論に対しては、敵討ちをしてくれる遺族のいない孤独な被害者はどうなるのかと問い、国家による制裁が必要であると主張している。
また、学歴偏重主義については「「学歴差別」という言葉自体、おかしな言葉である。今の日本で、貧しくて上の学校へ行けなかったなどという人はあまりいないのだし、能力で人を区別するのは当然である。能力差別がいけないなら、試験はいけないのか。「差別」というのは、「いわれなく人の地位を定めること」だから、生まれで差別する天皇制は差別だ。しかし、生まれつき大東文化大学卒というやつはいない」「東大出身者同士の間では、三流私大なんかさんざんバカにされているに決まっているのであって、事実そうなのである」[33]と発言し、これを肯定している。職業差別についても「言うまでもないが、体育教師は、どこでも、バカで野蛮である。私は体育教師を差別する。私が独裁者になったら、体育教師をガス室送りにするかもしれない」[34]と公言し、これを肯定する立場を取る。
[編集] 「禁煙ファシズム」批判
現在の反タバコ運動は「禁煙ファシズム」であると主張し、『禁煙ファシズムと戦う』を共著で出版している。受動喫煙を問題視する風潮や喫煙規制について、排煙の害を隠蔽しようとする自動車メーカーや石油会社の陰謀だという説を唱えている[35]。自身も1日40本の煙草を吸うヘビースモーカーであり、著書「すばらしき愚民社会」において、結婚を考えている相手が嫌煙家だったので、1999年ごろ禁煙外来に通院したが禁煙に失敗したとしている。小谷野はさらに、「禁煙外来へ行ってもやめられなかった私は、身体障害者として認定してもらいたい。そのことはいずれ厚生労働省へ正式に要請するだろう」とも発言している[36]。
JR東日本が一部の列車を除き車内を全面禁煙したことに対して、禁煙措置の取りやめを求めて訴訟を起こしたが、棄却されている。また、訴状において、自らが閉所恐怖症であり、喫煙ができないと症状の悪化を来たすとの主張をしている。「大気の汚れた東京で、たばこの煙ぐらいを問題にすること自体がばかばかしい」「健康に害を及ぼすものはほかにもいろいろあるのに、たばこだけが狙い撃ちされている」[37]というのが小谷野の主張である。また、他の連載コラム等において、自らが禁煙のプラットホームで敢えて喫煙し、駅員に注意されるとクレームを付けたり、怒鳴ったりしていることを明らかにしている。
2004年10月15日には、やはり反禁煙家である筒井康隆と東京都千代田区のパレスホテルにて初対面を果たした[38]。このとき小谷野は筒井から愛煙家団体「Go smoking友の会」への参加を求められたが、「嫌煙権論者とは喧嘩しないという主宰者の方針が気に食わない」との理由によりこの誘いを拒否[38]。小谷野はさらに筒井から喫煙者と嫌煙権論者との公開シンポジウムにも参加するよう誘われたが、「嫌煙権論者は馬鹿ばかりであって、論争するに値いしない」との理由によってこの誘いをも拒否したと筒井に書かれた[38]。ただし小谷野自身は、この時の対面について「私は「嫌煙派とのシンポジウム」を断ったわけではなく、やっても新聞等が報じないだろうし、たとえ嫌煙派が議論で負けても、負けたとかバカだったとかは死んでも報道せず「議論は平行線をたどった」などと書くだけだろうから、ムダだろうと思い、黙っていただけです。」と述べている[39]。
また、「1999年に大阪大学を、耐えられなくなって辞めて以来、27件近くの大学の公募に応募してきたが、2004年に、比較文学の公募で、明らかに私より業績のない者が採用されたのを機に、応募もやめてしまった。大学は禁煙ファシズムがひときわ厳しいし、それと戦っている私を採用する大学などというものはもうないだろう」[40]とも述べ、自らが阪大辞任以後、どの大学でも常勤の職を持てずにいる背景にも「禁煙ファシズム」の存在があるとの見解を示している。ただし小谷野は「地方の立派な大学への就職を平川先生が斡旋してくれたことがあって、ただ飛行機に乗れない私がそんな遠方へ行くのは不可能だったから断った」とも発言している[41]。
『週刊現代』2008年8月2日号では「何よりも私が不愉快なのは、禁煙運動家の人たちとは議論が成立しないことです」[42]と言いつつも、「以前、日本禁煙学会の理事長が公開討論をやりたいと言ってきたことがありますが、応じませんでした。どうせ禁煙運動家を動員して、こちらを袋叩きにするのは目に見えているからです」[43]と述べた。また、「私はいま『禁煙ファシズムと戦う会』を結成していますが、かくも理不尽な世の中と立ち向かうには、もはや『日本喫煙者党』(笑)を結成して国政に出るしかないでしょう。心ならずも世間の隅に追いやられた愛煙家たちの熱い支持が得られるものと確信しています」[44]とも発言している。
[編集] その他の言論活動
『バカのための読書術』などの啓蒙書も多い。評論家としては呉智英の影響を大きく受けている。エッセイについては群ようこを師匠と呼び、「学者っぽいところは高島俊男先生、怒ってばかりいるところは筒井康隆の日記、あたりが師匠筋に当たろうか」と述べている[45]。また少年期からの歴史好きもあり、純粋な歴史の研究書『間宮林蔵〈隠密説〉の虚実』や、シェークスピアの作品内容と歴史的事実とを比較研究した『リチャード三世は悪人か』なども刊行している。啓蒙書『バカのための読書術』でも、歴史に関する本を読むことの重要性を説いている。また系図マニアでもあり、現代の学者、作家などの係累関係について造詣が深い。その趣味は、2007年の著書『日本の有名一族』に結実した。
大学の現状についても発言している。「定年延長というのは、若い研究者の就職を遅らせることで、よくない」と指摘、国立大を定年退官した者が私立に勤めることについても、「国立大を定年になった教授を雇うより、若い人を雇ったほうが給料は安くあがるんだから、定年になった教授に就職口があるのは、人脈の賜物でしかない」と述べる。[46]。 大学改革にも批判的であり、「今の大学の困難ってのは多くは90年代の大学改革が原因なんだから、それをやった連中の罪を問うべきで、元に戻せ、と言うだけでいい」[47]と主張する。
インターネット上ではブログ(「猫を償うに猫をもってせよ」)を運営しており、自己の主張の提示や、他者への批判などを活発に行っている。「匿名批判というのは、基本的に卑怯である」「私を匿名で批判する権利があるのは、たとえば大学で私の授業に出ている学生だけ」と、匿名・本名を公開しない筆名による言論を厳しく批判した[48]。また2007年には、自らのウェブログにおいて、こうした言論活動を行っている人々の本名を、本人の承諾を得ないまま公開したこともある。しかし現在は、「私は最近、そういう怒りからは次第に遠ざかっている」という心境を漏らすに至っている[49]。その他、jun-jun1965というIDではてなダイアリーキーワードをたびたび編集している他[50]
[編集] 創作活動
自らの文学的主張の実践として、2007年には、自身の恋愛体験を元にした表題作を含む小説集『悲望』を刊行。2008年には、第二小説集『童貞放浪記』を刊行した。評論活動と平行して、小説を発表していく意向を示している。小谷野によると、若い頃は人間を描くことができなかったが、谷崎の評伝を手がけた際、谷崎の小説は想像力で書き上げたものではなく実体験に基づいていたものであることを発見すると共に、実体験を生かしてフィクションを書く技術を谷崎作品から習得し、その技術を発揮するために再び小説を書き始めたという[51]。小説に関しては「今の新人作家は、私小説でないものを書こうとしすぎると私は思う」「小説は「私語」であって、恨み言でも手記でもいいのである」「私は小説を書く時に、まだ他の人が書いていないことを書くよう努めている。それは評論でも同じことで、どこかで見たような評論を書いていてもダメに決まっている」、ただし「事実を自分に都合よく捻じ曲げておらず、公表したらモデルが特定されて社会的損失をこうむるようなことは書くべきではない」と発言している[52]。)
モデルの存在に関しては、『非望』と『童貞放浪記』に収められた私小説作品のみでなく、架空の物語として書かれている『美人作家は二度死ぬ』(山室なつ子の生涯)についても、「事故死する女性は安藤美保という、別の形だが24歳で事故死した歌人がモデルで、これは武藤(康史)さんがその日記の抜粋をずっと雑誌に連載していた人である」[53]と明かしている。
[編集] 法廷闘争
小谷野は、自身の権利を侵害したと信ずる相手に対しては積極的に法廷闘争を挑んでいる。たとえば2006年1月16日には、衆議院議員杉村太蔵による「多くの若者にとって、たばこは汚い、くさい、カネがかかるの3K」との発言等により苦痛と屈辱を受けたと主張して国家賠償を請求し、東京地裁にて日本国を提訴した[54]。一審では2006年5月24日に原告小谷野が敗訴。2006年5月31日、原告が東京高裁に控訴したが棄却となり、最高裁への上告は受理されなかった[55]。このとき小谷野は弁護士を探したが引き受ける者がなかったため、法曹界でも禁煙ファシズムが広がっていると批判した。
また、2007年3月24日には、特急や新幹線の全面禁煙措置等が喫煙者に対する差別であり、日本国憲法第13条に定められた幸福追求権の侵害にあたり違憲であるとの主張のもとにJR東日本を東京簡裁に提訴した[56](2007年12月21日、裁判移送先の東京地裁にて小谷野側が全面敗訴[57])。「控訴しても棄却されるのは目に見えているし、上級審で変な判例を作っても何だから」との理由により控訴は断念した[55]。
この他、2006年2月23日にはインターネット上での名誉毀損をめぐってフリー編集者井上はねこを東京地裁に提訴[58]。この時は被告井上が法廷に現れなかったため、2006年10月27日、自動的に小谷野の勝訴となったが[59]、被告が損害賠償請求を無視しているため、小谷野は30万円の賠償金を取立てることができずにいる。
同じ2006年の12月には、作家笙野頼子が連載小説『おはよう、水晶──おやすみ、水晶』の中で実名を出さぬまま小谷野を批判し「やってる仕事は女叩き」等と書いたため、名誉毀損で笙野を提訴しようとしたことがある[60]。
また、2006年の3月から4月にかけ、吉原の遊女の平均寿命をめぐる小谷野と絶望書店店主との論争(後述)に関して、或る匿名のはてなブロガーからインターネット上で「キチガイ」「大学の恥」「馬鹿学者」[61]「狂犬」などと侮辱され[62][63]、当該箇所をプリントアウトして警視庁高井戸警察署に相談したが埒が明かなかったため、株式会社はてなや当該ブロガーに対する問題の記述の削除要請を経て、2008年2月5日、はてなを相手取って東京簡裁に情報開示および損害賠償請求の訴を起こし、裁判所の和解勧告に従って同年7月3日にはてなと和解すると共に情報開示を受けた[64]。これによって当該ブロガーの個人情報を突き止めたものの、小谷野は「高卒じゃしょうがないね。高卒の者の言論相手に裁判起こしたりしないから安心しな。実はぱっと見て怒り狂ったんだけど、本当に高卒だと知って怒りは収まった」[65]「最近はおとなしくしているので、すぐ提訴する気はない」[64]と言っている。
これら一連の法廷闘争について、小谷野は「裁判って中毒性がある」「裁判をやってもらうために税金を払っていたわけで、これは納税者の重要な権利である。どうも日本人は訴訟狂でなさすぎる傾向があるね」と発言している[59]。
2009年2月16日には、「禁煙ファシズム」に関する論争をめぐってフリーライター藤本祥和(後述)を名誉毀損と公然侮辱で提訴することを発表。「訴状提出は三月に入ってからだろうから、期日は四月だろう」と予告していたが[66]、藤本によると2009年4月になってから小谷野の訴状が到着したという[67]。その訴状の内容は、藤本のウェブサイト記事「小谷野敦逃亡記」「小谷野敦文通メモ」、ブログ「ワイネフパーム・ブログ」の一部削除ならびに慰謝料300万円の支払いを要求するものとなっている[67][68]。2009年5月12日に東京地裁民事第49部第530法廷で第1回口頭弁論が行われ[69]、6月23日に第2回口頭弁論が行われて結審[70]。判決は9月17日に言い渡されることが予定されている[71]。
[編集] 著作
[編集] 単著
[編集] 評論・エッセイ・評伝など
- 『八犬伝綺想――英米文学と『南総里見八犬伝』』(福武書店、1990年)
- ちくま学芸文庫版には「江戸の二重王権」と「八犬伝の海防思想」の論文二編が追加されている。
- 『夏目漱石を江戸から読む――新しい女と古い男』(中央公論社[中公新書]、1995年)
- 『男であることの困難――恋愛・日本・ジェンダー』(新曜社、1997年)
- 『<男の恋>の文学史』(朝日新聞社[朝日選書]、1997年)
- 『間宮林蔵〈隠密説〉の虚実』(教育出版、1998年)
- 『もてない男――恋愛論を超えて』(筑摩書房[ちくま新書]、1999年)
- 『江戸幻想批判――「江戸の性愛」礼讃論を撃つ』(新曜社、1999年)
- 新曜社、改訂新版、2008年
- 『恋愛の超克』(角川書店、2000年)
- 『バカのための読書術』(筑摩書房[ちくま新書]、2001年)
- 『軟弱者の言い分』(晶文社、2001年)
- 『片思いの発見』(新潮社、2001年)
- 『退屈論』(弘文堂、2002年/河出書房新社[河出文庫]、2007年)
- 『聖母のいない国――the North American novel』(青土社、2002年/河出書房新社[河出文庫]、2008年)
- 『中庸、ときどきラディカル――新近代主義者宣言』(筑摩書房、2002年)
- 『中学校のシャルパンティエ』(青土社、2003年)
- 『性と愛の日本語講座』(筑摩書房[ちくま新書]、2003年)
- 『反=文藝評論――文壇を遠く離れて』(新曜社、2003年)
- 『俺も女を泣かせてみたい』(筑摩書房、2004年)
- 『すばらしき愚民社会』(新潮社、2004年/新潮社[新潮文庫]、2007年)
- 『評論家入門――清貧でもいいから物書きになりたい人に』(平凡社[平凡社新書]、2004年)
- 『恋愛の昭和史』(文藝春秋、2005年/文春文庫、2008年)
- 『帰ってきたもてない男――女性嫌悪を超えて』(筑摩書房[ちくま新書]、2005年)
- 『なぜ悪人を殺してはいけないのか――反時代的考察』(新曜社、2006年)
- 『谷崎潤一郎伝――堂々たる人生』(中央公論新社、2006年)
- 『新編 軟弱者の言い分』(筑摩書房[ちくま文庫]、2006年)
- 『日本売春史――遊行女婦からソープランドまで』(新潮社[新潮選書]、2007年)
- 『日本の有名一族――近代エスタブリッシュメントの系図集』(幻冬舎[幻冬舎新書]、2007年)
- 『リチャード三世は悪人か』 (NTT出版、2007年)
- 『リアリズムの擁護――近現代文学論集』(新曜社、2008年)
- 『猫を償うに猫をもってせよ』(白水社、2008年)
- 『日本の歴代権力者』(幻冬舎 [幻冬舎新書]、2008年)
- 『里見弴伝──「馬鹿正直」の人生』(中央公論新社、2008年)
- 『東大駒場学派物語』(新書館、2009年)
- 『『こころ』は本当に名作か――正直者の名作案内』(新潮社[新潮新書]、2009年)
- 『美人好きは罪悪か?』(筑摩書房[ちくま新書]、2009年)
[編集] 訳書
- ウィリアム・シュウェンク・ギルバート(William Schwenck Gilbert)『喜歌劇ミカド――19世紀英国人がみた日本』(中央公論新社、2002年)
- ハロルド・ブルーム(Harold Bloom)『影響の不安――詩の理論のために』(アルヴィ宮本なほ子との共訳、新曜社、2004年)
- エリザベス・テイラー(Elizabeth Taylor)『エンジェル』(白水社、2007年)
[編集] 小説
- 『悲望』(幻冬舎、2007年)
- 『童貞放浪記』(幻冬舎、2008年)
- 『美人作家は二度死ぬ』(論創社、2009年)
- 「山室なつ子の生涯」(本人のブログに発表。樋口一葉が夭折せず、凡庸な作家として生涯を送ったという設定のパラレルワールドの物語)
- 「純文学の祭り」上掲書所収、書き下ろし
[編集] 共著
- (Yoko YUMOTO)"Language and Gender"(英宝社、2002年)
- (池田清彦・小浜逸郎・橋爪大三郎・吉田司・井崎正敏・八木秀次)『天皇の戦争責任・再考』(洋泉社[新書y]、2003年)
- (渡部直己・吉本謙次)『綿矢りさのしくみ』(太田出版、2004年)
- (斎藤貴男・栗原裕一郎)『禁煙ファシズムと戦う』(ベストセラーズ、2005年)[73]
[編集] 編集
- 『田山花袋』(明治の文学23)(筑摩書房、2001年)
- 『恋愛論アンソロジー――ソクラテスから井上章一まで』(中央公論新社[中公文庫]、2003年)
- 『童貞小説集』(筑摩書房[ちくま文庫]、2007年)
[編集] 映画出演
- 『童貞放浪記』(2009年, カメオ出演)
[編集] 受賞歴
- 2002年 『聖母のいない国』でサントリー学芸賞(芸術・文学部門)
[編集] 主な批判対象
- 赤松啓介
- 朝倉喬司
- 網野善彦
- フィリップ・アリエス『子供の誕生』
- 井口時男
- 井上はねこ
- 上野千鶴子
- 内田樹
- 大塚英志
- 大橋洋一 - 酒飲みであると同時に嫌煙家であるため「大橋洋一はアル中である。アル中が東大教授をやっていられるのも、日本が先進国ではないからだろう」「この禁煙ファシズムに気づかないでよく批評理論なんかやってられるな」[74]と小谷野から揶揄されている。また、ネットカフェ難民への同情を表明した際には「ネットカフェにいるような「遠い」やつには同情できても、足元にいる職のない博士号取得者とかには無関心というのは、社会運動家みたいな連中によくあるパターンだ」[75]と小谷野から批判された。
- 沖浦和光
- 川村湊 - 小谷野によると、小谷野と中込重明が2002年に法政大学国際文化学部教授の公募に申し込んで落とされたのは学部長の川村によって仕組まれた出来レースの「偽公募」のためであり、島田雅彦を採用することは予め決定されていたという。その後中込が脳腫瘍で早世したことを引き合いに出し、小谷野は「中込氏の怨霊になりかわって、私は法政大と島田と川村湊に嫌味を言い続けたい」[76]と述べた。さらに小谷野は川村を「極悪人」と呼んだこともあるが[77]、川村が『新刊展望』2008年11月号で西村賢太と小谷野を並べて「新私小説派」と呼んだ時には、掌を返したように「川村先生、極悪人なんて言ってすみません」と謝罪した[78]。
- ドナルド・キーン
- 黒古一夫
- 小林秀雄
- 小森陽一
- 佐伯順子 - 「私は若いころから、佐伯順子さんに追いつくことを目標に生きてきた」[79]と語るほどの傾倒ぶりを見せる一方で、佐伯の著書『遊女の文化史』における近世遊女観等に対しては『江戸幻想批判』の中で批判的見解を明らかにしている[80]。その後、小説「黒髪の匂う女」には佐伯と類似したプロフィールを持つヒロイン(吉川玲子)を登場させ、そのヒロインの研究を「『評論』風の、学問的基礎の脆いもの」[81]と批判すると同時に、「その華やかさに憧れていたのも否定できない」[81]とアンビヴァレントな描き方をしている。「佐伯順子さんは、『太陽』『宝島30』その他、四つくらい連載を持っていた。『日本の美学』などという商業学術誌にまで連載していた。そういう雑誌の発売日が来ると、短大の授業で疲れて帰ってきた夕刻、駅の最寄りの書店へ行って立ち読みし、憧れと嫉妬でぎりぎり脂汗を流した。のちに私は佐伯さんの仕事を厳しく批判することになるが、その根底にこの時の嫉妬と怨念があることは、否定できない」(『評論家入門』p.148)とも発言している。
- 佐藤優
- 澁谷知美
- ハインリッヒ・シュリーマン
- 笙野頼子
- 田中貴子
- 田中優子
- 中島岳志
- 中原昌也
- 野田聖子
- 原武史
- ラフカディオ・ハーン
- 久木尚志 - 小谷野の高校時代の同級生。小谷野によると「いじめグループの親玉」[82]。「本気で死んで欲しいと思っている」とも小谷野は発言している[82]。小谷野の自伝的小説「ミゼラブル・ハイスクール一九七八」には「高木貴志」の名で登場。
- 広末保
- ジークムント・フロイト
- 松浦寿輝 - 小谷野から「詩でも評論でも小説でもたくさん賞を貰っているが、私はひとつとして面白いと思ったことがない」「『折口信夫論』なんか何を言っているのかさっぱり分からない」と批判を受けている[83]。小谷野は松浦を「中身なき文学機械」[84]「何か根本的に人間としておかしい人」[85]と呼び、「古井由吉、ロラン・バルト、谷崎潤一郎、斎藤惇夫、何でも取り込んでよくできた作品に仕上げる。だがジュテル独自のものは、何もない」、ただし「政治力は凄い」と評している[84]。
- 松沢呉一 -「売春合法化」を唱える松沢を、かつて「売春反対論」を唱えていた際に盛んに攻撃していた。
- ジョン・マネー(ジェンダー概念を証明するために、ペニスを失った男児を女の子として育てた実験について:『ブレンダと呼ばれた少年』によりその失敗が明らかになった)
- 三浦俊彦 - 小谷野の大学院の先輩。2001年頃、売買春の是非を巡って小谷野と争い、それ以後絶交に至った。
- 宮台真司 - 天皇制に関する言説とフェミニズムに関する言説の間に整合性がないことを小谷野から「天皇のことになると平然と差別主義者になるのに、ことフェミニズムになると異常な平等主義者になる」[86]と批判され、「天皇の正しい利用を唱えながら、私を「保守」呼ばわりして議論をしようとしない」「卑怯者」と糾弾されている[87]。小谷野はまた「東大文学部図書室に、宮台真司が返却していない図書一覧」をブログで暴露し、「なんだ、洋書をたくさん借りこんでいるのかと思ったらこの程度か」「借りて返さないのは「窃盗」だよね」[88]と揶揄すると共に、他方では「二十歳年下の東大名誉教授の娘と結婚して子供まで作ったという、人生上の幸福(少なくとも他からはそう見える)において、私は宮台に負けた」[89]と宮台への劣等感を吐露している。
- ヨコタ村上孝之 - 大阪大学言語文化研究科准教授(ロシア語)。比較文学者出身で『色男の研究』の著者。小谷野にとっては大学院の先輩であり、大阪大学時代の同僚でもあるが、その後犬猿の仲となった。小谷野は村上を「軽薄で、助平で、女にもてるという、徳川時代の遊冶郎そのもののような男」[90]と評している他、「学内セクハラをした」[91]、「比較文学会をやめない理由にしたって、学会で出世したいからだ」[91]、「飲酒運転の前歴がある」[92]、平川祐弘に「あからさまなおべっかを使」っている[93]、等の批判をおこなっている。また、ヨコタ村上によると、小谷野は「ぼくが比較文学という方法に対する否定的な考えを持っているという理由で、日本比較文学会から除名しようという工作を熱心にした」という[94]。
- 渡辺秀樹 - 大阪大学言語文化研究科准教授(専門は中世英語)。小谷野の阪大時代の同僚。神経症で阪大辞職に追い込まれたのは渡辺から受けた恫喝のためであると小谷野は主張し[16]、ブログでは渡辺のパワハラ行為に繰り返し言及している[95][96]。小谷野は渡辺から受けた被害を阪大総長に書面で報告すると共に、阪大言語文化研究科パワハラ対策委員会に相談したこともあるが、当の渡辺がこの委員会の委員であることも災いし、相談しても埒が明かなかったという。小説「童貞放浪記」には山口政樹の名で登場。
[編集] 主な論敵
- 絶望書店店主こと管賀江留郎 - 小谷野の著書『江戸幻想批判』における「吉原の遊女の平均寿命は23歳」という主張につきウェブサイトの日記で論破したところ、小谷野から匿名批評は卑怯であるから実名を名乗るかさもなくば日記の当該エントリを削除せよとの要求を受けて揉めたことがある[97][98][99]。この要求を管賀が拒否したため、2006年3月30日、小谷野は絶望書店を「違法無届営業」[100]と非難し、「杉並警察に通報しようかな」[100]と書いたこともある(その後、絶望書店は古書を売るのみの営業であり届出の必要な古物商の定義には該当しないことが判明)。やがて小谷野は管賀の本名を何らかの手段により突き止めて無断公表し、管賀の指摘を「重箱の隅突つきでしかない」と断定した上で「本質に関わりない点で私が誤っただけだ」と発言している[101]。
- 中島義道 - 自著『愛という試練』(紀伊国屋書店、2003年)の中で、留学先のウィーンにて7人の女性から一度に求婚・求愛されたという若き日の体験を語ったため、小谷野から「中島義道が「生きるのが下手」(「私の嫌いな10の言葉」文庫版解説、宮崎哲弥)なんて大嘘です。まあ中島先生、男にも女にももてもてで、よろしゅうございますねえ」と皮肉られた[102]。その後、小谷野は『新潮45』2004年9月号の「罵事討風」欄で中島のことを取り上げ「八月号「明狂死酔」で中島は、世間の人は本当のことを言わない、と言い、あたかも自分は本当のことを言っているかのように言っているかのように喧伝している。だが、中島の言っていることなどというのは、せいぜい苦笑を誘う程度のものでしかない。しかも、福田和也さんのゼミで話をした、と書いている。福田に対して、右翼だか左翼だか分からない二股膏薬のインチキ野郎、などとは決して言わないのだ。「大衆評論家」の加藤諦三は批判しても、現在論壇の覇権の握っている人には決して攻撃を加えない。イラク人質三人組に関しても、朝日新聞的な意見を言っているだけである。こんな姑息な処世術を駆使しながら、「ぐれる」なんて、ちゃんちゃらおかしい」等と批判。それに対し、同誌2005年1月号にて中島が小谷野のことを「私の粗製濫造ぶりにカチンと来るようだが、私は彼がゴミのような本を山のように書いても気にならない」「小谷野さんには感謝しなければならないことが一つある。先ほども話した「人間学アカデミー」の講師として、私の前に呼ばれたのは小谷野さんであった。毎回、講義の後で飲み会を開くが、まあ小谷野さんの評判の悪いこと悪いこと。みんなから矢継ぎ早に、「中島さんのほうがずうっとまともだ」と言われ、全然嬉しくなかったが、彼があまりにも評判が悪かったから、私の評判が相対的に高まったわけで、彼には心から感謝しなければならない。小谷野さんありがとう!」等と揶揄した。これを受けて、小谷野は同誌2005年2月号に「中島義道に答える」という一文を発表し、「カント研究者中島は、カントからは程遠い卑怯者の不道徳漢であると言うほかはない」と非難した。その後、中島は『私の嫌いな10の人びと』(新潮社、2006年)や『哲学者というならず者がいる』(新潮社、2007年)の中でも小谷野のことに言及し、皮肉めいた発言をしている。一方、小谷野の側でも中島を「中島は「喧嘩したあとで仲直りするのがうまい」と自慢している。こないだ私に『後悔と自責の哲学』を送ってきたが、開かずにブックオフ行きである。なのにその前の、私の悪口が書いてある『私の嫌いな10の人びと』は送ってこなかった」と非難している[103]。
- 藤本祥和 - フリーライター、元喫煙者。2006年9月30日、藤本が『禁煙ファシズムと戦う』を「論理の組み立て方の基本ができていない」云々と批判するレビューをmixiに投稿。それに対して同年10月1日、小谷野が「自分ではかつて吸っていながら、やめられたというのでファシストになるというのはずいぶん身勝手な話」等と言い返したことがきっかけとなり、小谷野との間に論争が起きた。その時のやり取りを自らのウェブサイトで紹介している[104]。藤本はmixi上で小谷野に公開討論を申し入れたが、小谷野は登録名変更やアクセスブロックでこれに対処し、公開討論に応じなかった。この出来事は『週刊SPA!』2006年12月26日号にて「mixi事件ベスト10」切込隊長こと山本一郎の記事においてmixiの2ちゃんねる化という但し書き付きで第3位として取り上げられた。なお、同ランキングは筆者の山本一郎が個人的に関心をもった炎上を山本の主観で順位をつけて紹介する記事である。同記事は炎上被害者の全裸写真を紙面に掲載するなど、ネット上でおきたゴシップをまとめたものとなっている。
[編集] 関連項目
- エンストローム論文 - 小谷野の「禁煙ファシズム」批判論の根拠の一つとなっている。ただし、この論文の信憑性については疑義も提出されている。
- 岸本葉子 - 小谷野にとってマドンナ的存在であり、小谷野は『軟弱者の言い分』などを通じてたびたび岸本を賞賛している。ただし身長164センチの小谷野は身長167センチの岸本より背が低いため、「やはり、自分より背が高いと、かなりきついものがありますね」「自分より背の高い人は、こちらを相手にしてくれないような気がする」とも発言している[105]。
- 禁煙ファシズム
- 新曜社 - 『リアリズムの擁護』など小谷野の著書を5冊(2008年10月現在)刊行している出版社。小谷野は新曜社を「いわば私の『本丸』」と呼び、「よそでは出してくれないような、しかし出したい本を出してくれる。ただあまり部数が出ないのと高いのとで、若者などはあまり読まないらしく、私に関する誤解とか知識不足とかは、しばしば、新曜社の本を読まないところから出来する」と評している[106]。『禁煙ファシズムと戦う』の共著者の一人である栗原裕一郎は、小谷野の紹介により、この出版社から『盗作の文学史』を刊行した。
- ルオー - 本郷3丁目の「喫茶ルオー」は小谷野と縁が深い店である。『悲望』では主人公が片思いの相手に宛てて熱心にラブレターを書く場所として登場した他、小谷野が出会い系サイトに入り浸っていた時期には出会った女性とのデートの場所に使われたこともあり[22]、現在の妻との最初のデートにも使われている[26]。
[編集] 外部リンク
- 比較文学者小谷野敦のウェブサイト「猫を償うに猫をもってせよ」(公式ウェブサイト)
- 猫を償うに猫をもってせよ(ブログ)
- Amazon.co.jp 小谷野敦さんが書き込んだレビュー
- オンライン書店ビーケーワン 小谷野敦による書評一覧
- 著者インタビュー 火事場のバカ力で結婚したもてない男vs半径1メートルは真空地帯の美女 小谷野敦×岸本葉子 構成:永江朗 (2001年4月)
[編集] 出典
- ^ 本名の読み方は「こやの あつし」。2008年、『里見弴伝──「馬鹿正直」の人生』(中央公論新社)の執筆を機に筆名の読み方を「こやの とん」に改めた。「ところで最近は、当然ながらパソコン上で、私の名前を記すことが多いが、ローマ字変換をしている私は、実はいつも「こやの・とん」で変換している。その方が簡単だからでもあるが、だから弴伝執筆中は、「ton」と打つと、まず弴、次に敦が出ていたはず。折角だから、以後私は、字はそのまま、「とん」と読んでもらって筆名にしたいと思う」(同書p.443)
- ^ 「文藝評論家」と呼ばれることもあるが、小谷野自身は『朝日新聞』夕刊で担当していた「ウォッチ文芸」(1998年4月 - 2000年3月)以降、文藝評論家という肩書きを拒否している。『軟弱者の言い分』(晶文社、2001年)に収録された「にわか文藝時評家の日々」を参照。その理由として、小谷野は「私は文藝評論家と呼ばれることもあるが、『文學界』以外の文藝雑誌からは全然お声がかりがないので、そう名乗る資格があるかどうか疑わしい」ということを挙げている(小谷野敦「作家見習いの記 私小説のすすめ」、『中央公論』2008年12月号)。
- ^ この会は2004年秋に小谷野がソーシャル・ネットワーキング・サービスmixiの中に作ったコミュニティである。「そう本格的な集団ではない」と小谷野は言っている(文学者小谷野敦の禁煙ファシズム闘争記 2007.05)。
- ^ 小谷野のブログの名前『猫を償うに猫をもってせよ』に由来。『PLANETS』誌第5号(2008年8月)にも「猫猫先生かく語りき──「もてない男」は世界をどう変革したいのか?」と題するインタビュー記事が掲載されている。なお「猫を償うに猫をもってせよ」とは田河水泡の『のらくろ漫画全集』に登場する架空の諺である。
- ^ 小谷野は「たとえこれ以後私がどれほどもてるようになろうとも、若いころもてなかった、三十まで童貞だったという怨念だけは忘れない」と発言している(『帰ってきたもてない男─―女性嫌悪を超えて』p.11、ちくま新書、2005年)。なお2007年の小説『童貞放浪記』は小谷野自らの童貞喪失体験に基づいている。
- ^ 学部4年次在学中、英文科の修士課程の入試に失敗。このため意図的に4年生を2回繰り返し、卒業後に比較文学の修士課程に進んでいる。
- ^ a b c d e f g 『AERA』2003年8月11日号「<現代の肖像>小谷野敦●比較文学者」。
- ^ 小谷野は『俺も女を泣かせてみたい』p.60(筑摩書房、2004年)で自らを「ワーキング・クラス出身」と位置づけ、「比較的貧しい家の生まれ育ちで、保守の論客になる人というのがいる。福田恆存であり、西部邁であり、渡部昇一であり、谷沢永一である。どうも私は、根っこのところでこういう人達に共感しているところがあるようだ」(同書p.58)と述べている。
- ^ 小谷野敦『バカのための読書術』p.149(ちくま新書、2001年)
- ^ a b c 小谷野敦『評論家入門』p.142(平凡社新書、2004年)
- ^ 小谷野敦『中学校のシャルパンティエ』p.158(青土社、2003年)
- ^ 小谷野敦『軟弱者の言い分』pp.197-199(晶文社、2001年)
- ^ 小谷野敦『中学校のシャルパンティエ』p.13(青土社、2003年)
- ^ 小谷野敦『なぜ悪人を殺してはいけないのか』p.257(新曜社、2006年)
- ^ 小谷野敦『リアリズムの擁護』p.197(新曜社、2008年)
- ^ a b c 猫を償うに猫をもってせよ 2006-09-29 阪大辞職顛末
- ^ 小谷野敦『評論家入門』p.154(平凡社新書、2004年)
- ^ 『噂の眞相』(1999年7月号)p.84。
- ^ 小谷野敦『リアリズムの擁護』p.223(新曜社、2008年)
- ^ 小谷野は大学院時代から「猪口邦子先生のような才色兼備の同業の女性と結婚して、二人で名をあげ、仲良く二人で学会に現れたりして嫉妬まじりの視線を浴びたい、と本気で考えていた」と述べている。学術研究者を妻にしたいという思いは大阪大学に赴任してからも続き、ある晩、喫茶店で孤独な夕食をとった帰りに古書店で猪口夫妻の共著『世界を読む──Book review 1990』(筑摩書房、1990年)を発見した折には、あまりの妬ましさに古本屋の一隅に立ち尽くしたことがあるという。『俺も女を泣かせてみたい』p.29(筑摩書房、2004年)を参照。
- ^ 『週刊文春』2000年3月23日号。
- ^ a b c 小谷野敦「出会い系サイト放浪記」(『新潮45』2008年9月号)
- ^ 『帰ってきたもてない男─―女性嫌悪を超えて』(ちくま新書、2005年)によると、最初の頃は大量のサクラに翻弄されるばかりだったが、小谷野の「出会い系サイト放浪記」によると、やがて東京藝術大学出身の28歳の音楽講師や公立大学出身の34歳の法律事務所事務員と複数回の肉体関係を持ったという(『新潮45』2008年9月号)。
- ^ 同書によると、この七か条の内容は次の通りである。
早稲田大学については「森喜朗が総理になって以来、早稲田はバカ、という意識が私にはどうしてもあ」る、と発言したこともある(猫を償うに猫をもってせよ 2005-07-13 市川眞人なるもの)。また東京藝術大学については卒業者女性と実際に交際して肉体関係を持ったが、「あまり知的な感じではな」いとの感想を持ち、「セックスの相性が良くても、知的レベルの違いはどうしようもなく」、別れに至っている(小谷野敦「出会い系サイト放浪記」pp.155-156、『新潮45』2008年9月号)。「私が結婚相手に求める条件は、何よりもまず、知的であることだった。これは子供の時からの傾向で、美人でも成績の悪い女の子は好きにならず、優等生の女の子のほうが好きだった。だから、片想いの相手も、つきあった女性も、結婚した相手も、みな研究者だった」とも発言している(小谷野敦「出会い系サイト放浪記」p.150、『新潮45』2008年9月号)。一、一流または一・五流大学卒または大学院修了
二、二十五歳から三十四歳、初婚でなくともいいから子供はいないこと
三、専門でなくともよいが、文学や演劇に関心があること、ただし古典的なもので、『源氏物語』くらい一般教養として原文ないし現代語訳で読んでいること、シェイクスピアも翻訳でいいから五、六点は読んでいること、谷崎や川端が好きというのが望ましく、村上春樹、江國香織などは不可。演劇は、歌舞伎、能楽、ギリシャ劇、チェーホフなど。宮藤官九郎が好きなどというのは不可
四、特に美人でなくともよいが、私の好みの顔だちであること
五、ちゃんと仕事をもっていてそれを続ける意思のあること
六、首都圏在住可であること
七、煙草を嫌がらなければ、性格は悪くてもよし
なお、一流または一・五流大学というのを具体的に言うと、東大、京大、一橋、東京外大、東京藝大、慶應、上智、早稲田(学部による)、ICU、お茶の水大、日本女子大、東京女子大である。
- ^ 『週刊新潮』2007年7月5日号。
- ^ a b 『婦人公論』2007年10月7日号「"もてない男"との結婚顛末記─ブログでの交際9ヵ月、会って2回目でプロポーズ!─」。
- ^ ただし時津風部屋における2007年のリンチ死亡事件以後は大相撲に失望し、「大相撲、もう廃止しろや。してもいいよ」と発言するに至った(猫を償うに猫をもってせよ 2008-09-07 名乗らないチブル星人)。
- ^ 猫を償うに猫をもってせよ 2008-08-05 下井守教授に拉致されかける
- ^ 小谷野敦「さらば東京大学──わが反「禁煙ファシズム」闘争記」(『中央公論』2009年4月号)
- ^ 猫猫塾公式サイト
- ^ 小谷野敦『美人好きは罪悪か?』p.85(ちくま新書、2009年)
- ^ 小谷野敦『美人好きは罪悪か?』p.154(ちくま新書、2009年)
- ^ 猫を償うに猫をもってせよ 2007-07-06 学歴「差別」?
- ^ 猫を償うに猫をもってせよ 2007-07-16 やって来い!
- ^ 猫を償うに猫をもってせよ 2008-05-04 ライターNの「皆さん」
- ^ 猫を償うに猫をもってせよ 2005-11-09 北風と太陽
- ^ 『週刊朝日』2008年2月15日号
- ^ a b c 筒井康隆の紫福談 第4回 小谷野敦氏とのファースト・コンタクト
- ^ mixiの小谷野敦コミュでの発言(2004年11月17日)
- ^ 小谷野敦『リアリズムの擁護』p.223(新曜社、2008年)
- ^ 小谷野敦『東大駒場学派物語』p.291(新書館、2009年)
- ^ 『週刊現代』2008年8月2日号、p.150(講談社)
- ^ 『週刊現代』2008年8月2日号、pp.150-151(講談社)
- ^ 『週刊現代』2008年8月2日号、p.151(講談社)
- ^ 小谷野敦『軟弱者の言い分』pp.314-315(晶文社、2001年)
- ^ 猫を償うに猫をもってせよ 2009-06-26 比較文学会賞
- ^ 猫を償うに猫をもってせよ 2008-09-23 三浦慶子の謎
- ^ 小谷野敦『評論家入門』pp.175-176(平凡社新書、2004年)
- ^ >猫を償うに猫をもってせよ 2009-05-28 距離を感じる
- ^ たとえばヨコタ村上孝之や佐伯順子や渡辺秀樹の項目など。
- ^ 『讀賣新聞』夕刊、2008年3月22日。
- ^ 小谷野敦「作家見習いの記 私小説のすすめ」、『中央公論』2008年12月号。
- ^ 猫を償うに猫をもってせよ 2009-07-01 鎌倉の一夜
- ^ 2006-01-16 訴状提出
- ^ a b 文学者 小谷野敦の禁煙ファシズム裁判記 1
- ^ 2007-03-24 JR東日本を提訴
- ^ 産経ニュース 2007年12月22日 JR全面禁煙「生存に重大な影響なし」 東京地裁
- ^ 猫を償うに猫をもってせよ 2006-05-09 井上はねこを提訴
- ^ a b 2006-11-02 猫を償うに猫をもってせよ 井上はねこに勝訴
- ^ 2006-12-04 笙野頼子への抗議と警告
- ^ なお「バカ学者」という表現そのものは、小谷野自身もヨコタ村上孝之に対して使ったことがある。品位ある批評を ヨコタ村上孝之を参照。
- ^ NC-15 2006-04-10 はてなから削除依頼いただきました。その2
- ^ NC-15 2008-03-05 キ○チガイにつきまとわれるとめんどいんで記事訂正します。
- ^ a b 猫を償うに猫をもってせよ 2008-07-09 マサシについて
- ^ 小谷野のブログからは削除済の文言。NC-15 2006-04-01 こんなんでも東大で教鞭取れるのか? 〜キチガイ先生 小谷野敦11への転載からの引用。
- ^ 猫を償うに猫をもってせよ 2009-02-16 生きることの意味
- ^ a b ワイネフパーム・ブログ 2009-04-20 20:48:45 小谷野敦裁判記(1)「ジャムロジクとか裁判とか」
- ^ ワイネフパーム・ブログ 2009-06-19 00:28:14 復習:小谷野裁判とエンストローム
- ^ ワイネフパーム・ブログ 2009-05-13 00:39:16 小谷野敦裁判記(3)第1回口頭弁論
- ^ ワイネフパーム・ブログ 2009-05-18 23:43:07 小谷野敦裁判記(4)期日変更
- ^ ワイネフパーム・ブログ 2009-06-23 19:03:10 あっさり結審
- ^ CINEMA TOPICS ONLINE 『童貞放浪記』初のIQの高い童貞青春映画を山本浩司、神楽坂恵が演じる (2008/09/24)
- ^ 同書は漫画化され、『実話漫画ナックルズ』(ミリオン出版)2008年5月号に掲載された(漫画:斉藤猛、構成:小野登志郎)。
- ^ 猫を償うに猫をもってせよ 2007-07-26 ヨウスコウカワイルカ、あるいは禁煙ファシスト大橋洋一
- ^ 猫を償うに猫をもってせよ 2007-07-31 大橋洋一の偽善
- ^ 猫を償うに猫をもってせよ 2007-05-19 田中貴子『鏡花と怪異』について
- ^ 猫を償うに猫をもってせよ 2008-09-30 川村湊の極悪人ぶり
- ^ 猫を償うに猫をもってせよ 2008-10-17 久しぶりに
- ^ 猫を償うに猫をもってせよ 2007-01-15 教えてgoo症候群
- ^ 猫を償うに猫をもってせよ 2006-10-02 渋×知×事件顛末
- ^ a b 小谷野敦『童貞放浪記』p.127(幻冬舎、2008年)
- ^ a b 猫を償うに猫をもってせよ 2007-06-04 憎まれっ子世にはばかる
- ^ 猫を償うに猫をもってせよ 2006-08-07 「悲望」批評総括
- ^ a b 猫を償うに猫をもってせよ 2007-10-09 小野俊太郎の謎
- ^ 猫を償うに猫をもってせよ 2006-08-11 松浦寿輝を追撃
- ^ 2007-10-30 愛国戦隊大日本
- ^ 2007-02-22 「学者のウソ」
- ^ 猫を償うに猫をもってせよ 2007-07-12 宮台真司の不法行為
- ^ 猫を償うに猫をもってせよ 2007-01-01 私は宮台真司に負けた
- ^ 猫を償うに猫をもってせよ 2006-08-09 ふまじめな大学教師の肖像
- ^ a b 猫を償うに猫をもってせよ 2008-02-05 怒り炸裂
- ^ 猫を償うに猫をもってせよ 2008-05-02 無題
- ^ 猫を償うに猫をもってせよ 2008-05-22 恐るべきレベッカ
- ^ 品位ある批評を ヨコタ村上孝之
- ^ 猫を償うに猫をもってせよ 2006-10-17 渡辺秀樹余話
- ^ 猫を償うに猫をもってせよ 2008-11-28 渡辺秀樹の悪業(再掲)
- ^ 絶望書店日記 2002/9/25 平均寿命23歳
- ^ 絶望書店日記 2006/3/28 小谷野敦氏よりの削除依頼
- ^ 絶望書店日記 2003/4/17 小谷野敦氏からの電話
- ^ a b 小谷野ブログからは削除済の文言。NC-15 2006-03-30 こんなんでも東大で教鞭取れるのか? 〜キチガイ先生 小谷野敦9への転載からの引用による。
- ^ 猫を償うに猫をもってせよ 2007-09-16 JR東日本との裁判
- ^ Amazon.co.jpにおける小谷野のレビュー(2004/1/27)
- ^ 猫を償うに猫をもってせよ 2006-05-22 自慢する中島義道
- ^ 小谷野敦逃亡記
- ^ 著者インタビュー 火事場のバカ力で結婚したもてない男vs半径1メートルは真空地帯の美女 小谷野敦×岸本葉子 構成:永江朗 (2001年4月)
- ^ 猫を償うに猫をもってせよ 2008-04-23 呉智英対木越治


