宮崎吾朗

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みやざき ごろう
宮﨑 吾朗
2007年1月、パリにて
2007年1月パリにて
本名 宮﨑 吾朗(みやざき ごろう)
別名 宮崎 吾朗(みやざき ごろう)
生年月日 1967年1月21日(42歳)
出生地 日本の旗 東京都
国籍 日本
民族 大和民族
職業 建設コンサルタント映画監督
ジャンル 映画
活動内容 2006年 -
家族 宮﨑駿
宮﨑敬介
主な作品
ゲド戦記』(2006年

宮﨑 吾朗(みやざき ごろう、1967年1月21日 - )は、日本建設コンサルタント映画監督財団法人徳間記念アニメーション文化財団理事映画などのクレジットでは宮崎 吾朗(みやざき ごろう)とも表記する。

株式会社ムゼオ・ダルテ・ジブリ代表取締役三鷹市立アニメーション美術館館長、株式会社マンマユート団社長などを歴任した。

目次

[編集] 来歴

1967年宮﨑駿長男として東京都にて生まれた[1]。子供の頃から父のアニメーション企画などを見学していて、押井守とは度々顔を合わせており、現在でも交流がある。このせいか父親の作品よりも押井守の作品を評価することが多い。幼少時は藤子不二雄の漫画などを好んで読んでいた。その後、埼玉県立所沢高等学校信州大学農学部森林工学科を卒業した。

卒業後、株式会社森緑地設計事務所に入社し、建設コンサルタントとして公園緑地や都市緑化などの計画・設計に従事した。その後、三鷹の森ジブリ美術館の総合デザインを手がけ、運営会社である株式会社ムゼオ・ダルテ・ジブリの代表取締役に就任した。三鷹の森ジブリ美術館竣工後は、2001年10月1日から2005年6月23日まで三鷹市立アニメーション美術館の初代館長を務めた。また、2001年10月には株式会社マンマユート団の初代社長にも就任した。2004年度の芸術選奨にて、芸術振興部門の文部科学大臣新人賞を受賞した[2]

2006年7月に公開されたスタジオジブリの長編アニメーション映画作品『ゲド戦記』では、挿入歌『テルーの唄』の作詞とともに、脚本監督を務めた。アニメーション、劇場用映画、ともに初監督作品となった。

また、2008年、父が長年アニメ化を希望していて果たせなかった堀田善衛の『方丈記私記』等の作品について、アニメ化するとの仮定の基でのイメージボードを、吾朗を中心としたスタジオジブリ・スタッフが制作した。このイメージボードは、「堀田善衞展 スタジオジブリが描く乱世。」として神奈川近代文学館に展示された。

[編集] 家族

吾朗のは、アニメーション作家映画監督として活躍した宮﨑駿である。また、版画家宮﨑敬介は、吾朗のにあたる。2008年8月、吾朗に長男が誕生した。

[編集] 略歴

[編集] 賞歴

[編集] 作品

[編集] 脚注

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[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク