宇野千代
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宇野 千代(うの ちよ、1897年(明治30年)11月28日 - 1996年(平成8年)6月10日)は日本の小説家である。
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[編集] 略歴
岩国高等女学校(現・山口県立岩国高等学校)卒。 23歳で義母の姉の子(従兄)藤村亮一と結婚するが10日ほどで実家へ帰る。小学校の代用教員となるが男の教員と関係して退職となりいったん朝鮮京城へ行くが戻り、元夫の弟、藤村忠と結婚、再び藤村姓となる。京都に住んだあと上京、燕楽軒に18日間働くうち、久米正雄、今東光らと知り合う。その後北海道へ行くが、1921年、『時事新報』の懸賞短編小説に『脂粉の顔』が一等で当選し作家としてデビューし夫を置いて上京する。1922年には『墓を暴く』が『中央公論』に掲載される。
多才で知られデザイナー、編集者、実業家の顔も持った。尾崎士郎、東郷青児、北原武夫と多くの有名芸術家との結婚遍歴とその破局は波瀾に富み生涯を賑わせた。『色ざんげ』は東郷をモデルにしたもの。
作家としては寡作で、戦後10年近く沈黙していた。1960年代からまた書き始め、1980年代からは長命と恋愛遍歴をもって女性向け幸福論エッセイを数多く書いた。小説は10年かけて書かれた『おはん』、『色ざんげ』、『或る一人の女の話』などがある。1970年に『幸福』で女流文学賞、1972年に日本芸術院賞受賞、同年日本芸術院会員。1974年には『雨の音』を発表、1982年に菊池寛賞受賞。1983年発表の『生きて行く私』は自伝的小説として以後宇野の代名詞となる。1990年文化功労者。
きものデザイナーとしても活躍し、晩年に到るまで旺盛な活動を続けた女性実業家の先駆者としても知られる。長寿であり「自分は一生死なないのではないか」とエッセイに記していた。
また岐阜県本巣市(旧本巣郡根尾村)にある樹齢1500年以上の彼岸桜の古木である「淡墨桜」の保護を訴え活動したことでも知られ、同市のさくら資料館には淡墨桜に関する彼女の作品が展示してある。
[編集] 年譜
- 1911年(明治44年) 義母の姉の子藤村亮一に嫁入りするが十日ほどで帰宅する。
- 1913年(大正2年) 父・俊次が57歳で没。
- 1914年(大正3年) 岩国高等女学校卒、川上村小学校代用教員となる。
- 1915年(大正4年) 鑓田研一らと回覧雑誌を作る。同僚教師との恋愛で退職、大池房代を頼って朝鮮京城に渡る。
- 1916年(大正5年) 帰国し、亮一の弟忠が第三高等学校学生だったので頼って京都へ行き同棲生活をする。
- 1917年(大正6年) 忠が東京帝国大学に入学、ともに上京。各種職業を転々とし、燕楽軒に働く。
- 1919年(大正8年) 忠と正式に結婚し藤村姓となる。
- 1920年(大正9年) 忠が大学卒業、北海道拓殖銀行札幌支店に勤務、北海道に暮す。
- 1921年(大正10年) 『時事新報』懸賞で一等となる。
- 1922年(大正11年) 滝田樗陰に送った原稿の返事がないので上京、「墓を暴く」が『中央公論』に掲載されたことを知り、郷里岩国へ帰り、上京、尾崎士郎と同棲を始める。
- 1923年(大正12年) 尾崎とともに馬込に住み小説を発表す。『脂粉の顔』を上梓。
- 1924年(大正13年) 忠と協議離婚、筆名を宇野千代に改める。吉屋信子と親しくなる。
- 1926年(大正15年) 尾崎と正式に結婚。
- 1928年(昭和3年) 梶井基次郎との関係が噂となり尾崎と別居。
- 1930年(昭和5年) 東郷青児と知り合い同棲、尾崎と正式に離婚す。
- 1933年(昭和8年) 『色ざんげ』を発表。
- 1934年(昭和9年) 青児と別れる。
- 1936年(昭和11年) 『スタイル』を創刊。
- 1939年(昭和14年) 北原武夫と結婚。
- 1947年(昭和22年) スタイル社の『文体』に「おはん」の連載を始める。
- 1949年(昭和24年) 井上友一郎の『絶壁』が宇野夫妻をモデルとしたものと言われ紛糾す。
- 1951年(昭和26年) フランス旅行。
- 1957年(昭和32年) 『おはん』を刊行、野間文芸賞を受賞。
- 1959年(昭和34年) スタイル社が倒産。
- 1964年(昭和39年) 北原と離婚。
- 1966年(昭和41年) 『刺す』を刊行。
- 1971年(昭和46年) 女流文学賞を受賞。
- 1972年(昭和47年) 芸術院賞受賞、芸術院会員。
- 1974年(昭和49年) 勲三等瑞宝章受章。
- 1975年(昭和50年) 東京都知事選で石原慎太郎を応援するが落選。
- 1977年(昭和52年) 『宇野千代全集』の刊行始まる。
- 1982年(昭和57年) 菊池寛賞受賞。
- 1983年(昭和58年) 『生きていく私』刊行。
- 1990年(平成2年) 文化功労者。
[編集] 著作
- 幸福 金星堂 1924
- 白い家と罪 新潮社 1925
- 晩唱 現代短篇小説選集 文芸日本社 1925
- 罌粟はなぜ紅い 中央公論社 1930
- オペラ館サクラ座 改造社 1934
- 色ざんげ 中央公論社 1935 新潮文庫など
- あひびき 新陽社 1936
- 別れも愉し 第一書房 1936 のち集英社文庫
- ひとの男 版画荘 1937
- 月夜 中央公論社 1938
- 恋の手紙 中央公論社 1939
- 女の愛情 鱒書房 1939
- ある客間での物語 スタイル社出版部 1941
- 日露の戦聞書 文体社 1943
- 人形師天狗屋久吉 文体社 1947 のち集英社文庫
- わたしの青春物語 酣灯社 1947
- ピイピイ三吉 國民圖書刊行會 1947
- 私のお化粧人生史 中央公論社 1955 のち文庫
- おはん 中央公論社 1957 中公文庫、新潮文庫など
- きもの読本 長嶋書房 1957
- 女の日記 講談社 1960 のち文芸文庫
- 刺す 新潮社 1966 のち集英社文庫
- 風の音 中央公論社 1969 のち文庫
- 親しい仲 随筆集 講談社 1970
- 貞潔 短編小説集 講談社 1970
- 私の文学的回想記 中央公論社 1972 「思いのままに生きて」集英社文庫
- 或る一人の女の話 文藝春秋 1972
- 雨の音 文藝春秋 1974 のち講談社文芸文庫
- 恋は愉しいか 大和書房 1974
- 八重山の雪 文藝春秋 1975
- 薄墨の桜 新潮社 1975 のち集英社文庫
- ママの話 中央公論社 1976
- 往復書簡 中里恒子 文藝春秋 1976
- 水西書院の娘 中央公論社 1977 のち文庫
- 宇野千代全集 全12巻 中央公論社 1977-1978
- 或る日記 集英社 1978
- 大人の絵本 成瀬書房 1978
- 残ってゐる話 集英社 1980
- 幸福人生まっしぐら 大和書房 1980
- 青山二郎の話 中央公論社 1980 のち文庫
- 悪徳もまた 新潮社 1981 のち文庫
- 或るとき突然 中央公論社 1981 のち文庫
- 幸福を知る才能 正続 海竜社 1982-84 のち集英社文庫
- 自伝的恋愛論 大和書房 1983
- 生きて行く私 毎日新聞社 1983 のち中公文庫、角川文庫
- 生きて行く私人生相談篇 毎日新聞社 1984
- 或る男の断面 講談社 1984
- 幸せのつくり方 小学館 1984
- 私はいつでも忙しい 中央公論社 1984 のち文庫
- 私のおとぎ話 中央公論社 1985
- 私は幸福昔もいまもこれからも 海竜社 1985
- 私の作ったお惣菜 海竜社 1986 のち集英社文庫
- 幸福は幸福を呼ぶ 海竜社 1986 のち広済堂文庫、集英社文庫
- 普段着の「生きて行く私」 毎日新聞社 1986 のち集英社文庫
- しあはせな話 中央公論社 1987 のち文庫
- 倖せを求めて生きる 海竜社 1987 のち集英社文庫
- 行動することが生きることである 海竜社 1988 のち集英社文庫
- 宇野千代振袖桜 三宅菊子 マガジンハウス 1989
- 一ぺんに春風が吹いて来た 中央公論社 1989 のち文庫
- 私のしあわせ人生 毎日新聞社 1990 のち集英社文庫
- 恋愛作法 海竜社 1991 のち集英社文庫
- 生きる幸福老いる幸福 海竜社 1992 のち集英社文庫
- 私は夢を見るのが上手 中央公論社 1992 のち文庫
- 私の幸福論 海竜社 1993 のち集英社文庫
- 幸福に生きる知恵 講談社 1993 のち文庫
- 私の長生き料理 海竜社 1993 のち集英社文庫
- 人生学校 海竜社 1994
- 私の作ったきもの 海竜社 1994
- 私何だか死なないような気がするんですよ 海竜社 1995 のち集英社文庫
- 幸福人生まっしぐら 大和書房 1996
- 不思議な事があるものだ 中央公論社 1996 のち文庫
- 百歳ゆきゆきて 世界文化社 2002
[編集] 復刊
- 脂粉の顔 ゆまに書房 1999(近代女性作家精選集 10)
- あひびき ゆまに書房 1999(近代女性作家精選集 11)
- 幸福 ゆまに書房 2000(近代女性作家精選集 31)
- 新選宇野千代集 ゆまに書房 2000(近代女性作家精選集 32)
[編集] 映像作品
[編集] 映画
[編集] TVドラマ
[編集] TVその他
- 知ってるつもり?! - 宇野千代特集。
- 2009年 - 衝撃!女たちは目撃者 歴史サスペンス劇場〜誰も真似できない女のスゴイ生き方SP!内の宇野千代編に登場。 宇野千代役は北川弘美。
[編集] トーク番組
[編集] その他
岩国市のJR西日本各駅に、以下の展示物・記念物がある。
- 岩国駅西口(正面)側
- 西岩国駅
- 本人を写した写真パネル。こちらは賞状入れ用額縁くらいの大きさ(待合室内)
- 「宇野千代のふるさと」と記した看板(駅舎出入口の軒、駅名表記板の上)
- 川西駅
- 「ようこそ 私のふるさと 川西へ」と書かれた本人の写真入りの看板(駅ホーム)
また、岩国市交通局により運行されているギャラリーバスの中に千代本人および代表作であるおはんを題材として扱った「おはんバス」がある。
なお岩国市川西に現在でも生家が保存されており、維持管理業務を目的に特定非営利活動法人宇野千代生家が2005年8月3日に設立されている(生家そのものは岩国市が所有)。
