田村明

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田村 明(たむら あきら、1926年7月25日 - 2010年1月25日)は、日本地域政策プランナー法政大学法学部名誉教授であった。「まちづくり」という言葉を広めた。

[編集] 来歴・人物

都立第一中学旧制静岡高を経て、東京大学工学部法学部を合わせて3度(工学部建築学科、同法学部法律学科、同学部政治コース)卒業、運輸省大蔵省などからシンクタンク(日本生命)、都市コンサルタント浅田孝主宰の環境開発センター)を経て、コンサルタント時代に都市計画の案を提出した相手である横浜市飛鳥田一雄市長)に誘われて横浜市役所技師になる。

横浜市役所時代は、高速道路の地下化、港北ニュータウン等の横浜市六大事業や、横浜スタジアム建設などを推進した。また、同スタジアム多目的スタジアム化を立案し、その株式会社化を提唱した人物でもある。最終的には、技師のトップである技監に就任した。

田村はその実績と知名度、行動力、指導力、そして飛鳥田の全面的な信頼を受けていたことから、一部では横浜市の田村天皇とも囁かれた。また、1990年には横浜市長選挙(細郷道一市長の死去に伴うもの)の革新系候補として名前も挙がったが、出馬を固辞したという。

飛鳥田の国政転進(日本社会党委員長に就任)後、法政大学の松下圭一に誘われて同大学法学部教授に転任。2年目から松下の後を引き継いで都市政策を担当した(松下は、2006年現在杉田敦が担当する「政治理論」に担当替え)。ちなみに、田村が退職時まで担当していたゼミと現在の都市政策担当である五十嵐敬喜のゼミとは無関係である(五十嵐の法政大学教員採用は1995年で、翌1996年まで別名の講義を担当していたほか、就任時よりゼミも開講していた)。

1997年3月に法政大学を定年で退任。名誉教授になる。<その後は地域政策プランナーを名乗り全国の地方自治体職員等を相手に講演活動を行なう傍ら、精力的な執筆活動を続けていたという。

ちなみに田村はかなりの酒豪だったとのことで、1990年に倒れるまで、毎年100回前後行なっていた講演会の後は必ずといっても言いすぎでないほど自治体の若手職員を飲み倒していたという。

2010年1月25日午後10時15分、心不全のため静岡県の病院で永眠 83歳。

[編集] 著作

  • 都市を計画する, 岩波書店, 1977年
  • 環境計画論, 鹿島出版会, 1980年
  • 都市ヨコハマをつくる:実践的まちづくり手法, 中公新書, 1983年
  • 都市の個性とはなにか:都市美とアーバンデザイン, 岩波書店, 1984年
  • まちづくりの発想, 岩波新書, 1987年
  • 都市ヨコハマ物語, 時事通信社, 1989年
  • 江戸東京まちづくり物語, 時事通信社, 1992年
  • 現代都市読本, 東洋経済新報社, 1994年
  • 美しい都市景観をつくるアーバンデザイン, 朝日選書, 1997年
  • まちづくりの実践, 岩波新書, 1999年
  • 自治体学入門, 岩波書店, 2000年
  • まちづくりと景観, 岩波新書, 2005年
  • 「市民の政府」論:「都市の時代」の自治体学, 生活社, 2006年

[編集] 関連項目

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